二人きりの放課後
午後の授業も特に問題なく終わった。授業の合間で、相変わらず三人から質問の嵐にはあっていた。
授業終わりの掃除をして、帰りのホームルームもいつも通り。亜矢には明日楽しみにしてるね!と教室を出る際に声をかけられた。どうにか明日までに亜矢の記憶から今日のことが抜け落ちてくれればいいのに。
今から、あいつと二人きりで物理準備室の掃除だ。
まず第一の問題として、あいつがサボらずにくるかどうか。
第二の問題として、物理準備室をどこまで片付けないといけないのか。
第三の問題として、十八時からのダンスレッスンに間に合うかどうか。部活ではないから、遅れたら先輩に怒られるとかはないけど、大会が近いから遅れたくない。今回こそは全国大会に自分一人の力で出たいし。
物理準備室なんて入ったことはないし、噂で、前任の先生がいろんなものを詰め込んでたという話しか聞いたことがない。一時間以上かかるつもりでいたほうがいいかもしれない。
そうなったら、ダンスレッスンにはほぼ確実に遅刻する。朝の遅刻のせいで、今日全てがダメになっていった気がする。
昇降口に向かう人の流れから外れて、物理準備室に向かう。午後の最初に行った、物理講義室の隣の部屋で、鍵が常にかかってるイメージしかない。
もしかしたら、先に鍵を取りに行った方が良かったのかもしれない。職員室は教室棟を挟んでもう一つ向こうの棟にあるから、こっちまでくるのには時間がかかる。失敗したかな、と後悔していたら、物理準備室に到着してしまった。意外なことに、朔は先についていたようで、手持ち無沙汰に準備室の鍵をくるくる回していた。
「…さっさとやろーぜ。お前今日ダンスの日だろ。あと、大会近いだろ。」
「あ、待たせてごめん…。」
そういうと朔は、鍵を開けて中に入ってしまった。
朝の喧嘩のせいで、ぎこちない空気が漂っている。正直くだらない喧嘩をしてしまった自覚はあるけど、ぶつかったのを謝ってもらってないのに、こちらから謝るのも嫌だ。ともかくさっさと掃除を終わらせよう。こんな気まずい場所からは早く帰りたい。ダンスもあるし。
そういえば、こいつ、私がダンスに行ってる曜日とか大会近いこととか把握してたんだ。最後にダンスのこととか朔に話したのは小学校の頃とかのはずなんだけどな。まあ、こんなこと考えている場合じゃないか。早く掃除を終わらせよう。なんだか妙な気持ちになりながら、物理準備室に踏み入れた。
物理準備室の中は、思ったよりは散らかってなかった。早く掃除が終わりそうなことに安堵して、早速取り掛かる。
先生に頼まれたのは、散らばっている紙類の処分と、床の掃除。前任の物理教師の一人が、長年占領していたらしく、他の先生すら立ち入るのを諦めていたらしいのだ。物理で実験をすることはほぼないし、授業で使うわずかな実験道具は、物理実験室に置いていたらしい。
一昨年、その物理教師が急に辞めて、準備室に入ると、大量の紙の山で準備室が埋められていたらしい。ちまちま先生たちで、片付けたものの、あまりに量が多すぎて、いまだに床を埋め尽くすぐらいの量がある。
この床を埋め尽くす紙をゴミ捨て場に放り込んで、軽く箒で床を掃けば、罰掃除は終わり。二人いれば、すぐに終わりそうだ。
先に入った朔は、紙を手にとって、難しい顔をして睨むように眺めていた。
何か重要なことでも書かれているのかな?先生からは、落書きのようなものしか書かれていないから、気にせずにとりあえず捨てていいと言われているけども。
疑問に思って、朔が持っている紙を見ようとしたところで、ゴミ袋に捨てられた。まるで、何かを隠すような行動だったけど、早く帰りたかったから、特に指摘するようなことはしなかった。
ひたすら紙をゴミ袋に詰め込んで、満杯のゴミ袋が何個か出来上がったところで、床の大部分が見えるようになった。
あとゴミ袋半分ぐらい埋められれば終わりそうだ。朔とは掃除している間、何も話さなかった。ただ黙々とゴミ袋に紙を詰め込んでいただけだった。
「……一旦溜まったゴミ、捨ててくる。その間に残りの分も終わるだろ。」
