第5話 王子との出会い
第5話 王子との出会い
馬の蹄の音が近づいてきた。
一頭ではない。
何頭も。
セレナは顔を上げた。
「……馬?」
クラリスも音のする方を見る。
避難民たちの間に緊張が走った。
魔物はまだ周囲にいる。
先ほどより数は減っているが、いなくなったわけではない。
セレナは立ち上がろうとした。
その瞬間。
視界が揺れた。
「セレナ様」
クラリスが腕を伸ばす。
「大丈夫です」
「大丈夫ではありません」
「まだ怪我をしている方が」
言い終わる前に、
森の向こうから人影が飛び出した。
馬。
鎧。
武装した兵士たち。
「魔物だ!」
先頭の兵士が叫ぶ。
「負傷者を囲め!」
部隊が一気に広がった。
数人が馬から飛び降りる。
剣が抜かれる。
盾が構えられる。
セレナは、その動きを目で追った。
速い。
これまで自分についていた護衛たちもそうだった。
危険があれば、まず自分を囲む。
周囲の安全を確保する。
その間に聖女は治療をする。
今、目の前にいる兵士たちも同じように動いている。
「民を中央へ!」
「動ける者はこっちだ!」
「負傷者は動かすな!」
指示が飛ぶ。
魔物の一体が飛びかかった。
剣が閃く。
魔物が地面へ転がる。
別の兵士が前へ出る。
さらに一体。
また一体。
戦いは長く続かなかった。
避難民を襲っていた魔物たちは、
兵士たちによって次々と排除されていく。
セレナは小さく息を吐いた。
「よかった……」
膝から力が抜けた。
「セレナ様!」
クラリスが支える。
だが、クラリス自身も怪我をしている。
二人とも、そのまま地面へ座り込んだ。
「負傷者を確認しろ」
落ち着いた声がした。
セレナが顔を上げる。
一人の男性が馬から降りていた。
淡い金色の髪。
青い瞳。
白と青を基調とした衣服の上に、軽装の防具を身につけている。
周囲の兵士たちが、その男の言葉に従っている。
「殿下。こちらに重傷者が」
「医療班を回せ」
「はい!」
殿下。
セレナは、その呼び方に少しだけ反応した。
この国の王族なのだろうか。
男――レオンは周囲を見る。
倒れている者。
避難民。
負傷者。
そして。
その中央にいる女性。
白に近い淡い髪。
旅装。
その隣には負傷した側仕えらしい女性。
だが何より。
地面に残っている神聖力の気配。
先ほど遠くから見えた光。
レオンの視線がセレナへ向いた。
セレナも彼を見る。
数秒。
レオンが近づいてきた。
すぐ後ろには護衛がいる。
当然だった。
王族なら、一人で動くはずがない。
「怪我は?」
レオンが尋ねた。
セレナは首を横に振る。
「私は怪我をしていません」
「では、その方は?」
セレナはすぐにクラリスを見る。
「怪我をしています」
「分かった」
レオンが兵士へ顔を向ける。
「治療を」
「はい」
兵士がクラリスへ近づく。
セレナは、その兵士の袖を掴んだ。
「お願いします」
「はい?」
「クラリスを、お願いします」
兵士が少し驚く。
「もちろんです」
「傷がまだ完全に治っていません」
「分かりました」
セレナはほっとしたように息を吐いた。
そしてすぐに周囲を見る。
「あちらにも」
指を差す。
「まだ治療の終わっていない方がいます」
レオンもそちらを見る。
「分かっている」
「それから、向こうにも一人」
「医療班が確認している」
「子どもが――」
「大丈夫だ」
セレナが止まった。
レオンが、もう一度言った。
「こちらで対応する」
セレナは周囲を見る。
確かに。
兵士たちが動いている。
負傷者を集める者。
水を配る者。
周囲を警戒する者。
魔物の死骸を確認する者。
自分が指示しなくても、
人が動いている。
「……そうですか」
セレナは小さく答えた。
そして。
また一人の負傷者を見つけた。
立ち上がろうとする。
しかし足に力が入らない。
「セレナ様」
クラリスが止める。
「まだ、あの方が」
「医療班が行きます」
レオンが言った。
「ですが、私なら治せます」
「そうだろうな」
レオンは答えた。
セレナは少し驚く。
「分かるのですか?」
「これだけの治癒を見れば分かる」
レオンは地面を見る。
先ほどまで重傷だったはずの者たちが、
すでに自力で身体を起こしている。
傷口が塞がっている。
普通の治癒術ではない。
少なくとも、
レオンが知っている治癒術師とは明らかに違う。
「あなたが治したのか」
「はい」
「何人を?」
セレナは周囲を見た。
「……分かりません」
「分からない?」
「数えていませんでした」
レオンはセレナの顔を見る。
青白い。
呼吸も浅い。
立っていることすら難しそうだ。
「いつから治療を?」
「皆さんが来られる少し前からです」
「その前は?」
「歩いていました」
「どこから?」
セレナは答えようとした。
だが。
その瞬間。
クラリスがわずかに身を起こした。
「セレナ様」
セレナはクラリスを見る。
顔色が悪い。
「クラリス?」
すぐにそちらへ身体を向ける。
「どうしました?」
「大丈夫です」
「大丈夫ではありません」
今度はセレナが言った。
クラリスは小さく笑う。
「先ほど、同じことを申し上げました」
「今は私の話ではありません」
セレナはクラリスの傷へ手を伸ばす。
また淡い光が生まれた。
しかし。
