第二章 - 犬猿の宣誓(II-8)
過去を反芻し、噛みしめるように語っていく。
「小学生のころの家庭での思い出は、真澄が泣きながらラケットを振っている記憶ばかりだ。母親は見て見ぬふりをしながら当たり障りのない態度をとっていて頼りにならなかったし、試合に負けると庭先で正座させられて頰を張られ、逆に、試合に勝てば過剰に褒められる。けれど、時間が経てばすぐに次の成果を求められる。真澄の心は一方的に磨耗していったよ」
勝利は、真澄が生きる証だった。
だから、どんなことをしてでも勝利をもぎ取る――必然的にそうなったのだという。
「ラケットを握るたび、真澄は言うんだ。『勝たない僕に居場所はない』って。けれど、そうじゃない。テニスは紳士のスポーツで、本来は楽しむことが第一だと私は思っている。だから、誤解を恐れずに言えば、勝っても負けても楽しめればいい。……そんな平和な感情を、真澄に取り戻させてあげたいんだ。そこに気づくためには、全力の勝負を経験しなきゃならない」
「楽しむことが第一ってのは完全に同意だ。楽しくなきゃ続ける意味がねえからな」
俺の言葉に、真尋さんはコクリと頷いて。
「だからこそ、私は真澄を連れて高天原オープンに出場する。高校テニス界から排斥された弟と並び立てる上、強い敵と全力で戦える場所だと信じているから」
言い切った真尋さんに、今度は俺が伝える番だった。
「……弟想いなんだな」
「辛いときに寄り添えなかったことの穴埋めだよ。自分への言い訳に過ぎない……」
目を閉じてなにごとかを想う真尋さん。俺はその姿に、思いの丈を吐露した。
「なんつーか、高校生の分際で、あんまりこんなこと言いたくはないんだけどさ」
ありのままの本心を。
「親がしっかりしてねえと、子どもって苦労するよなぁ」
すると真尋さんは目を丸くして俺を見て……そして、豪快に笑った。
「……はは。あはははははっ! きみは本当に軽く話すね。私も同感だ!」
「ていうかさ。俺ら、会ったばかりなのに、お互いの抱えてるものを全部さらけ出しすぎじゃねえか? 真澄に内緒で教えてもらったことがバレたら怒られそうだ」
「そのときは私が代わりに怒られるから問題ない。それに、さっきも言ったとおりだ……真澄と仲良く接してくれるテニスプレーヤーは、きみくらいしかいないんだ。……『笑う鬼』の悪名は、この地区では知られ尽くしているから」
「……といっても、俺は笑顔のあいつしか知らねえからなぁ。戦ってた土俵も違うし」
「真澄から申渡くんに声をかけたと聞いたよ。たとえ傍目には大したことのないことでも、真澄にとって、それは勇気のいる行為だったはずなんだ。だからこそ私は感謝する」
そこで真尋さんはいったん声を止め、姿勢を正してこちらに向き直った。
「うちの弟と、テニスを通じて仲良くしてくれてありがとう」
真摯な礼に、返す言葉がなくなってしまう。どういたしまして、ともちょっと違うしな。
おもむろに、浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「なんだかんだ皆、なにかしらを背負ってるんだよな……俺も負けてられねえよ」
すると、真尋さんはキョトンとしたような表情で俺の顔をうかがってくる。
「その分だと……優姫の事情を知っているの? 私は教えてもらえなかったのに……」
露骨にシュンとする真尋さんに、俺は慌ててフォローを入れる。
「ああいや、詳しくは聞いてない。なにかあったんだろうなーって思ってるだけだ。あんなに上手いのにテニス辞めたって言ってたし」
それに……ねえさんが、気になること言っていたしな。
いったん会話を切って、目の前の女の子と、頭に浮かぶ真澄の姿を比べてみる。
「話してみて分かったんだけど、やっぱり真尋さんと真澄って姉弟なんだな。似てるよ」
この人も真澄と同じく、表情がコロコロと変わるんだよな。
すると、軽い口調で、真尋さんから質問が飛んできた。
「そういえば……真澄が髪を伸ばしている理由を、きみは知ってる?」
「知らない。あれ、意味があったのか? 髪型と顔があんな感じだから、2時間くらいずっと女の子だと思ってたんだけど。あとでぷんすか怒られた」
「うぅ……よく言われるよ。姉と弟というよりは兄と妹みたいだって……うぅ……」
たしかに身長差がこうも開いていると、パッと見の印象ではそう映るんだろうな。
でも、俺の目の前で肩を落としているのは、まぎれもない同年代の女性だ。
「大丈夫だって。真尋さん背高くてスタイルいいし。綺麗な女の子にしか見えないよ」
「え……。ぇ…………な、ぁ……ひぃやぁぁぁぁぁぁっ!?」
「突然の悲鳴!?」
真尋さんが顔を真っ赤にして身体を仰け反らせ、うわずった声をあげる。
「そ、そそそそそ、そそそそそうやって優姫を口説き落としたのかッ!? 破廉恥なッ!」
「どういう勘違いしてんの!?」
「どうもなにも、いきなり女性に向かって『かわいい』だなんて!」
周りから冷ややかな目を向けられる。やめろよ語弊があるだろ!
「判断基準そこなのかよ! 思ったままのことを口にしただけだ他意はねえって!」
「う……うそだ……ッ! わた、私、かわいいだなんて言われたことないし……!」
「……たしかに、かっこいいとか言われてそうだな。後輩の女の子にモテるタイプ」
「ヴッ……!」
慌てふためいていた真尋さんの挙動が突如詰まる。図星を突いてしまったらしい。
「うちの部員数が増えるのは喜ばしいことなんだけど……その半数が私目当てで入部したと公言して憚らないのは、正直……堪えるよ……」
だからといって、かわいいって言葉に耐性が無さ過ぎやしないか?
「……仮に狗上にそう伝えたところで、あいつは軽く受け流すだろ、どうせ」
初対面の男に『かわいいね』と言われても、あの女なら「ええ、知っているわ」とでもサラッと答えて颯爽とその場を離れそうだ。加えて言うならその後めっちゃ悪態ついてそう。
妙な空気になってしまったので、俺たちはそのまま店を出ることにした。
会計を払い終えて店外へ出たところで、涼やかな夜風を受けながら、真尋さんは口を開く。
「申渡くん。こうして交流を持ったからといって容赦はしない。そんなのは選手としての矜持が許さないし、本気で獲りにいく所存だ。最高の試合をして、勝ち進んで、真澄にテニスの楽しさを思い出してもらって……その上で頂上に立てるなら、最高だと思うから」
まっすぐ上げられた言葉のトスを――俺はスマッシュするかの如く、真正面から返した。
「戦いに勝つ理由が1つ2つ増えただけだ。やることはなにも変わらねえよ」
最高の試合をする、その決意を胸に抱いて。
「さてと――」
真尋さんと逆方向に別れ、背中が見えなくなってから家路を辿る――その前に。
俺はポケットからスマホを取り出し、電話帳を開く。
その中から目的の番号を見つけ出して、おもむろにコールボタンを押した。
「もしもし、ねえさん――練習に入れるの、明日からってことでよかったよな?」




