#31 セットアップ
六課の乗っ取り事件から数日後、狭いワンルームで3人は身を寄せ合ってオンライン会議に出席していた。
『…と言う訳で、プロップバクテリウムを含め、医学的には全員健康体なのは間違いない』
六課捜査員全員を検査、観察していた公安常駐医の森永卓志は疲れ切った顔で報告を終える。
公安に軟禁状態だった捜査員達は拍手して喜ぶ。
『ありがとう、卓志。ご苦労様。今日は早めに上がって休んでくれ』
卓志を労った清水は、パンパンと手を叩いて気を引き締め直す。
『だが依然として予断を許さない状況だ。テュラノスが我々を狙ってくることは明白、これまで以上に気を引き締める必要があるぞ。内勤組は今いる場所から在宅勤務に移行してくれ…』
部下に指示を出していく清水。
乗っ取り事件では軽微な被害を出したものの、得られた情報は大きかった。
『面倒にはなるが、西園寺が作ったこのアプリをデバイスに入れておいてくれ』
テュラノスは乗っ取った人間の記憶を知ることはできない。
『定期、不定期に本人確認を求められるだけのアプリだが、対応を怠るとテュラノス認定されるから注意してくれ。パスワードは各員3種類、求められたものに答えるだけだが、メモを取って保管するのは禁止だ。しっかりと記憶しておいてくれ』
テュラノスを見破るには合言葉が有効であること、そして乗っ取られている間の記憶は存在しないということ。捜査員達が実体験することでこの事実は共有されることになった。
『自分で起動して本人確認する使い方もできる。疑われた時はこれで証明するように』
「あくまでもパスワード設定時に本人であること、パスワード入力時に他者に見られないことが重要です。これからまた1人ずつ軽く面談してからアプリを送りますので、よろしくお願いします。パスワード入力時はテュラノスが居ると仮定して、デバイスを身体に密着させるようにして入力してください」
舞杏と真夏に挟まれる双連が説明する。
『では、全体会議は終了。呼ばれた者から課長室に来るように』
会議が終了してモニターから捜査員達が消えていく。
「ふぅー、終わった!ゲームしようぜぇ!」
会議中ぼーっとしていただけの舞杏が息を吹き返したように笑顔になると、透かさず双連の肘が舞杏の脇腹に刺さる。
「ふぐぅっ!」
「主任はゴーグルを取りに行く予定だったはずですけど?」
技研に複製を依頼していたゴーグルの簡易版が完成したとのことで、引き取りに行くことになっていた。
「わ、わかってるよ!冗談に決まってるだろ、今行こうと思ってたのに!あーもう!そんな風に言われるとやる気がなくなっちゃうじゃないか!」
子供みたいな言い訳をブーブー言いながらもよっこらせと立ち上がる舞杏。
「…ガキ…」
「ん?何か言ったかい?」
「いえ、何も…」
「…ふ~ん…。そうだ、真夏君も一緒に行くかい?帰りにみなみ君に会ってってもいいよ」
「え、あ、はい。それなら私も」
立ち上がってローブを羽織りスカーレットを抱える。40秒で支度を済ませた真夏は舞杏と一緒に技研に向かった。
平日の昼間、都内の公園は閑散としている。
散歩している老人が数名、池の横のベンチでぼーっとしている青年が1人。
青年は暇そうに池を眺めているが、時折思い出したようにデバイスを開いては求人サイトを確認している。
「はぁ…。就活ってどうすんだよ…」
元防衛省のエース、一色蒼龍(無職)は途方に暮れている。
とりあえず生活の為にと近場でバイトを探すが、ドッキリと疑われて断られてしまう。対怪人部隊のエースとして知名度が高いことがマイナスに働いてしまったのだ。
