第一章 - 犬猿の邂逅(I-3)
「だいいっかい、ぜんにほん、せいしょうねん……なにこれ、なんて読むの?」
「たかまがはら。いや、有名メーカーだぞ。高天原ブランドの用具とか使ったことねえのか?」
「さあ? たぶん使ったことはあるんだろうけど、メーカーの情報なんていちいち見ないし」
「全ジャンルのメーカーさんに謝ってくれ……」
フォームの美しさに思わず声をかけてしまった。
それが些か無礼だったことは、素直に認めよう。
ただ……ちょっと態度が変わりすぎじゃねえか?
遠心力をめいっぱい纏った痛恨の平手を食らって、俺は言葉足らずを謝罪し、例の女の子に事情を説明していた。スマホに大会の概要を表示させ、順を追って語っていたところだ。
「で、この大会と……さっきの発言に、どう繋がるのよ?」
「サラッとでもいいから概要読んでくれよ……ほら、ここ」
ディスプレイの一点を指さして、俺は言葉を続ける。
「ミックスダブルス……?」
「そう。男女混合のダブルス。俺はこの大会に出たいんだ」
「……もしかしてとは思うけれど、あたしをペアにするつもりなの?」
「その通りだ。あんたの協力が欲しい。俺と一緒に大会に出てくれないか」
単刀直入に頼み込む。
俺に足りていないパズルのピースが、いま目の前にある。
こんな好機、みすみす見逃すわけにはいかない……いかないんだけど。
「そもそも、名前も知らない男といきなりペアを組むなんて、普通にありえないんだけど」
ですよねえ。
と、そこで自己紹介を忘れていたことに気づく。
「申渡悠希。高校2年生だ。第三高校に通ってる」
「第三高校……? あそこにテニス部は無かったはずじゃ……?」
「ああ……うん。学校でテニスはしていないんだ。代わりに――」
そこで、背後から声がかけられる。
『せんせー、もう休憩おわったー?』
『しあいはー? はじめないのー?』
担当している小学生たちだ。俺は振り返って声を飛ばす。
「ごめんなー、ちょっと大事な話してて。先に始めといてくれー! 1ゲーム交代なー!」
『はぁーい!』
『わかったー』
ラケットごとこちらに向けて手を振る教え子たちを見送って、ふたたび向き直る。
「――と、まあ。こんな感じで、小学生のソフトテニスの指導をしてる。バイトだけどな」
怪訝そうな目はそのままに、女の子は続ける。
「……第三高校では学生のアルバイトが禁止されていないのね。羨ましい限りだわ」
「事情がある生徒には特別に許可されてるだけだよ。助成金制度があるとはいえ、金銭的に通学が厳しい家庭環境の家もあるし……って、そんなことはどうでもよくて」
ふたたびスマホを目の前に掲げる。
「俺は1年前に地元から出てきたばかりでこっちに知り合いがいない。学校の中で探そうにもテニス部自体が存在しない。女の子の伝手がないんだ――それに、何度でも言う。あんたのフォームに惚れたんだ。俺と一緒にペアを組んで、大会に出てほしい」
しかし、そんな俺の熱意とは裏腹に。
「あたし、もう大会には出ないって決めてるの」
ぴしゃりと言い切られる。逡巡するそぶりもなかった。
だが、食い下がる。ボールに食らいつく執念を活かし切ってやる!
「どうして? あんなに上手いのにもったいないだろ。きっと良いところまで勝ち進める」
「……あんた、あたしのこと知らないの?」
やけに不思議そうな顔をする。まるで自分のことを知っていて当然だと言わんばかりに。
人形を想起させる痩身に、合成写真かと思うほどに小さな顔。そこにはくっきりとした目鼻立ち、艶のある小ぶりな唇。瞼の下には泣きぼくろが見える。なにかのモデルか?
「……ごめん、心当たりがないな」
「テニスの雑誌とか読んでなかったわけ?」
「ソフトテニスのは購読してたんだが……硬式のほうはさっぱりで。もしかして、雑誌に載ったことがあるのか? だとしたら納得だ。あんた、上手いもんな」
「おだてても何も出ないわよ?」
ふん、と鼻を鳴らして。
「ていうか、ソフトテニス? あなた軟式出身者なの?」
「ああ、そうだけど――」
「……ふうん?」
答えると同時、表情が一変する。困惑の色が消えて、まるで蔑むような冷たい目。
「ソフト経験者が硬式に転向して優勝を目指す? ……あんた、舐めてるの?」
言わんとするところは分かる。同じ『テニス』という言葉で括られちゃいるが、硬式テニスとソフトテニスではスポーツとしての根本から異なる。点数の数え方から、ラケットを振るフォーム、使う筋肉に至るまで。
だが――。
「問題ない。俺は硬式テニスもかじってる――硬式ラケットを握ったのは最近だがな」
「…………はっ」
「おいおい、露骨に鼻で笑うんじゃないよ」
「いえ……あまりにも可笑しくって」
硬式テニスにはプロ選手がたくさん存在する。
スポンサー契約を結んだり、賞金の出る大会に出場したりと、『テニスでメシを食う生活』が確かに存在する。メディアへの露出も多く、試合がリアルタイムで全国ネットに流れたり、各種動画サイトで配信されたりする。
対して、ソフトテニスはアマチュアスポーツだ。
昨今、プロのソフトテニスプレイヤーも徐々に増えてきてはいるものの、それでも圧倒的に数が少ない。
イギリスから競技としてのテニスが日本に伝わったころ、テニスボールの国内生産が難しかったため、代用品としてゴムボールを使用した……というのがそもそもの起源。
いわばソフトテニスは日本独自のスポーツで、オリンピック種目でもなければ、世界規模で見ると知名度がほぼ無い状態だ。
テニス、と聞いて一般人が連想するのは十中八九、硬式のほうだしな。
もちろん、どちらが上でどちらが下、という話ではない。
まったく別の競技である。
けれど、硬式の選手が軟式テニスを軽んじる空気は、俺自身、何度も感じたことがある。
「それで? ゴム球――失敬。軟式テニス出身者のあなたが、このあたしと組みたいと?」
「ああ、その通りだ」
「…………ふっ」
目の前の女の子は、ふたたび鼻で笑って目を閉じる。
その仕草が、言外にこう告げていた。
――笑わせるわね、と。
けれど、ここで折れるわけにはいかない。
自分が重ねてきた時間の意義を思い出せ。
「高天原オープンで実績を残して、賞金を獲りたいんだ。あんたとなら不可能じゃない……さっきの壁打ちを見て、そう思えた」
「なに、結局お金が目当てなの?」
「そう思ってもらって構わない。いまの俺には必要なものだから」
迷う余地などない。述べるのは事実のみ。
「もちろん、初めて会った俺に突然こんなことを言われて困ってるのは理解してる。だから、あんたの納得いくかたちで俺のことを認めてほしいんだ。ペアを組むに足る人間だと」
言い終わると同時に、頭を下げた。誠意を伝えるために。
そんな俺を冷めた目で見て、女の子は。
ふうん……と、こちらを見下す女王のように、こんなことを口にした。
「あたしから1ゲーム取ることができたなら、考えてあげてもいいわよ」
その答えを聞いた瞬間、地面と目を合わせながら、心の中で呟いた。
上等じゃねえか、と。




