第13話 二本目
第13話 二本目
一本目の御柱が立ってから、二日。
巡行隊は、次の予定地へ向かっていた。
王都からは、さらに遠くなる。
けれど。
前回とは違う。
街道の一部は、すでに結界の内側へ戻っていた。
馬車の窓から外を見ていたセレナは、その違いに気づく。
空気が軽い。
道の脇に生える草も。
完全に元へ戻ったわけではないが。
黒ずんでいた色が、少し薄くなっている。
「ここも、先日までは結界の外だったのですよね」
セレナが尋ねる。
同乗していた文官が頷いた。
「はい」
「一本目の御柱によって、ここまで戻りました」
「……そうですか」
セレナは窓の外を見る。
御柱を一本立てた。
それだけで。
地図の上の線だけではなく。
本当に。
土地が変わっている。
少し先へ進むと。
再び、空気が重くなった。
結界の境界を越えたのだ。
兵士たちの動きも変わる。
周囲を見る目が鋭くなり。
先行隊との距離が縮まる。
セレナは。
その境目を振り返った。
淡い光。
一本目の御柱から伸びた結界が。
確かに。
以前より外へ広がっている。
「次は」
セレナが呟く。
「もっと先までですね」
「はい」
ヴィオラが答えた。
「ですが」
「はい?」
「本日は、御柱を一本しか立てません」
セレナがヴィオラを見る。
「まだ何も言っていませんよ」
セレナは軽く笑う。
「先に申し上げておこうかと」
「……そうですか」
向かいに座っていたクラリスが。
静かに頷いた。
「セレナ様は、すぐにご無理をなさいますから」
セレナはクラリスを見てほほ笑む。
「心配してくれてありがとう」
セレナはもう一度、窓の外を見た。
昼過ぎ。
巡行隊は、放棄された村の近くへ到着した。
かつて。
多くの人が暮らしていた農村だった。
道の両側に。
家が並んでいる。
とはいえ。
まともな状態の家は少ない。
屋根が落ちている。
壁が崩れている。
扉が外れている。
家々の間には雑草が伸び。
道の境目すら分かりにくくなっていた。
その向こうには。
広い農地がある。
かつては麦や野菜が育てられていたという。
今では。
ところどころ土が黒ずみ。
背の高い雑草に覆われている。
巡行隊が止まる。
セレナは馬車を降りた。
「ここが……」
「はい」
文官が答える。
「今回、結界内へ戻したい農村の一つです」
セレナは周囲を見渡した。
静かだった。
人の声がない。
家畜の声も。
畑を耕す音も。
何もない。
けれど。
「井戸も残っています」
文官が村の中心を指した。
古い石造りの井戸。
蓋がされ。
縄も朽ちている。
「水は?」
「あります」
文官の表情が曇る。
「ですが、瘴気の影響を受けています」
「飲めないのですね」
「はい」
セレナは井戸を見る。
家がある。
畑がある。
水もある。
それなのに。
人だけがいない。
「セレナ様」
後ろから声がした。
振り返る。
数人の男女が。
兵士に付き添われながら、こちらへ歩いてくる。
巡行隊とともに王都から来た避難民だった。
年配の男。
若い夫婦。
中年の女性。
そのほかにも数人。
「こちらの村の方々です」
文官が説明した。
セレナは少し驚いた。
「一緒に来ていたのですか?」
「はい」
「現地のことは、ここで暮らしていた者が一番よく知っていますので」
なるほど。
セレナは彼らを見る。
一人の老人が。
村を見つめていた。
「……変わってしまったな」
小さな声だった。
誰に言ったわけでもない。
けれど。
セレナには聞こえた。
老人は。
壊れた家を指した。
「あそこが、うちです」
「こちらですか?」
「ええ」
屋根の半分が落ちている。
壁も傾いていた。
「その隣が、息子夫婦の家で」
今度は別の家。
「その奥に牛小屋がありました」
何も残っていない場所を指す。
「畑は?」
セレナが聞く。
老人は村の外へ広がる土地を見る。
「あの辺りから、ずっと向こうまで」
