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第15話 追跡

 霊獣が残していった足跡は、思いのほか丁寧に町の外まで、北東へ続いていた。


 崩れた壁を抜けた先、乾いた土の上に刻まれた八本脚の跡を、アルフとイゾルデは数日かけて辿ってきた。跡は町を離れるにつれて途切れがちになったが、道中で立ち寄ったらしい水場の周辺や、なぎ倒された下草の様子から、大まかな進行方向はつかめていた。


 空気は日ごとに冷たくなり、町を囲む景色も、見慣れた炭鉱地帯から、次第に鬱蒼とした木々の連なる地形へと移り変わっていく。この道を進むほど故郷から遠ざかっていくことを、アルフは肌で感じていた。


 肩の傷が未だ癒えきらないイゾルデを気遣いながらの道行きは、決して楽なものではなかった。それでも、二人は交代で先導を務め、着実に距離を詰めていった。


 道中、二人は必要な情報交換以外ではほとんど言葉を交わさなかった。夜営の焚き火を囲む時に、ぽつりぽつりと他愛もない話をする程度。そんな旅が、数日続いていた。


「この足跡、やっぱり隠そうとしてないっスよね。むしろ、堂々と歩いてるみたいな」


 アルフが足跡の深さを確かめながら言うと、イゾルデも頷いた。


「そうだね。追っ手を恐れているようには見えない。それが、逆に不気味だ」


 その言葉に、アルフは何も返せなかった。姉が、あるいは姉を取り込んだ何かが、何を考えてそんな振る舞いをしているのか、想像もつかなかった。


「なあ、イゾルデさん。もしかして、わざと足跡を残してるってこと、ないっスかね。追ってきてほしいみたいな」

「……その可能性も、考えなかったわけじゃない。だが、だとしたら、何のために? 決着をつけたいのか、それとも――」


 イゾルデはそこで言葉を切り、それ以上は続けなかった。アルフも、あえて聞き返すようなことはしない。

 代わりに、彼女はより踏み込んだ質問をアルフにぶつけてきた。


「アルフ君……あの霊獣を見つけたら、君はどうするつもりなんだい?」


 タイミングとしては遅すぎるといってもよかった。アルフはいつこの質問が来てもいいように自問自答を繰り返したつもりでいたが、それでもしばらくは言葉を出せなかった。

 口を薄く開いては、目線をさまよわせて結局は口をもう一度閉じる。そのようなことを繰り返した後――


「まずは……声を掛けます。前の時みたいに」


 最終的に出てきたのは、シミュレートとは似ても似つかない、たどたどしい声。だが、それでも決心が鈍ることはない。


「奴が姉貴で、俺の話を聞いてくれるんなら……俺は、姉貴と一緒に逃げます。そんで、安全なところを探して暮らして、他の町とかを襲わないようにさせます」

「応えなかったら?」


 イゾルデはさらに切り込む。アルフはところどころ口ごもりながらも話を続けた。


「ホントは、応えてくれるまで何度も声をかけたいです。でも、それを聞かずにあんたのことを傷つけたり、俺のことを……殺したり、するなら、あんたの仕事を止めることは出来ないです」


