第二章 - 犬猿の宣誓(II-4)
やけに長い沈黙の後、真澄は人が変わったように無表情で呟いた。
「へえ、そうなんだぁ」
テンションの落差に違和感をおぼえ、俺は問いかける。
「……その様子だと、知り合いなのか。大会で当たったとか?」
聖峰の番犬――狗上優姫という選手に冠されていたという通り名が脳裏に浮かぶ。
どこかで接点があったんだろうな、と考えたが……返答は意外なものだった。
「ううん。直接話したことも、試合したこともないよ。けど、たぶん知り合ってると思う」
要領を得ない真澄の言葉に、雲を掴むような感覚に陥る。
「というか、このあたりの地区で硬式テニスやってたら、だいたいの人はあの子のこと知ってると思うよ。……へぇ、あの狗上さんがペア組むんだぁ。なにか弱みでも握ったの?」
「人聞きがわりぃな。ペア組んでくれって俺のほうから頭下げて、ついでにシングルスやって俺が勝ったんだよ。で、組んでもらうことになったわけ」
そう言うと、とたんに真澄に漂っていた暗い影は鳴りを潜める。
「勝った? 狗上さんに?」
「まあ、試合つってもタイブレークマッチだったし、向こうのミスも重なってな」
「ミスをした? 狗上さんが?」
「なんだ、ミスくらい誰でもするだろ? それにあいつ、ブランクあるみたいだったし」
人間なんだから当たり前のことだ。なにごとにおいても、失敗しないやつなんて居ない。
しかし、真澄はどこか不思議そうな表情で、なにごとかをポツリと漏らした。
「……ふぅん……目立ったミスをしないからこその『番犬』なんだけどなぁ……」
「……なんだ? ごめん、聞こえなかった。なんか言ったか?」
「ううん、なんでもないよ」
そして、会話を断ち切るようにパン、と手をあわせる。
「なんか話し込んじゃったね。ゆうくん、身体冷えてない?」
「言われてみれば確かに」
汗が乾いてシャツが張り付いている。暖かくなってきたとはいえ、陽が落ちてくると肌寒さが出てくる。そういや着替え持ってきてたな……と思い出しつつ。
「ちょっとシャワー浴びてくるわ。狗上、まだ来ないっぽいし」
バッグを抱えて壁打ち場を出ようとすると、どうしてか真澄もひょこひょことついてくる。
「帰るのか?」
「僕もシャワー浴びようかなって」
「この施設の会員証持ってないと入れねえはずだけど」
「だいじょうぶ。持ってる。期限切れてないか心配だけど」
ふうん、とさしたる疑問もなく歩みを進め、バイトを終えた後いつもそうしているように更衣室まで移動して、ふう、と息をつこうとしたところで――。
「うわ、めっちゃ綺麗になってる。ひさしぶりに入ったなぁ、ここの更衣室」
さも当然のように隣に立つ真澄を見て、俺は思わず声を荒げた。
「おま――なんで男子更衣室に入ってきてるんだよ! 女子は向こうだぞッ!」
「へ?」
対する真澄は、ポカンと口をあける。
「…………僕、男なんだけど」
そう言って、なんのためらいもなくシャツを脱ぐ。
マジで男だった。
着替えるのも忘れて謝り倒したのは言うまでもない。




