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第10話 核の秘密、あるいは霊獣に狩られそうなイゾルデ

 翌朝、工房に着くとイゾルデはすでに測定装置の前に張り付いていた。


「反応、どうなってますか」

「以前よりは落ち着いている。だが、まだ油断はできないな」


 記録した数値を確認しながら、イゾルデは眉間に皺を寄せていた。アルフも隣に並び、先日までの記録と照らし合わせて何かの傾向が確認できないかと頭をひねる。


「二、三日前の跳ね上がりに比べれば、確かに落ち着いてますね。あのまま加速し続けたらどうなるかと思ったっス」

「一時的なものだったのか、それとも何かの前兆だったのか……今の段階では判断がつかない。しばらくは注視を続けるしかないね」


 いつも通りの朝の観測作業を続けながら、二人は師匠が淹れてくれた薄い茶を交互に啜った。この一週間ほどですっかり馴染んだ、静かな朝の光景だった。


「おいおい、今日はやけに静かだな。また喧嘩でもしたか」


 師匠が茶をつぎ足しながら茶化してきた。ただ様子を見ているだけだと返すと、師匠ははた目には興味なさそうに奥の作業場へ戻っていった。

 彼の心配性というか細かい所にまで気を配ってくる性質《たち》は時にうんざりするものであったが、今はそれに感謝する。


 しばらく観察記録を続けていると、工房の戸口に見慣れない配達人が姿を見せた。王都の紋章が入った封蝋のついた、異様にどっしりとした書状を、恭しく差し出してくる。


「イゾルデ様宛て、王立研究機関第四研究所からの至急便でございます」


 配達人は疲れ切った様子で、それでも丁寧に一礼した。その外套には旅の埃がまだこびりついている。


「ご苦労だったね。休んでいくかい」

「いえ、次の便がございますので、これにて失礼いたします」


 そう言って、配達人は足早に去っていった。イゾルデはその背中を見送ってから、手元の書状に視線を移す。


「これ、一体なんスか」

「実はね、あの日の急な精霊濃度の跳ね上がりを見て、データは王都へも報告していたんだ。ここでじっと見ているしかないよりは、助けを求めるほうがずっとましだ」

「俺には内緒で?」


 ちょっとした意趣返しのつもりでアルフがすねたふりをすると、イゾルデは苦笑して返す。


「まあ、あの日の後はいろいろあったしね…しかし電信を噛ませたとはいえ、数日で帰ってくるとは早いな。王都もこの報告に何か思うところでもあったのか――」


 イゾルデはそうつぶやくと、その場で封を切った。

 中から出てきたのは、几帳面な字で埋め尽くされた報告書だった。アルフも思わず身を乗り出すと、自分たちの書く虫の這いずった後のような字とはまるで違う流麗な筆記体が目に入る。

 何がおかしかったのか、イゾルデは薄く笑いながら落ち着かせるように手でアルフを押しやった。


「そう焦らない、こっちも読み始めたばかりなんだから」


 そういいながら、ページを一枚ずつめくり、要点を拾い上げるようにゆっくりと読み進めていく。アルフはその横で、彼女の表情の変化を見逃すまいと見つめていた。


 恐らく愉快なことが書いているわけではないであろうことは、ほどなくアルフも理解するところとなった。ページが進むにつれ、イゾルデの表情が少しづつ、だが確実に険しくなっていったからだ。

 イゾルデは最後まで報告書を読み終えると丁寧にゆっくりとそれを封筒に戻し、その直後、その封筒をおもむろに机に放り投げるとと大きくため息をついて頭を掻いた。


 アルフは目をしばたたかせた。彼女がこのようにいらだちめいた感情を行動に載せるのを見たのは、少なくとも彼女がこの町に来てからほとんど見たことがない。

 どちらも、何かを口に出すことはなかった。壁に掛けられていた時計が、無機質に時を刻む音だけが静かに響く。


「――まいったね、慎重な姿勢を取ったのは結果的に完全な失敗だった。これを王都に送るのならば、非精霊術師だけを集めた特別な輸送隊を組む必要がある」


 しばらくしてからイゾルデが口を開いた。


「…? 失敗だったって、どういうことスか」


 アルフの疑問にすぐには答えず、イゾルデは先ほど放った封筒をまた手に取り、中から何かの資料を取り出そうとしているかごそごそと探り始める。

 平時なら二度手間な光景に失笑したかもしれないが、アルフの口は少しも歪むことはなく横に引き絞られている。


「私たちが送った観測データ──特に、あの原因不明の加速のパターンだが、王都の研究者の一人が、過去の記録に酷似した事例があると気づいたらしい。それで、この速さで報告書を寄越してきたというわけだ」


 やがて封筒の中から数枚の紙が取り出される。彼女はそれを二人が並んでみられるように目の前のテーブルに置いた。ページの左上に長たらしく題が書かれている。

『本案件に類似する人工精霊核における精霊消費パターン及び準精霊術師を含む精霊術師の包接《ほうせつ》作用について』。


「かつて確認された、別の人工霊獣核の記録だ。詳しい経緯は伏せられているが、測定された精霊濃度のパターンが今回のものとほとんど一致するらしい」

「伏せられてる、って…なんで」

「さあね。やんごとなき個人が特定される情報だから配慮した、というだけかもしれないし、あるいはあまり公にしたくない類の事件だったのかもしれない。この手の報告書は、往々にして都合の悪い部分ほど言葉を濁す」


