第5話 坑道を出でて、家族の記憶とともに
坑口を抜けると、日はもうすっかり高く昇っていた。
朝から坑道に入りっぱなしで暗がりにすっかり慣れてしまった頭が、あまりの眩しさに抗議する感覚を覚え、アルフは思わず浅くひっかけていたキャスケットを深くかぶりなおした。目を細めながら、崩れかけた坑口を振り返る。鉱山の最奥で見つかった人工精霊核は、今はイゾルデのアタッシュケースの中に収まっていた。
たかだか数時間前まで、自分はただの技師見習いだった。機材の点検をして、師匠に怒鳴られて、時々町の噂話に耳を傾ける、それだけの毎日だった。
それが今では、百年前の戦争の遺物と殴り合い、正体不明の精霊術師と肩を並べて坂道を上っている。 現実感のなさに、思わず乾いた笑いが漏れた。
「……歩けるかい、少年」
「歩けるっス。座り込んでたら余計にキツくなりそうなんで」
軽口のつもりだったが、声には自分でもわかるくらい張りがなかった。イゾルデはそれ以上何も言わず、ただ隣に並んで歩き出した。
規制線のロープをくぐり、町へと続く坂道を上る。行きに見た朝焼けの名残はもうどこにもなく、高く登った太陽の光と乾いた土埃の匂いが立ち込めていた。
先ほどの戦闘音を聞いて寄ってきたのだろう、帰り道にすれ違う炭鉱夫たちが、遠巻きにこちらを窺っては何事か囁き合っている。無理もない、坑内から聞こえてきたであろう轟音は、それだけ町中に響き渡ったはずだ。
しばらく無言で歩いていると、脳裏にまた、あの光景がちらついた。
崩れた我が家。倒れた父の背中。母の悲鳴。そして、瓦礫の向こうへ引きずり込まれていく、姉の手。
「……イゾルデさん」
足を止めずに、アルフはぽつりと切り出した。
「その核……解析が進めば、そのうち分かることなんスよね。その人工霊獣ってのが、どうやって出来てるのか」
「ああ。核の構造自体は、いずれ細部まで判明するだろうね」
「その……前に一度、噂で聞いたことがあるんスけど。霊獣の中には、人を取り込んじまうやつもいるって…霊獣狩りを返り討ちにしたら、そのまま喰っちまうんだって」
イゾルデが一瞬、値踏みするような目でアルフを見た。噂で片付けるにしては、踏み込みすぎた聞き方をしてしまったと、アルフ自身も気づいていた。
「何処で聞いたか知らないが、噂は噂だよ」
イゾルデの答えはにべもない――ように聞こえた。だが、一度突き放すような言葉を選んでおきながら、イゾルデの目に何かを吐き出したい衝動をアルフは見て取った。あるいは本人も気づいていなかったのだろう、イゾルデは一拍置いた後言葉を漏らす。
「だが、噂がいつも嘘であるわけではない。稀にだが、霊獣の中には『素養のある』人間を取り込んで力を増す個体がいる、という記録が実際にある。全ての霊獣がそうであるわけではないし、少なくともさっきのやつはそんなそぶりは見せなかったけどね」
「……そうスね」
二人の間にまた沈黙が横たわる。何分ほどそうして歩いていただろうか、
「――10年前、俺には両親と姉がいて……この町の近くにでかい霊獣が一匹現れたんス、そいつは町を荒らしまわってたくさんの人を殺して回って、そして俺の家のところにも来た」
アルフがとつとつと話し出した。脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇る。崩れた家の屋根。土埃の向こうから響く、聞いたこともない獣の咆哮。家の梁が崩れ、自分だけが瓦礫の下敷きになったが、幸か不幸かそれがアルフだけを怪物の視線から隠した。
「親父とお袋も殺されて……そして姉貴はいなくなった。あの場に家族全員が揃ってて、それでも俺だけが、五体満足で生き残った」
瓦礫の隙間から覗いていた、父の手。動かないその色。母の悲鳴は、途中でふつりと途切れた。そして、瓦礫の向こうへ引きずられていく姉の悲鳴。
姉は何かを叫んでいたはずだが、その声はもう夢でしか思い出せない。覚えているのは、ただ、その間に自分が指一本動かせなかったという事実だけだった。
イゾルデは何も言わず、表情も変えないまま、ただ横顔でアルフの言葉を受け止めていた。
「あん時も王都に応援を頼んだらしいっス。でも、来るまでに半月以上もかかった。半月スよ?その間、町の連中も、俺だって何もできなくて……全部終わった時には、姉貴は死体も残っていなかった」
家族のかたきとなった霊獣自体もその死にざまを見たわけではない。討伐されたと後から大人たちが言っていたが、だとしたら姉はいったいどこに行ってしまったというんだ?
