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潮合の調律

平家物語の世界を土台に、「安徳天皇が壇ノ浦で死なず生き延びていた」というifを、祝詞と潮流が動く歴史ファンタジーへ落とした作品です。執筆にAIを使用しています。史実との乖離は、意図的な創作です。


語り手は、十歳の半纏少年・竹造(のち竹崎季長)です。親も畑もなく、米のために船に乗った——それだけの話から始まります。山みたいな魚を捕る、というバカな話の船。舳先に座る、海ばかり見る同い年。名を、言仁ときひとといいます。


この第1話は、潮の目が変わる日のことです。クジラが来る。銛が走る。竹造は、まだ何も見えていません。引き綱の端を握っているだけです。


三部で完結する物語の、最初の一節です。お気軽にどうぞ。

第1話 潮合の調律



 米のために船へ乗った。それだけだ。


 背が低い。歳は十。親はいない。畑もない。陸にいても、誰の口減らしの数にも入れてもらえなかった。そういう子供が生きていくには、誰かが余らせた米のそばに立つしかない。

 浜で寝ていたら、足で小突かれた。

「おい、背の低いの。手は二本あるか」

 網師の爺だった。あとで弁助と呼ぶ男だ。返事より先に腹が鳴った。爺はそれを返事と取った。

「乗れ。網を引け。引いた分だけ、米をやる」

 そうして俺は、バカな話の船に乗った。


 バカな話、というのは俺がつけた名じゃない。乗った連中が自分で言っていた。

「山みたいな魚を捕る」

 山みたいな魚。海の上に山が泳いでいて、それを縄と銛で陸まで引いてくるのだという。聞いたとき、俺は笑わなかった。笑う力も惜しかった。腹が空いている子供は、たいていのことを信じる。信じれば米が出てくるなら、山でも泳がせておけばいい。


 船の上には、役の決まった大人がいた。

 舵を握るのが船頭の頼舟。言葉は短い。褒めない。笑うときは口の端だけ動く。

 帆と出港の責めを負うのが親方の親彦。肩がいつも下がっている。重い物を背負ったまま降ろし方を忘れた、そういう肩だ。

 釜を守るのが炊きの女、お先。口数が少ない。神の名前ばかり小さく唱えている。

 網と縄の段取りは弁助。俺に「端、持て」としか言わない。

 その中で、与市という若い男だけが、俺に普通の声をかけた。

「与兄でいいぜ。焼け野原よりマシな飯が食えるとこだ、ここは」

 二十二だと言っていた。戦で焼けたほうから来たらしい。軽い口だが、目だけは妙に先まで見ていた。


 そして、銛長がいた。


 舳先に、海ばかり見ている子供がひとり座っている。歳は俺と同じ、十。だが、体は大人を二回りにしたほどある。声を出さない。こちらを見ない。波の向こうの、何もない一点を、ずっと見ている。

 名を、言仁ときひとといった。

「あれが銛長だ」と与市が言った。「銛長がいねえ日はな、漁はやらねえ。潮干狩りだ」

 潮干狩り。十歳の子供がいないと、大人が貝拾いに格下げになる。俺はそれを、また笑わなかった。笑えなかった。船の連中が、本気でそう信じている顔をしていたからだ。

 怖い、と最初に思った。海より、その静かな横顔のほうが怖かった。何を考えているか、まるで読めない。



 潮の目が、変わった。


 俺にはわからない。海は海だ。だが、大人たちの背筋が一斉に伸びた。それで変わったのだとわかった。

「銛長が、黙ってる」

 弁助が言った。さっきまでも黙っていたじゃねえか、と思ったが、違うらしい。

「あれが静かなときは、近い」

 近い、とは何が。聞く前に、舳先の子供が口を開いた。

「魚じゃない」

 はじめて聞いた声だった。低くも高くもない。波の音の隙間に、すっと差し込むような声だ。

「クジラだ」

 甲板の空気が、ひと呼吸で張った。誰も疑わない。海の何が見えているのか、誰にも見えていないのに、誰も疑わない。みんな、あの子供の眼だけを信じている。

 お先が小さく唱えた。「眼、だけ」。神の名を呼ぶのと同じ調子だった。

 俺だけが、まだ何も見ていなかった。態度を読むどころじゃない。引き綱の端を握って、ただ突っ立っていた。



 来た。


 海が、盛り上がった。

 山だ、と思った。バカな話は本当だった。黒い背が波を割り、白い飛沫が空に立った。船が木の葉になった。大人が叫んだ。誰が誰に何を言っているのか、もうわからない。お先が神の名を続けざまに呼ぶ。親彦が呻く。船全体が、悲鳴の塊になった。

 その塊の真ん中で、ひとりだけ静かな声がした。

「右舷、十五間。息する」

 言仁ときひとだった。見えるはずがない。波の下だ。なのに、まるで水の中がぜんぶ透けて見えているように、言いきった。

「息する」――そこへ、息のために浮く、と。

 言仁ときひとが、息を吐いた。長く、低く。波の打つ間に、その吐息をそっと重ねていく。海の呼吸と、自分の呼吸を、合わせていく。

 潮合、と弁助が呟いた。あとで覚えた言葉だ。そのときの俺は、ただ、船の揺れまで静まったような気がしただけだった。

 言仁ときひとの口が、速く動いた。


「ひ、ふ、み――

 ふる、とがれ、れ。

 ゆら、め。

 と、せ」


 何を言っているのかは、わからない。早口の唱えだ、とは思わない。もっと深いところで何かを呼んでいる、そういう声だった。言われたとおりに、銛が走った。一番モリ。長い柄の先が、十五間の海面が割れたその一点へ、吸い込まれていった。

 黒い山が、震えた。

「打て」と頼舟。

 与市と弁助が縄付きの銛を投げた。皮に喰い込ませ、引き綱を張る。巨体が船側に縛り付けられる。船が大きく傾いだ。俺は端を握ったまま、足を踏ん張った。

 言仁ときひとが、もう一度、銛を構えた。今度は唱えなかった。

 ただ、刺した。

 咆哮が、途切れた。

 海が、静かになった。



「網を引け、竹造」


 言仁ときひとが、こちらを見もせずに言った。はじめて、名を呼ばれた気がした。

 俺は引いた。手のひらが裂けた。それでも引いた。引いた分だけ米になる、と弁助が言ったからだ。船は、捕った山を横抱きにして、ゆっくりと岸を目指した。

「どこへ運ぶ」と俺。

「岬の内の浜だ」と与市。「あそこの砂で、捌く。船の上じゃやらねえ。やったら全員、海に落ちる」

 帰る港の話は、誰もしなかった。気づけば、もう降りられる港など、どこにもない流れに乗っていた。米のために乗っただけの船が、知らない浜へ、俺ごと運ばれていく。


 舳先で、言仁ときひとがまた海を見ていた。

 ついていけば、飯は食える。それだけは、はっきりした。

 ただ、あいつが何を考えているのかは、相変わらず、何ひとつ読めなかった。


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― 新着の感想 ―
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