 彼女がきゅっと苦い顔をするのを横目に、アルフは重々しく言葉を結んだ。

 しばらくお互いに黙った後、先に沈黙を破ったのはイゾルデだった。細く長く、ため息をつく。


「……少年。仕事の場だとそういう微妙に他責的な物言いは嫌われるぞ。責任感に欠ける」

「す、すんません」

「だが」


 イゾルデは苦言を呈しながらも、薄く笑って答えた。


「こちらも乗り掛かった舟だ、あの時の霊獣の反応も見てはいるし……こちらも出来ることはしてみてもいいかもね」


 その言葉に、アルフの顔が輝く。照れ隠しのように、地図を広げながらアルフは指先で今後の道筋をなぞった。


「この調子だと、明日には山の麓には辿り着けそうっスね」

「ああ。だが、山に入ってからが本番だ。足跡を追うのは難しくなる」


 イゾルデは地図の一点――町の北東に連なる山並みを見つめながら、そう答えた。




◆◇◆




 ことは、二日ほど前にまで遡る。

 工房に戻ると、師匠が浮かない顔で二人を迎えた。


「おい、また変な手紙が来てたぞ。また至急便が何とかだとよ、王都の紋章付きのえらく格式張った奴だ」


 差し出された封書を、イゾルデはすぐさま手に取った。封を切る手つきに、いつもの余裕はなかった。

 中の書状に目を通すにつれ、イゾルデの表情が、みるみるうちに硬くなっていく。何度か同じ箇所を読み返しているのか、視線が行きつ戻りつしていた。


「……イゾルデさん?」

「……本国からの、正式な討伐命令だ」


 その一言に、工房の空気が凍りついた。


「討伐、って……」

「あの八本足の霊獣を、核ごと完全に破壊せよ、とある。奪われた研究材料を取り戻す、さもなくば確実に処分することが最優先事項だと」


 イゾルデは書状を握りしめ、しばらく黙り込んだ。窓の外から差し込む光が、彼女の横顔にくっきりとした影を落とす。


「王都は、あの個体がただの暴走した兵器だとしか思っていない。核の他に、制御中枢に人間の意識が残っている可能性については報告書に書いてはおいたが……その重さを、どこまで理解しているのか」

「そんな……分かってないってことなんすか!? 姉貴が生きてるかもってことを」

「読んではいるだろう。だが、王都にとっては、それは数ある可能性の一つに過ぎない。おまけに十年前に取り逃がした個体だと非精霊術師に知られれば恥なんてものじゃない、ことは霊獣狩りの信頼にかかわる問題だ。最後には――」


 その一文を読み上げるイゾルデの声には、隠しきれない苦さが滲んでいた。


「『可能性の低い仮定を避け、人道に基づいて実害の防止を優先する』、と書かれている」

「そんな……人道って何なんだよ! たった一行で、片付けられることなんスか、これ!?」

「王都から見れば、これは一つの案件に過ぎない。私たちのように、当事者として関わっているわけじゃないからね。それに――」


 イゾルデは書状を丁寧に折りたたみながら、苦々しく付け加えた。


「それに、率直に言えば……私自身、この命令に驚いてはいない。奪われた核と十年前の霊獣、両方が野放しになっている以上、私たちの嘆願など彼らにとっては一顧だに値しないのだろう」

「……ッ、畜生! あの中に、まだ姉貴がいるかもしれないってのに!」


 アルフは怒りに任せ声を荒らげる。イゾルデは、それに答えなかった。

 しばらくの間、ピンと張りつめた緊張が二人の間に横たわっていた。

 その糸を切るのにどれほどの時間を要しただろうか、アルフはイゾルデに向き直り懇願する。


「命令は…命令は絶対、ってわけじゃないんスよね。イゾルデさん、あんたなら何とか」

「アルフ君」


 イゾルデの声が、静かに、しかしはっきりとアルフの言葉を遮った。


「私は霊獣狩りだ。命令に背けば、それ相応の処分を受ける。それに、あの個体をこのまま放置すれば、いずれもっと大きな被害が出る可能性もある。……頭では、討伐が正しい選択だと分かっている」

「そんな…お願いだ、頼むよ。頭では、って言いましたよね。じゃあ腹ン中はどうなんスか」


 その問いに、イゾルデは目を伏せた。長い沈黙が落ちる。工房の隙間から吹き込む風だけが、二人の間を通り抜けていった。


「……分からない、というのが正直なところだ。討伐すべきだと、頭では理解している。だが、いざその場に立った時、私は本当に、迷いなく力を振るえるのか」


 その声は、これまで聞いたどのイゾルデの声とも違っていた。強がりも、皮肉めいた軽さも、そこにはなかった。ただ、剥き出しの不安だけがあった。


「正直に言えば、迷っている。あの個体が、本当に君の姉さんの意識を残しているのなら……それは、故郷の――」


 そこまで言いかけて、イゾルデははっと口をつぐんだ。


「……故郷の、なんスか」


「……いや、なんでもない。言い間違えただけだ」


 イゾルデは慌てたように首を振った。故郷。その言葉を聞いて、アルフの脳裏にふと、益体もない考えが浮かんだ。


 もしかしたら、あの霊獣の中の意識――もし本当に姉のものだとして――それを、イゾルデは自分の故郷と重ねて見ているのではないか。取り込まれた人間も、連れて行かれた人間も、結局は同じ枯渇地帯から、外の力によって引き離された者たちだ。その意味で、あの個体もまた、イゾルデにとっての『同郷』なのかもしれない。


 それは、冷静に考えれば、あまりにもこちらの都合に沿った予想であった。正解とはとても思えない。

 だが、イゾルデの瞳に浮かんだ迷いの色に、アルフはそれ以上何かを言うのをあきらめた。


「……分かったっス。とりあえず、山に向かう準備をしましょう」


 まさかこちらから提案をするとは思わなかったのだろう、その言葉に、イゾルデは逆に驚いたようだった。


「聞かないのかい、今の」

「聞きたいっスよ、正直。でも、今は聞くべき時じゃない気がするんで。それに――」


 それに、あんただって迷ってくれてるんでしょ?