坂道の途中で、アルフはようやく足を止めた。振り返らずに、ただ前を見据えたまま続ける。
「だから、今回みたいに、さっさとここまで来てくれて、あんな力見せつけられるとさ……複雑なんだよ。素直に、良かったなんて思えない自分もいて…あの場にアンタがいてくれれば、姉貴も助かったのかもしれないって」
全部言ってしまってから、アルフは自分の声が思ったより平坦だったことに驚いた。何年もかけて、感情の角を削り取ってきたのかもしれない。
その言葉に、イゾルデは口を開きかけて、そのまま閉じた。何か言おうとして、ふさわしい言葉が見つからなかったのだろう、かぶりを振る。
「……すまない。私が何を言っても、言い訳にしかならないだろうけど」
「別に、あんたが謝ることじゃないっスよ、こっちも八つ当たりだから」
アルフは肩をすくめたが、内心では自分でも驚くほどの苛立ちが渦巻いているのがわかった。目の前のイゾルデが悪いわけではない。十年前、まだ子供だったはずのこの女に、何ができたわけでもないだろう。
頭ではわかっている。しかし一度内心に火が付くと、疼く過去の記憶がこの精霊狩りを責めるようアルフを駆り立てずにはいられない。
「王都の連中は、いつもそうなんだろ。被害が出てから、ゆっくり腰を上げる。今回はたまたま期日通りに来てくれただけで──次も同じとは限らないっスよね」
「そう言われても、仕方ないだろうね」
イゾルデの声は、飄々とした調子からは遠く、硬く沈んでいた。
「王都にも事情はある。派遣できる霊獣狩りの数は限られているから……だが、それを君に説明したところで、何の慰めにもならないだろうね」
「わかってんなら、それでいいっス……こっちも変なこと話しちまって」
アルフはそれ以上その話を続けず、また歩き出した。イゾルデも、それ以上は何も言わずについてきた。
◆◇◆
町役場に着く頃には、二人の顔にはすっかり疲労の色が濃くなっていた。精霊狩りが帰ってきたと聞き、息せき切って出てきた町長は、二人の姿を見るなりいつもの調子で捲し立てようとして──アルフの表情を見て、珍しく言葉を飲み込んだ。
「……お、おお。ご無事で、何より、でございます。いやはや、坑道の方から何やらものすごい音が聞こえてきて、この老いぼれ、生きた心地がしませんでしたぞ、なにせあの轟音たるや、5丁目のマイケル爺さんが誤って二階から金ダライを落とした時よりもなおうるさい──」
「件の霊獣は片付きました。それについての詳しい報告は後にまた」
イゾルデが遮るように告げると、町長はぴたりと口を閉じ、こほんと一つ咳払いをした。
「……失礼いたしました。それで、坑内の状況は」
「一つお伝えしておきたいことがあります。今回の一件は、ただ霊獣一匹を退治するだけでは済まない話となりました。追加調査が必要となります。恥ずかしながら私一人の手には余る事態です」
町長は誰の目にもわかるほど青ざめた。
「そ、それは……この町は未だ安全ではないと、そうおっしゃるのですか」
「その通りです。精霊濃度が安心できる水準になるまでは、新たな霊獣が発生する可能性もありますし、心苦しい話ですが安全が確認できるまではもうしばらく坑内への立ち入りは厳につつしんでいただきたい。つきましては」
イゾルデはそこで言葉を切り、アルフの方を見た。
「アルフレッド君に、引き続きご協力いただきたく存じます。技師としての彼の知見がなければ、私一人ではここまで辿り着けませんでした。今後の調査にも、彼の力が必要です」
町長は目を丸くしてアルフを見た。アルフ自身、面と向かってそう言われると、どんな顔をすればいいのかわからなくなる。
「あの、彼が、でございますか……いえ、決して能力を疑うわけではございませんが、なにぶんまだ半人前の見習いの身。霊獣狩り様のお手を煩わせるには、些か荷が重いのでは……それに、こいつにも役場に本来の仕事がありまして、雑用、じゃなくて修理係としての都合というものも──」
「町長」
アルフは静かに口を挟んだ。
「俺がやりたいんです。それに――『精霊狩り』様のお墨つきスよ、文句あるんスか」
