第5話 たかとら、おしりのかわいさに気付く -1-
恋人になって五日目の夕方、瀬川高虎は古木千尋の部屋で、夕飯の支度を手伝っていた。
もっとも、献立を決めて調理を進めているのは千尋のほうだ。高虎は頼まれた野菜を切り終え、次に使う道具を渡したり、空いた調理器具を洗ったりしているところだった。
千尋に言わせれば、二人で台所に立っているのだから、立派な共同作業だという。
「高虎、そっちのボウル取ってくれる?」
「これ?」
「そうそう、ありがと。あと、切ってもらった玉ねぎも入れちゃって」
「わかった」
千尋が差し出した手にステンレス製のボウルを渡し、高虎はまな板の上に残っていた玉ねぎを移した。
包丁についた細かな欠片まで丁寧に集めてから流しへ運ぶと、千尋が横から覗き込み、綺麗に揃ったみじん切りを見て、感心したように声を漏らす。
「お前、ほんと包丁使うの上手いな! 粒が綺麗に揃ってる」
「でもこぎさんのほうが、料理しとるよね」
「料理はするけど、俺のみじん切りはもうちょっと自由奔放なんだよ。玉ねぎにも個性があるっていうか」
「大きさ揃えたほうが火通るよ?」
「わかってるんですけどねえ。そこまで丁寧にやる根気がないんですよねえ」
千尋がわざとらしく肩を竦めると、高虎は口元を緩め、使い終えた包丁を洗い始めた。
千尋の部屋のキッチンは、二人で並んで使うには少しばかり狭い。
高虎が身体の向きを変えるたび、広い肩が背後の食器棚に近づくし、千尋が冷蔵庫へ移動しようとすれば、どちらかが一歩退いて通り道を作らなければならなかった。
それでも、居候をしていた一週間のあいだに、二人は互いの動き方をずいぶん覚えた。
千尋が調味料を取ろうとすれば、高虎は声をかけられる前に身体をずらすし、高虎が洗い物を始めれば、千尋はその手元に水が跳ねないよう、食材を少し離れた場所へ移す。
背丈も腕の長さもまるで違う二人だったが、相手がどこに立っていれば動きやすいかは、もう大体わかっていた。
ただ、恋人になってから、以前とは少し違うことも増えた。
「ちょっと通るぞ」
「ん」
冷蔵庫へ向かう千尋が、高虎の脇腹へ軽く手を添えた。
声をかければ通れるだけの隙間はあるし、触れなくても困ることはない。それでも千尋は、すれ違うときに指先で高虎の腰を軽く押し、通り抜けてからも一度だけその背中へ手を滑らせた。
高虎は蛇口を閉めながら、横目で千尋を追った。
以前から千尋は人との距離が近いほうだったが、恋人になってからの接触には、少しだけ違う意味がある。こちらに触れたいと思ったから触れているのだとわかる瞬間があり、それが高虎には嬉しかった。
だから最近は、高虎のほうからも千尋の肩や腰へ触れることが増えている。最初は、狭い場所ですれ違うときに身体を支える程度だった。
けれど、千尋が嫌がるどころか、時折こちらを見上げて嬉しそうにするものだから、今ではソファに並んで座っているときにも、自然とその身体へ手が伸びる。
恋人になる前から好きだった相手なのに、付き合い始めてから知ることが、まだいくつもあった。
「あれ?」
冷蔵庫を開けた千尋が、何かを探すように棚を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「保存容器が見当たんなくてさぁ。昨日ここに入れたと思ったんだけどな」
「上の棚やない?」
「上?」
千尋は冷蔵庫の扉を閉め、頭上の吊り戸棚を見上げた。
そこには、使用頻度の低い保存容器や製菓道具が収められており、千尋にとっては少々使い勝手の悪い場所だった。踏み台を使えば問題なく届くものの、毎回わざわざ取り出すのが面倒で、つい背伸びで済ませようとしてしまう。
「ああ、そうだった。昨日洗って、そのまま上にしまったんだ」
「取ろうか?」
「いや、届く届く。このくらいなら平気」
千尋はそう言って、吊り戸棚の扉を開いた。
踵を浮かせ、片手で棚の縁を掴みながら、もう片方の手を奥へ伸ばす。指先は目当ての容器に触れているらしいが、重ねて置いた別の容器が邪魔になっているようで、なかなか取り出せない。
「ん、くっ……、届いてるん、だけどな」
高虎は流し台の前から、その後ろ姿を眺めていた。
千尋は小柄だが、身体つきそのものはすっきりしている。肩幅は高虎ほど広くなく、腰も細いものの、仕事で会場を歩き回ることが多いせいか、脚には適度に筋肉がついていた。
普段は柔らかなニットや、少しゆとりのある服を好むため、身体の線がはっきり見えることはあまりない。ところが今は、棚の奥へ手を伸ばすために背筋が伸び、薄手のスウェットが、腰のあたりで引っ張られていた。
高虎は、ふと視線を止めた。
細い腰の下に、思っていたよりも綺麗な丸みがある。
全体としては小柄ですっきりした体格なのに、尻のあたりには柔らかな曲線があり、スウェットの布地がその形に沿って、緩やかに膨らんでいた。
爪先立ちになっているせいで、腰の位置が少し上がり、普段はあまり意識しない輪郭が、今は妙にはっきり見えて、高虎はつい目を細めた。
これまで何度も見てきた後ろ姿だ。
居候していた頃にも、千尋がキッチンで背伸びをするところは見たし、洗濯物を干すために屈んでいるところだって見ている。
だがその頃の高虎は、千尋の身体をこんな気持ちで眺めたことがなかったのだ。
好きな人だとは思っていた。
笑った顔がかわいいとか、よく動く口元が面白いとか。そういうことは何度も考えていたし、抱きしめたら自分の腕の中にすっぽり収まりそうだとも、思っていた。
実際、恋人になってから抱きしめてみると、想像していた以上に身体の大きさが違っていて、それにも少し驚いた。
そして今、またひとつ新しい発見をしている。
(こぎさんのおしり、かわいいな)
高虎は、至って真面目にそう思った。




