第10話 王都の光
第10話 王都の光
翌朝。
セレナが目を覚ますと、クラリスがすでにそばにいた。
「おはようございます、セレナ様」
「おはようございます」
身支度を終え、朝食の席へ向かう。
最初に温かいスープが運ばれてきた。
続いて焼きたてのパン。
卵料理。
野菜。
料理は一度にすべて並べられるのではない。
食べ終わる頃を見計らって、次の皿が運ばれてくる。
セレナは三皿目が下げられたところで、クラリスを見る。
「もう御柱へ向かってもよろしいでしょうか」
クラリスは表情を変えない。
「まだ朝食の途中でございます」
「ですが、もう十分いただきました」
そこへ次の皿が運ばれてきた。
肉料理だった。
セレナは皿を見る。
「……まだあるのですね」
「ございます」
「戻ってからではいけませんか?」
「いけません」
「昨日の続きが残っています」
「存じております」
クラリスは淡々と答えた。
「ですが、朝食を途中で切り上げる理由にはなりません」
セレナは少し黙った。
この国では、朝からしっかり食事を取る。
その代わり、昼食は取らない。
午後三時ごろに、茶とともに軽い食事を取る。
夕食は、家族がダイニングに集まって取るのが一般的だった。
だからこそ。
朝食を途中で終えるということは、そのまま午後まで何も食べないということになる。
「……では、もう少しだけ」
「全部です」
「クラリス」
「全部です」
セレナは小さく息を吐いた。
そこへ、扉の外から声がした。
ヴィオラが確認し、扉が開く。
レオンが二人の護衛を伴って入ってきた。
「おはようございます、セレナ殿」
「おはようございます、殿下」
レオンは卓上の料理を見る。
そしてセレナを見る。
「まだ朝食中でしたか」
「はい」
セレナが答える。
「ですが、そろそろ御柱へ向かおうかと」
クラリスがすぐに言った。
「まだ終わっておりません」
レオンは迷わなかった。
「では、終わってからですね」
セレナがレオンを見る。
「殿下まで……」
「昨日、御柱の前で倒れかけたでしょう」
「倒れてはいません」
ヴィオラが淡々と口を挟む。
「私が支えましたので」
セレナは黙った。
そこへ、また次の皿が運ばれてきた。
果物と乳製品。
セレナはそれを見つめる。
「……まだあるのですね」
クラリスが答えた。
「ございます」
セレナは仕方なく、次の皿へ手を伸ばした。
十分に休んだあと。
セレナたちは昨日の御柱へ向かった。
御柱の周囲には、昨日と同じように警備が敷かれている。
ヴィオラが先に周囲を確認する。
レティシアとマリアンヌも配置につく。
クラリス、エマ、ソフィア。
神官たち。
レオンと、その護衛二人。
それぞれが自分の役割についた。
セレナは御柱の前へ進む。
昨日の祈りによって、柱はかなり力を取り戻していた。
それでも、まだ亀裂が残っている。
「始めます」
セレナは膝をついた。
目を閉じる。
祈る。
淡い光が身体を包み、御柱へ流れ込んでいく。
昨日より穏やかな光だった。
神聖力が少しずつ満ちていく。
残っていた亀裂が閉じる。
御柱の光が強くなる。
そして。
柱から伸びる結界の一辺が、はっきりと輝いた。
「……戻った」
神官の一人が呟いた。
遠くから歓声が聞こえる。
王都の外縁にいた人々が、光を見上げていた。
セレナは祈りを終え、ゆっくり目を開く。
「終わりました」
レオンが御柱を見上げる。
「これで一本目は大丈夫なのですか?」
「はい」
セレナは立ち上がった。
「では、次へ行きましょう」
クラリスが言った。
「行きません」
セレナが振り返る。
「え?」
「本日はここまでです」
「ですが、まだ二本あります」
「明日にいたしましょう」
「まだ十分に動けます」
クラリスは答えない。
セレナはレオンを見る。
レオンも首を横に振った。
次にヴィオラを見る。
「明日になさいませ」
エマは何も言わず、水を差し出した。
ソフィアはすでに帰りの予定を確認している。
神官たちも、次の御柱へ向かう様子はない。
セレナは周囲を見回した。
「……皆さん、クラリスの味方なのですね」
クラリスが答える。
「セレナ様のお身体の味方でございます」
セレナは少し困った顔をした。
遠くに見える二本目の御柱へ視線を向ける。
