第14話 三本目の奇跡
第14話 三本目の奇跡
三本目の御柱の予定地は。
川と旧街道が交わる場所だった。
かつて。
ここには小さな町があったという。
大きな町ではない。
けれど。
王都から地方へ向かう者。
農村から荷を運ぶ者。
川を使って物資を運ぶ者。
多くの人が行き交っていた。
今は。
その面影だけが残っている。
崩れた橋。
草に覆われた街道。
屋根を失った家。
川沿いに並んでいたはずの倉庫も。
半分ほどが崩れていた。
セレナは。
馬車の窓から、その景色を見ていた。
「ここまで来ると……」
クラリスが言う。
「だいぶ王都から離れましたね」
「はい」
セレナは頷いた。
一本目。
二本目。
御柱を立てるたびに。
結界は外へ広がってきた。
すでに。
街道の一部。
農地。
そして一つの村が。
人の暮らせる土地へ戻っている。
でも。
今回の巡行で決めた場所は。
まだすべて戻っていない。
水源。
町。
そして。
そこへつながる街道。
残っているのは。
あと一本。
「セレナ様」
クラリスが声をかける。
「はい」
「もう一度、お聞きします」
「何でしょう」
「お身体に、違和感はございませんか?」
「ありません」
「頭痛は?」
「ありません」
「めまいは?」
「ありません」
「息苦しさは?」
「ありません」
「本当に?」
「本当です」
クラリスは。
じっとセレナを見る。
セレナも。
じっと見返した。
「……大丈夫です」
少し間を置いて。
セレナは続けた。
「今日は、無理をするつもりはありません」
クラリスが目を細めた。
「それを聞けて安心いたしました」
向かいに座っていたヴィオラが。
少し笑う。
「ずいぶん成長なさいましたね」
「子供ではありませんよ」
「存じております」
「本当に?」
「もちろんです」
クラリスが。
今度は笑った。
セレナも。
小さく笑った。
巡行隊が停止した。
「到着しました!」
外から声が上がる。
セレナは馬車を降りた。
目の前には。
広い川が流れている。
水量は十分。
だが。
水は少し濁っていた。
川岸の草も。
ところどころ黒ずんでいる。
「この川の上流部を結界内へ入れることができれば」
河川を担当する官吏が言う。
「王都方面への水供給も、かなり安定します」
セレナは川を見る。
「御柱は?」
「こちらです」
測量官が。
街道から少し外れた高台へ向かう。
一行も後に続く。
そこには。
すでに兵士たちが集まっていた。
地面の一部が掘り返され。
古い石材が見えている。
「基壇が見つかりました」
測量官が言った。
「記録とも一致します」
神官も確認する。
「間違いありません」
「ここに御柱がございました」
セレナは。
古い基壇を見る。
一本目も。
二本目も。
同じだった。
御柱は失われている。
けれど。
かつてここにあった痕跡だけは残っている。
セレナは。
そっと手を伸ばす。
石に触れる。
冷たい。
「……戻しましょう」
小さく言った。
誰に聞かせるでもなく。
その日の建立は。
これまで以上に慎重に準備された。
この地域は。
魔物が多い。
先行隊も。
すでに数体を確認していた。
森だけではない。
川沿いにも。
大型魔物の痕跡がある。
軍の指揮官は。
兵を二重に配置した。
外側。
魔物を迎え撃つ部隊。
内側。
セレナと神官を守る部隊。
さらに。
弓兵を高い位置へ配置する。
レオンも。
兵士たちと一緒に周辺を確認していた。
「殿下」
軍の指揮官が声をかける。
「今回は、前へ出すぎないでください」
「分かってる」
「前回も、そのようにおっしゃいました」
「……努力する」
「努力では困ります」
レオンが少し笑った。
「では、従うよ」
セレナは。