貯金はそこそこあるが、ローンもある為ダラダラしてはいられない。
軍法会議まで覚悟をしての命令違反、無断出撃だったが、昼間の公園で就職の壁にぶつかって落ち込むとは思っていなかった。
学生時代のロボット競技で目を付けられて防衛省にスカウトされた一色。自身も進路を防衛省か警察でバトルフレームに乗ることと決めていた一色は、防衛省に即決した為就職活動の経験がない。
「…建築関係は知識がないけど、工業用のロボットフレームも基本操作は同じだしなぁ…。そっちを目指すか…?」
土木、建築関係の求人を見るが、アットホームな職場の募集ばかりで何故かしり込みしてしまう。
「アットホームて…。でも、得意分野ではあるしなぁ…」
独り悩んでいるところへ浅見晶からの着信。
「…うっ!」
一瞬躊躇ったものの応対する一色。
「…はい、一色です…」
『あ…。すぅ~…無職の、一色蒼龍君ですか?』
「ぐッ…。デリカシーって知ってる?」
『え、なにそれ、美味しいの?』
「喰えねえよ!天性の嗜虐者か!?俺を笑いにきたのかよ!!?」
『あはははっ!いやゴメン、ネットニュースの片隅の記事で知って、もう十分笑わせてもらったんだけど、ついね』
冗談を言い合うようにやり取りをする。
「いや抉られるって、傷心なんだけど?」
『ごめんごめん、でも、後悔はしてないんでしょ?シュープリーム島の件』
「そりゃあ、まあ。今でも行って良かったと思ってるよ」
『うん。一色君は間違ってないと思うよ、かっこよかったもんね。間違ってるのは防衛省だよ。活躍したエースをクビにするなんて』
「あぁ…。無断出撃だけが解雇の理由じゃないよ…。機密だからあんまり言えないけど、理想なき革命家って知ってるだろ?俺の近いところの人間がその革命家だったらしくてさ、俺も疑われたよ…」
『えっ?一色君理想なき革命家だったの?』
「違うって!そんな訳ないだろ」
『まぁそうだよね。一色君に法を逸脱する度胸はないもんね』
「なんでディスるん?」
『ま、そんな防衛省は置いといて、公安に売り込んでみれば?シュープリーム島の件も公安の六課からしてみれば都合良かっただろうし、私の方から話してみようか?』
「え…いやいいって。…前にさ、あそこの主任さんに、バトルフレームの無いパイロットなんて要らないってさ…」
しょんぼりと肩を落とす一色。その声から風景を想像した晶はクスクスとバレないように小さく笑う。
『…っ。公安ってバトルフレーム持ってないんだね。あの、鷹司さん?あの人割と楽しい人だからさ、冗談で言っただけかもだよ』
「いいや、俺には分かるね。あの人はガチだ。楽しい人というよりは奇人の類いだよ」
『ふふっ、今度会ったら一色君がそう言ってたって伝えとくね』
「どうぞご自由に。もう会うこともないだろうから」
『知らないよ~、どこかで会っても』
「あぁ、うん。それはそれで楽しみかも」
『…う~ん、じゃあ、ウチの手伝いでもする?』
「うち?」
『うん、もうすぐ選挙があるでしょ?選挙バイトってヤツ。国政党ね、全選挙区に候補者を擁立させたもんだから大変でさ。お母さんもあんなだし、手伝ってくれるとありがたいかなって…』
無職の元エースを笑ったものの本心では一色を心配している晶。
『私もそろそろ復帰できるみたいだし、護衛の意味も込めて、どうかな?』
「え、もう出ていいの?」
『うん、もう歩けるし、怪人事件の方も何か好転したみたい。お母さんの護衛と一緒になるんだって』
