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伊藤あかねは遅刻する


「やばい!やばい!遅刻する!」


 そう言いながら私は改札を駆け抜けた。私、伊藤あかねはとても焦っていた。流石にパンを咥えてはいなかったけど、少女漫画で一回は聞いたことあるようなセリフを小声で言ってしまうぐらいには。

 左手の腕時計を確認すると、時刻は午前8時24分。いつもならすでに学校に着いている時間だ。それにも関わらず、学校まで徒歩15分の最寄駅にいるのは、いうまでもないことだけど寝坊したからだ。


 新型のインフルエンザがとうとう日本でも発症者が出てやばいだの、もうすぐ始まる裁判員制度についてわちゃわちゃ話していたニュースをダラダラ見ていたら、完全に忘れていた宿題の存在を思い出した。それが昨日なのか今日なのか曖昧な日付の変わるころ。

 宿題を慌ててやったけど、結局1時間以上時間かかってしまった。その結果が寝坊。


 お母さんも3回ぐらい起こしに来てくれたらしいけど、全く記憶がない。4回目でやっと起きた頃には7時30分。いつも乗っている電車は7時42分。


 当然間に合うわけもなく、2本後の電車に飛び乗った。同じ学校の生徒は電車の中にほとんどいなかった。この電車は走らなければ遅刻が確定している電車だからだ。


 小走りになって、通学路にまばらにいる同じ制服を追い越したり、追い抜かれたりしながら、なんとか校門までたどり着いた。きっと適当に結んだポニーテールはぐちゃぐちゃだろう。シュシュも落ちかけてるような気がする。

 でもそんなことを考えてる場合じゃない!慌てて腕時計を確認すると、時刻は8時35分。


 ーーこれならぎりぎり遅刻しない!


 もしかしたら廊下も走らなくて済むかもしれない。安心して、走る速度を少し緩めた。その瞬間、後ろから追突された。


 鈍い音と、女子高生とは思えない呻き声を出しながら、前に倒れてしまう。

 このまま倒れたら、保健室行きは確定。そうなったら、遅刻にちょうどいい理由ができるからラッキーかも。でも、怪我するならアンラッキーかな。


 そんなことを考えながら、これからくる痛みに覚悟を決めていたけど、私は結局地面に倒れなかった。

 追突してきた前方不注意の誰かさんが支えてくれたらしい。追突された恨みはあるけれども、体を支えてくれたのはありがたい。正直言って少し胸が高鳴った。


 だって、まるで少女漫画みたいじゃない?食パンも咥えてないし、曲がり角でもないけど、遅刻しそうになって、人とぶつかる。少女漫画ならよくある展開だ。


 これで優しく謝ってくれて、ついでに保健室まで連れてってくれたら、追突してきた過失は許してあげて、むしろちょっとお近づきになりたいかも。

 こんなこと考えてるの友達に知られたら、漫画の読み過ぎとか、夢見すぎとか言われちゃうんだろうな。ぶつかったことは置いといて、勝手に心が浮ついた。

 でもそんな心は、前方不注意の誰かさんにかけられた言葉によって、一気に急降下していった。


「急に、止まってんじゃねーよ!このノロマ!」


 暴言だった。そして、ものすごく聞き覚えのある声だった。そして、反射的に言い返してしまった。


「あ、あんたが前方不注意だっただけじゃない!この節穴!」


 目があった先にいたのは、よく見慣れた黒猫みたいな色した、こいつじゃなかったらかっこいいと言えるはずの顔。比良坂 朔(ひらさか はじめ)、保育園から高校までずっと一緒の腐れ縁の幼馴染。

 追突してきた不届きものの正体がこの男だと判明した瞬間、追突された恨みは末代まで祟るレベルになった。

 少女漫画みたいとか思っていたちょっと前の私をぶん殴りたい。本当に今日は最悪だ。寝坊した上に、この男に一瞬ドキッとしてしまった。


「こんな遅刻ぎりぎりの時間で、時計以外見てる訳ねーだろバカ!」


 ぶつかったことを謝る気は全くないらしい。ちっちゃい頃にうっかりぶつかって私を転ばせた時は、泣きながら謝ってくれたのに。いつの間にかこんな暴言吐くようになって、成長っていうものは残酷なことだ。

 確かに急にスピードを落とした私だって悪かったけど、追突された上に暴言を吐かれて流石に腹が立つ。こうなったらとことん言い返さないと気が済まない!


