第四章 - 犬猿の決戦(D-5)
髪を乾かして、着替えて、コンビニにお酒を買いに行った桃子さんを見送って。
ひと足先に部屋に戻ろうとしたところで――『鬼』と遭遇した。
「――――っ」
「あれ、狗上さんだ」
狭い廊下。
逃げ場はない。
先ほどの悲鳴から理解はしていたけれど、まさかこんなところで会うなんて。
「奇遇だね。明日はよろしくね?」
「……まるで、自分が勝ち上がるのが当然だとでも思っているようね?」
「そうだけど?」
事もなげに答える。
「さっき、同じことをゆうくんにも言われたなぁ。そんなに僕のこと信用できない?」
「信用したくない――が正しい表現かもしれないわね」
「あはっ、そうかも」
真澄の背丈はちいさい。あたしよりも低いところに目線がある。
そこから見上げてくる重圧に、顔が引きつりそうになった。
ごまかすように、あたしは強がりを口にする。
「……あんたのこと見てると、ちょっと前のあたしを思い出すから嫌になっちゃうのよね」
「なにそれ。すごい言いがかりだね……ひどいよ。僕泣いちゃうかも」
「――――ッ! 白々しい……」
芝居掛かった反応に、思わず毒づいた。
目の前の『鬼』は、挑発するような目をこちらに向ける。
「それに、狗上さん……僕のこと苦手な理由、本当にそれだけ?」
「……どういう意味よ?」
「本当はちょっぴり嫉妬も混じってるんじゃないの? ゆうくんと仲の良い、僕に対して」
鵺的な雰囲気を纏い、こちらを窺ってくる。
突然なにを言い出すのよ。
その言動を訝りながら彼の表情をうかがうと、ニコニコと少年のような、それでいて得体の知れない笑顔を浮かべていた。どす黒いなにかを秘めているような。
あたしは鬼頭真澄に同族嫌悪を抱いているし、おそらく彼もあたしのことを好いてはいないだろう。けれど、決定的な違いがある。
「……とんだ思い上がりね。あんたに嫉妬する理由なんて欠片もないわ」
「……へぇ?」
あたしは――鬼頭真澄のように表情を取り繕うことができない。
全部ぶつけてしまう。
思っていること、考えていること、意思言動行動すべて。
けれど、あいつは――申渡は。
素直なことは美徳だと、そう言ってくれた。
「だって、あたしは申渡とペアを組んでいる。事実としてね」
「……むぅ」
まるで幼い子どものように頰を膨らませる鬼頭真澄。
そして去り際に、あたしの耳元でこんなことを言う。
「――僕、相手が女の子だからって手加減できないから。覚悟しておきなよ?」
目を細めて小悪魔的な微笑。
反射的に身体が仰け反る。
そこに見えたのは――万物すべてを喰らい尽くす『鬼』の影。
あたし、これと戦うんだ……。
覗きこもうとすれば、たやすく暗い沼の底に引きずり込まれてしまいそうな。得体の知れない重圧。狂気にも似たプレッシャー。
ぶるっ、と背中に電流が走った。本能が萎縮する。
けれど――あたしの目的を。
そして申渡の望みを叶えるためには、避けては通れない。
あたしたちの目的は、この『鬼』を乗り越えた先にある。
ぐっと太ももに力を込めて、踏みとどまった――そして。
「手加減をしてもらう必要はないわ」
皮肉めいた笑みを浮かべて、そう告げる。
「……あれ、今日は震えてないんだね。どうしたの、なにか変わった?」
「ええ。少なくとも、あんたに対して抱いていた恐怖感はさっぱり消えたわ」
「ふうん……そっか。おもしろくなったね」
暗闇を孕んだ真澄の視線が、その先を促してくる。
「理由を聞いてもいい?」
震えそうになる脚を制して、臆することなく。
言ってやった。
「あたしと、あたしの相棒が、あなたの球をすべて跳ね返すからよ」




