第四章 - 犬猿の決戦(D-3)
あたしの心の機微に気づいているのかわからないが、桃子さんは口を緩めない。
「生物学的に女は競争意識が弱いとか、ナンバーワンよりオンリーワンを求める世間の風潮とか、いろいろあるけどさ。……他人より秀でていたい。負けたくない。勝って、晴れて美酒を浴びたい……そんな感情、万人が持ってて当然だと思わねえ?」
「お……おもう! 思います!」
そこまで聞いて、たまらず口を挟んだ。
すると桃子さんはニィッと笑って。
「だったら、それを貫けばいいんじゃね? あたしは応援するぜ。もちろん、他人をないがしろにするのはいけないことだ。直さなきゃいけねえこともたくさんあると思う。思想を正さなきゃいけねえときもある。けれど、それが自分の信念なら、胸を張って生きればいい」
「…………はいっ」
じわりと、胸の中が熱くなる。
「……ってことを、もっと早く言っておくべきだったんだけどな。プレッシャーかけると申し訳ないなーって気ぃ使ってたんだよ。遅くなってごめんな?」
「いっ、いえ……その。嬉し、かった、です……」
たどたどしいあたしの声を聞く桃子さんの顔は、どこか満足そうに見えた。
温和なその笑顔に、今まで抱えていたことをぶつけた。
「あっ、あの、その……桃子さんにも、聞きたいことがあって」
「お? なになに? おっぱいの育てかた?」
「そうじゃなくて!」
それも聞きたくないかといえば嘘になるけど!
「……桃子さんはどうして引退したんですか? あの熱いプレーをしていた雉沼桃子さんが、今はク――パチンコとスロットで生活しているだなんて思ってなくて……」
「おい今クズって言おうとしただろー! おりゃっ!」
「ひゃわああああぁぁぁぁぁっ!?」
いつものグダっとした雰囲気からはまるで想像もつかない俊敏さで、背後に回り込まれた。間髪いれずに、桃子さんの両腕があたしの身体に巻き付いてくる。
「おやおや、優姫ちゃんのスイートスポットはここかな〜?」
「ちょっと、やめっ、離して……ッ! …………ッ、んふぅっ」
なりふりかまわず振り払った。
岩風呂の淵へと上がってゼエゼエと息を吐く。
息を荒げるあたしを見てケラケラ笑いながら、桃子さんはざばっと音を立てて浴槽から上がり、隣にやってくる。
そしておもむろに。
「納得したから……かな」
と、口にした。
「なっとく、した……?」
「そう。高校生のときに全国でベスト8に残ってさ、そのとき漠然と思ったんだ。25歳までならこのまま頑張れるかなーって。裏を返せば、そこがウチの限界だろうなって思ったわけ。だから25歳まで頑張って、納得して、それなりに実績も積んで。そんで辞めた」
意味をはかりかねていると、桃子さんはさらに続けた。
「昔はさ、テニスプレーヤーのピークって20代後半って言われてたじゃん? まあ30後半でも世界ランク載るようなバケモンも中にはいるけど、ああいうのは例外ね。だからウチ、テニス続けるとすれば25までだなーって、もともと思ってたわけ。で、その先は、また別の好きなことを探そうかなってさ」
「その結果がパチスロだったと……?」
「競馬とか麻雀もやるぜ。今度の宝塚記念は距離延長の非根幹向き牝馬から狙う!」
「そう言われましても。あたし未成年ですし……」
「あっはっは! そっか、まだ女子高生だもんな! ……若いなぁ……いいなぁ……」
ひとりで笑ってひとりで落胆する。感情の変化が激しい人だと思う。
「自分の限界なんて自分が一番知ってるだろ? よく言われるじゃん、己の限界を超えろ、みたいな。あれさ、めちゃくちゃ悪い言い方をすると現実が見えてないんだよな。限界突破した反動で身体ボロボロになったら意味なくね? ひとつの試合に全て注力して結果を出しても、その次、またその次……って道は続いていく。そのたびに限界を超えるなんて不可能だし、そもそも、はじめに定義した『限界』ってなんなんだよ。曖昧模糊とした、上っ面だけの言葉。そんなんただのお飾りじゃん……って思わねえ?」
そして両手の後ろに手をやって、過去を、空に向けて吐き出すように。
「身の程を知るって大事なことなんだ。裏を返せば、それは自分の道を拓く手段になるから」
と。
テニスとともに生きていた女性は、そう言った。




