第11話 束の間の安息、あるいは蒸しパン食べながらの交流
核を密閉容器に移してから、数日が過ぎていた。
幸い、あれ以来これといった異変は起きていない。観測の頻度は落とし、容器を開けるのも最小限。触れる作業は全てアルフが引き受け、イゾルデは常に一定の距離を保つ。そんな新しい生活の型が、思いのほかすんなりと二人の間に馴染んでいた。
最初の数日こそ、役割の変化に慣れるまでは手順の行き違いも何度かあったが、日を追うごとに新しい役割分担は自然な流れになっていった。
「今日の反応も、変わりなしっス」
容器の蓋を慎重に閉じながら、アルフが報告する。
「そうか。ご苦労様」
毎朝の測定は、今ではすっかりアルフ一人の仕事になっていた。計測装置のガラス越しに見える数値をイゾルデに読み上げ、彼女がそれを手帳に書き留める。声だけのやり取りが、二人の間の新しい作法になっていた。
その日は、王都への追加の報告書をまとめる仕事もひと段落し、久しぶりに手が空いた日だった。
ここで手持ち無沙汰にしているのもなんだし、軽く散歩にでも行こうかなと思っていた矢先、工房の入り口、イゾルデの隣に急に現れた師匠がアルフに向かってだみ声を張り上げる。
「おいアルフ!こっちにかかりきりになるのもわからなくはないけどよ、前に言ってた工具棚の修理まだ終わってねぇだろうが」
「あっ、す、すみませんっス…」
実際師匠の言うとおりだったのだから目も当てられない。アルフはイゾルデの目の前で叱られた恥ずかしさをごまかすように修理機材をまとめて件の工具棚のところへ向かおうとし――
出口の隣で、イゾルデに肩をたたかれた。
「アルフ君。ここまで手伝ってくれた恩に報いて、ってわけでもないんだけどね、ちょっと手伝わせてもらってもいいかい?」
◆◇◆
「これ、握っててもらえます? 力仕事なんスけど」
「お安い御用だ」
自信にあふれた声音とは反対にイゾルデは危なっかしい手つきで木材を押さえ、アルフが釘を打っていく。危なげな動きに何度かひやりとさせられながらも、作業は思いのほか順調に進んだ。
「イゾルデさん、意外と不器用っスね」
「精霊術と手先の器用さは、別の才能なんだよ。適材適所さ、私には必要のない分野なんだ」
憎まれ口を叩きながらも、イゾルデは楽しげに作業の手伝いに付き合ってくれていた。
これまでの任務では見せない、肩の力の抜けた表情。それを見るのは、アルフにとって初めてのことだった。
「王都の精霊術師も、みんなこういう力仕事は苦手なんじゃないスか?なんでも精霊術で済ませてそうだし」
「一概には言えないが、少なくとも私は昔から不器用だと言われ続けてきたよ。精霊術の才は認められても、それ以外はからきし、と先生にはよく笑われたものさ」
そういうとイゾルデは、アルフでは真意を測りかねる表情を見せた。全体としては懐かしさに満ちた表情でありながら、どこか悔しさや居心地の悪さも入っている複雑な表情。
アルフは訝しみながらも、ごく一般的な方向に話を持っていく。
「俺の師匠みたいな人がいたんスね、イゾルデさんにも」
「当然だろう。この歳になっても、頭の上がらない相手の一人や二人はいるものさ」
その言い方は、教科書があれば載せてもいいのではないかと思えるくらいによくわかる、郷愁の響きがあった。
アルフにはなぜだか意外に感じられた。いつも飄々としたイゾルデは、生まれた時から要領がよくて大人びて生きてきたように、アルフはこれまで勝手に感じていた。
「どんな人だったんスか、その先生って」
「厳しい人だったよ。合理的で、感情を表に出さない。だが、人の才能を見出す目だけは誰よりも確かだった人だ……もう長いこと、顔を合わせていないが」
そこで、イゾルデは言葉を切る。
最後の一言には、単なる距離の問題以上の何かが滲んでいるようにアルフには聞こえた。だが、それ以上を尋ねる前にイゾルデは話題を切り上げるように木材を持ち直す。
「さあ、続きをやろうか。休憩ばかりしていたら、師匠殿に怒られる」
「師匠殿って…ああ、俺の方の師匠っスか。なんかややこしいっスね」
思わず突っ込むと、イゾルデはくすりと笑った。
やがて作業も終わり、釘を打ち終えた木材を組み上げると(その工程は大体アルフがおこなったが)、もう昼に差し掛かる時間帯だった。
簡単な棚が目の前に出来上がっている。師匠が頼んでいた品質よりもいくらか歪んだ仕上がりに見えるが、それでも実用には問題なさそうだ。
「よし、上出来じゃないか」