その会話を聞いていた。
王子も。
止められることがあるらしい。
少しだけ。
安心した。
「セレナ様」
ヴィオラが近づいてくる。
「準備が整いました」
「はい」
セレナは。
基壇の前へ進む。
神官たちが配置につく。
クラリスは。
最後にもう一度。
セレナの顔を見る。
「少しでも異変があれば」
「伝えます」
「必ずですよ」
「はい」
セレナは頷く。
そして。
ヴィオラを見る。
「お願いします」
「お任せください」
その言葉を聞いて。
セレナは。
静かに目を閉じた。
祈りが始まる。
淡い光が。
足元へ広がる。
地面へ沈む。
神聖力が。
身体から流れていく。
一本目。
二本目。
経験したからこそ。
分かる。
今回も。
楽ではない。
身体の奥から。
力を引き出す。
地中へ。
さらに深く。
御柱を。
もう一度。
この場所へ。
大地が震え始めた。
「警戒!」
兵士の声。
森の中で。
枝が折れる音。
続いて。
低い唸り声。
「来るぞ!」
魔物が姿を現す。
一頭。
二頭。
さらに。
川岸からも。
「右側!」
「弓兵!」
「放て!」
矢が飛ぶ。
兵士たちが前へ出る。
戦闘が始まった。
だが。
前回とは違う。
兵士たちは。
すでに。
何が起きるか知っている。
魔物が集まることも。
セレナが。
祈りを止められないことも。
ヴィオラは。
剣を抜いたまま。
セレナのそばにいる。
レティシア。
マリアンヌ。
二人も。
少し離れた位置で周囲を見る。
誰も。
慌てない。
セレナは。
祈る。
戦うのは。
彼らの仕事。
祈るのは。
自分の仕事。
それでいい。
大地の震えが。
強くなる。
セレナの呼吸も。
少しずつ。
荒くなる。
額から。
汗が落ちる。
でも。
まだ。
続けられる。
セレナは。
力を注ぐ。
川。
農地。
町。
そこへ。
人が戻れるように。
祈る。
そのとき。
「大型!」
兵士が叫んだ。
森から。
これまでより大きな魔物が姿を現した。
四足。
厚い毛。
大きな牙。
矢が刺さる。
だが。
止まらない。
「盾!」
兵士たちが前へ出る。
衝突。
鈍い音。
兵士が一人。
後ろへ弾かれた。
「下がれ!」
レオンが叫ぶ。
別の兵士が前へ入る。
大型魔物が。
さらに暴れる。
ヴィオラが。
一瞬。
そちらを見る。
でも。
動かない。
セレナから。
離れない。
自分の役目は。
ここ。
その判断に。
迷いはなかった。
やがて。
地面が。
大きく。
揺れた。
ゴゴゴ……。
戦っていた兵士たちが。
振り返る。
基壇の中央から。
光が噴き上がる。
「来ます!」
神官の声。
地面が割れる。
そして。
三本目の御柱が。
ゆっくりと。
大地から立ち上がった。
白い柱。
光。
土を押し退けながら。
高く。
高く。
伸びていく。
セレナは。
まだ。
祈っている。
御柱が。
完全に。
姿を現した。
その瞬間。
光が走った。
一本目へ。
二本目へ。
そして。
王都を守る。
古い御柱へ。
光が。
次々につながっていく。
「結界が動くぞ!」
測量官が叫んだ。
遠く。
淡く輝いていた。
結界の壁が。
再び。
外へ動き始める。
川沿いを。
光が走る。
草原を越える。
旧街道を越える。
荒れた農地を包む。
川を包む。
そして。
放棄された町へ。
光が。
進んでいく。
「町まで……!」
文官が声を上げる。
遠くに見える。
壊れた屋根。
崩れた倉庫。
古い街道。
すべてが。
淡い光の内側へ入っていく。
結界が。
今回予定していた地点まで。
広がった。
その瞬間。
空気が変わる。
瘴気が。
一気に薄れる。
川の上を。
風が吹く。
重かった空気が。
軽くなる。
大型魔物が。
突然。
足を止めた。
「弱ったぞ!」
兵士が叫ぶ。