その物言いに、町長は毒気を抜かれたように口をつぐみ、それから何度か瞬きをして、諦めたように肩を落とした。
「……わかりました。いえ、決して悪気があったわけでは。まあ、この機会に、少しは仕事のできる男になってくれれば、こちらとしても万々歳というものです」
「そりゃどうも」
棘のある返事に、町長は気まずそうに視線を逸らした。それでも早々に気を取り直したのか、いつもの調子で、
「町としても、正式にお二人へのご協力をお願いする形にいたしましょう、つきましては書類の方も追ってご用意させていただきますので──」
と、また長々しい前置きを再開しかけていた。イゾルデがやんわりとそれを遮り、話を切り上げる。
「書類仕事は急ぎではありません、現実の早期解決が先決でしょうね。それと、鉱山が未だ再開できないとなれば納得できない方もでてくるでしょうが、住民への周知と説得もそちらで行っていただけますか?」
「か、かしこまりました。すぐに手配いたします」
町長は弾かれたように駆け出していったが、すぐに立ち止まり、恐る恐る振り返った。
「あの、失礼を承知でお伺いしますが……今後、また今日のような事態は」
「否定はできません。だからこそ、備えが必要です」
イゾルデの返答に、町長は顔の青さをさらに濃くして何度も頷き、今度こそ小走りに去っていった。
その様子を横目に、アルフは自分の中にある、二つの理由を静かに噛みしめていた。
一つは、表向きの理由。技師として、未知の技術に関わる好機を逃したくない、いっぱしの技師として認められたいという、単純な欲。それもまた真実の理由であり、誰かにそう聞かれれば、迷わずそう答えるつもりでいた。
もう一つは、誰にも言うつもりのない理由。──あの核を調査する中で、もしかしたら、姉につながる手がかりが見つかるかもしれないという、消せない予感。十年間、探しても探しても見つからなかった手がかりが、まさかこんな形で目の前に転がり込んでくるとは思ってもみなかった。
馬鹿げた話かもしれない。自分の姉を奪ったあの霊獣とイゾルデの持つ人工精霊核に関係があるのかどうかも分からない。だが、この機会を逃せば、二度とこのようなチャンスは巡ってこないかもしれないとアルフは直感していた。だとすれば、多少の危険や面倒くらい、なんだというのだろう。
「では、正式に。よろしく頼むよ、アルフレッド君」
物思いに沈んでいたアルフの前に、イゾルデが右手を差し出してきた。土と煤で汚れたその手は、駅で見た時のような優雅さはもうどこにもなかったが――
「……こちらこそ。よろしくっス、イゾルデさん」
アルフはその手を握り返した。硬く、まだ微かに震えている手だった。自分の手も、大差はなかった。
そういえば、と、イゾルデがふと思い出したように口を開く。
「明日から、当面は君の工房を借りることになると思う。核の初期分析には、機材も場所も要るからね。迷惑をかけるが、頼むよ」
「別に、迷惑ってほどじゃ……師匠には俺から話しとくっス」
「師匠、ね。一度会ってみたいものだ。君をそこまで育てた人物には興味がある」
からかうような口調に戻ったイゾルデに、アルフは思わず顔をしかめた。だが、さっきまでの重苦しい空気が、いくらか和らいだのも事実だった。
「……とりあえず、今日はもう休もう。君にはまだ話していないことも、これから話すべきこともたくさんあるだろうが──それは、また明日でいい」
「イゾルデさんこそ、その怪我」
アルフは、イゾルデの頬に薄く残った切り傷を指さした。霊獣の尾が掠めた時にできたものだ。
「ああ、これか。これくらい、精霊術師にとっては勲章みたいなものさ」
イゾルデは軽く笑ってみせたが、その笑顔にはやはり隠しきれない疲労が滲んでいた。二人とも、今日一日でとうに限界を超えていたのだろう。
役場の前で別れ際、イゾルデは片手を軽く上げた。
「また明日、少年」
「……はい。また明日っス」
その背中を見送りながら、アルフは自分の右手をもう一度見つめた。まだ、握手の感触が残っている気がする。
名目上は、危険な兵器の調査に協力する技師と精霊術師。
だが、その胸中には、他人には明かせない事情を抱えたままだった。




