第4話 坑道最奥にて、怪物と
四肢が、軋むような音を立てて持ち上がった。
石造りのアーチからバラバラと欠片が落ちる中、埋もれていた巨躯が完全にその姿を現す。亀のような分厚い甲羅を思わせる背、そこから生えた不揃いな四本の足、そして醜く歪んだ頭部。ひび割れた装甲の隙間という隙間から、霊獣の機嫌を現すかのように熱い蒸気が噴き出した。
「……マジかよ」
アルフの声は、自分でも情けなくなるほど掠れていた。
「下がって!」
イゾルデの叫びとほぼ同時に、怪物の口が大きく裂けるように開き、獣とも金属ともつかない咆哮が轟いた。震動が足元まで伝わり、アルフは思わずよろめく。
「私が引きつける。アルフ君、君は前に出なくて結構――”火龍の尾鞭”!」
イゾルデが前に出て呪文を唱えると同時に、立て続けに三度、赤い閃光が怪物の甲羅に叩きつけられる。
爆音と共に破片が飛び散るが、怪物はひるむどころか、むしろ苛立ったようにその巨体を大きく振るった。振るわれた前脚が空気を裂き、イゾルデはそれを紙一重で後ろへ飛びのき躱す。
「硬っ……思ったよりずいぶん頑丈じゃないか、厄介だな」
追撃をかけようとしたイゾルデだったが、怪物の尾がうねるように地面を叩いたことで振動に足を取られ、集中が途切れる。霊獣は再び咆哮を上げながら彼女の方へ向き直った。
真正面から睨まれる形になったイゾルデが、一瞬だけ足を止める。装甲の隙間から漏れる赤黒い光が、まるで嘲笑うかのように揺らめいている。
「まいったな、正面からじゃ埒が明かない……」
一方で、アルフは距離を保ちながらも、その目で霊獣の巨体を必死に観察していた。全身を覆う装甲は分厚く、何処にもほころびは無いように見える……だが、何度目かの瞬き越しに、ふと違和感を覚えた場所があった。
「イゾルデさん!あそこだ、右前脚の付け根!他と装甲の継ぎ目が違う……!」
「──確かにな、君は目ざといぞ、少年!」
イゾルデは口の端を上げると、間髪入れずに次の詠唱に移った。「”風精の大太刀”!」
急速に空気の冷える感覚があたりに巡り、次の瞬間にはばくんと音を立てて装甲の継ぎ目が切り開かれた。怪物は初めて苦悶するような声を上げてよろめく。開いた装甲から、筋肉のように赤い配管が束になって走っているのが見て取れた。
「見えたぞ、”火精の赤熱”!」
イゾルデが叫ぶと同時に、輝点が怪物の開いた傷口の前で急速に膨張し爆発した。砕けた地面が土埃となって舞い上がり辺りを隠す。
それが晴れた時、霊獣の傷跡には――爆発の効果は何も見られなかった。
「…なんだって?」
間の抜けた声を上げるイゾルデをよそに、霊獣は憤怒の雄たけびを上げた。
突如、周りの空気が異常に熱く乾いていく。霊獣の口元に火球が点り、錆びた金属が擦り合わされるような厭な音とともに膨張し――
「まずいぞ…アルフ君こちらに寄れ!」
イゾルデの声はほとんど絶叫に近かった。アルフは急いでイゾルデのもとに近寄る。
「”水精の硝子壁”!」
イゾルデの詠唱とともに周囲をドーム状に囲う様に薄水色の膜が現れた。それから一瞬遅れて霊獣の口から凄まじい勢いで炎が溢れ出す。
周りのすべてがオレンジ色の光に包まれ、アルフは悲鳴を上げた。焼けた鉄板に水が零れた時に似た凄まじい音と、目を閉じてもなお眼球を貫くような光が、自分達が焼き尽くされる時まで永遠に続くようで…
目を開けた時、アルフとイゾルデの周りだけは何も起こっていなかった。先ほど現れた膜はすでに消えていたが、その内側は嘘のように元の状態を保っている。
外側は違った。地表は熱せられ、境がわかるほどに白く変色していた。いたるところで炎が燃え盛り、陽炎が視界を歪めている。
「し…死んでない?」
アルフはペタペタと体を触り、自らの無事を確認する。何やらわからないが、恐らくイゾルデの精霊術があの破滅的な炎から自分たちを守ってくれたのだろう。
「まいったな…本当にまいったぞ、これは」
そのイゾルデはといえば、表情からはすっかり余裕が剥がれ落ち、ぶつぶつと何事か繰り返していた。その様子に、アルフの心の中で絶望的な気分が膨らんでいく。
急に、はじかれたようにアルフがイゾルデに向き直る。その瞳は、先ほどまでの軽口ばかりのころからは信じられないほどの真剣さが感じられた。
