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第2話 霊獣狩りのイゾルデと、坑道入口にて

 町を覆う朝もやの中に、崩れかけた炭鉱の坑口が黒々と口を開けている。

 アルフは寝不足の頭を抑えながら、その黒穴に向かってのそのそと坂道を下って行った。昨日まで、この道を歩くのに何の感慨もなかったが、今日は妙に足取りが重い。


 昨夜はほとんど眠れなかった。町長に呼びつけられ、急に霊獣狩り様に身柄を貸すことになったと告げられてから、頭の中は理解不能な展開に巻き込まれた気持ち悪さでいっぱいだった。


 坂の途中で振り返ると、駅の方角に、まだ淡い朝焼けが残っているのが見える。あの女――イゾルデが降り立った駅の光景が、脳裏にちらついた。

 機関車の吐き出す白い蒸気、ホームに降り立った彼女がはためかせる外套の動き、そして笑ったこちらを咎めるかのように見せたあの笑み…。


「…妙な奴だよな、なーんか」


 考えてもモヤモヤに答えが出ることはなく、アルフは首を振って雑念を追い払った。


 仕事道具の詰まったショルダーバッグを担ぎ直し、坑口の手前で足を止める。

 そこには霊獣が暴れまわった後がありありと残されていた。周囲には既に規制線としてのロープが張られ、崩れた家屋の残骸からは壁に使われていた石材が血飛沫のように飛び散っていた。


 焦げた木材と、それとは異質な、鉄が焼けたような匂いが入り混じっている。アルフは瓦礫の間を縫うように歩きながら、崩れた壁の断面に手をかけた。石造りの壁は半分以上が崩れていたが、残って立っているものもまるで爪で抉られたようにひしゃげている。


 人の力では絶対に出せないであろう傷だ。このような破壊を及ぼす怪物の攻撃を人間がまともに喰らえば、五体を満足に保っていられるかは極めて難しい所である。

(…で、そんな化け物がうろついてる炭鉱に俺も突っ込めだって?)


 霊獣のもたらした被害の大きさを見ても、英雄的な勇気は全く湧いてこない。聞き間違いかいっそ夢であってほしいという後ろ向きな気持ちだけが頭の奥からドロドロとたれ落ちてくるだけだった。


「おーい、そこの少年、お早いお着きだね」


 声のした方へ向き直ると、イゾルデが崩れた壁の陰から姿を現した。先に現場の調査を行っていたのだろうか、昨日の優雅な外套の代わりに動きやすそうな作業向けのコートを羽織り、右手には昨日と同じ無骨なアタッシュケースを提げている。


「お前が一番遅くついてどうする、アルフ! クレーターズリム町役場において一番の期待株兼下っ端であるお前に求められるところは日も登らぬころから満面の笑みを浮かべてスキップしつつ後続のお客様にカーペットを――」


 ついでに町長も一緒だった。

 いつもの極めて恰幅の良い体格(好意的表現だ)に昨夜と同じ…というには妙に汚れの少なく小綺麗なスーツを羽織り、相も変わらず冗長で半分も意味がわからぬ言葉を並べ立ててくる。


 何はともあれ、霊獣狩りのイゾルデに身柄を預けられてからの初日はこのようにして始まった。




◆◇◆




「ええ、霊獣狩り殿に置かれましては我々のような木っ端どもなどはかえってお仕事の邪魔かとは存じますが、んまぁどうしても炭鉱内部を案内できる無傷の人員となると限られてまいりまして――」


 長ったらしい町長の発言を要約するとこうだ。現在、危険極まる霊獣の巣くう炭鉱内部を迷わずに案内できる人員は、最近、坑道での機材修理を経験したアルフだけである。

 他の頼れる炭鉱男どもはみな襲われて負傷しており、彼以上に動ける人員はゼロだからだ。


 おまけに坑内の地図は何か月も前から担当者が更新を忘れていたため、現在の鉱山内部を迷わずに探索するには心もとないという。

 そして霊獣を退治する力を持っているのはイゾルデだけであるので、必然的にアルフは彼女と二人きりで炭鉱に突入しなければならない。

 証明終了である。逃げ場はなかった。


 町長は説明を終えると、話しつかれたのだろう、ハンカチで額の汗をぬぐい、


「霊獣狩り殿の凱旋を我ら一同心よりお待ちしております」


 等と最後に残して役場の方へ逃げるように去っていった。


「なんか…あの人の前のめり加減からするとこのままついてくるんじゃないかと思ったけど、そうでもなかったね。案外素は引っ込み思案なのかも」

 苦笑しながら、遊ぶようにイゾルデが足元の瓦礫を軽く蹴り飛ばす。

 煤煙の香りがまだ薄い朝の空気と、どこかでちちちと鳴いている鳥の鳴き声は、彼女の牧歌的な行動によく似合った。周囲の惨憺《さんさん》たる廃墟に目を向けなければ。


 町長の言葉が嘘だったわけではないだろう、むしろ混じりっけなしの本物だ。

 今この町で、この目の前の破壊をもたらした怪物を、それ以上の何らかの力でねじ伏せられるのは目の前の女だけなのだろう。だがそれは、一般人であるアルフや町長にとっては遠目から見て喜びたいものであって、隣で巻き込まれることになってはたまったものではない。


