↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/18

第9話 悪夢、あるいはちょっとした関係の修復

「逃げて!」


 姉が叫ぶ。だがアルフは逃げない。否、逃げられない。自らががれきに埋もれて指一つ動かせないのを横に立ち見ている。父と母が既にこと切れているのも片隅に見えている。


「アンタだけでもいい!早く――」


 そして姉の悲鳴。視界の端にいた姉が倒れ、どこかに引きずられて消えていく。いつもそこでアルフの夢は終わり、また始まりの時へ巻き戻る。




「アタシね、精霊の声が聞こえるんだ…って言ったら信じる?」


 そういって、指を鳴らすと姉の指先に炎がともる。最初は「うそだぁ」と言ってのこのこ近寄って行ったが、前髪を焦がされて泣きながら逃げ出したことを覚えている。


 姉の名はエヴェリンといい、要するに、彼女は天性の精霊術師だったのだろう。そして子供としての範囲で性悪であった。

 彼女の精霊術は何ら体系的な訓練を受けない我流の極みであったが、火をつけ、そよ風を起こし、土を盛り上げた。この街が枯渇地帯であったにも関わらずだ。

 姉が退屈したときには物理的に説明のつかない悪戯がいつも飛び出し、最終的に彼女は「魔女精霊」と人扱いすらされない呼ばれ方をした。そして彼女もその呼ばれ方にまんざらでもない風だった。


 彼女の催すトラブルに巻き込まれ泣いているとき、いじめられた自分を見て彼女がいじめっ子に過剰な報復をくらわせたとき、彼女のとても感覚的な(理解はできなかったが)精霊術の使い方講義を聞いていたとき、アルフは十才にも満たなかったがぼんやりと理解していた。姉はずっとこの町にいるべき人間ではない。いずれ王都かどこか、ここよりとてもきれいで豪華な場所からお呼びがかかって、とてもすごい精霊術師になるのだろう。


 確信があった。それを自分は父母とともに応援したかった。


 10年前のあの日、霊獣が来るまでは。


 家の壁が壊され、崩れる屋根、飛び散る石材、獣の唸り声。梁が折れ、瓦礫に埋もれる自分。父の怒鳴り声、母の悲鳴。


「逃げて!」


 姉が叫ぶ。だがアルフは逃げない。否、逃げられない。自らががれきに埋もれて指一つ動かせないのを横に立ち見ている。父と母が既にこと切れているのも片隅に見えている。


「アンタだけでもいい!早く――」


 そして姉の悲鳴。視界の端にいた姉が倒れ、どこかに引きずられて消えていく。いつもそこでアルフの夢は――


 姉の手すら視界から消え、完全に見えなくなった後、静寂が訪れた。壊れた家も、父母の死体もいつの間にか消えてなくなっている。あまりにも静かで、あまりにも何もない、ただの暗闇。その中で、アルフは一人きり立ち尽くしていた。誰の声も、獣の足音も、何も聞こえない。


 どれだけそうしていただろうか。永遠にも思える静寂の中、アルフはふと、自分の足元に何かが転がっていることに気づいた。目を凝らしても、それが何なのか分からない。手を伸ばそうとした瞬間、周囲の暗闇そのものが、大きく息を吸い込むように蠢いた。


「君自身の人生が擦り減っていくのを、黙って見ていられなかったんだ」


 家族の誰でもない声が聞こえる。一体誰の声なのだろうか? アルフには覚えがあった。王都から来た精霊術師。たしか名前は……。




 飛び起きると、全身が汗でぐっしょりと濡れていた。荒い呼吸を整えながら、アルフは暗い天井をしばらく見上げていた。窓の外はまだ夜の底で、夜明けには程遠い。動悸はなかなか収まらず、昨日イゾルデにぶつけた言葉の数々が、頭の中で未だ勝手に再生され続けていた。


 あんなことを言うつもりはなかった。いや、腹の底から出てきた本心ではあった。だからこそ、余計に始末が悪い。


 布団の上に座り込んだまま、アルフはしばらく膝を抱えてうずくまっていた。夢の中の静寂が、まだ耳の奥に貼り付いているようだった。誰もいない世界に、自分一人だけが取り残される感覚。それは、10年前のあの日から、ずっと形を変えながら付きまとってくる恐怖だった。