「アルフ君、霊獣はこちらだけで対処すると言った手前、恥ずかしいことではあるんだが……力を貸してくれないか」
「え?」
「あの脚の配管だよ。恐らくあれはこの霊獣の核につながる弱点なんだろうが……さっきも見ただろう、精霊術に耐性を持っているのか私の力では壊せそうにない」
イゾルデはそこでいったん言葉を切ると、一瞬だけ目を逸らしてまたアルフに向き直る。
「君の技師としての目と手が頼りだ、君が怪物の足元に潜り込んであの配管を壊してくれ」
「……本気で言ってるのかよ?」
困惑しきりでアルフは呻いたが、イゾルデの口調は冗談を言っているようにはみられなかった。
「本気も本気だ、奴は先ほどの攻撃でかえって消耗している。安全に行くなら今君に頼むしかないんだ」
「そんな………」
アルフの脳裏に様々な思い出がよぎっては消えていく。これは走馬灯というやつかもしれなかったが……。
アルフはイゾルデの目を見返した、走馬灯が落ち着くにつれ、胸の奥からふつふつとやけっぱちな勇気が湧きだしてきた。
「……やるよ」
アルフは腰に下げていたスパナを持つ。肩に提げていた道具箱はいずこかに行ってしまった。頼れるのはもはやこれ一本だ。
「いいよ、やりゃあいいんだろ!ここであいつに焦げ肉にされるよりはましだ!死んだら化けて出てやるからな!」
自分でも何を叫んでいるかわからないまま、イゾルデの返事を待たずにアルフは走り出していた。
霊獣は炎を吐ききってからすっかりふらついていた。アルフは怪物の脚の隙間に飛び込むと、露出した配管の束にスパナを思い切り叩きつける。
しかし、一撃目は硬い金属に弾かれ、手のひらに痺れるような衝撃だけが残った。
「くっそ、マジで硬いぞこいつ……」
もう一度振りかぶった瞬間、霊獣の巨体がぐらりと傾いだ。均衡を崩したそれが、そのままアルフの頭上に倒れ込んでくる。アルフの感覚時間は大きく引き伸ばされ、自らをぺしゃんこにするその巨体がこちらへ近づいてくるのをゆっくりと見ているしかなく――
「”火龍の尾鞭”!」
イゾルデの声と同時に、小さな閃光がアルフの頭上を掠め、傾いた巨体の側面を弾く。完全にではないが、わずかに怪物の軌道が逸れる。アルフはとっさに横へ転がり、危うく圧し潰されるのを免れた。
「っ……サンキュ、助かった」
「礼はいい、早く配管を!」
言われるまでもない、アルフは素早く体勢を立て直すともう一度巨体の足元へ潜り込んだ。
配管と配管が絡まる間に、それぞれの継ぎ目が密集している個所をアルフは見つけた。そこにスパナを突っ込み、てこの原理で思い切り持ち手に体重をかける。
何本もの管が悲鳴じみた音を立てて破断し、蒸気と共に淡い光がどっと吹き出した。
「……うわっぷ…っ!」
蒸気をもろに浴びたものの、それは思ったよりも熱くはなく、アルフは飛びすさってそこから離れた。
霊獣の巨体が、目に見えて力を失っていく。もはや自らの重みすら支えきれないというように怯えた咆哮を上げ、その場に沈み込んでいく。足元から、輪郭が少しずつ朧げに崩れていくのが見えた。
「離れて、アルフ君!仕上げだ!」
アルフが弾かれたようにさらに遠くへ飛び退くのを確認すると、イゾルデは手甲からガラス管を何本もむしり取り、強く握りしめた。これまでとは比べ物にならない量の精霊が、彼女の指先に集束していく。
「”火精の断罪”!!」
視界が真っ赤に染まった。爆発というよりは、太陽そのものが降ってきたかのような閃光と衝撃波。アルフは咄嗟に目を庇い、地面に伏せる。
轟音と、その残響が去った後に残ったのは、痛いほどの静寂だった。おそるおそる顔を上げると、怪物だったものは跡形もなく消えていた。ただその中心にあった場所に、黒く煤けた金属の塊だけが、ごろりと転がっている。
「……終わった?」
膝の力が抜け、アルフはその場にへたり込んだ。手が震えている。今更になって、恐怖が遅れて追いついてきたようだった。
イゾルデもまた肩で息をしながら、ゆっくりと金属塊に歩み寄る。膝をつき、煤けた表面を布で拭うと、複雑に組まれた歯車と配管、そして中心に小さな結晶が埋め込まれた一つの機関のようなものが現れた。
「これは……ははっ、こいつは凄いぞ、少年」
その声には、これまでにない緊張が滲んでいた。緊張のあまり、笑い声にすら感じられるような。