 そう言うのはあまりにも子供っぽく傲慢な気がして、結局アルフの口から出てきたのは違う言葉だった。


「それに、あんたにも、まだ言葉にできないことがあるんスよね。俺だって、そうっスから。……いつか、話せる時が来たら、聞かせてください」


 イゾルデはしばらく、アルフの横顔を見つめていた。それから、小さく笑う。


「……君は、本当に、時々私なんかよりもよっぽど大人びたことを言うね」

「褒めてます? それ」

「もちろん」




 出発前、二人は形式上、町長への報告にも顔を出した。事件の経緯と、これから霊獣の足音を追って街を出る旨を伝えると、町長は神妙な顔で頭を下げた。


「霊獣狩り様、それにアルフ君。どうか、くれぐれもご無事で……この町のためにここまでしていただいて、感謝の言葉もございません」

「大袈裟っスよ、町長」


 そう言いつつも、アルフは町長の態度がこれまでとは違うことに気づいていた。


「留守の間、町のことは我々でどうにかいたします。ですので、お二人は目の前のことだけに集中していただければ」


 いつもの長広舌が嘘のような、簡潔な物言いだった。その変化が、かえってこの一件の深刻さを物語っているようだった。


 工房に戻ると、師匠が一足先に二人分の荷造りを始めていた。いつになく神妙な顔で、壊れた工房の隅から、使えそうな道具や食料をかき集め、旅装の中に丁寧に詰め込んでいく。


「山は夜が冷える。これも持ってけ」


 そう言って、着古した上着を無造作にアルフの荷物に押し込む。


「師匠、そこまでしてもらわなくても」


「うるせぇ、黙って持ってけ。……お前が死んだら、次の弟子探すのが面倒なんだよ」


 軽口のつもりだったのだろうが、その声はいつもより随分と小さかった。

 アルフは黙って上着を受け取り、荷物の中に丁寧にしまい込んだ。何年もこの工房で世話になってきた。口うるさく、不器用で、それでいて誰よりも面倒見のいい師匠だった。この人のもとで学んだ技術が、今回の一件で、思いがけない形で役に立った。そのことを、今更ながらに噛みしめる。


「師匠、色々ありがとうございました。今まで」

「なんだ、辛気臭え。まるで今生の別れみたいに言うんじゃねぇよ」


 師匠はぶっきらぼうにそう返しながらも、その目元は明らかに赤くなっていた。


「……無事に、帰ってこいよ。二人とも」


 その一言に、いつもの憎まれ口の欠片もなかった。アルフは頷くことしかできなかった。


 翌朝、まだ空が白み始めたばかりの時刻に、二人は山へ向かう支度を整えて、工房を後にした。

 冷たい朝の空気が肌を刺す。吐く息がほんのりと白く染まり、静かな町並みには、まだ誰の気配もなかった。師匠と町長の二人だけに見送られながら、二人は町の外れへと歩き出す。


 町を出る前、アルフは一度だけ振り返った。崩れた工房、いつもと変わらない町並み、精霊が涸れ果てたはずの故郷の景色。十年前、この町で全てを失ったと思っていた。それでも、今こうして守りたいと思えるものが、確かにここにあった。

 姉を取り戻したい、という願いだけで始まったはずの十年が、何度も無力感に押しつぶされてきた十年が、経ってみれば、いつの間にかそれだけではなくなっていた。


 師匠の不器用な優しさ、町長の変わった態度、そして隣を歩くイゾルデという存在。大切にすべきものは、思っていたよりもずっと多く、そして重かった。


「行こうか、アルフ君」


 イゾルデの声に、アルフは頷いて前を向いた。

 二人の足取りは、山の麓へと向かって、迷いなく進んでいく。行く先に何が待っているのか、誰にも分からなかった。それでも、もう後戻りする道はなかった。

 朝靄の向こうに、目指す山並みが、うっすらとその輪郭を現し始めていた。

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