「わかった。よろしく。」
気まずい空気に耐えかねたのか、朔はゴミを捨てにいった。ゴミ捨て場までは距離があるので捨てにいってくれるのはありがたい。ゴミ袋の数的に何往復かしないといけないだろうし、その間に掃除が進むならその方が効率的だ。
流石にずっとしゃがんで紙を拾っていたので、休憩がてら伸びをする。
あんなに大量の紙をよく三十分ぐらいでだいぶ片付けられたな。残りわずかだし、一気にやってしまおうかな。気合いを入れ直して、作業を再開したところで、紙の中に何か光るものが埋もれていることに気づいた。
気になって拾い上げると、それは赤い宝石のような石だった。赤い宝石だとルビーとかガーネットのあたりかな?なんでこんなところにあったんだろう。
この物理準備室を散らかした先生の所持品?疑問に思いながら、なんとなく石を蛍光灯の灯りに翳すように持ち上げる。石が一瞬、赤く光り輝いたような気がした。
そのまましばらく石を眺めていた。なんとなく目が離せなかったし、離したくなかった。
何かをしないといけなかった気がするけど、する気になれない。この石を見ていることの方が大切な気がした。それ以上に重要なことなんてきっとこの世に存在しない。
きっと存在しないわけじゃないけど、何をするべきだったかが思い出せない。
よく分からない思考を続けて、石を眺めていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。きっと朔が戻ってきたのだ。けど、朔にこの石の存在を多分知らせてはいけない。
この石は、私が見つけたんだから私のものだ。バレないようにポケットに入れておこう。ポケットじゃダメかもしれない。もっと分からないところへ。カバンの中もダメだ、すぐにわかる。
この石は他人に渡してはいけない。もっと人に見つからないところ。ポケットもダメ、カバンもダメ、じゃあ、今この場で隠せる場所は、私の体の中しかない。
早く石を飲み込まないといけない、でも飲み込んだらいけない気がする。違う、今すぐ飲み込むべきだ。それが私にとっての最善だ。そのまま信じて飲み込め、早く、今、すぐに、急いで——
——パリン
何かが割れるような音が響いて、頭がはっきりとしてきた。いつの間にか準備室に戻ってきた朔が、石を飲み込もうとしていた私の腕を掴んでいた。
さっきまで、宝石のように輝いていたはずの石は黒ずんでいた。よくわからないけど、この石を拾ってから私はおかしくなってたらしい。それを朔が止めてくれたみたいだ。
朔は黒ずんだ石を私の手から奪い取って、自分のポケットに入れた。あの石が何かわからないけど、危ないものであることは間違いない。捨てた方がいいんじゃないのと声をかける前に、朔が口を開いた。
「ここまで片付いているんなら、俺一人でもすぐ終わるだろ。先帰れよ。」
「でも……」
「いいから帰れって、時間気にしてただろ。」
何も言う暇もなく、物理準備室から追い出されてしまった。掃除の最中にチラチラ腕時計を見ていたこともバレていたらしい。体よく私を追い出す口実に使われてしまった。
朔は昔からそうだ。今日みたいに変なものを拾ってしまったり、知らない場所に迷い込んだりすると、助けてくれるけど、何も説明してくれない。聞いても教えてくれないから、聞くこともやめた。
変なものを拾うな、近道しようとして知らない道を通るな。小学生の頃はこういったことがよくあったから、朔に言われた通りに気をつけていたけど、ここ数年はこういったことは起きてなかったから忘れていた。
このままここにいても、朔は準備室の中に入れてくれないだろう。
「ありがとう!あとはお願い!」
ドア越しにお礼を言ったけど、返事はなかった。そもそも私の声が聞こえていたかわからないけど。
あの石のことは気になるけど、今はダンスレッスンのことが優先だ。朔が残りを引き受けてくれたおかげで、遅刻しない時間の電車には余裕を持って乗れそうだ。
後ろ髪を引かれながらも、昇降口へ小走りで向かった。