先ほどより明らかに弱い。
レオンがそれを見る。
「待て」
「はい?」
「もうやめた方がいい」
セレナは首を横に振る。
「まだ治っていません」
「あなたも限界だ」
「私は怪我をしていません」
「怪我の話ではない」
セレナは少し黙った。
「まだ祈れます」
レオンの表情が変わる。
「祈れることと、続けていいことは別だ」
クラリスが、わずかにレオンを見る。
セレナは納得していない。
「ですが、クラリスが」
「その方はこちらで治療する」
「この方々も」
「全員保護する」
「でも」
「あなたもだ」
セレナが瞬きをした。
「……私も?」
「ああ」
なぜ、
という顔をしている。
レオンには、それが少し不思議だった。
負傷者をこれだけ治療した本人が、
自分が保護される対象だとは考えていない。
「まず休んでくれ」
「ですが」
「話はそのあとでいい」
セレナは少し困った。
この男は、
自分が何者なのか聞かない。
どこの人間なのか。
なぜここにいるのか。
どうしてこれほどの治癒術を使えるのか。
普通なら、
そちらを先に聞くのではないだろうか。
セレナは尋ねた。
「私が、誰なのかは聞かないのですか?」
レオンは一瞬黙った。
それから答える。
「聞く必要はある」
セレナは彼を見る。
「だが、今である必要はない」
レオンは周囲を見た。
負傷者。
避難民。
傷ついたクラリス。
そして、
今にも倒れそうなセレナ。
「あなたが何者であっても、今は休んでください」
セレナは何も言わなかった。
その言葉が、
すぐには理解できなかった。
何者であっても。
聖女でも。
聖女でなくても。
休んでよい。
そう言われたように聞こえた。
「……ですが」
それでも口から出た。
「まだ治療が」
「こちらで引き継ぐ」
「私の方が早く治せます」
「そうだろう」
あっさり認められた。
セレナは少し戸惑う。
レオンは続ける。
「それでもだ」
そして兵士へ指示する。
「この二人を保護する」
「はい」
「負傷している女性は医療班へ」
「分かりました」
「こちらの方も休ませろ」
セレナが口を開く。
「私は」
レオンが先に言った。
「休んでください」
二度目だった。
セレナは黙った。
クラリスが小さな声で言う。
「セレナ様」
「はい」
「今は、従いましょう」
セレナはクラリスを見る。
「クラリスの治療は?」
「していただきます」
「必ず?」
近くにいた兵士が答えた。
「必ず」
セレナは少し考える。
それから、ようやく頷いた。
「……お願いします」
避難民たちは順に保護されていった。
水。
食料。
簡単な治療。
負傷が重い者から医療班へ運ばれる。
クラリスも別の場所へ移されることになった。
「クラリス」
セレナが呼ぶ。
「はい」
「どこへ行くのですか?」
「治療を受けてまいります」
「私も」
立ち上がろうとする。
すぐにふらついた。
「セレナ様」
「大丈夫です」
クラリスはため息をついた。
レオンも見ている。
「大丈夫には見えない」
セレナは少し困った顔をした。
「ですが、クラリスが」
「その方には護衛を付ける」
レオンが言う。
兵士が二人、クラリスのそばへ立つ。
「治療が終わるまで、こちらで責任を持つ」
「……分かりました」
セレナはそれでも、クラリスを見ている。
クラリスは微笑んだ。
「すぐに戻ります」
「本当に?」
「はい」
セレナはようやく頷いた。
クラリスが運ばれていく。
その姿が見えなくなるまで、
セレナはずっと見ていた。
レオンは、その様子を黙って見ていた。
ただの使用人ではないらしい。
少なくとも、
あの女性にとっては。
「こちらへ」
兵士に促される。
セレナは歩き出す。
数歩。
また足元が揺れた。
今度こそ身体が傾く。
すぐ近くにいた兵士が支える。
「失礼します」
「……ありがとうございます」
セレナは立ち直ろうとした。
だが。
急に身体から力が抜けた。
「セレナ様!」
遠くから、
クラリスの声が聞こえたような気がした。
セレナは顔を上げようとする。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは。
先ほどの男。
隣国の王族らしい人が、
こちらへ駆け寄ってくる姿だった。
「意識を失っただけです」
医療担当者が言った。
「外傷はありません」
「原因は?」
レオンが尋ねる。
「疲労でしょう。それと、神聖力の消耗が大きい」
「命に関わるか?」
「今すぐという状態ではありません。ただし、これ以上力を使わせるべきではありません」
「分かった」
レオンは横たわる女性を見る。
従者かセレナと呼んでいた。
わかっているのは、それだけ。
出身も。
身分も。
なぜこの場所にいたのかも。
分からない。
だが。
あの治癒の光。
あれほど多くの負傷者を、
短時間で治した。
そして本人は、
自分が倒れる寸前まで治療を続けようとした。
普通の治癒術師ではない。
レオンは尋ねる。
「同行していた女性は?」
「治療中です。命に別状はありません」
「話はできるか?」
「しばらく休ませれば」
「急ぐ必要はない」
レオンはもう一度、
眠っている女性を見る。
何者なのか。
それは、
目を覚ましてから聞けばいい。
今は。
生きている。
それで十分だった。




