第7話 監視ではなく護衛
第7話 監視ではなく護衛
セレナが目を覚ましたとき、最初に見えたのは見慣れない天井だった。
白い天蓋。
淡い色の壁。
窓から朝の光が差し込んでいる。
一瞬だけ、どこにいるのか分からなかった。
けれど、すぐに思い出す。
祖国を追放された。
国境を越えた。
魔物に襲われていた人々を治療した。
そして――。
「クラリスは?」
身体を起こすより先に、名前が口から出た。
「お目覚めですか」
すぐに声が返ってきた。
ベッドのそばに、見知らぬ女性が立っている。
少し離れたところにも、もう一人。
扉の近くには、剣を帯びた女性がいる。
隣室からも人の動く気配がした。
それ自体には、何の違和感もなかった。
セレナにとって、身の回りに人がいることは普通のことだ。
朝起きれば側仕えがいる。
部屋の外には護衛がいる。
移動するときにも誰かがつく。
一人きりになることの方が少ない。
ただ。
いつもの人ではなかった。
「クラリスは、まだ戻らないのでしょうか」
ベッドのそばにいた女性が答える。
「お怪我の治療は終わっております。現在、事情を確認しているところです」
「怪我は、もう大丈夫なのですか?」
「命に別状はないと聞いております」
「そうですか……」
セレナは小さく息を吐いた。
それから、あらためて目の前の女性を見る。
自分はまだ、この人たちの名前すら知らない。
セレナは姿勢を整えた。
「申し遅れました」
軽く頭を下げる。
「セレナ・アルヴェールです」
女性もすぐに一礼した。
「エマ・リーヴェルと申します。こちらにいらっしゃる間、セレナ様のお世話をさせていただきます」
もう一人の女性も続く。
「ソフィア・ベルンです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
セレナは微笑んだ。
エマが尋ねる。
「お召し替えをお手伝いしてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
セレナは自然に答えた。
自分でやる、とは言わない。
そもそも、きちんとした衣服を一人で着た経験がほとんどない。
エマが衣服を整える。
ソフィアが髪を梳く。
丁寧だった。
けれど。
留め具を扱う順番が違う。
髪を持ち上げる位置が違う。
櫛を通す力も違う。
水を差し出されるタイミングも、ほんの少し違った。
どれも間違ってはいない。
二人とも、きちんと仕事をしている。
それでも。
セレナは何度か、無意識に後ろを振り返った。
そこにいるはずの人を探すように。
「……クラリスは?」
また尋ねてしまった。
ソフィアが優しく答える。
「もう少しで終わると聞いております」
「そうですか」
セレナはうなずいた。
しばらくして、扉の近くにいた女性が進み出た。
「セレナ様」
「はい」
「ヴィオラ・ヴァルトと申します」
凛とした声だった。
「昨日の巡回部隊に所属しております」
「昨日はありがとうございました」
セレナが礼を言うと、ヴィオラは軽く頭を下げた。
そこへ、扉の外から声が届いた。
「殿下がお見えです」
殿下。
セレナは少しだけ首を傾げた。
ヴィオラが一度部屋を出る。
すぐには扉は開かなかった。
エマがセレナを見る。
「ご面会は大丈夫でしょうか」
「はい」
「まだお疲れが残っています。あまり長くならなければ」
ヴィオラがうなずく。
それからようやく扉が開いた。
入ってきたのは、昨日、国境で自分たちを助けた青年だった。
セレナは少し驚いた。
青年はセレナの前まで来ると、あらためて礼を取った。
「昨日は慌ただしく、名乗ることもできませんでした」
「私もです」
青年は言った。
「レオン・グランツ。この国の第一王子です」
セレナの目が、ほんの少し大きくなる。
「第一王子殿下でいらしたのですね」
驚いたのは、それだけだった。
王族と話すこと自体は、セレナにとって珍しいことではない。
すぐに正式な礼へ切り替える。
「改めまして。セレナ・アルヴェールと申します」
「セレナ殿」
「昨日は、私たちを助けていただき、ありがとうございました」
「いえ。あの状況なら当然のことをしたまでです」
レオンは椅子を勧める。
セレナが座るのを確認してから、自分も向かい側へ腰を下ろした。
「身体の具合は?」
「もう大丈夫です」
すぐにエマが口を挟んだ。
「まだ十分には回復されておりません」
セレナがエマを見る。
レオンは少し笑った。
「だそうですが」
「……昨日よりは、ずっと大丈夫です」
「それなら、そういうことにしておきましょう」
レオンはそこで少し表情を改めた。
「事情は、少し聞きました」
セレナが顔を上げる。
「あなたの側仕えが、まだ十分に回復していないので、長い時間は事情聴取できなかったそうですが」
「クラリスから?」
「はい」
レオンはうなずいた。
「だいたいの事情は分かりました」
「そうですか」
セレナは静かに答えた。
少しの間があった。
レオンが尋ねる。
「ラシェル王国の聖女だったんですね」
セレナは一度だけ目を伏せた。
「聖女でした」
そして、静かに続ける。
「今は違います」
レオンは何も言わなかった。
昨日の光景を思い出していた。
魔物に襲われた人々。
倒れた者たち。
