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花は桜、愛でるべし〜女学生が初恋とお役目を全うするまで〜  作者: 倉桐ぱきぽ
3章 にらみ合う二人、遭遇する二人

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不安を包み込む手

 左久夜をソファに下ろし、居間から出て行った宗右真は、すぐに戻って来た。


「とりあえず、これ、着とけ」


 と、浴衣を差し出す。少々くたびれた藍染めの浴衣。何度も目にした覚えがあるもの。


「それ、ソウちゃんの、だよね?」

「洗濯してもらってある」

「そうじゃなくて……その、これ、あたしが、着るんだよね?」


 左久夜は、口をもごもごとさせる。


「あのな、うちに女物の寝間着があるわけねぇだろ。ぶつぶつ言ってねぇで、さっさと風呂に入れ」

「え?」

「だから、風呂だ。風、呂!」


 宗右真がドアを指差す。


「じゃなくて!」


 家に帰って来てから、まだ五分も経ってない。そんな時間で風呂に入れるわけがない。だが、一つだけ可能な方法がある。


「ソウちゃん、術、使ったでしょ? こんなことに使っちゃ駄目だよ」

「アー、ハイハイ。分かったから、さっさと行け。手ぬぐいは、棚にあるのを適当に使え。使ったあとは、かごの中。制服は衣紋(エモン)かけにつるしとけ。あと、湯船につかって、ちゃんと体を温めろ」


 宗右真に追いたてられ、左久夜は風呂場に向かった。

 脱衣所で制服を脱ぐが、何だか落ち着かない。それは湯船に入っても変わらなかった。洗い場に並んだ石鹸、洗髪粉、湯桶に湯船……

 宗右真も入ってるんだと思うと、全然、くつろげなくて、ものの数分で出てしまった。

 風呂から出た左久夜は、浴衣のすそを引きずらないように持ちながら、再び居間に戻る。


「おい、お前、ちゃんと温もったのか?」 


 宗右真はちょっと不機嫌そうに左久夜を見た。テーブルの上には灰皿があって、煙が立ち昇っている。煙草を吸っていたようだ。


 早過ぎるだろと、宗右真は時計に目をやる。


「すぐ、のぼせるんだもん」


 左久夜は適当にごまかして、それよりと話を変える。


「ソウちゃん、煙草、吸うんだ」

「お前らの前じゃ、吸わねぇよ。体に悪いし」

「じゃあ、どうして吸うの?」

「酔い覚ましだ。頭がまともに働いてねぇから」


 そう言いながらも、宗右真は煙草を揉み消して、ソファから立ち上がった。そして居間から出て行く。座ってろと言われたが、左久夜はそのあとをついて行った。


「ごめんね。突然、来ちゃって」

「お前が、突然じゃないことなんてあるのか?」

「えぇっと……」


 左久夜が考えているうちに、宗右真は居間の隣にある台所へ入る。灯りはついていて、やかんが火にかけられていた。


「栄語の課題が分かんねぇだの、左希斗とケンカしただの、いつだって突然、うちに来るんだろうが」


 話しながら、宗右真は食器棚から漆の盆を取って、左久夜に持たせた。次に別の棚から、茶色の紙袋を取り出し、盆に乗せる。


「晩飯、食ってねぇんなら、それでも食ってろ」


 よくよく見てみれば、紙袋には森村屋の判子があった。帝都でも一、二を争う人気のパン屋だ。

 続けて宗右真は、食器棚から湯呑みを取り出して、お茶をいれる。


「あんパンが、残ってたはず」

「ありがと……じゃなくて!」

「何だよ?」


 宗右真が、湯呑みを左久夜に差し出した。左久夜はそれを盆に受け取り、「だから」と話を戻す。


「今日は、ちょっと、迷惑だったかなって。お風呂とか、ご飯とか」


 宗右真にしてみれば、出張帰り。しかも作戦は予定よりも長引いて、そのうえ、林太郎主催の宴会にも付き合ったあと。


「ソウちゃんも、色々と、疲れてるのに」

「あのなぁ、俺だって、聖人君子じゃねぇんだ。邪魔ならとっくに追い返してる」


 そう言うと、宗右真は台所を出て行った。左久夜もまたあとを追いかける。

 宗右真はすたすたと歩いて行って、突然、くるっと振り向いた。


「で?」


 こちらを見下ろす宗右真に、


「『で?』」


 きょとんと、左久夜は繰り返した。


「どこまでついて来るんだ?」

「え?」


 はっと気がつけば、宗右真の後ろは廊下のどん詰まり。そして彼の左手にあるのは、風呂場の扉だった。


「覗くつもりか」


 宗右真は鼻で笑って、風呂場へ入って行く。


「どスケベ」


 そう言い残し、ドアが閉まった。


「なっ……バカ‼」


 左久夜はドアの向こうに叫んでから、居間に戻る。座卓に盆を置いて、ふかふかのソファにどすんと座った。


「ソウちゃんの裸なんて、興味ないし」


 ……のはずが。

 ついさっき自分も入った、あの白い湯船が頭に浮かんできて。途端に、顔が熱くなる。パタパタと、手で顔をあおいで熱を冷ます。

 その熱がようやく落ち着いたところで、左久夜はあんパンにかぶりついた。


(何もなくて、よかった)


 そう思えたのは、一口目を食べている間だけだった。二口目を食べようとしたところで。

 ぞわりと、胸の内で何かがうごめいた。

 どこからともなく、不安がしみ出してくる。それはじわりじわりと広がって、左久夜の心を侵食していく。

 今日は、何もなかった。でも……。あの夢は、明日、起こることなのかもしれない。

 あんパンを握りしめたまま、不安でいっぱいになって。


「寝るなら、俺のベッド使え」


 その声に、はっと顔を上げれば、宗右真がいた。

 風呂から出たらしい。浴衣の肩には、手ぬぐいが引っかかっている。

 かなりの間、ぼんやりしていたようだ。


「食わねぇんだな?」

「あ……うん。なんか、お腹いっぱい。ごちそ、」


 全部言う前に、宗右真にあんパンを取り上げられていた。


「何かあったのか?」

「え?」

「俺が声をかけるまで、気がつかなかっただろ? どうした?」


 宗右真は優しい声で言い、左久夜の前に膝をついた。


「一人で悩んだところで、ろくなことにはならねぇぞ。話してみろ」


 ほらと促され、左久夜はゆっくりと口と開く。


「夢を見たの……討伐作戦で、ソウちゃんが死んじゃう夢」

「勝手に殺すな」


 左久夜は「違う」と、首を振った。

 宗右真が血を流して倒れている、あの姿が脳裏に焼きついて離れない。今でも心が締め付けられて、苦しくなる。


「父様も死んだの。夢を見て……父様が死んでしまう夢……そのすぐ後に、父様が死んだ」

「それで? 今度は俺が死ぬって?」

「だって……だって、」


 ポロポロとあふれた涙を拭おうとしたところで。その手を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。左久夜はすとんと、宗右真の腕の中に収まる。


「ナギさんのことは、ただの偶然だろ?」

「そうかもしれないけど……」

「今度は俺の夢を見て、ナギさんと同じことになるんじゃないかと、不安になった」


 宗右真の胸に顔をうずめて泣きながら、左久夜はうなずく。


「……今日の出張は、父様の時と同じ、南部だって言うし。夜になっても全然、帰ってこないし。もしかしたらって思うと怖くて、すごく不安になって」


 宗右真は「そうか」だけつぶやいて、それっきり何も言わなくなった。




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