「そっか…。良かったな。出られるんだな…」
公安のセーフハウスに軟禁されて保護、監視されていた晶の解放が決定していた。
一色は自分が傷つけてしまった晶の足を気にしていたため、歩けるとの報告に胸をなでおろすが、公安の保護が外れるということに一抹の不安を覚える。
『…どう…かな…?…手伝ってくれる…?』
「もちろん!」
しおらしい晶の声に二つ返事で引き受ける一色。
『ホントに?ありがとう。…うふふ…これで防衛省のエースを国政党のプロパガンダに…ふっふっふ…』
「あれ…?なんか雲行き怪しい…?」
『えぇ~?なに?天気悪いの?気を付けてね。じゃ、私はお母さんに話を通すから、また連絡するね』
風のように去る晶。
「…早まった、か…?」
公園で独り苦笑する一色だった。
技研から帰る途中に公安に立ち寄る真夏と舞杏。
六課のフロアは捜査員が殆ど帰宅しており閑散としている。
休憩室で数分待っているとみなみを連れた清水が顔を見せる。
「まあつーーっ!」
真夏の顔を見たみなみは駆け寄って抱き着こうとしたが、真夏の足元にスカーレットを見つけて四つ這いになると獣のように吠える。
「にゃこーーーっ!!」
《飽きない奴だにゃ、お前じゃボクは捕まえられないにゃ》
飛掛かるみなみを躱して清水の股をくぐり抜ける。
《危ないことはしないでくださいね》
「にゃ~んにゃんにゃにゃにゃー」
真夏の声に頷いてソファーの周りでみなみを煽るように華麗に舞うスカーレット。
「猫君に取られてしまったね」
「えへへ、みなみちゃんが楽しいならそれでいいですよ」
追いかけっこを楽しそうに見つめる真夏。
「それで、面談は終わったの?」
「あぁ、滞りなく。六課はクリーンな状態だ」
向かいのソファーに座る清水。
「今回は苦労をかけたね、皆良くやってくれたよ」
「こちらの犠牲はノブちゃんの名誉の負傷だけ…。まったく…乗っ取られているとはいえ、ウチの捜査員を襲うなんて理想なき革命家には困ったものだよ…」
チラッと清水の顔を窺う舞杏。
「彼らも彼らなりに戦っているようだ。そのゴーグルも理想なき革命家の培った技術だろう。テュラノスの存在を知り、それを見ることを確立させ、攻撃に転じようとしている。その過程での被害だ、この程度で済んで良かったよ」
舞杏は見えないところで喜びの拳を握りしめる。
「確かに、奴等に優位性があるのは認めるが…」
「…培ってきたモノならこちらにもある」
清水は1枚のデータカードを差し出す。
「うん…?」
受け取ったもののそれが何か分からない舞杏。
「…これを取りに来たんだろ?」
「…ん?…なにこれ?」
「…私が動けない時に音声ファイルを受け取ったと思うが…」
「いや、聞いてないよ。あんな遺言みたいなモノ…」
今ではあまり使われていない記録メディアカードをまじまじと見つめる舞杏。
「………返しなさい!」
一瞬の間が空き、データカードを取り戻そうとする清水。
「へーん!貰ったものは返しませーん!」
休憩室で2組目の追いかけっこが始まる。
「あ…お茶入れますね」
落ち着いてお茶の準備をする真夏。
「こら!いつまでも子供みたいなことを言うな!」
「へっ!いつまでも子供扱いするなよな!大体の想像はついてるさ」
清水の動きが止まる。
「…恥ずかしいデータ、なんだろう?」
「違うわ!」
再び動き出す。
「待って待って!冗談だって!冗談に決まっているだろ!」
「当たり前だ!そんなデータを渡す訳ないだろう!」
ふぅーっと息をついてソファーに座り直す清水。
「あまり無茶はするなよ?もう歳なんだから」
