第三章 - 犬猿の発展(Ⅲ-2)
建物の外まで小学生たちを見送ってから館内に戻ると、そこには狗上が立っていた。
近づくと、湿った目で開口一番に。
「……あんた、あんな小さな子がタイプなの?」
「どうしてそんな発想が出てくるんだ? スクールの教え子だよ」
「ふうん? それにしてはえらく優しいじゃない」
「そりゃ、中には高圧的に接することで練習の質を高めるコーチもいるけどさ。あの年頃の子たちって、好きか嫌いかが一番の判断材料になると思うんだ。甘やかされると好き、怒鳴られると嫌い。厳しく指導を受けてテニス自体を嫌いになってもらっちゃ困る。だろ?」
「……色々考えてるのね。ちょっと見直したわ」
感心したような顔をする狗上。
というか、俺に対する元の評価が気になるんだが……。
そういえば、狗上ひとりか。
一緒に更衣室に入っていったねえさんの姿が見えない。
「ねえさんはまだ着替え中か?」
「いえ、ミストサウナに入ってくるって」
「ちょっと待て女子更衣室ってそんなんついてんの? 男子にはねえぞなんだこの待遇差は」
「知らないわよ……それよりも」
どこか不安げな瞳で、問いかけてきた。
「桃子さん……信用していいのよね?」
それはきっと、ねえさんのコーチとしての資質を知りたがっているということなのだろう。
ねえさんは狗上との試合を終えた後、審判台に腰を据えて俺たちの練習を見ていた。
裏を返せば、見ているだけだった。
球出しも指示もしない。
センターベルトを中心として交わされるボールのやりとりを、ただひたすらに観察していたのだ。
「正直に、思ったことを言っていいかしら?」
「拍子抜けだった?」
俺が言葉を先んじると、狗上は黙ってコクリと頷いた。
「たしかに桃子さんは元プロ選手。あたしだって何回も試合を見たし、その実力も知ってる。加えて初対面だったし、いきなり画期的ななにかを期待していたわけではないけれど」
言葉の裏には焦りが見えた。
大会まで残り2ヶ月を切っている。
おまけに、勝ち進めばきっと『笑う鬼』と対峙する運命が待っている。
狗上の気持ちはよくわかる。
よくわかるからこそ――あえて、俺はこう答えた。
「今日はあれでいいんだ。大丈夫」
「今日は……って、次からはなにかが変わるということ?」
「ああ、その通りだ」
俺は待合室のソファに腰を落としながら続けた。
「ねえさんは他人に指導するとき、まずはその選手のクセや適性を観察するんだ。で、修正すべき点を的確に洗い出して改善案を練ってくれる」
連れて対面に座る狗上が、疑うような口調で言う。
「……まるで経験則みたいな物言いね?」
「経験則だからな。聞いただろ、俺はテニスをはじめたきっかけはねえさんなんだ。そんで、ねえさんはああ見えて優しい。上京するまでの間、いろいろと相談に乗ってもらってたんだ」
「でも、あんたは軟式の選手だったはず。桃子さんは硬式のプレーヤーでしょう?」
「地元にはソフトテニスのスクールしか無かったし、ねえさんは県外の学校に通いながら硬式テニス部に入ってたから必然的にな。ただ、軟式と硬式でボールやフォームの型、その他もろもろ細かい部分は違えど、基本的なストラテジーには近しいものがある。実際に俺も、ねえさんからアドバイスを受けて前衛の選手になったんだ」
「たとえばどんなアドバイスよ?」
「お前は目が良い上、ヨコにもタテに動けるから、より早い段階で得点に近づけるポジションにいろ。んで他人の6億倍スマッシュとボレーを練習しろ……みたいな感じかな」
かなり端折って伝えたが、概ねそんなところだ。
「ねえさんが言ってただろ。掴めたって。明日も練習だ。俺を信じてもう1日待ってくれ」
「……あんたを信じなきゃいけない理由が、あたしにはないんだけれど」
狗上は不服さを隠そうともしない。
「だから! ペアだよな俺たち!?」
「でも――信じてみる」
そう言って、すっくと立ち上がり。
「昨日、ひと晩考えたの。たぶん今のままじゃ鬼頭真澄には勝てない。技術力で勝っても力で押し切られる。だから対抗手段が欲しい。それが戦略で賄えるなら、藁にも縋りたい」
「――そっか。ありがとうな、狗上」
俺の答えと同時に、ねえさんが「やー、いい汗かいたわー」と呑気にやってくる。
立ち上がって合流しようとした瞬間、狗上の呟きが聞こえた。
「大会で優勝したいのは、あたしだって同じだもの」