 彼女の口調には、そうした王都のやり口にはもはや慣れきったという響きがあった。

 そして、ページをめくる。そこにはアルフの知らない専門的な用語がびっしりと詰まっていたが、イゾルデはその中から文書の中ほどにある一文を指し示す。


「その事例では、消費速度の上昇は――核が、自らを制御する『中枢』となる人間を、探し始めた兆候だったと分析されている」


 文書はさらに続けてこうつづられていた。


『周囲に精霊術を扱う、もしくはその素養のある人間がいる場合、核はその者を引き寄せるように精霊の消費を強め、やがて実体化と同時に対象術者の取り込みを試みる』

『素養のある人間を、生体的反応を残したまま中枢に組み込むことで、その人間の思考力を核に付随する頭脳として利用し、複雑な意思決定や、状況に応じた戦術的な判断を――』


 アルフは、突然耳の中に何かをたたくような音を感じた。それが、工房周囲の騒音ではなく自分の心音であることに気づくのに、彼はしばらくの時間を要した。


「……アルフ君。私たちのうち、精霊術の素養があるのは、どちらだったかな」


 その問いに、アルフは息を呑んだ。答えなど聞くまでもない。

 イゾルデは短く頷く。声は落ち着いていたが、握りしめた拳がわずかに震えているのを、アルフは見逃さなかった。


「私はこの一週間、毎日この核のそばで観測を続けてきた。もし報告書の推測が正しいなら――核が、他でもない、私自身を探しているんだ。それに気づかなかったというんだから滑稽な話だよ」


 工房の中に、重い沈黙が下りた。窓の外から聞こえる荷馬車の音さえ、やけに遠く感じられる。


 制御する『中枢』。そして『頭脳』。

 アルフの頭の中で、二つの感情が同時に渦を巻いていた。

 一つは、イゾルデが、このままでは姉がたどったかもしれない運命に捕らわれることになるという、生々しい恐怖。

 そしてもう一つは――こんな状況でこんなことが頭の片隅にひらめいたことにアルフは苦々しさを覚えた。


「……冗談じゃないっスよ」


 アルフは報告書のページをクシャリと握った。


「あんたが、姉貴と同じ目に遭うかもしれないってことっスよね。それを、そんな他人事みたいに」

「他人事のつもりはないよ。ただ、動揺したところで、状況は変わらない――その紙、返してくれないか」


 イゾルデは静かにそう言うと、くしゃくしゃになった報告書を伸ばし、封筒へしまう。その手際は、先ほどよりかは乱雑に見えた。


「霊獣の頭脳として取り込まれる感覚はどのようなものなんだろうね? 意識が残ったとしても、それは救いなのか、それとも果てのない牢獄なのか……そうして実体化したままにこの町を破壊するかもしれない。恐ろしい話だね、想像したくもない」


 乾いた笑みを浮かべようとして、うまくいかなかったのだろう。イゾルデの口からは、ひゅう、と吐息の漏れる音だけが聞こえた。

 彼女はテーブルの隅に置かれた茶を飲もうと持ち上げて、口元へ運び――そのうちわずかな雫が口の中へ入っていかず零れていった。その手は未だに震えている。


 普段は誰よりも冷静で飄々としている彼女だからこそ、霊獣との対決ですらそのようなそぶりを見せなかったからこそ、その感情とは無縁であると思っていた。だが違う。

 彼女は、恐怖している。


「……今すぐ、この核から離れてください。悠長なこと言ってる場合じゃないっスよ」

「悠長になっているつもりはない。だが、闇雲に核を放り出したところで、根本的な解決にはならない。今この瞬間にも実体化が進んでいるかもしれないと考えれば、下手に刺激する方が危険な場合もある」


 イゾルデは、――努めている、とアルフにもすぐに分かった――低く、焦りのある者を落ち着かせるように声を出した。


「まず、核を私から物理的に遠ざける。それが最優先だ。私が近づかなければ、少なくとも今すぐに取り込まれる危険は下がるはずだ」


 しばらくの相談の末、二人は当面の対応を決めた。核を鉛の内張りを施した密閉容器に移し、当面は誰も素手で触れないこと。

 鉛は、ここで用意できる限りでは、最も精霊を透過しづらい物質であることをアルフは初めて知った。

 今後、核の観測は最小限・短時間に留め、直接核に触れる作業は――皮肉なことに、素養のないアルフが引き受けることになった。


「情けない話だが、しばらくは君に頼ることになりそうだ」

「情けなくなんかないっスよ。……今度は、俺があんたを守る番っス」


 アルフがそう声をかけると、イゾルデは笑った。


「頼もしいね、少年」


 その笑いは、アルフとしては初めて見る表情だったかもしれない。

 それは、率直に言っていいのならば、照れくさがっているような表情に見えた。




 しかし、イゾルデを帰し、自分の部屋に戻っても、アルフが一度脇に置いたはずの感情は、そう単純に収まってはくれなかった。

 あの時工房に下りた沈黙の中で渦を巻いていた二つの感情、一つは彼女が核へ取り込まれることへの恐怖。


 だが、もう一つは――あの瞬間、頭の片隅でひらめいてしまい、その場で口にすることは憚られた考え。

 素養のある人間。姉は天性の精霊術師だった。

 姉は未だ『生体的反応を残したまま』核の中に捕らわれているということがあるのではないか?

 それは、何年たっても抜けることのない暗闇の中で、ひときわに光りだした希望だった。

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