第1話 蒸気に煙る駅にて
駅の構内は、町内有志の手によって徹底的に掃除されたにもかかわらず、いつもより一段と煤けて見えた。
等間隔に設置されたガス灯は既に全て灯されていた。それぞれの灯は不規則に揺らめき、その中で階差機関を内蔵した蒸気時計だけが規則正しいリズムで蒸気を吐き出す。
太陽は既にその姿を消し、地平線にわずかにオレンジ色を残すのみとなった時間帯である。
駅のホームでは野次馬たちが乗降場からは少し離れた場所でざわめき、乗降場により近い場所では、町長他のお偉いさんがたが恰幅の良い体に仕立ての良いスーツを着こみ、神経質そうに打ち合わせをしていた。歓迎の言葉でも練習しているのだろうか。
アルフ・ジュニパーは、ところどころほつれて油染みが付いたままのモールスキンジャケットを羽織り、プラットフォームの端っこに置かれたベンチに座って蒸気時計の時刻を見つめていた。
サイズの合わないキャスケットを目深に被って菫色の瞳を隠すポーズを取り、これから到着する機関車とそれを待つ人間たちのドタバタには何の関心もないというようなふりをする。
「時刻表からは30分遅れ…そろそろ見えてくるころか」
アルフはぼそぼそと独りごちた。キャスケットからはみ出た金髪を所在無さげにいじくりまわし、その時を待つ。
ふと、石炭の燃える濃厚な焦げた匂いが鼻を突いた気がした。
どこからか小さく金属の軋む音が聞こえ、そのうち音は蒸気機関車の力強い駆動音へと変わっていった。
耳に刺さる汽笛の音が線路の向こうから響き、野次馬たちの喧騒が負けじと一層大きくなるのが聞こえてくる。
とうとう到着するのだ、霊獣狩りが。
◆◇◆
大陸の北西に位置し、詩情の欠片もなくクレーターズリムと名づけられたこの町は、人口こそ比較的多いものの、中規模な炭鉱と蒸気機関修理屋以外には大した産業的特色もなければ観光に適した地もない。
大陸鉄道網の終端に居心地悪く乗っかっているクレーターズリム駅は、週に一本往来する旧式機関車から二、三人乗り降りすれば景気の良い方で、普段は二日に一便の石炭運搬および郵便用貨物車の方がまだ乗車人数が多い始末であった。
そんな裏寂れたこの町は、ここ数週間で、例年の年間統計における数の十数倍の負傷者を出すこととなった。
霊獣の襲撃である。
一般的な野生動物とは隔絶した危険性をもち、各々が超自然的な能力を持つその生命体は、10年前に王都の主導した掃討作戦で、もはや人間に害をなす凶暴な個体は消滅したはずだった。
そんな怪物が町はずれの炭鉱入口に「湧いた」としか言いようのない唐突さで現れ、近くの家々を壊してまわった後に炭鉱内部に突入し、炭鉱内の設備をズタズタにして暴れまわり、見かけた炭鉱員達をみな傷つけて炭鉱奥へ走り抜けた。
青天の霹靂である。死者が出なかったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。
炭鉱は閉鎖され、クレーターズリムは収入源の半分以上を奪われた形となった。
今は炭鉱内に居座っているあの怪物も、いつ気まぐれを起こして出てくるものかわかったものではなく、万が一町の中心部へ向かってくれば、最近予算を削減された消防団くらいしか武力的な組織のないこの町では全く対応のしようもなかった。
町は恐慌一歩手前の騒然とした状況に陥り、町長は大陸東部の王都へ助けを求めて「騎士団でも大砲でも人でも機械でもなんでもいいので霊獣を叩きのめして炭鉱をまた再開させる為にお力をお貸しください」という内容を数十倍に希釈したような長々とした文を送ることにした。
それに対して王都から町への返答は極めて簡潔だった。
「霊獣狩りを一名派遣します。来週の便で到着。詳細は本人とご相談を」
◆◇◆
列車が停まり、真っ白い蒸気がプラットフォームに流れ込む。
その蒸気が風に流され、乗降場の視界が再びクリアになってようやく客室車のドアが開き、人影が一つ、ゆったりと降りてきた。
お偉いさんがたや野次馬の待っていた乗降口とは逆の端から出てきたため、その姿はアルフにはよく見えた。
アルフは意識して気にしないふりを続けようとしたが、それでも無意識に横目で観察してしまう自分に気づき辟易した。子供のころからの癖だ――抑えられない好奇心。
背の高い女だった。黒髪が肩甲骨のあたりまでまっすぐ伸び、曇り一つない銀色の髪飾りを一層目立たせている。
ガス灯の光を受けるヘーゼルの瞳には金と緑の輪が浮かび、そこには静かな知性を感じられた。
この町には存在すらしていなさそうな薄く滑らかな黒い生地の外套には、これまた見たこともない優雅な意匠が縫いこまれている。
その一方で、右手に持った不必要なまでに頑強そうなアタッシュケースと無骨な狩猟用ブーツを纏った足元がどうにも外套には場違いな印象を与え、身体の線をかえって華奢なものに見せていた。
まず間違いなくこいつが、王都からわざわざこんな辺境くんだりにまでやってきた霊獣狩り様なのだろう。
服装からして自分のような田舎者とは格が違う。優雅で隙のない歩き方は王都の洗練された空気をそのまま持ち込んできたかのようだ。
女はホームに降り立つと、辺りを物珍しそうに眺めまわし、一度だけ、ゆっくりと深呼吸すると……そのまま大きく咳き込んだ。