「幼稚園の時は泣きながら謝ってきたくせに!退化したんじゃないの!」


「いつの話をしてるんだよお前は!お前だって、昔からぽやっとしてるの変わらないじゃないか!進化すらできてねーだろ!」


「うるさっいな!だいたいあんただってーー!」


 この際だから、こいつに言いたいことを全部ぶつけてやる!そう息巻いたところで、チャイムが鳴った。時刻は8時39分、ホームルーム開始前の予鈴が鳴ったようだ。


 さっきまでくだらない言い合いをしていたことも忘れて、顔を見合わせる。私たちの教室は校舎三階の一番奥。つまり校門のすぐ近くで言い合いをしていた私たちは確実に間に合わない。


 思わず深いため息が出た。そして二人同時に口を開いた。


「「 あんた(おまえ)のせいで遅刻した!」」


 そう言ってすぐに走り出した。遅刻したとはいえ、急いできた感じを出せば見逃してくれるかもしれない。朔は圧倒的なスピードで、私を置き去りにしていった。


 本当に今日は最悪だ!寝坊した上に遅刻して、朝から全力疾走する羽目になるなんて!今日はもうこれ以上悪いことが起こりませんように!


 そんなことを願いながら教室まで全力疾走する。けれど、結局私の願いも届かず、遅刻は許されず、悪いことも起きた。

 私を置き去りにしていった朔が怒られているタイミングで教室に入ってしまい、二人まとめて怒られた。その上、罰として放課後に物理準備室の掃除までさせられることも決まった。本当に最悪!


 最悪な朝と比較して、午前中の授業は平和に終わった。遅刻の原因となった宿題も無事提出ができたし、授業では一回も当てられなかった。

 午前中の授業が終わったら、待ちに待った昼休みの時間!今日は早弁用のパンを登校中に買えなかったせいで、お腹がぺこぺこだし、今日の朝のことを早く誰かに愚痴を言いたい!


 いつも通りのメンツといつも通りの席に集まって、各々弁当を広げる。私が何か言う前に、恋愛話が大好物の亜矢と優子に朝のことをからかわれた。


「今日の朝、比良坂と二人して遅刻して怒られてたね!」


「いつも遅刻しない二人が珍しいじゃん!朝からどっか行ってたの?」


 ただでさえこの二人は、保育園からずっと一緒、なんならクラスさえ離れたことがないあいつ、朔とは運命の相手なんじゃないかとよく勝手に盛り上がっている。

 そんなところにほぼ一緒に遅刻してくるという格好のネタを提供してしまった。これは数日間ことあるごとに、この話で揶揄われてしまうに違いない。それを想像してげんなりとしてしまう。


 いつもの四人のもう一人、瑠璃はそんな私たちの様子を見て、ニコニコと笑っていた。

 瑠璃はいつもニコニコしてるけど、今日はいつもよりニコニコしてるような気がする。優子と亜矢を止めてくれる気配はない。それを見て顔がさっきより歪んでしまう。


 そんな私の様子を見て、優子たちが焦ったかのように喋り出した。


「ちょっと、そんなに嫌な顔することないでしょ!比良坂、顔はいいんだし。」


「そうよ!顔だけなら訳わからんレベルでいいし!あと、運動神経結構いいし!」


「あいつだけは絶対に嫌!」


 完全に恋愛のことしか考えられなくなった二人には何を言っても通じなかった。朝起きた出来事を話しても、全く効果がなかった。

 その日の昼休みは、優子と亜矢の質問攻めがすごかった。瑠璃は相変わらずニコニコしながら、相槌を打っているだけで、止めてくれなかった。私はただ、朝のことを誰かに喋りたかっただけなのに。


 もう二度と遅刻なんてしないし、あいつと一緒に行動なんてしない!そんな決意を質問攻めにされながら心に秘めた。……放課後一緒に罰掃除しないといけないんだった。朔と一緒に行動しないという決意は速攻で前言撤回する羽目になりそうだ。


 どうせ明日の昼休みも、今日の放課後どうだったか、優子と亜矢の質問は止まらないだろう。一日の半分も終わっていないのに、明日のことを考えて憂鬱になった。思わず遠い目をして、二人に心配されているところでちょうど予鈴が鳴った。


