第8話 三本の御柱
第8話 三本の御柱
数日後。
セレナの体調は、ほぼ戻っていた。
朝食を終えたあと、セレナはレオンへ面会を申し出た。
応接室には、レオンと2人の護衛。
セレナ。
そしてクラリスがいる。
扉の近くにはヴィオラが立っていた。
セレナはレオンへ向き直る。
「殿下。お願いがございます」
「何でしょう」
「三本の御柱を見せていただけますか」
レオンの表情が少し変わった。
「御柱を?」
「はい」
「まだ休んでいた方がいいのではありませんか」
セレナは首を横に振った。
「もう大丈夫です」
すぐ隣からクラリスの声がした。
「大丈夫かどうかは、セレナ様がお決めになることではございません」
「クラリス」
「昨日までお休みになっていたのですから」
レオンがわずかに笑う。
「私もクラリス殿に賛成です」
セレナは少し困った顔をした。
けれど、すぐに表情を戻す。
「ですが」
レオンを見る。
「あの御柱は、見た目より危険な状態です」
レオンの笑みが消えた。
セレナは続ける。
「王都へ来る途中で見ただけですので、詳しいことまでは分かりません。ですが、三本とも神聖力がかなり弱っています」
「遠くから見ただけで分かるのですか」
「はい」
セレナにとっては、特別なことではない。
長い間、祖国の御柱を巡り続けてきた。
どの程度力が残っているのか。
どこに異常があるのか。
近づけば、さらに詳しく分かる。
レオンは少し考えた。
「分かりました」
「ありがとうございます」
「ただし、無理はしないこと」
「はい」
「今日は調査だけです」
セレナが一瞬黙る。
レオンは念を押した。
「調査だけです」
「……分かりました」
クラリスがその返事を聞いて、静かにうなずいた。
王宮を出る。
セレナの周囲には、かなりの人数がいた。
ヴィオラ。
レティシア。
マリアンヌ。
クラリス。
エマ。
ソフィア。
さらに神官たち。
そして護衛の兵士たち。
祖国でも、御柱へ向かうときに一人で出かけたことなどない。
聖女が移動する。
それなら側仕えも護衛もつく。
当然のことだった。
ただ。
並んで歩く顔ぶれが違う。
クラリス以外は、まだ見慣れない。
「セレナ様」
エマが声をかける。
「お疲れになりましたら、すぐにお申し付けください」
「はい」
今度はソフィアが水を持っている。
レティシアとマリアンヌは左右を警戒しながら歩いている。
先頭にはヴィオラ。
少し後ろにはクラリス。
以前とは違う。
けれど。
こうして人に囲まれて歩くことそのものは、いつも通りだった。
やがて、一本目の御柱へ到着した。
巨大な白い柱が地面から伸びている。
近くで見ると、遠くからでは分からなかった傷がいくつも見えた。
セレナは柱へ近づく。
ヴィオラが周囲を確認する。
「ここまでです」
護衛が一般の者を近づけないよう距離を取らせた。
セレナは御柱へ手を触れる。
目を閉じる。
しばらく、そのまま動かなかった。
神官たちが静かに見守っている。
やがてセレナが目を開けた。
「やはり……かなり弱っています」
レオンが尋ねる。
「分かりますか」
「はい」
セレナは柱の表面を見る。
細い亀裂が走っている。
「長い間、聖女の祈りを受けていません」
神官の一人が答える。
「前の聖女様がお亡くなりになって以来です」
セレナは亀裂へ指を添える。
「御柱そのものが壊れているわけではありません」
「では、直せるのですか」
「力が足りないのです」
セレナは静かに言った。
「神聖力を満たせば、まだ戻せます」
その言葉に、神官たちが小さくざわめいた。
レオンは何も言わない。
ただ、セレナを見ていた。
二本目の御柱へ向かう。
こちらは王都周辺の農地に近かった。
畑が広がっている。
だが。
セレナは歩きながら、作物を見ていた。
葉の色が悪い。
育ち方にもばらつきがある。
用水路のそばで足を止める。
「少し、水を見てもよろしいですか」
「もちろんです」
セレナは水辺へしゃがむ。
クラリスもすぐそばへ来る。
セレナは指先を水につけた。
目を閉じる。
「……入っています」
レオンが尋ねる。
「何がです?」
「瘴気です」
神官たちの表情が変わる。
「まだ、ごく薄いものです」
セレナは水から指を離した。
「ですが、結界の力が弱くなっているため、少しずつ入り込んでいます」
畑を見る。
「作物にも影響が出始めています」
レオンも畑へ視線を向けた。
「だから収穫量が落ちていたのか」
「このまま進めば、もっと悪くなります」