「誰の所為で…」
清水の前に淹れたお茶を置く真夏。
「ど、どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとう」
公安休憩室常備品のお茶を並べていく。
「はい、みなみちゃんも休憩しませんか?」
聞く耳を持たず、スカーレットを追うみなみ。しかしスカーレットが巨大化してみなみを超える程の大きさになるとびくりと動きを止める。
「ギャーッス!?」
《追いかけっこは終わりだにゃーん》
スカーレットが大きく口を開けて威嚇するとみなみは一目散に真夏に飛び付き非難する。
「はい、捕まえました」
大きな子供の頭を撫でる真夏。みなみを落ち着かせてお茶を飲ませる。
「それで、そのデータって何ですか…?」
舞杏がスーツの内ポケットに収めたデータカードが気になる真夏。
「まぁ、そうだね。この記録メディアは専用のカードリーダーが無いと読み込みも書き込みもできないが…中身は恐らく、怪人事件、テュラノスの関連の捜査資料だろう…?」
清水が頷く。
「捜査資料…?」
「…これは公安が15年を費やして調べてきた資料、浅見文書を発端とした、テュラノスを断罪する為の記録だ」
舞杏はポケットをポンポンと優しく叩く。
「え…?15年…?」
「そ、10年以上前に失われた浅見文書。私達に見せられていたのはその一部だろう。私達は怪人事件や汚職事件からこのテュラノスに行き着いたが、浅見文書から続くこの記録には私達が調べてきたモノ以上の情報が詰まっているんだろうね」
舞杏の推察にも清水は顔色を変えない。
「で、でもそれって…すごく回りくどいことなのでは…?」
「…いや、この事件に関しては正しい…と言うよりも、そうするしかなかったんだ…。15年前の浅見信三氏の死亡事故。浅見文書が公安に発見されて捜査が始まり、テュラノスの怒りを買って当時の公安三課は壊滅。そして浅見文書は失われた…ことになった。が、実際には極少数での捜査は続けられていた。決して悪を許さないという命懸けの執念でここまで繋いできた、大切な記録だよ」
「繋いできた…!だ、だから課長さんは鷹司さんに音声データを…」
「…だろうね。自分が死んだ後を、次に託す為の遺言だ」
お茶を飲む清水が苦笑する。
「引継ぎは失敗かな」
「…いや、そもそも引き継ぐ必要はない。この事件は我々で終わらせる。そうだろう、課長?」
「ああ、そうだな。今、我々にはテュラノスへの対抗手段がある」
真夏を見つめる清水。真夏はその視線に力強く頷いて返した。
「それで?今後の方針はどうなってるの?」
「幸谷さんの登場で私達の計画は大幅に前倒しされている。六課の皆にも今後この計画に加わってもらうことになるだろう」
「なるほどね、当然、極少数とは言っても味方は居ると…。打倒テュラノスの計画が既にあるならそれに参加するのはやぶさかではない。で、誰なんだい?浅見文書から始まるこの事件のオーガナイザー、浅見文書を託されたキーマンは…?」
5月20日、約束された日時に森永家を訪れる公安六課。
双連は慣れた足取りで駐車場から玄関までを歩き、インターホンを押す。
エール郊外の落ち着いたエリア。広い敷地に建つ豪邸だが威圧感がなくどこか親しみやすい雰囲気。
建物と同じように、優しそうな人物が顔を出して客を迎える。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
丁寧に頭を下げる上品な老婆の姿。
(お、お嬢様…?何で西園寺さんが…?)
