ぎゅっ
左久夜は、手持ちぶさたに天を見上げた。紺青の空に月はない。宗右真の家の玄関先。もう随分と長い時間、座り込んでいる。
作戦の予定終了時間は十五時。木寅には、そう聞いていた。作戦が行われる六区からだと、汽車で一時間程度の距離。
十七時すぎまで左久夜は、軍部で宗右真の帰りを待っていたものの。
『まだ、帰投の連絡は入ってないって。やっぱり長引いてるみたいだな』
確認に行ってくれた木寅から、そう告げられて、軍を出たのだった。
それから刻々と時間だけが過ぎ、ついには日も暮れた。一向に、宗右真が帰ってくる気配はない。
夜気を含んだ風に、制服が冷たくなっていた。もう水無月だと言うのに、今夜は冷える。
宗右真の出張なんて、いつものこと。それがこんなに気になってしまうのは、出張先が父が殉職したのと同じ南部だからだろうか。
左久夜は、ぎゅっと膝を抱えた。
何をやってるんだろうと、自分でも呆れてしまう。作戦は日没までと決まっている。ずっとこんな所で待っていなくても、家に帰って軍部に電話をすればいい。たった数分の距離。それで知ることができるのに。
でも、それも怖い。
なぜ宗右真は帰って来ないのか。もしかしたらと思うと、動けない。
(何かあったんじゃ……)
頭の中は、どんどん、悪い方へ悪い方へと傾いて行く。
どうしたって、あの夢の中、血を流して倒れている宗右真の姿が思い浮かぶ。その姿は、振り払っても振り払っても、しばらくもせずに浮かんでくるのだった。
その度に、もしかしてと思っては否定し、否定してはまた不安になって。頭の中は堂々巡り。拭いきれなかった不安が、少しずつ積もっていく。
やがて左久夜は玄関の前で、膝を抱えてうずくまっていた。
どれほど、そうしていただろう。
宗右真が無事に帰ってきますように。
何回も心の中で祈り、もはや何回目が分からなくなった頃。
ザリっと、微かな足音が聞こえて来た。足音は徐々に近づいている。左久夜は立ち上がって、門扉から路地を覗き込んだ。
「ソウちゃん?」
暗闇に向かって尋ねれば、
「サク?」
小さく返事があった。
「ソウちゃん!」
左久夜は泣きそうになりながら、宗右真に抱きついた。
「何だ、お前。こんな時間に、空き巣にでも来たか」
そんなわけないでしょ。いつもなら言い返すところだが、左久夜は聞き流す。
ぎゅっと背中に腕を回せば、確かに宗右真がいることを実感して、安心できた。
「どうした? また、カホルさんとケンカしたのか?」
左久夜は首を振る。
「ソウちゃんに会いたかっただけ」
「……そっか」
そうつぶやいて、宗右真が左久夜を抱きしめた。
その思いも寄らない行動に、涙が引っ込む。代わりに心臓が一気に跳ねあがった。
「お前、どれだけ待ってたんだ。体が冷たい」
耳元で響く声。
「えっと……」
「待たせて悪かった」
「ソ、ソウちゃん?」
耳のすぐ横で太鼓を打ち鳴らされているかのよう。バクバクと、鼓動がうるさい。
頭の中が真っ白になりかけた。その寸前。
「よし、よし」
宗右真が、トン、トンと、左久夜の背中をたたき始めたのだった。まるで、小さな子供をあやすかのように。
「楠の親父が、作戦が長引いた詫びだって、家に引きずり込まれて、そのまま酒盛りが始まっちまって。さっきまで付さ合わされてたんだ」
そういうこかと、左久夜の方は一気に覚めた。夢を見るには、ちょっと酒臭い気もしていた。
左久夜は両手で宗右真の胸を押して、体を離す。
「ソウちゃん、酔っ払ってるでしょ。どれだけ飲んだの?」
「そんなに飲んでねぇよ。言っとくけど、楠のおやじとトラが常軌を逸してるだけで、俺は普通だ」
「普通?」
そもそも比較する相手、ザルの木寅を基準にするあたり、間違っているんじゃないか。宗右真だって充分、酒飲みだとも思ったが、酔っ払い相手だ。
「ハイハイ」
左久夜は、適当にうなずいた。とりあえず、宗右真は無事に帰ってきたのだ。
左久夜も家に帰ることにした。
軍部から一旦は家に戻り、カホルには行き先を告げてあるけれど、きっと怒っているだろう。一時間のお説教も我慢しなくては。
そんなことを考えいると、不意に腕を引っ張られた。
「え? 何?」
「今日は、もう、泊ってけ。風呂、立ててやるから」
「だ、大丈夫。もう帰るし」
予想外の言葉に、ちょっとびっくりしながら、左久夜は足を踏ん張る。
「お前なぁ、もう十時だぞ?」
「えぇっ! そんな時間?」
これはまずい。お説教は二時間だ。早く帰らなければ。そんな左久夜の思いとは裏腹に、宗右真はがっちりと腕を掴んで離さない。
「ちょっと。ソウちゃん、離して」
「だから、泊まってけ。送ってくのも面倒くせぇ」
「大丈夫。一人で帰れるし」
「そんなわけいくか」
「いつもは帰れって、言うくせに」
力でかなうはずもない。左久夜は、ずるずると引っ張られる。
「本当に、もう、帰るから。ソウちゃんの顔、見たら安心したし。だから、手、離して」
そう言ってる間にも、宗右真は玄関に鍵を差して、扉を開けていた。
「ソウちゃん、手!」
「うるせぇな」
小さく舌打ちが聞こえてきたと思ったら、突然、手が離されて、宗右真が膝をかがめる。
「え、何?」
左久夜は何が何だか分からないうちに、肩に担ぎ上げられていた。
「ちょっと待って! ソウちゃん!」
「暴れると、下着が見えるぞ」
「きゃあ!」
左久夜は米俵のように、そのまま、居間まで運ばれたのだった。