それまで。
押し切れなかった魔物が。
大きく身体を揺らす。
兵士たちが。
一斉に押し返す。
「結界の外へ追い出せ!」
魔物が。
森へ逃げる。
川岸にいた魔物も。
次々と姿を消していく。
静けさが戻った。
川が流れる音。
風。
それだけが。
聞こえる。
セレナは。
ゆっくりと。
目を開けた。
「……」
三本目の御柱。
立っている。
そして。
遠く。
結界の光。
昨日まで。
ずっと手前にあった。
光の壁。
今は。
町の向こうに見える。
「……届いた」
セレナが呟く。
身体が。
少し揺れた。
ヴィオラが。
すぐに支える。
「セレナ様」
「大丈夫です」
「はい」
ヴィオラは答える。
でも。
手は離さない。
セレナも。
もう。
離してくださいとは言わなかった。
レオンが。
近づいてくる。
頬に。
少し泥がついていた。
「セレナ殿」
「王子様」
セレナが。
レオンを見る。
「三本目です」
「ええ」
「全部……」
セレナは。
遠くを見る。
「入りましたか?」
測量官が。
地図を持って走ってくる。
「確認しました!」
「予定どおりです!」
地図を広げる。
新しい結界線。
その内側に。
農地。
川。
水源。
町。
街道。
すべて。
入っている。
セレナは。
地図を見る。
「……よかった」
それだけ。
小さく言った。
レオンは。
セレナを見る。
自分が。
これだけのことをしたのに。
誇るでもなく。
ただ。
安心している。
その顔を。
しばらく見ていた。
数日後。
新しく結界内へ戻った村へ。
先遣隊が入った。
兵士。
文官。
農業に詳しい者。
井戸を調べる者。
家屋を見る者。
安全が確認されてから。
元の住民たちも。
少しずつ。
村へ戻り始めた。
セレナも。
レオンたちとともに。
その様子を見に行った。
村の入口。
先日。
話をした老人が。
立っている。
自分の家へ向かって。
ゆっくり。
歩いていく。
屋根は。
まだ壊れている。
壁も。
傾いたまま。
老人は。
それでも。
家の前まで行く。
手を伸ばし。
古い壁へ触れた。
「……帰ってこられた」
声が。
震えていた。
その横で。
若い男たちが。
畑を見ている。
「まず、草を刈らないとな」
「井戸も見てもらわないと」
「屋根からだろ」
「種は?」
「王都から持ってきてもらえるって話だ」
話している。
これからのことを。
セレナは。
少し離れた場所から。
その姿を見ていた。
家は。
直っていない。
畑も。
まだ荒れている。
町も。
壊れたまま。
何一つ。
元どおりではない。
それでも。
昨日までとは。
違う。
人がいる。
声がする。
これから。
ここで。
生活が始まる。
「セレナ殿」
レオンが。
隣へ来た。
「はい」
「今回の巡行は、成功です」
セレナは。
しばらく。
村を見ていた。
そして。
小さく頷く。
「はい」
でも。
その目は。
すぐに。
遠くへ向いた。
結界の外。
まだ。
そこには。
失われた土地が広がっている。
村。
町。
農地。
街道。
たくさん。
残っている。
「……まだありますね」
レオンが。
隣で。
小さく息を吐いた。
「ありますね」
「御柱を増やせば」
「セレナ殿」
「まだ何も言っていませんよ」
セレナが笑う。
レオンも。
笑った。
「では」
「今日は言いません」
「助かります」
後ろで。
クラリスも。
ヴィオラも。
笑っていた。
セレナは。
もう一度。
村を見る。
帰ってきた人々。
これから。
家を直す。
畑を耕す。
水を使う。
道を歩く。
御柱が戻したのは。
土地だけではない。
ここで。
もう一度。
暮らしていける。
その可能性だった。
三本目の御柱が。
遠くで。
静かに光っていた。