「歪んでますけど?天板とか」
「味があるということにしておこう、うん」
あまりにも適当で放り投げた言い草に、アルフは思わず噴き出した。
その様子を見ていた遠くから見ていた師匠が、こちらへ寄ってきて棚を一瞥する。
「ほう、精霊術師様が作った棚ともなるとご利益がありそうじゃねえか……ちょっとくらいユニークな見た目でも使う分には問題ないしな。二人ともご苦労さん、今日は気分転換に外に出てきたらどうだ?」
そう言うと、師匠は満足そうに棚を担いで奥へ戻っていく。
「外…と言われてもね」
イゾルデは困惑したように眉を寄せている。ここに来てからの彼女の生活圏は知らないが、これまで彼女が工房、役場、そしてその近くの宿以外の町中に繰り出そうとしているのをアルフは見たことがなかった。
とはいえ、中等学校を卒業してから工房にかかりきりだったアルフにも最近流行りの食事など大して知識はない。しばらく二人でうんうんとうなった末、アルフの脳内にある場所が浮かんできた。
「あの、俺……昔食べたかったやつがあるんですけど、そこにいってみませんか」
町の公園に隔日で出没するその蒸しパン屋台は、王都から直輸入した甘みのあるスパイスを使用している上等な品質を売り文句にしており、その分値段もそれなりに上等なものだった。
学生の頃に憧れていたパン屋なんてジャンク過ぎたか、とアルフはここに来る時まで半分後悔していたが、幸いにもイゾルデは文句の一つもなく自分のパンを購入してくれた。
「そういえば、二人でご飯を食べるのは初めてかもしれないね」
「言われてみれば、そうっスね」
そういいながら、二人は公園のはずれにある木陰に腰を下ろす。周囲には人影も少なく、名前も知らない鳥が鳴き、のどかな雰囲気が辺りには流れていた。
初めて意識すると、妙に気恥ずかしいものがあった。工房の中でも、これまでは片方が核に張り付いている間にもう片方が食べに行くことが毎日だった。
アルフは誤魔化すように蒸しパンを頬張る。スパイスとやらの風味はさっぱり分からなかったが、少なくともそれなりに甘く、ちょっとした間食には最適だった。
「王都って、どんなとこなんスか。飯とか、やっぱり豪華なんスかね」
アルフの声は、蒸しパンを呑み込まないうちに発せられる。
イゾルデはアルフの行儀の悪さに苦笑しながらも答えてくれた。
「豪華かどうかは知らないが、少なくとも煤の匂いはしないね。そこら中に敷かれている石畳はよく磨かれていて、夜でもガス灯で明かりが絶えない」
「へえ……なんか、想像つかないっス」
「そう悪いところでもないが、いいところばかりでもないよ。人が多い分、他人との距離も近いようで、実際は誰も彼もが自分の身分や立場ばかり気にしている。ここみたいに――」
そういうとイゾルデは思い出し笑いをするかのように口に手を当ててくすくすと笑う。子供たちが公園の遊具で鬼ごっこでもしているのだろうか、歓声が遠くから聞こえてきた。
「そう、ここみたいに素性も知らない技師見習いにいきなり手伝わせる、なんてことはまず起きないね」
その言い方には、単なる皮肉以上の、実感の伴った重みがあるように聞こえた。
「食い物は? やっぱりこの町の食い物よりも洒落たやつとかいっぱいあるんスよね」
「洒落ているかどうかはともかく、確かに豊穣地帯の食材は種類が豊富だ。だが、正直言うと、私はこういう炭鉱町の飯の方が性に合っているな」
「へぇー、意外っスね。もっと舌が肥えてるかと思ってました」
「量が多くて、味が濃くて、食べ終わった後にしっかりお腹に残る。それが何より落ち着くんだ。豪華な料理は目には楽しいが、腹の足しにはあまりならないものでね」
軽口交じりのその言葉にも、どこか重い実感がこもっているように聞こえる。社交辞令かもしれないが、自分の住む町を褒められてアルフは悪い気はしなかった。
そうやってイゾルデと王都の話を聞いているうちに、アルフの胸中には一つの疑問が浮かび上がってきた。
「イゾルデさんは、王都育ちじゃないんスか」
その言葉を聞くと、イゾルデは遠くを見るような目をして口を開きかけ――いったん閉じる。
子供たちの遊び声も、鳥の鳴き声も、計ったかのようにおさまっていた。風が吹き、頭上の木がざあと音を立てて葉を震わせる。
次にこちらに向き直った時は、こちらをからかうときに良く見せるニヤニヤした表情に変わっていた。
「どっちだと思う?」
「言いたくないなら、いいっスけど」