◆◇◆




 結局、まともに眠れないまま朝を迎えた。

 顔を洗っても、頭の奥の重さは取れなかった。鏡代わりの金属板に映る自分の顔はいつもよりずっと青白く、目の下にはクマが目立った。


 工房に入ると、昨日と同じように机に向かうイゾルデの横顔が見えた。採光用の小窓から差し込む朝日に照らされた彼女の横顔は、元々が色白であることを差し引いても先ほどの自分と同じくらいに青白く見える。


 彼女はこれまでと同じように測定装置の記録をつけていた。目が合うと、彼女は一瞬だけ何か言いかけるような素振りを見せる…が、結局は小さく頷いただけだった。


「……おはようっス」

「おはよう」


 それだけで、朝の挨拶は終わった。互いに、昨日の話には触れない。触れられない。そんな重たい沈黙のまま、二人はいつも通りの作業に取り掛かった。


 作業が始まってどれほどの時間が過ぎただろうか、師匠だけは雰囲気も相変わらず、二人の間をうろつきながら、聞こえよがしに独り言を呟いている。


「ふん、まあ、こういう時期もあるわな。若いうちは仕方ねぇ」


 誰に向けるでもなくそう漏らすと、師匠は肩をすくめて奥へ引っ込もうとする。しかし、何かを思い出したかのようにこちらへ戻ってくると、アルフの肩を無造作に叩いた。


「おい、飯くらいはちゃんと食っとけよ。腹が減ってると、ろくなこと考えねぇもんだ」


 それだけ言うと、また奥へ消えていく。ぶっきらぼうな言い方だったが、その一言に、アルフは少しだけ救われた気がして、しかし何もかも見透かされているようで、ため息をついた。

 アルフはイゾルデに何も言わず、やや早い昼食のために工房を出ていった。




 昼過ぎ、部屋に戻ったアルフは、机の異変にすぐ気がついた。

 昨日、乱雑に閉じたまま放り出したはずのノートが、几帳面に整頓し直されている。それだけではない。開いたページのあちこちに、見覚えのない丸みを帯びた字で、細かな書き込みが加えられていた。


『この行商路の記録なら、王都の通行記録局に照会すれば裏が取れるはず』

『この時期、この一帯を巡回していた霊獣狩りに知り合いがいると思う。後で確認する』

『噂の出所、話の作られ方からして、まるっきりの与太話とは思えない。王都に関連する記録がある可能性あり』


 どれも、豊穣地帯の内部の仕組みを知っていなければ入れられない、アルフ一人では絶対に辿り着けなかったであろう視点からの書き込みだった。几帳面な字の合間には、消しては書き直した跡も見て取れた。一度書いた言葉を選び直すくらいには、慎重に扱ってくれたのだろう。


 アルフはしばらく、その筆跡を指先でなぞった。昨日、あれだけの怒りをぶつけてしまったというのに、当てつけの一つもなく、こうして密かに手を加えて返してくるとは思わなかった。


(律儀すぎるだろ、あいつ……)


 素直に礼を言う気には未だなれないものの、この気遣いを無視できるほど意固地にもなれない。結局アルフは何も言わないまま、書き足された情報をそっと自分のノートに清書し直す。それが、今の自分にできる精一杯の義理だった。


 清書をしながら、アルフはふと考えた。イゾルデは、なぜこんなことをしたのだろう。単なる罪滅ぼしにしては、手が込みすぎているが、かといって業務上の義理立てというには、あまりに個人的な踏み込み方だった。