「ずいぶん広いのですね」
「村中で使っていましたから」
別の女性が口を開く。
「春は麦を植えて」
「夏には豆と野菜を」
「秋になると、みんなで収穫しました」
次々に。
村の話が出てくる。
どこに誰が住んでいたのか。
どの畑を誰が使っていたのか。
祭りをした広場。
子供たちが遊んでいた場所。
家畜を放していた草地。
セレナは。
黙って聞いていた。
自分が見ていたのは。
壊れた家だった。
荒れた畑だった。
けれど。
彼らが見ているのは。
違う。
ここで暮らしていたころの。
村だった。
「戻りたいのですか?」
セレナが尋ねた。
老人が答える。
「戻れるのなら」
「でも」
セレナは壊れた家を見る。
「家も、かなり傷んでいます」
「構いません」
今度は若い男が答えた。
「直せます」
「畑も荒れています」
「耕せばいい」
「井戸も」
「使えなければ、まず直します」
男は村を見た。
「王都では安全に暮らせています」
「ありがたいことです」
「でも」
少し笑った。
「ここが、俺たちの家なんです」
セレナは。
言葉を失った。
家。
自分にとって。
それはどこだったのだろう。
祖国の王宮。
神殿。
巡行先の屋敷。
どこへ行っても。
自分の部屋が用意された。
側仕えがいて。
護衛がいて。
食事が出て。
寝る場所があった。
けれど。
目の前の人々が言う。
家とは。
そういうものではないらしい。
荒れていても。
壊れていても。
戻りたい場所がある。
「御柱が立てば」
セレナが言う。
「戻れますか?」
文官が答える。
「すぐには難しいでしょう」
セレナが振り返る。
「そうなのですか?」
「結界が戻っても、生活まで同時に戻るわけではありません」
レオンが歩いてきた。
避難民たちへ頭を下げる。
そして。
村を見る。
「まず、井戸を調べる必要があります」
「家屋も危険なものがある」
「畑がすぐ使えるかも分かりません」
「魔物が完全にいなくなるわけでもないでしょう」
文官が記録を取る。
レオンが避難民へ尋ねた。
「村へ戻る場合、最初に必要なものは何ですか?」
老人が少し考える。
「屋根ですな」
「雨が降ったら寝られませんから」
若い男が続ける。
「農具も必要です」
「王都へ逃げるときに、ほとんど置いてきました」
別の女性。
「種がありません」
「去年も、その前も作れませんでしたから」
レオンが頷く。
「記録してください」
「はい」
文官が書き留める。
「井戸の調査」
「家屋の安全確認」
「農具」
「種子」
「それから」
レオンが軍の指揮官を見る。
「当面の警備も必要です」
「兵を置きます」
「お願いします」
セレナは。
そのやり取りを見ていた。
御柱を立てれば。
村が戻る。
そう思っていた。
違う。
御柱は。
戻ることができるようにするだけ。
そこから先は。
人が家を直し。
畑を耕し。
井戸を使えるようにして。
もう一度。
暮らしを作らなければならない。
「セレナ様」
クラリスに呼ばれた。
「はい」
「そろそろ、ご準備を」
セレナは頷いた。
御柱の予定地は。
村から少し離れた高台だった。
昔の記録をもとに。
測量官が位置を確認している。
かつてここにも御柱があった。
地面を掘ると。
前回と同じように。
古い基壇の一部が見つかった。
「ここです」
測量官が言った。
セレナは。
村を振り返る。
屋根の崩れた家々。
荒れた農地。
その向こうに立つ。
ここで暮らしていた人々。
みんな。
こちらを見ている。
「……始めます」
神官たちが配置につく。
護衛隊も。
周囲を固める。
前回。
神聖力へ魔物が集まってきた。
今回は。
それを前提に警戒が組まれている。
ヴィオラがセレナの近くへ立つ。
「何があっても、祈りを続けてください」
「はい」
「こちらは私たちの仕事です」
セレナは。
少し笑った。
「分かっています」
ヴィオラが一瞬。
