こぎさんはおしりがかわいい -2-
「なあ、高虎」
「んー?」
夕食を終えたあとのリビングで、高虎はソファに腰を下ろし、テレビの画面を眺めていた。
千尋は、その隣に腰を下ろしている。正確には、座ってからもう十分ほど経っているのだが、先ほどから妙に落ち着かない。
膝の上に置いた手を組み直したり、クッションの角をいじったり、ちらちらと恋人の横顔を盗み見たりしている。高虎は当然、それに気づいていた。
「どうしたの」
「……いや」
「うん」
「ちょっと聞きたいことがあって」
「何?」
高虎の黒い前髪の下で、琥珀色の目が瞬く。千尋は一度口を開いて、また閉じた。
普段なら、こんなことで言い淀んだりしない。
好きなら好きと言うし、抱きしめてほしければ抱きしめろと言う。褒めてほしいときには褒めろと要求するし、甘やかしてほしいときには遠慮なく甘える。
けれど、今日ばかりは少し違った。好きだと言われていることは知っている。
大事にされていることだって、わかっている。
それでも、改めて自分のどこが好きなのかと尋ねるのは、何だか妙に照れくさかった。
「……お前さ」
「うん」
「俺のこと、好きじゃん」
「好きだね」
「……ん。そ、そうだよな」
即答されて、千尋は思わず視線を落とした。
こういうところが、ずるい。
高虎は好きだのかわいいだのを、呼吸でもするように言ってのける。言葉にすることを恥ずかしがらないくせに、いざこちらが照れていると、決まって少し楽しそうな顔をするのだ。
千尋はクッションを抱き直し、その端に顎を埋めた。
「……じゃあさ」
「うん?」
「俺の、どこが好きなんだよ」
聞いてしまってから、急に恥ずかしくなった千尋は、クッションを抱く腕に少し力を込め、横目で高虎の顔を窺う。
高虎は、しばらく千尋を見ていた。何かを考えているような、いないような。いつもと変わらない顔だった。
そして。
「ケツ?」
「…………は?」
「ケツ」
「聞こえてるわ!!」
千尋が抱え込んでいたクッションが飛び、高虎はそれを難なく受け止めた。
「お前なあ、人が! 人がちょっと、真面目に聞いてんのに!!」
「うん」
「うんじゃねえ! もっとあるだろ!? 性格とか顔とか、仕事頑張ってるところとか!」
「あるね。いつもがんばってて偉いね、こぎさん」
「あるならそっち言えよ!」
「一番って聞かれたから」
「一番が尻なのかよ!」
高虎はとうとう、くつくつと声を漏らし、肩を揺らして笑い始めた。千尋はその顔を見て、ようやく理解した。
こいつ、最初からふざけてやがった。
「高虎ァ!」
「ごめん、ごめん」
「絶対思ってねえだろ!!」
「思っとるよ。かわいいもん」
千尋はソファの上で膝立ちになり、恋人の肩を両手で掴んで揺さぶった。高虎は、されるがままになっている。
そのくせ笑いを堪えようともしないので、ますます腹が立つ。
「お前、俺がどんだけ勇気出して聞いたと思ってんだよ」
「うん。かわいかった」
「全部かわいいで済ませるな!」
「じゃあ、ちゃんと答える?」
高虎がそう言ったので、千尋はぴたりと動きを止めた。
肩を掴んでいた手から力が抜ける。
「……最初からそうしろよ」
「ごめんね」
高虎は笑いの残る顔で千尋を見上げ、それから、その腰へ両腕を回した。
膝立ちになっていた千尋の身体がゆっくり引き寄せられ、自然と高虎の膝の上へ落ち着く。
千尋は抵抗せず、むしろ、座りやすいように少し腰を動かした。
「で?」
「ん?」
「だから、どこが好きなんだよ。早く言え」
今度は、先ほどより少しだけ小さな声だった。高虎は、千尋の顔をじっと見つめた。
「こぎさんのこと、全部好きだけど」
「……うん」
「一緒にいると楽だから、かな」
千尋は押し黙った。予想していた答えとは、少し違ったのだ。
かわいいとか、優しいとか、面白いとか。そういう言葉が返ってくるものだと思っていたし、実際、どれを言われても嬉しかっただろう。
けれど、高虎が選んだのは、もっと何でもない言葉だった。
「……楽?」
「うん」
高虎は頷き、千尋の背中へ回した手をゆっくり動かした。
「黙っとっても気まずくないし、疲れて帰ってきても、こぎさんいると落ち着くし」
「おう」
「変に気ぃ遣わなくていいし。甘えたいときは甘えられるし」
「……うん」
「あと、一緒におると楽しい」
千尋は、つい俯いた。胸の奥が、じわりと温かくなる。
高虎はもともと口数の多い男ではない。必要なことは話すし、ふざけるときにはふざけるけれど、何もないところから長々と言葉を並べるような性格ではなかった。
そんな男が、自分と一緒にいることを楽だと言う。
それが千尋には、思っていた以上に喜ばしいことだった。
「……そっか」
「うん」
「俺も……。俺も、お前といると楽だよ」
高虎の口元が、わずかに緩んだ。
「知っとるよ」
「へ?」
「こぎさん、俺とおるとき、ずっと楽しそうだから」
千尋は、何も言えなくなった。
実際、そうなのだ。
仕事でどれだけ気を遣って帰ってきても、この男の前では格好をつけなくていい。
年上だからと背伸びをする必要もないし、疲れたときには疲れたと言える。甘えたいときには甘えられるし、反対に高虎が疲れていれば、自分だって思いきり甘やかしてやれる。
それが、ひどく心地いい。
「……お前、そういうとこあるよな」
「どういうとこ?」
「べつに。わかんねぇならいい」
千尋は、高虎の肩に額を押しつけた。
顔が熱い。たぶん、耳まで赤くなっている。
高虎の手が背中を撫でる。大きな手のひらが肩甲骨のあたりをゆっくり往復する感触に、千尋は小さく息を吐いた。
「……高虎、好き」
「うん。俺も好き」
「もっとぎゅってして」
「はい」
腕の力強さに千尋は目を細め、恋人の首へ両腕を回した。
こうしていると、六つの年齢差も、二十九センチの身長差も、何も気にならない。
ただ、好きな相手に抱きしめられている。十分なことだった。
しばらくして、高虎がぽつりと言った。
「……あと、ケツもかわいいからね」
千尋は顔を上げ、目を眇めた。
「……お前」
「ん?」
「今、なんつった?」
「ケツも好き、って」
「台無しだよお前はよ」
千尋は呆れ、怒りながらも、恋人の膝から降りようとはしなかった。
古木千尋は、おしりがかわいい。
なお、本人は顔のほうにも自信がある。