「おはようございます、春日さん。こちら、私の上司の鷹司主任と、魔女の幸谷さんです」
紹介されて会釈する。
「こちらは春日さん、森永家のお手伝いをされている方です」
春日は姿勢良くお辞儀をする。
「あらあら、可愛い魔女さん。やっぱり、魔女といったら黒猫さんね」
スカーレットにうふふと微笑みかける。
「お、おはようございます」
「うにゃ~ん」
緊張する真夏と、その肩でだらっとリラックスしているスカーレット。
「おじ様は?」
「書斎でお待ちです」
それを聞いて中に入ると、春日の前を歩いて真夏と舞杏を案内する双連。
一般家庭より広く設計された廊下を進み、屋内まで抜かりない重厚な扉をノックする。
「おじ様、双連です」
「あぁ、いらっしゃい。よく来たね。みんな、コーヒーでいいかな?」
《ボクはキンキンに冷えた炭酸ジュースが飲みたいにゃ~》
にゃーんと声を出したスカーレットの口を真夏が塞ぎ、皆が頷くと森永は視線で春日に合図を出す。春日が一礼してその場を離れると3人と1匹は書斎のソファーに着席させられる。
六課の課長室よりも広く、立派な内装と家具は書斎とは思えない程贅沢で優雅な雰囲気を出している。しかしその場の主は中年太りの地味なメガネのおじさん。ノーネクタイにポロシャツのラフな格好。部屋の高級感に圧倒されそうになる真夏だったが、主のその穏やかな雰囲気に丸め込まれてポカンとし、落ち着きを取り戻していた。
(はへぇ~…うちより広いでねぇ…)
じろじろと部屋の中を見回す真夏とは異なり、舞杏は大人の余裕を見せ、双連は森永と和やかに会話をしている。
「……あ、あのぉ~」
ゆったりとした2人掛けのソファー、舞杏の隣に座った真夏は小声で呼びかける。
「うん?どうしたんだい?」
真夏に釣られて小声になる舞杏。
「森永、卓也さんって、政治家の人、ですよね。西園寺さんとはどんな関係の人なんですか…?」
「あぁ、そうだね…。森永議員は今や人民党の重鎮だが、ウチのドクター、森永卓志のお父上様なんだよ」
説明を終えた様子の舞杏は双連と森永のアイスブレイクに愛想笑いで相槌を打つ。
「…?森永さん?…森永さんのお父さん…?」
「西園寺君とドクターは許嫁だからね」
「あぁ…許嫁…。西園寺さんと、森永さんが…。へぇ~…。…えっ!?初耳ですけど!!?」
思わず立ち上がり大きな声を出してしまう。
「真夏ちゃん、騒がしいですよ」
普段よりも上品な感じで窘める双連。
「お、恐れ入ります…」
しゅんと座り直す真夏。
「い、許嫁って…森永さんのこと、ダーリンって呼んでるのは知ってますけど、まさかホントにダーリンだったなんて…。同い年なのに、すごいですね」
「数年もしないうちに西園寺君は寿退社するだろうね。それまでにテュラノス事件を解決して主権を取り戻したいものだよ」
「…政治家のお父さんにお医者さんの旦那さん、玉の輿ですね、西園寺さん…!」
「う~ん。西園寺君は世界最王手企業、SAION創業家の一人娘だからね。どちらかというとドクターの逆玉かな」
「ドクターさんの逆玉…。西園寺さんの家がSAION…?…へぇ~…。SAION…。…えっ!?初耳なんですけど!!?」
ばッと立ち上がった真夏をジッと見つめる双連。
大企業SAION、成長する世界経済を席巻し、史上初めて企業の時価総額が一京円を超えた超優良企業。その名はこの世界に転生して2カ月程度の真夏もよく知っていた。
「真夏、ちゃん!」
「お、お世話になってまぁす…」
生涯SAION製品とサービスだけでも幸せに暮らせると言われ、真夏もよくお世話になっている。
「はははっ、楽しいお嬢さんだね」
楽しそうに笑う森永。
「え、い、いえ…。滅相もございやせん…」
真夏が恥ずかしそうに下を向くと、コンコンコンと扉がノックされて春日がコーヒーと猫用のミルクを運んでくる。
ローテーブルにそれらが並べられると真っ先に飛び付くスカーレット。
《にゃ~、炭酸じゃないにゃー》
《もう、失敬ですよスーちゃん》
真夏の膝からテーブルに前足をちょこんと乗せてミルクをクンクンと嗅いでぺろりと一口。