アルフの腹の中から思わず笑いの衝動がこみあげてきて、結局彼はその衝動に抗わなかった。豊穣で洗練された大陸東部からやってきたお方は、石炭と煤煙の香りには無縁だったはずだ。ここの空気はさぞかしキツいだろう。
何度か咳き込むと、女は視線を上げ――
アルフはぎょっとしてそれまでの笑みを思わず隠した。
女は笑っていた。
まるで懐かしい級友にあったかのように、咳を手で抑えながらも端から見える口角は上がっていた。
アルフは一瞬だけバツの悪そうな顔をした後、素早く視線をそらす。女がこちらを見ているわけでもないし、これだけ離れていればじろじろ相手を見たり笑ったりしたことには気づかれていないだろうが、それでも居心地の悪さはどうしようもなく感じてしまう。
(まあ、いいか。関わるのは役場の上の人だろうし、自分には喋ることも一生ないはずの相手だ)
「…自分みたいな下っ端の役立たずにはさ」
自分でも気づかないほどの小さな呻きが、アルフの唇から漏れだした。背中を丸め、ベンチに座ったまま小さくなる。
ようやく町長たちが自分らの見当違いに気づき、女の方へ歓声を上げてどやどやと近づいていった。
先ほど打ち合わせしていた通りであろう、仰々しい歓迎の言葉を述べる役場の人間たちに向かって、女は感じのいい微笑みを作る。
先ほどとは違う、作られた微笑みだとアルフにはすぐに分かった。
周囲の野次馬たち、すなわちクレーターズリムの住民たちの上げる声にも、隠しきれない安堵と期待が滲んでいる。老いた靴屋の主人が、目に涙を浮かべながら誰かと肩を組んでいるのが見えた。
アルフだけが、その輪の中に入っていかない。住民たちの盛り上がりと対照的にアルフは鬱々とした物思いに沈んでいく。
ああいった煌びやかな人間を見ていると自分の卑小さが際立ってくるように感じる。10年前のあの時にも――
(…もういいか。何だって自分から霊獣狩りを見に来て鬱々しなくちゃなんないんだよ)
アルフはベンチから立ち上がり、人の輪に背を向けて帰り支度を始めた。
同じ舞台にいるのはこれで終わり、精霊狩りは明日には鉱山に突入して華々しく怪物たちを蹴散らし、自分はそこから遠く離れたいつもの仕事場でいつもの仕事をするんだろう――
「――アルフ!おい、聞こえてるか!?アルフレッド!」
町長の叫び声がアルフの意識を現実に引き戻す。なんの話だ?
今日の仕事は全部片づけてきたのに今ここで呼びつけられるいわれは全くない…はずである。
アルフは町長たちの近くまで歩き出した。距離にしてみればそう遠くない距離だが、先ほどまでの鬱々した感情が文字通り足を引っ張ったのか、彼らの近くまで到着したころにはかなりの体力と精神力を消耗した気がした。
「さっきから呼んでいるのに何をボケっとしているんだ、遅いぞ!」
町長の叱責が飛ぶ。アルフは内心うんざりしながら形だけ頭を下げた。
「…っス」
「またそんな不貞腐れた態度を取って、お前ももう中等学校を出て3年だろう!少しでも礼儀正しさを覚えないことには――」
町長のいつもの小言をいつものようにやり過ごそうとしたとき、町長のでっぷりした身体の後ろから声が聞こえてきた。
「ええ…っと、長くなりそうでしょうかね?」
精霊狩りが困惑した表情で立っていた。仰々しい肩書とは裏腹に大して覇気もなさそうな、ごく普通の声だった。
町長が即座に愛想笑いに切り替えて振り返った。
「いーえいえいえ決してそのようなことは!先ほども申し上げた通りこの男は役場の蒸気技師見習として雇っているのですがね、どうにも他人に対する礼儀が脳みそになかなか入っていかないみたいでしていつもいつも――」
「ああ、分かりました。そこのお話は構いませんので、先ずは本人とお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
精霊狩りは相手の長広舌をバッサリと切り上げ、しょんぼりとした町長の横を通りアルフの前まで歩いてきた。
アルフは自然、相手と向き合う形となった。さっきまでは話すどころか近づくこともないであろうと思った相手が急に目の前に来たのだ。
身体がこわばり、被害的な妄想が頭の片隅に浮かぶ。もしかしたらさっき笑ったのを見とがめられていたのかもしれない。
そのような身体的な緊張を見て取ったのだろうか、精霊狩りの女は緊張をほぐすように笑みを浮かべた。
「そう身構えなくてもいいよ、ええと…アルフレッド君?私は王都から精霊狩りの任を命ぜられて来たイゾルデだ、よろしく頼む」
挨拶と同時に女――イゾルデは右手を差し出す。白くほっそりとした指が、外套の袖からにょきりと生えてきたようだった。
自分の煤で汚れた手を差し出すのが一瞬ためらわれたが、アルフは意を決して相手の手を握る。ひんやりとした感触がアルフの手に伝わってきた。
イゾルデは少し嬉しそうに二度三度と握手した手を上下させてから手を放す。そうして愉快そうにこう言ってのける。
「君も聞いているとは思うけど、霊獣の潜んでいる炭坑内を案内できる人手が足りないっていう話だってね?悪いけど明日の朝から君の身柄を貸してもらうことにするよ」
アルフは丸々20秒ほどかけて相手の言っていることを咀嚼し、それでも理解が追いつかなかったので10秒ほど固まった後、
「…は?」
と、間抜けな声を絞りだした。




