第二章 - 犬猿の宣誓(B-9)
「で、練習をはじめるわけだけれど――メニューはどうするのよ?」
一夜明けて、日曜日の正午過ぎ。あたしは例によって、申渡のアルバイトが終わる時間を見計らって、いつものスポーツセンター、その奥に位置するテニスコートへと足を運ぶ。
申渡のフォームは徐々に改善の兆しを見せてきた。あたしのほうも、部活を離れてから失っていた打球感がようやく戻ってきたところだ。
高天原オープンに向けて、ようやくスタートラインに立った状態。
そうなると、今度は練習の質に関する問題が出てくる。
いたずらにラリーを繰り返すだけでは試合を想定した練習にならないし、そもそもあたしたちが出場するのはダブルスの大会である。
シングルスの練習ならまだしも、たった2人でどうやって鍛錬を積めばいいのだろう。
あたしの家で真澄の試合を見て、大会に出る意志をふたたび固め直した直後。軽いミーティングを挟んで、こうした問題は洗い出してあった。解決策までは提示できなかったけど。
そのとき、申渡は。
――俺に秘策がある。まあ、任せておけって。
とかなんとか、自信満々に言い切ってくれたのに。
口だけの男はダサいわよ、とでも言って煽ってやろうかしらと思い、対面の申渡をみると、あいつは時計を見て溜息をつきながら。
「……遅ぇなぁ。まあ、時間通りに来るような人じゃねえし、覚悟してたけども」
こちらに関心を寄せず、そんなことをボヤいていた。あさっての方向へ視線を向けるその姿に少しだけ苛立ちを感じて、あたしは言い放つ。
「あんた、さっきからなにを言って――」
「狗上。今の俺たちに足りないものって、なんだと思った?」
意味深な口調で語りはじめる申渡に、あたしは思ったまま直球をぶつける。
「時間。場所。練習人数。ついでに言うなら指導者――足りないものなんて山ほどあるわよ」
足りているとするならば……それはきっと、大会にかける想いくらいだ。
間髪入れず、どうだとばかりに返した言葉。
しかし、申渡は納得したようにウンウン頷いて。
「そうだよな。足りねえもんはたくさんある――だから、そのうちのひとつを今日埋める」
なにが言いたいんだろう。いつにもまして掴めない。
あたしは言い返すのを放棄して、手持ち無沙汰を解消するために軽く素振りをはじめる。
――と、そんなときだった。
「おっす、お待たせ悠坊」
あたしたちが立っているコートの脇から、女性のものらしいハスキーボイスが聞こえた。
状況が理解できないままのあたしを差し置いて、申渡が気心の知れた口調で返答する。
「マジで待ったっつうの! なんでこの時間に寝坊すんだよ生活習慣どうなってんだ!?」
「ひさしぶりに悠坊に会えると思ったら緊張しちゃってさー、眠れなかったんだよー」
「呼吸するように嘘つくんじゃねえよ! そもそも会うのは1ヶ月ぶりだろうが!」
「人生における1ヶ月は短く感じるけど、時間に直したらけっこう長くねえ?」
「そういうこと言ってるんじゃねえ――って、ああ。ごめん狗上、放ったらかしにしてて」
突然の出来事についていけず棒立ちになっていたあたしに、申渡が声をかけてくる。
なにが起こってるの?
目の前の光景がうまく現実と結びつかず、しどろもどろになる。
申渡と会話している女性を、何度も見る。
金色に脱色されたミディアムヘア、上下揃いの赤いジャージ。手にはラケット――それもすでに生産終了となった、数年前のブランドのもの。見た目だけで判断するなら絶対に関わりたくない、そんなタイプの女性。
あたしよりも目算10㎝以上低い身長。それとは対照的に、野生じみたハスキーボイス。
でも、なによりも驚いたのは――。
「お。狗上優姫ちゃんだ! 雑誌で見るより実物のほうが断然かわいいじゃん!」
「ねえさん、いきなり距離感近すぎるって。んで、狗上。言っただろ、考えがあるって」
……ねえさん?
その言葉が示す関係性をあたしが推察するよりも前に、申渡が口を開いた。
「俺たちに足りないもの。そのうちのひとつが『指導者』。これを解消する手段だよ」
「おいおい手段って。ウチを道具みたいに扱うなよ。そういう趣味ねえから」
「俺にもねえよ! っていうか今は話に入ってくんな、ややこしいから!」
申渡はごほん、と咳払いして。
「紹介するぜ、狗上。これから俺たちの練習に付き添ってくれる――」
「知ってる……。雉沼……桃子、さん……」
金髪の小柄な女性が、ウチのこと知ってんだ、嬉しいなー! とはしゃぐ。
知っていてくれて嬉しい?
それはこっちのセリフだ。
淡い現実感の中で、たどたどしく言葉を紡いだ。
だって、目の前にいるこの女性は。
かつて女子テニスのプロ選手として名を馳せた、雉沼桃子に他ならなかったのだから。