 仮に今ここで鉱山から急に霊獣が飛び出してきたとして、精霊狩りがうっかり獲物を素通りさせたりしたら後ろにいる自分はおしまいである。

 あるいはこの女が急に頭がおかしくなってアタッシュケースの角でこちらの頭をぶん殴ってきても同じ程度にはおしまいだろうが。

 要するに死という言葉すら脳裏にチラつく恐るべき業務に、アルフは事前の了解もなく従事させられる羽目になったのである。


(町長のやつ、本当はこの機会のついでに俺を抹殺しようとしてるんじゃないのか? 一線を越えるようなことはさすがに言った覚えないけど…)

 等と勘ぐってはみるが、実際のところは別にこっちのことを深く考えずに都合の良い使い走り扱いしただけだろう。余計に情けなくなる話ではある。


 ふと気が付くと、イゾルデが近くに寄って来ていた。崩れた壁の断面を指先でなぞりながら、値踏みするような目でアルフを見てくる。得体のしれない女の、光るヘーゼルの目に見つめられて、アルフは身体をしゃちほこばらせた。


「改めて、君にとっては降って湧いた厄介事かもしれないが、こちらも初めて入る坑道を迷わずに進む自信は無くてね。よろしく頼むよ、アルフレッド君」

「……アルフでいいっス。長ったらしいんで、霊獣狩り様」

「そうかい。じゃあアルフ少年」


 イゾルデはそう言うと、固まったアルフの額をほぐすように人差し指でぐい、と突いた。


「私のこともイゾルデと呼んでほしいな。『霊獣狩り』なんて物騒な名前で呼ばれるのはちょっと勘弁してほしくてさ。それにどちらかといえば…職業名は『精霊術師』の方が個人的に通りがいい」


 イゾルデは指を戻し、アルフに向かってへたくそなウィンクをする。


「精霊術師…」

「そ、知らないかい?まあ精霊の枯渇したこの地帯ではまず見かけることはないだろうから、ここでは『霊獣狩り様』よりネームバリューは下だろうけどね」


 イゾルデの軽口にアルフは答えず目を逸らした。

 知らないわけではない、むしろ《《町にいる他の人間より良く知っているのだ》》。


 イゾルデはアルフの様子に特に注意を払う様子も見せず、あたりを見分しだした。


「さて、案内してもらう前に、少し現場を見せてもらおうか。この規模の破壊は久しぶりに見る、興味深いね」


 イゾルデは崩れた壁の前にしゃがみ込み、瓦礫の隙間から覗く土を指先ですくった。何かを確かめるように匂いを嗅ぎ、目を細める。アルフもとりあえず同じようにやってみたが、鼻孔をくすぐるのは、ただの焦げた土の匂いだった。


「ふむぅ…そう、さっきも言ったように精霊は今は既に大陸の殆どで枯渇して久しいんだよ、かつてはあまねく世界に遍在していたというけどね。霊獣というのは私たちの身体が肉でできているように精霊が凝集して身体を形作るんだが…」

「枯渇って言っても、場所によっては精霊濃度の濃淡があるって聞きますよ」


 アルフが思わず横から声を出すと、イゾルデは口を開けたまま片方の目を大きく見開いた。そして、


「おおっと」


 出来のいい生徒を見つけた先生のような――悪くとらえるならば大型犬が振り回しがいのあるおもちゃを見つけたような表情で、ニヤニヤを顔じゅうに広げた。


「正確性に欠けた物言いに訂正だ、アルフ少年は賢いな。10点あげるぞ」

「そっスか」


 何の点数だか知らないが、アルフはとりあえずその栄誉に無言で浴する。


 アルフはイゾルデと話しているうちに、イゾルデが昨夜町長たちに見せていた慇懃な姿と比べると妙に調子に乗っているというか、こちらをうっすらと舐めているようにさえ思えてくる態度にいらだちを覚え始めていた。


(こいつ、思ってたより不真面目っていうか面倒くさいやつなんじゃないだろーな…)