「別に、隠しているつもりはないんだ。ただ……君にうまく説明する言葉を、もう少し膨らませておきたくてね」
その物言いに、彼女のはぐらかしにしては珍しく誠実な響きを感じて、アルフはそれ以上踏み込まなかった。
「……この町の暮らしは、案外気に入っているよ」
ふいに、イゾルデがそう漏らした。
「煤臭いし、娯楽らしい娯楽もない。それでも、誰も彼もが素顔で生きている感じがする。少なくとも、君の師匠は誰に対しても態度を変えないだろう」
「まあ、あの人は誰にでもあの調子っスね」
思わず笑うと、イゾルデもつられたように笑った。
彼女の言葉が本音なのか、それとも社交辞令の延長なのか、アルフには判断がつかなかった。だが、口にしたイゾルデの表情には、少なくとも嘘をついているようには見えなかった。
その後はしばらく二人で他愛もない話を続けた。隣町の祭りのこと、こちらの師匠の武勇伝、イゾルデが今まで見てきた各地の霊獣退治の話。
特に、湖の底に住み着いた霊獣と格闘するために三日三晩かけて湖そのものの水位を下げたという豪快な話にはアルフも目を丸くせざるをえなかった。
笑ったり呆れたりしながら、時間はゆっくりと過ぎていった。
ふと会話が途切れた瞬間、アルフは容器に収められたままの核のことを、そして、姉のことを思い出した。
姉は今、どこで何をしているのだろう。もし本当に霊獣の中に囚われているのだとしたら、こうして自分がのんびりと昼食をとっている間にも、姉は何かに苦しんでいるかもしれない。そう考えると、蒸しパンの味さえ、急に味気なく感じられる。
だが、隣で笑うイゾルデの横顔を見ていると、その後ろめたさも、少しだけ和らいでいくのを感じた。
「……イゾルデさんとこうやって喋ってる時間、けっこう楽しいっス」
思わずこぼれた本音に、アルフ自身が一番驚いた。
「私もだよ、少年」
イゾルデは穏やかにそう返すと、残りの蒸しパンを口に運んだ。
その横顔を見ながら、アルフはふと考えた。初めて彼女の姿を見た時、アルフは自分が彼女と関わることは絶対にないだろう、と考えていた。それが今では、隣に座って他愛もない話をするのが、当たり前のことのように感じられる。いつの間に、こんなに距離が縮まったのだろう。
「イゾルデさん」
「何だい」
「……いや、なんでもないっス」
言いかけた言葉を、アルフは飲み込んだ。うまく言葉にできない何かが、胸の奥にあった。それが友情なのか、単なる仲間意識なのか、あるいはもっと別の何かなのか、自分でもまだ判然としない。
イゾルデは怪訝そうにこちらを見たが、それ以上は追及せず、また視線を空へと戻した。
その横顔を眺めながら、アルフは自分の中に芽生えたこの感覚に、まだ名前をつけられずにいた。
姉を探す旅の道連れ、というだけでは説明のつかない何か。彼女がただの精霊術師ではなく、一人の人間として、自分の隣にいるのだという実感。それがいつからのものだったのか、はっきりとは思い出せなかった。
木陰を抜ける風が、二人の間をやわらかく通り過ぎていく。この静けさがいつまで続くのか、アルフには知る由もなかったが、出来るだけ長く続いてほしいという思いが胸の奥にじんわりと広がっていた。
遠くで、町の鐘が昼の終わりを告げていた。いつもと変わらない、ありふれた昼下がりの音だった。
◆◇◆
クレーターズリムからほど近く、森を抜けると、一つの小山がある。
町の北東にあるその小山に人が訪れることはほとんどなかった。そこは周囲を見下ろせることを売り文句にするにははやや標高に物足りなさがあり、生える植物に人間が食べられるものも大してなく、お世辞にもきれいとは言えない、むしろ薄汚い濃緑をうっそうと茂らせていた。
おまけに人間が簡単に狩れるような草食獣の代わりに人間を簡単に狩れるような肉食獣がうろつくことがあるとあっては、近寄りたがる人がいなくても不思議ではない。
現に今も、この闇夜の中でその丘に人影は見えない。
そう。人は、見えなかった。
仮にそこに人がいたならば、音もなく現れたそれをみて一体何事かと理解ができなかったかもしれない。クレーターズリムから10年前の事件の生き残りが来ていたならばあるいは理解ができただろう、そしてパニックに陥ったに違いない。
全ては仮定の話だ。ともあれ、その小山にはいつも通り人影はなく、その中にそれは降り立った。
それはどうすることもなく超然とたたずみ、遥か遠くクレーターズリムへと、その町の中の一点へと視線を向け、しばらくの間動かなかった。
それは霊獣だった。