まだ行ける。
まだ祈れる。
けれど。
昨日のことを思い出した。
「……分かりました」
クラリスの表情が、ほんの少し緩んだ。
翌日。
二本目の御柱。
こちらは王都周辺の農地と水源を守る柱だった。
セレナが祈り始める。
神聖力が御柱へ流れ込んでいく。
弱っていた光が、少しずつ澄んでいく。
結界が強くなるにつれて、周囲の空気も変わった。
用水路を流れる水から、薄く混じっていた瘴気が消えていく。
畑に漂っていた重い空気も薄れていく。
農民たちが遠巻きに見守っていた。
やがてセレナが祈りを終える。
一人の老人が帽子を取った。
「聖女様……ありがとうございます」
セレナが振り返る。
別の農民も頭を下げた。
「これで、水が戻ります」
「畑も助かります」
「ありがとうございます」
次々と声が上がる。
セレナは少し戸惑った。
「私は、御柱を戻しただけです」
老人が首を横に振る。
「その御柱が、私たちを守ってくれているんです」
セレナは言葉に詰まった。
祖国でも、何度も御柱を巡った。
祈った。
補修した。
神聖力を満たした。
けれど。
それは聖女として当然の仕事だった。
誰かに礼を言われるようなことだとは、あまり考えたことがなかった。
「……どういたしまして」
少し迷ってから、セレナはそう答えた。
そして三本目。
最も状態の悪かった御柱。
セレナは柱の前へ座る。
クラリスから、今日も念を押された。
無理をしないこと。
途中でも体調が悪くなれば止めること。
セレナはすべてに、
「はい」
と答えた。
そして祈り始める。
光が流れる。
弱り切っていた御柱が、神聖力を受け取っていく。
一本目。
二本目。
そして三本目。
三つの御柱の光がつながっていく。
最後の亀裂が閉じた。
その瞬間。
強い光が空へ走った。
三本の御柱を結ぶ巨大な三角形。
結界が一気に明るくなる。
王都を覆っていた薄い瘴気が押し出されていく。
遠くで魔物の鳴き声が響く。
その声も、次第に遠ざかっていく。
空気が澄む。
水が光を反射する。
畑を渡る風が変わる。
そして。
王都の鐘が鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
人々が通りへ出る。
空を見上げる。
長い間、弱い光しか放っていなかった結界。
前任の聖女を失って以来、少しずつ縮み続けてきた光。
その結界が。
今、はっきりと王都を包んでいた。
歓声が上がる。
「結界が戻った!」
「御柱が!」
「聖女様だ!」
「聖女様が戻してくださった!」
セレナは、その声を聞きながら立ち上がった。
レオンが隣へ来る。
「あなたのおかげで、王都は救われました」
セレナは光の壁を見る。
そして。
首を横に振った。
「いいえ」
レオンがセレナを見る。
「これでは王都しか守れません」
セレナは結界の向こうを見る。
放棄された村。
誰もいなくなった町。
荒れた農地。
使われなくなった街道。
そこには、まだ国がある。
人が暮らしていた土地がある。
「三本の御柱では、ここまでです」
レオンも光の壁の向こうへ視線を向ける。
「今ある御柱を維持しているだけでは、国土は戻らないということですね」
「はい」
セレナは答える。
「国を救うなら、新しい御柱が必要です」
レオンがセレナを見る。
「新しい御柱を?」
「はい」
今ある三本より、さらに外へ。
新たな場所へ御柱を立てる。
結界を広げる。
失われた土地を、再び人が暮らせる場所へ戻す。
レオンはしばらく黙っていた。
そして尋ねる。
「そこまでして、我が国を救ってくれるのですか」
セレナは少し考えた。
祖国では。
聖女だから祈った。
国王から命じられた。
国教から求められた。
それが自分の役目だった。
今は違う。
誰からも命じられていない。
ここは自分の祖国でもない。
それでも。
結界の向こうには、捨てられた土地がある。
そこから逃げてきた人々がいる。
帰る場所を失った人がいる。
セレナは答えた。
「救える人がいるのなら、私は祈ります」
レオンは何も言わなかった。
ただ、静かにうなずいた。
セレナはもう一度、結界の向こうを見た。
王都は救われた。
けれど。
国は、まだ救われていない。
ならば。
次は、その先へ行けばいい。