 答えの出ない問いを頭の片隅に置いたまま、アルフはノートを閉じた。




◆◇◆




 数日後、二人は測定装置の設置場所を見直すため、久しぶりに坑道の入り口まで足を運んだ。

 坑道から出てきた核だから、坑道に行けば何か違う反応が見られるかも、ついでに現在の様子をもう一度見に行こうかという程度の動機ではあった。


 規制線をくぐり、崩れた坑口へと続く坂道を、二人並んで下っていく。

 しばらくの間、会話らしい会話はなかった。だが、それは気まずさというより、どこか落ち着いた静けさだった。


「…今日の空気、久しぶりに気持ちいい感じっスね」

「ああ。町の煤煙も、この時間帯は流れてこないみたいだ」


 二人の関係は、時折当たり障りのない世間話を挟むことができる程度には軟化していた。話が発展していかない程度には硬化したままであったが。


 何ともない世間話は一往復で終了し、無言のまま二人はゆっくりと坂道を進む。ここ数日ならならこういう沈黙は気詰まりでしかなかったが、今日は不思議とそうでもなかった。


「……ノートの書き込み」


 アルフが先に口を開いた。


「あそこまで細かく調べる必要、なかったんじゃないスか」

「暇な時間を使っただけさ、大したことじゃない。余計なお世話だったなら、悪かったと思うが」


 イゾルデは前を向いたまま、あっさりと答えた。


「……別に、迷惑だったとは言ってないっスよ」


 ぶっきらぼうな返事になってしまったが、それでも精一杯の礼のつもりだった。イゾルデがそれを正しく汲み取ったのかどうかは横顔からは読み取れなかったが、アルフはさらに一歩踏み込む。


「なんとかに確認して行商路の記録を探るって、まだ確認できてないんスか」

「照会の返事待ちだよ。王都の役所仕事は、こっちが思うより気長に構える必要がある」

「そういうもんスか」

「そういうものさ。焦って催促の手紙を送っても、余計に後回しにされるだけだ」


 イゾルデの口調には、経験に裏打ちされた諦めのようなものが滲んでいた。


「あんたも、そういうお役所仕事に苦労したことあるんスね」

「数えきれないくらいね。霊獣狩りという仕事は、現場より書類仕事の方が厄介な時さえある。派遣一つ通すのに、判子を何十個も集めなきゃいけないなんてこともざらだ」


 役場の仕事で、新たな機械の使用承認を得るために各所をたらいまわしにされた記憶がよみがえり、アルフは限りなくげんなりとした表情を浮かべる。


「その顔、わかってくれたみたいだね? だから、私はなるべく現場に長く留まるようにしている。書類の山に埋もれるくらいなら、多少の危険は歓迎したいくらいだよ」


 冗談めかした口調だったがその根底には確かにうんざりした実感が伴っているように聞こえ、アルフは思わず苦笑した。


 坂を下りきったところで、イゾルデがふと、独り言のように呟いた。


「――昔、似たようなことを思っていた時期があった」

「……似たようなことって?」


 彼女が何を言いたいのか測りかねてアルフは曖昧な問いを返す。イゾルデはほんの少しうなずくと、話を進めた。


「何かを、必死に探し続けていた時期が。今の君ほど一途だったかは分からないけどね」


 その声は、いつもよりずっと静かだった。何を探していたのか、それがどうなったのか、具体的なことは一切語られない。彼女の言葉はそこで途切れた。


「……何を探してたんスか」

「さあ、どうだろう」


 はぐらかすような笑みを浮かべ、イゾルデはそれ以上語ろうとしなかった。だが、その横顔には、いつもの飄々とした軽さとは違う、何か重たいものが確かに滲んでいた。


「見つかったんスか、それ」


 思い切って尋ねてみたが、返ってきたのは沈黙だけだった。しばらく歩き続けた後、イゾルデはようやく口を開いた。


「見つかった、と言えるのかどうか……今でも、時々分からなくなる」


 その言い方は、まるで意地悪な謎かけのようだったが、それ以上踏み込んで聞ける雰囲気ではなかった。


 アルフはそれ以上追及しなかった。自分にも簡単には語れないことがある。同じようなものが、この人の中にもあるのかもしれない、と思うと、何も聞けないことが不思議と腹立たしくはなかった。


 坑口が見えてくる。崩れた石材の隙間から、乾いた風が吹き抜けていった。イゾルデは測定装置の位置を確認しながら、いくつか手早くメモを取っていく。その横顔は、もういつも通りの、飄々とした精霊術師のものに戻っていた。


「場所を変えても大した意味はなかったな。さて、今日の分の記録はこれで終わりだ。町に戻ろうか」

「……イゾルデさん」

「何だい」


 アルフは一瞬迷ったが、思い切って口を開いた。


「あの時は、すみませんでした。言い過ぎたと思ってます」


 自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。イゾルデはわずかに目を見開き、それから小さく笑った。


「別に、謝ってもらうようなことじゃないよ。私が言葉を選ばなかったのが間違いだ」

「いや、それとこれとは別なんで。……とにかく、悪かったっス」

「……そうか。なら、受け取っておくよ」


 イゾルデはそう言うと、来た道を戻り始めた。アルフもその後に続く。

 昨日までの怒りは、まだ完全には消えていない。それでも、隣を歩くこの人との距離が、昨日までとはまた違う距離に変わったことを、アルフは確かに感じ取っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。