そして、自分自身も立っているのがやっとの状態で、それでも治療を続けていた女性。
あれほどの治癒術を使える者を、レオンは知らない。
クラリスから聞いた話。
そして、自分の目で見たもの。
少なくとも――。
レオンはそれ以上、問いたださなかった。
「分かりました」
それだけ言う。
そしてヴィオラへ顔を向けた。
「ヴィオラ」
「はい」
「この方の護衛を頼む」
「承知しました」
セレナが少しだけ首を傾げる。
「私に護衛を?」
「はい」
レオンは、それ以上の説明をしなかった。
「王宮にいる間は、必ず護衛をつけます」
セレナはヴィオラを見る。
そして、普通にうなずいた。
「分かりました。よろしくお願いいたします」
ヴィオラが礼をする。
「お任せください」
護衛をつけられること自体に、セレナは疑問を持たなかった。
祖国でもそうだったからだ。
それからほどなくして、二人の女性騎士が紹介された。
「レティシア・クローネです」
「マリアンヌ・フェルトです」
「よろしくお願いいたします」
セレナも礼を返す。
ヴィオラが説明した。
「私たち三名を中心に交代でお守りします。王宮内の移動でも、外出でも、必ず誰かが同行します」
「はい」
「お部屋にいらっしゃるときも、隣室には護衛を置きます」
「分かりました」
やはりセレナは気にならなかった。
ただ。
少し見ているうちに、一つだけ気づいた。
警戒が厳しい。
扉。
窓。
食事。
廊下。
部屋へ入る使用人。
一つ一つ、細かく確認している。
祖国にも護衛はいた。
だが、ここまでではなかった。
「ずいぶん厳重なのですね」
セレナが言った。
ヴィオラは簡潔に答える。
「必要ですので」
レオンがセレナを見る。
「この国には、聖女がいました」
昨日、王都へ向かう途中にも聞いた話だった。
静かに言う。
「あなたを一人にはできません」
セレナはうなずいた。
一人にされないことはセレナにとって当たり前だった。
ただ。
昨日から少しだけ感じている違いがある。
この国の人々は、何かが起きたあとではなく。
起きないように、自分を守ろうとしている。
「ありがとうございます」
そのときだった。
扉の外で声がする。
ヴィオラが振り返る。
扉が開いた。
そこにいた人物を見た瞬間。
セレナは動きを止めた。
「クラリス!」
立ち上がる。
エマが驚いて手を伸ばしたが、それより早かった。
セレナはクラリスのところまで歩き、そのまま抱きついた。
「セレナ様……」
クラリスが驚く。
「心配しました……」
セレナの声が震えた。
「ごめんなさい」
「セレナ様」
「私が、あそこへ行ったから……」
魔物に襲われている人たちを見つけた。
助けようとした。
そのために、クラリスは自分を守って傷ついた。
クラリスはしばらく何も言わなかった。
そして静かにセレナの身体を抱き返す。
「セレナ様……」
「はい……」
「私は大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「痛くありませんか?」
「もう治療していただきました」
「でも……」
「大丈夫です」
クラリスはもう一度、ゆっくりと言った。
セレナは、それでもしばらく離れなかった。
部屋の中が静かになる。
レオン。
ヴィオラ。
エマ。
ソフィア。
誰も口を挟まない。
ただ、二人を見ていた。
クラリスは、祖国から一緒に来た同行者。
それだけではない。
彼女はセレナにとって、ずっと身近にいた人なのだ。
ようやくセレナが身体を離す。
クラリスは、その顔を確認した。
次に服を見る。
襟元がほんの少しずれていた。
クラリスの手が、自然にそこへ伸びる。
直す。
セレナも何も言わない。
いつものことだった。
クラリスはエマとソフィアを見る。
エマが一礼した。
「エマ・リーヴェルと申します」
「ソフィア・ベルンです」
クラリスも頭を下げる。
「クラリス・メイベルです」
レオンが言った。
「クラリス殿から聞いた事情については、こちらでも確認を続けます」
「承知いたしました」
「ただ、あなたはすでにラシェル王国での職を辞していると聞きました」
「はい」
「現在は?」
クラリスは迷わず答えた。
「セレナ様個人にお仕えしております」
レオンはうなずいた。
「でしたら、今後もセレナ殿の側についていただきたい」
「もちろんです」
「エマ、ソフィア」
「はい」
二人が答える。
「クラリス殿を中心に、三人でセレナ殿の身の回りを頼む」
「承知いたしました」
クラリスも一礼する。
「お任せください」
セレナは三人を見る。
クラリス。
エマ。
ソフィア。
そして護衛の、
ヴィオラ。
レティシア。
マリアンヌ。
昨日までは知らなかった人ばかりだ。
まだ慣れない。
けれど。
クラリスがいる。
それだけで、ずいぶん違った。
その夜。
寝る支度をするセレナの髪を、クラリスが梳いていた。
いつもの力加減。
いつもの手順。
エマは衣服を片づけている。
ソフィアは翌日の予定を確認している。
隣室には護衛がいる。
セレナは鏡を見る。
知らない国。
知らない王宮。
知らない人たち。
けれど、その中に。
いつもの人がいる。
そして新しい人たちもいる。
少しずつ。
本当に少しずつ。
セレナの新しい生活が始まりかけていた。