 よくよく考えると、昨夜到着してからここにくるまで、この女が霊獣を狩るための技とか、こちらを感心させるような技術とか、そういったものを繰り出すところも見ていない。町長たちからの又聞きすらない。

 ひとたびそう思うと、ごつくてゴテゴテしたアタッシュケースも自分たちを担ぐための詐欺の道具なんじゃないかと思えてくる始末である。


 アルフの懸念をよそにイゾルデは話し続けていた。興が乗ってきたのだろうか、白い肌にほんのりと赤みがさしているのが見て取れた。


「そう、確かに精霊は完全に枯渇しているわけではないけどね…ここみたいな『枯渇地帯』では誤差みたいなものさ。少なくとも昨日私が駅を降りた時には、霊獣が発生する濃度には何処に行っても満たないだろうと確信できるほどだったよ、それほどに薄い」


 イゾルデの話を半分聞き流しながら、アルフはイゾルデの立ち位置からやや離れた家の残骸をぼんやりと眺めた。

 崩れた家はかつては炭鉱員の休憩スペースだったのだろう、残骸となってもまだ生活の痕跡が残っていた。ひしゃげた鍋、片方だけの靴、バラバラになった机の隙間をびっしりと瓦礫が埋め、小山のように盛り上がっている。


「なのに、こんな破壊を及ぼす霊獣が身体を構成するには相応の濃度が必要になる。実際にここに入ったとたんに精霊がそこかしこから匂うしな、妙な話だよ」

「え、精霊が匂う…って、いったい」


 この状況に似つかわしくない単語をアルフが聞きとがめる。それと同時に――


「少年、伏せろ!」


 イゾルデが叫ぶと同時に先ほどまで見ていた瓦礫の小山がさらに盛り上がる。

 一拍遅れて、瓦礫を吹き飛ばして赤黒い何かが飛び出してきた。


「うああああああああああっ!?」


 イゾルデの叫びに反応できたわけではなかった。むしろよくわからない物体がこちらに跳んでくるのを見てから、アルフはようやく身体的な反応を見せた。要するにその場に尻もちをついたのである。


 反応が遅れれば襲われていたかも知れない、というのは恐怖による思い違いであったらしい。飛び出してきた物体はアルフの頭のかなり上をそのまま通り過ぎた。例え立ったままだったとしても、顔にかぶりつかれることはなかっただろう。


 自分の後ろに音を立てて着地した何かに、アルフはあわてて向き直り、そして自らを脅かした存在の姿を見た。


「…何だよ、アレ……」


 靄のかかった四足歩行の獣だった。それ以上の詳細はアルフにはわからない。見ても理解ができなかった。


 大きさは牡鹿ほどだが、その輪郭は定まることなく変化を続けている。狼、羊、蜥蜴、蛙、大きな角を持つ見たこともない何か…時折その中に、獣とも鳥ともつかない骨格が透けて見えた。

 そして、変化するどれのものとも判別がつかないうなり声からは、あからさまにこちらに敵意を向けていることがわかる。


「早速の歓迎じゃないか」


 イゾルデの声が、余裕こそ崩していないものの、これまでとは違う硬さを帯びる。

 アルフは思わず後ずさった。だがイゾルデは動じることなく、ただ左手を軽く持ち上げる。


 そこでアルフは初めて気が付いた。イゾルデの左腕には革の手甲がついている。それ自体は特異なものではないが、手首より下側には色とりどりのガラス管がベルトのようにじゃらりと巻かれていた。


「姿形も定められない生まれたてか、だが、こちらを襲ってきた以上は――」


 怪物が今度はイゾルデに向けてとびかかってくる。イゾルデは左手の中指と人差し指2本だけを相手に向けて伸ばし、


「”火精《アグニ》の赤熱”!」


 短く叫ぶ。ガラス管の帯から一本が色を失い、パンと音を立てて割れて落ちていく。


 同時に怪物の面前に赤い輝点が現れ、瞬きする間もなく膨張した。そして弾ける。ボイラーが加圧され過ぎてシリンダーが吹っ飛んだ時を思い起こさせる轟音と衝撃。

 視界がぱっと赤と白の光で埋め尽くされ、アルフは思わず目を閉じた。一瞬遅れて獣の悲鳴……。


 アルフが目を開くと、不定形の獣は頭と思しき部分を吹き飛ばされ、イゾルデの前に転がっていた。ピクリとも動かない。


「い、今…いったい、何やったんだ?」


 本人なりの敬語を使うことも忘れてアルフはイゾルデに問いかける。イゾルデはしばらく左手を振ると、


「今のが、」

 アルフに振り返り、こともなげに答えてみせた。

「精霊術師の技さ、少年」

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