意外そうな顔をした。
「……何ですか?」
「いえ」
「何かありました?」
「前なら、『ですが』とおっしゃっていたと思いまして」
セレナが黙る。
「私も」
「少しは学びます」
「それは何よりです」
ヴィオラが笑った。
セレナは。
目を閉じる。
祈りが始まった。
淡い光。
地面へ沈む。
神聖力が。
身体から流れていく。
一本目より。
少し。
流れが分かる。
けれど。
楽になったわけではない。
重い。
身体の奥から。
何かを引き出されていくような感覚。
セレナは祈る。
村へ。
人が帰れるように。
その願いが。
以前より。
はっきりしていた。
大地が震える。
護衛兵たちが剣を構える。
遠くで。
魔物の鳴き声がした。
「来るぞ!」
兵士の声。
だが。
今度は早い。
弓兵がすでに構えている。
森から姿を現した魔物へ。
一斉に矢が放たれる。
ヴィオラは動かない。
セレナのそばから。
一歩も。
離れない。
戦闘の音が響く。
それでも。
セレナは祈り続ける。
やがて。
地面が大きく揺れた。
光。
土が割れる。
そして。
二本目の御柱が。
ゆっくりと。
大地から立ち上がった。
神官たちが息を呑む。
御柱が。
完全に姿を現す。
その瞬間。
光が走った。
一本目の御柱へ。
そして。
さらに。
既存の結界へ。
光の線がつながる。
遠くに見えていた結界の壁が。
再び。
動き始めた。
「……!」
避難民たちが。
声を上げる。
光が。
荒れた農地を越える。
村の端へ届く。
さらに。
家々を包んでいく。
井戸。
広場。
壊れた家。
老人が。
指を震わせる。
「あそこ……」
自分の家だった。
淡い光が。
その家を越えた。
村が。
結界の内側へ入った。
「戻った……」
誰かが呟いた。
空気が変わる。
村を覆っていた瘴気が。
少しずつ薄れていく。
井戸の周り。
畑。
道。
まだ。
何も直ってはいない。
家は壊れたまま。
畑も荒れたまま。
でも。
人が。
そこに立てる。
魔物に追われず。
帰ることができる。
一人の女性が。
泣いていた。
老人も。
何も言わず。
村を見つめていた。
セレナは。
ゆっくりと目を開ける。
「……立ちました」
身体が揺れる。
ヴィオラがすぐ支えた。
「はい」
「二本目です」
「はい」
「村は?」
ヴィオラが。
視線を向ける。
セレナも。
その方向を見る。
人々が。
泣いている。
笑っている。
抱き合っている。
セレナは戸惑った。
「どうして……」
老人が。
ゆっくり近づいてくる。
兵士が一度止めようとして。
ヴィオラが確認する。
問題ない。
老人は。
セレナの前まで来ると。
深く。
頭を下げた。
「ありがとうございます」
セレナは。
何も言えなかった。
「私は……」
「御柱を立てただけです」
老人は首を振った。
「それで十分です」
セレナは。
村を見る。
壊れた家。
荒れた畑。
使えるかどうかも分からない井戸。
まだ。
何も終わっていない。
それなのに。
この人たちは。
喜んでいる。
「帰れるからです」
老人が言った。
セレナは。
もう一度。
村を見る。
祖国では。
御柱を守ることは。
聖女の仕事だった。
できて当然。
壊せば問題になる。
維持しても。
誰かが喜んでいる姿を見ることは、ほとんどなかった。
けれど。
ここでは。
一本の御柱が。
誰かの故郷を。
戻した。
セレナは。
自分が立てた御柱を見上げる。
「……あと一本」
隣で。
レオンが笑った。
「今日は二本目です」
セレナが振り返る。
「分かっています」
「本当に?」
「本当にです」
少し間を置いて。
セレナは続けた。
「でも」
遠くを見る。
まだ。
結界の外。
その先に。
水源がある。
町がある。
今回。
取り戻すと決めた場所。
「あと一本です」
レオンも。
同じ方向を見る。
「ええ」
「あと一本です」
二本目の御柱が。
静かに光っていた。