 次は理科の選択授業だから、生物選択の優子と亜矢からの質問攻めはお開きになった。二人が名残惜しそうにしていたのが、恐怖でしかないけれど。


 物理選択の瑠璃と一緒に、教室を移動する。瑠璃はまだニコニコとしていた。

 瑠璃とは小学校からずっと一緒で、あの男の次に長い付き合いだ。

 私のことも、朔のことも知っているから、私たちが付き合うことなんてないって知っているはずなのに、どうしてあの二人を止めてくれなかったんだろう。

 そう思っていたら、思わず口に出して聞いてしまった。


「どうして、あの二人のこと止めてくれなかったの?私とあいつが付き合う訳ないじゃん……。」


「あかねちゃんが、朔ちゃんと昔みたいに話してるのがなんだか嬉しくって。」


「え?」


「ほら、朔ちゃん、高校入ったぐらいからあまり私たちと話さないでしょ?だから、今日の朝みたいなこと珍しいなって。そう思ったら、私も色々聞きたいなって思っちゃって。」


 だから二人を止めなかったの。そう言って瑠璃はまた、二つに結んだ髪を揺らしながらニコニコしていた。


 瑠璃はただ私たちがどんな話ややりとりをしてるのかが知りたかったらしい。だから、事情聴取並みに色々聞いてくる二人はちょうど良かったらしい。


 瑠璃は昔から、自分の友達が他の人と仲良く遊んでたり、話していたりするのを見るのが好きだった。何が楽しいのかはよく分からないけれど。きっと、あの二人がいなくても、朝のことは根掘り葉掘り聞かれていたに違いない。


「それに、朔ちゃん最近、よくない噂ばかり立てられてるから。」


「それは、そうだけどさ……」


 朔は定期的に、怪我をした状態で学校にやってくる。切り傷ぐらいの軽いものがほとんどだけど、1回だけ全身包帯ぐるぐる巻き状態できたことがあった。

 そのほかにも、噂でしか聞いていないが、体育の着替えの時に、お腹にでかい傷跡があるのを見た、血まみれで路地裏を歩いていたなどの大怪我をしているような話もある。

 本人が、遅刻や早退の常習犯かつ、口も悪く、ぶっきらぼうで人と関わろうとしない態度なのもあって、他校生と喧嘩してる、暴走族の一員、ヤクザの舎弟などの根も葉もない噂が飛び交っている。そして否定もしない。


 昔はよく一緒に遊んでいたけれど、今は学校に遅刻ぎりぎりにきて、授業中はだいたい寝てて、いつの間にかいなくなってることしか知らない。放課後どこで何してるかなんて、噂でしか聞かないし、朔の妹もよく知らないようで話に出ない。いつの間にか朔がどんな人だったのかわからなくなってしまった。


「あの二人って、結構口が軽いでしょう?だから、あかねちゃんから見た朔ちゃんの話が広まるといいなって。そっちの方がいいかなって。」


「…私、あいつの悪口と醜態についてばっかり言ってたけど。」


「そっちのほうが平和じゃない?他校と喧嘩している噂のある人が、女の子によく泣かされてたとか、実はシスコンとか。勝手に怖がられるよりはマシだと思うの。」


 それ、あいつ的には全く良くないと思うけど。それどころか噂の出どころがあの二人とバレた時点で、私が朔に激詰めされると思うんだけど。

 でも、不良っぽい噂が流れるよりは確かにましかもしれない。

 あいつと話しているだけで、他の子から心配されるのは居心地が正直言って悪かった。態度が悪いだけで、人に危害を加えるような奴じゃないってことはよく知ってるし。

 ただし、朝みたいな事故は除いて。瑠璃も色々考えてくれてたんだな。そう感心していると、瑠璃がイタズラっぽく笑っていた。嫌な予感がする。


「…なんてね。私も二人の話が聞きたかったの!それで、結局付き合ってるの?」


「は!?」


 今までのは建前だったらしい。結局瑠璃も恋愛の方が興味あったみたい。


 教室から、物理講義室まで、さらには授業が始まる直前まで、今度は瑠璃による質問攻めが始まった。優子と亜矢よりも短い時間だったけれど、付き合いが長いせいで、色々とごまかしが効かない上に、昔のことも掘り返され、午後の授業が始まる前に、私の気力はほとんど0になった。


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