たかとら、おしりのかわいさに気付く -2-
「あとちょっと、なのにー!」
千尋が爪先立ちのまま、棚の奥へ指を伸ばす。
不満げなその声を聞いて、高虎はようやく我に返り、その背後へ歩み寄った。
「こぎさん、俺が取るよ」
「あ、頼む。なんか引っかかってんだよ」
高虎が千尋の横から片手を伸ばすと、目当ての保存容器はあっさりと棚から取り出せた。
千尋はかかとを下ろし、振り返って容器を受け取る。
「ありがとな」
「うん」
高虎は容器を渡したものの、すぐには元の場所へ戻らなかった。千尋の腰へ視線を落とし、少し考える。
先ほどまで、ただかわいいと思って眺めていたものが、こうして正面から向き合うと見えなくなってしまう。
当たり前のことだが、少々惜しい。
「高虎?」
「ん?」
「何見てんの。服になんかついてる?」
千尋が、自分の腹のあたりを見下ろす。高虎は首を振ると、素直に答えた。
「こぎさん、おしりかわいいね」
無表情なまま落とされたその声に、千尋の動きがぴたりと止まった。
「……は?」
「おしり」
「いや、聞こえたけど。何、いきなり」
「今気づいた。こぎさんのおしり、形いいなって」
千尋は保存容器を胸の前に抱えたまま、高虎をまじまじと見上げた。
高虎は至って真面目な顔をしている。少なくとも、からかっている様子はないようだ。
「お前、夕飯作ってる途中で何を発見してんだよ」
「背伸びしとったからさ、よく見えた」
「見えたって……、そんなとこ見てたのか、お前!」
「うん」
「堂々と言うな!」
千尋は呆れて返したものの、嫌悪感があるわけではなかった。
むしろ、好きな相手からかわいいと言われたこと自体は、かなり嬉しい。
ただ、対象が尻となると話が少々変わってくる。顔でもなければ服装でもなく。
よりによって、尻。
しかも高虎は、何か宝物でも発見したかのような顔で、今も千尋の腰のあたりを見ている。いつもは覇気のない目が妙にきらきらとしていて、千尋は少しぎょっとした。
「お前さあ、俺の尻なんか見て何が楽しいんだよ」
高虎は視線を落とし、指を折ってひとつずつ答え始める。
「まず、形がいいやろ」
「形?」
「丸くて、かわいい。腰が細いから余計そう見えるのかも」
「へえ?」
「服の上からでもわかる」
「……ほほう」
千尋は保存容器を調理台へ置き、何気ない顔を装って、腰に手を当てた。
自分の尻の形など、普段それほど気にすることはない。もちろん鏡で見たことくらいはあるが、他人からこうも真剣に褒められる機会はそうそうないだろう。
それも、相手はつい五日前に恋人になったばかりの男である。六つも年下で、二十九センチも背が高く、普段はあまり余計なことを喋らないくせに、こういうときだけ妙に素直なことを言う。
悪い気がするはずもなかった。
「こぎさん、嬉しい?」
「いや、まあ。褒められてるわけだし、悪い気はしねえけど」
「うん、褒めとるよ」
「だよな。……俺の尻、そんなにいいのか」
「かわいい」
千尋は鼻からふんと息を吐き、満足げに頷いた。高虎はその反応を見て、口元を緩める。
どうやら千尋は、自分の尻を褒められることにも、それほど抵抗がないらしい。むしろ、褒めれば褒めるほど機嫌がよくなっている。
その様子があまりに愉快に思えて、高虎はもう少しだけ、見てみたくなった。
「こぎさん、後ろ向いてみて。もう一回見たい」
「お前、そんなに気に入ったの?」
「うん」
「そーお? しょうがねえなあ」
千尋は得意げに、くるりと背を向けた。腰に手を当てたまま振り返る。
「ほら。どうだ」
高虎はじっくりと、その後ろ姿を眺めた。
先ほどよりも姿勢がよくなったせいで、スウェットの布地が腰から尻へ自然に沿い、丸みのある輪郭がいっそうわかりやすくなっている。
高虎は感心したように頷いた。
「やっぱりかわいい」
「だろ?」
「うん。すごくいい」
「そこまで言われると、それはそれで照れんだけど」
そう言いながらも、千尋の顔はまったく困っていなかった。
むしろ、褒められることが楽しくなってきたらしく、少しだけ腰の角度を変えてみせる。
「こっちから見てもいい感じ?」
「いいね」
「そうか。俺、今まで知らなかったわ。自分の尻にこんな才能があったとは」
高虎はとうとう堪えきれず、声を漏らして笑った。
「ふっ」
「何笑ってんだよ。お前が褒めるからだろ」
「うん。かわいいなと思って」
「尻がだろ?」
「ううん。こぎさんも」
千尋はうっと言葉を詰まらせた。高虎は、こういうことを平気な顔で言うので困る。
こちらが少し調子に乗ってふざけているときほど、真面目な声で好きだとかかわいいだとか言われるものだから、どうにも調子が狂う。
「まったく、お前は」
千尋は照れ隠しにそう言って、保存容器を手に取った。
そろそろ夕飯の支度を再開しなければならない。そう思って身体を調理台へと向け直した、そのときだった。
「こぎさん。触ってもいい?」
「何を?」
「おしり」
今、自分は何を言われたのだろう。千尋は眉を寄せ、ゆっくり振り返った。
高虎は相変わらず、落ち着いた顔をしている。
「お前さあ、付き合って何日だと思ってんの?」
「五日」
「数えてんのかよ」
「こぎさんは数えとらんの?」
「数えてるけど!」
高虎は、ふっと口元を緩めた。その顔を見て千尋は、なんとなく負けたような気分になる。
「いや、そうじゃなくてさ。お前……、お前さあ」
「やっぱ、嫌だった?」
「いやあの、嫌ってわけじゃ、ないけど」
千尋は腕を組み、考え込んだ。恋人に触れられること自体は嬉しいし、高虎の手が大きくて温かいことも、もう知っている。
付き合い始めてからの五日間で、手を繋いだり、抱きしめられたり、帰り際にキスをしたりすることには、少しずつ慣れてきた。
ただ、尻を触らせるというのは、それまでの接触とは少しばかり、意味合いが違うのではないだろうか。
とはいえ、相手は自分の恋人である。その恋人が、こちらの尻をかわいいと褒め、触ってみたいと言っている。
千尋は高虎を見上げた。
「そんなに触りたいのか? ……なんで?」
「かわいいから。触り心地、どんな感じなのか気になる」
高虎はそう答え、千尋の顔をじっと見つめた。
驚くべきことに、その目にはふざけた色がほとんどなかった。本当に気になっているらしい。
千尋はその顔をしばらく眺め、それから小さく息を吐いた。
「まあ、そんなに言うなら?」
「いいの?」
「……いいよ。減るもんじゃねえし」
「やった」
「お前、ほんと素直だな」
露骨に目を輝かせている高虎に、千尋は呆れたように笑い、保存容器をもう一度調理台へ置いた。
高虎は千尋の正面から少し横へ移動し、本当に嫌がっていないか、手を伸ばす前にその表情を確かめた。
「じゃあ、触るね」
「お、おう」
千尋は唇を噛み、少し背筋を伸ばした。
高虎の手が腰へ添えられ、そこからゆっくり下へ移動する。スウェットの布地越しに、大きな掌が片方の尻へ触れた。
指先が丸みに沿って収まり、掌の中央が軽く布地を押す。千尋は思わず、肩を揺らした。