「これは一生に何度も見られるものじゃないよ、これは──人工精霊核だ」
「人工……?」
「精霊を人為的に凝縮させて、さっきみたいなとんでもない化け物を作り出す技術さ。今の時代には、もう作れる者はいない」
イゾルデはその人工精霊核とやらを手にもち、まじまじと見つめた。その横顔には、アルフには読み取れない複雑な感情が浮かんでいる。
「……この炭鉱に、こんなものが眠ってたなんてね」
「そんなに珍しいものなんスか、それ」
「珍しいなんてものじゃないよ。先の戦争が終わってから、もう百年は経つ。核の製造技術は失われて久しいし、稼働状態のものが見つかること自体、この十年で両手の指に収まるかどうかってところさ」
イゾルデの声には、未だ取り去れない緊張と、それに勝るとも劣らない知的好奇心の色が滲んでいた。
「その、先の戦争って……昔、大陸全土に、王都みたいに精霊がいっぱいあった時代の話スよね」
「そうさ。その時に使われて、我々の世界から精霊を吸い上げてしまった原因が、この小さなオモチャだ。負けた方はこいつのせいで国土から精霊が失われて滅び、勝った方もその後の混乱で国土を失って、精霊が満ちているエリアにへばりついて残ったのが今の王都さ──皮肉なものだよ」
「……そんな昔の兵器が、なんでこんな田舎の炭鉱にあるんだか」
「さあ。それを調べるのも、これからの仕事の一つだね。まあ、より重要なタスクは、この核がまたすぐに起動することがないというお墨付きを得ることだが」
「解析でもするンすか?あんた一人で」
問われて、イゾルデはアルフを振り返った。
「専門の技術者が要る。もちろん私一人でも基礎的な分析くらいはできるが、機械的な構造の細部までは、正直厳しいね」
「なら、俺にもやらせてほしい」
思わず口をついて出た言葉に、アルフ自身が一番驚いていた。だが、口にしてしまえば、それは紛れもない本心だった。
ここに来る前にイゾルデにかけられた言葉がよみがえる。いっぱしの技師。いまだに半人前扱いされて軽んじられている自分には、『精霊術師と共同して過去の遺物の調査』などという輝かしい経歴はあまりにも魅力的に感じられた。もちろん、純粋に技術的な機構についての興味も尽きないし、それに――
「……本気かい?厄介事に首を突っ込むことになるよ、これまで以上に」
「今更っスよ。さっきまでのが厄介事じゃなかったなんてまさか言わないスよね」
アルフが肩をすくめてそう返すと、イゾルデはしばらく黙ってアルフを見つめていたが、やがて小さく笑って頷いた。
「ありがたいな。私はどうにも機械とかそういったものには疎くてね。さっきだって、あの継ぎ目に気づけたのは君だけだった」
「そんな、大したことじゃ」
「大したことだよ」
イゾルデの声は、珍しく茶化す気配がなかった。
「精霊術だけじゃ、機械的な弱点までは見抜けない。今日、それを思い知らされたのは私の方さ」
核を丁寧に布で包みながら、イゾルデは付け加えた。
「一人でやるより、二人でやる方がいい成果がでるだろう。今日みたいにね」
その言葉に、アルフは驚いたように瞬きをした。今までのイゾルデの態度からは、どこか一歩引いた、対等とは言い難い距離感があった。年下をからかう余裕、経験の差、立場の違い──それらが、当然のようにそこにあった。だが今の一言には、それとは違う響きがあった。
「……悪くないっス、その言い方」
小さく笑い返すと、イゾルデも満足そうに口の端を上げた。
二人は包んだ核を丁重にアタッシュケースへ収めると、崩れた広間を後にした。来た道を戻る足取りは、行きよりもずっと重い。それは全身にのしかかる疲労のせいだけではないのだろう、アルフは脳裏の片隅に昔の記憶を思い起こしていた。
霊獣。あの怪物。力のない人間をたやすくひねりつぶす巨大な暴力。
十年前のあの日。倒れた父親の影。ちぎれた母親の腕、そして姉の叫び声…。
(人工精霊核……)
坑口の光が見えてくる頃には、朝の眩しさはすでに薄れ、日はいくらか高く昇っていた。アルフは眩しさに目を細めながら、先ほどの戦いの最後を思い出す。
あの中に眠っていたものは、本当にただの機械だったのだろうか。
アルフの耳にはまだ、あの霊獣が消える間際に放った、一瞬の──人間のもののような、悲鳴の残響がこびりついていた。