セレナは二本目の御柱を見る。
一本目よりも表面の傷は少ない。
だが、こちらも神聖力が薄い。
「この柱も、補う必要があります」
そして三本目。
近づく前から、セレナの表情が変わった。
「……これは」
足が止まる。
クラリスがセレナを見る。
「どうなさいました?」
セレナは御柱を見上げた。
三本の中で、明らかに光が弱い。
結界の線も、この柱へ近づくほど不安定に揺れている。
「一番悪いです」
セレナはゆっくり近づく。
柱へ手を触れた。
その瞬間。
眉がわずかに寄る。
「セレナ様?」
クラリスが声をかける。
「大丈夫です」
セレナは手を離した。
そして御柱を見上げる。
「この柱が先に限界を迎えます」
神官の一人が息を呑んだ。
「限界……」
「はい」
レオンが尋ねる。
「この柱が壊れれば、どうなりますか」
セレナは三本の御柱を順に見た。
そして、空に伸びる結界の線を見る。
「三本で結界を作っています」
一本。
二本。
三本。
三点を結んで、ひとつの領域を守る。
「ですから、この一本を失えば――」
セレナは静かに言った。
「結界そのものが成立しなくなります」
その場が静かになった。
遠くには王都が見える。
農地もある。
避難民たちが暮らしている場所もある。
今、この三本だけが。
そこにいる人々を瘴気と魔物から守っている。
レオンが尋ねた。
「あと、どれくらいですか」
セレナはすぐには答えなかった。
もう一度御柱へ触れる。
神聖力の残り。
劣化の程度。
結界への負担。
三本の均衡。
しばらく目を閉じていた。
やがて手を離す。
「このままでは」
全員がセレナを見る。
「数か月以内に結界が消えます」
神官たちがざわめいた。
「数か月……」
「そんなに早く……」
御柱が弱っていることは、誰もが知っていた。
だから国土を捨て続けてきた。
だから三本だけを残して王都を守っている。
けれど。
あとどれだけ持つのか。
それを知る者はいなかった。
レオンは騒がなかった。
「救う方法はありますか」
セレナは即座に答えた。
「あります」
「どうすれば?」
「祈ります」
レオンがセレナを見る。
セレナは御柱へ手を添えた。
「もう一度、御柱へ力を満たします」
神官たちの間から、小さく声が上がった。
「それで……戻るのですか?」
「はい」
「三本とも?」
「はい」
レオンだけは、すぐに喜ばなかった。
セレナを見る。
「あなたへの負担は?」
セレナは少し考える。
「神聖力を使いますので、疲れはします」
「どの程度です」
「やってみなければ分かりません」
「危険は?」
「無理をすれば」
セレナは少しだけ言葉を選んだ。
「倒れることはあります」
クラリスの目が細くなる。
レオンもその言葉を聞き逃さなかった。
「命に関わる可能性は?」
「そこまで無理をすれば、あります」
「それでもできますか」
セレナはうなずいた。
「できます」
レオンはしばらく黙った。
目の前には、今にも力を失おうとしている御柱がある。
これを救える人間がいる。
自分の国にとって、これ以上ないほど必要な力だ。
それでも。
レオンは言った。
「あなたが望まないなら、頼むことはできません」
セレナがレオンを見る。
「え?」
「ここは、あなたの国ではありません」
レオンは御柱を見上げた。
「あなたは昨日、この国へ来たばかりです」
そしてセレナへ視線を戻す。
「あなたに、この国のために命を削って働く義務はありません」
セレナは黙った。
そんなことを言われるとは思っていなかった。
御柱を見る。
この一本が消えれば。
三本の結界が消える。
王都がある。
農地がある。
昨日見た避難民たちがいる。
子供もいた。
老人もいた。
結界の外には、放棄された村があった。
人のいない畑があった。
ここまで逃げてきた人々がいる。
セレナは、御柱に触れた。
祖国では。
祈ることは仕事だった。
聖女だから。
国のために。
命じられたから。
必要だから。
だから祈った。
今は。
誰も命じていない。
国教の命令でもない。
国王の命令でもない。
王太子であるレオンさえ、頼むことはできないと言った。
セレナは御柱を見上げる。
そして。
自分で決めた。
「私が祈ります」
レオンは何も言わず、セレナを見る。
セレナはもう一度言った。
「この御柱を、私が戻します」
それは。
追放されてから初めて。
誰かに与えられた役目ではなく。
セレナ自身が選んだ、
聖女としての仕事だった。