《にゃっ!うまいにゃ!粉の安いミルクとはコクが違うにゃ!》
「元気な猫だ。幸谷さんはその子の言葉がわかるんだってね。なんて言ってるんだい?」
森永は好奇心の目をスカーレットに向ける。
「あ、はい…。とても、美味しいと言っております」
「ふふっ、それは良かった。魔女の使い魔だ、なにが口に合うか分からなかったからね、普通の猫用ミルクを用意していたんだ」
「か、かたじけないです…」
出されたコーヒーに砂糖を入れていいものか悩んでいる真夏。その横、ブラックで一口飲んで香りを楽しむ舞杏。
「…ふぅ…。やはり、森永議員は魔法史についても詳しいのですか?」
「…うん、そうだね。一般的な魔法史よりも多くのことを知っているかな…。清水君が持つ捜査資料にもその一部は記載されていたはずだね」
「はい、我々がテュラノスと呼称する精神生命体、これによって意図的に魔法文明は衰退させられたと」
清水から奪い取ったデータカードを確認した舞杏は簡単にまとめられた情報を得ていたが、それは自分達の推察にも近いもので、より多くのことは書かれていなかった。
「そう、知っての通りそのテュラノスの弱点は魔力そのもの。現代に現れた魔女、幸谷さんは目の上のタンコブだ。およそ1000年前にこの星、レ・アースに現れたテュラノスは人の身体に乗っ取ることに成功したが、異常な存在に体内のプロップバクテリウムが暴走、怪人へと変貌してしまった。当時の魔法使いが魔力でこの怪人を元の人間に戻すと共に、内部のテュラノスを殺していたと思われる」
コーヒーを啜り一息つく森永。
「内部のテュラノスは何故身体を放棄して逃げなかったのでしょうか?…当時の魔法使い達はテュラノスを目視することができていた。だから逃げ切ることができなかった、ということですか?」
スカーレットの話では真夏の魔力砲は異常なもので、普通はもっと弱々しいものらしい。廃工場で米平テュラノスがそうしたように、危なくなれば身体から逃げてしまえばいい。対峙する魔法使いが目の前の怪人に手を焼いている間に、見えない存在となって逃げ出せば殺される事は無かったはずだと舞杏は考える。
「いや、おそらく、単純に身体から出ることができなくなっていたんだと思うよ。プロップバクテリウムの暴走により怪人と成った身体をテュラノスはコントロールできなかった。抜け出ることもできなくなり、魔力によって駆除された。怪人騒動が1000年間も発生しなかったのがその根拠だ」
「魔法文明が衰退してしまえば怪人は強力な戦力。今でこそバトルフレームで簡単に倒すことができるが…その当時、支配者が使わない理由は無い…」
「その通り、テュラノス達にとっても人間の怪人化は想定外だったんだろうね。だからこそ魔法文明を衰退させるために尽力していたんだろう。今回、清水君達がそうなったように、短期間の乗っ取りでは怪人化することはない。この短期乗っ取りを繰り返し、現在の支配構造の基盤をじっくりと作ってきたんだ。そして今から100年程前かな…。テュラノスにとって完全な肉体が完成する…」
「完全な肉体…」
真夏の脳裏にみなみの姿が浮かんだ。
「プロップバクテリウムは宇宙由来の、人類を進化させた細菌と言われているが、あくまでそれは細菌。着床前の受精卵にはプロップバクテリウムは存在していないんだ。人工的な受精卵を母胎ではなくカプセルで育てる。それがLEX1373の正体だろうね」
「みなみちゃんはカプセルで作られた人間ってことですね…。課長も六課のみんなも、乗っ取られている間の記憶は無かったそうですし、テュラノスが抜けた身体達が幼児化するのも納得です…」
暗い顔の双連。その悲しそうな表情に真夏は心配してしまう。
「…西園寺さん…?」
「…その手の技術が悪用されるのは許せません」
「西園寺君も、人工授精だったね」
「…はい、おじ様も私の命の恩人です…。私の両親はおじ様の活動を知っているんですか?」
森永は否定する。
「テュラノス関連は危険だからね。知っている人間は少ない方がいい」
「では、西園寺家の人民党への献金はご両親が自発的に続けていると」
「ああ、おかげで人民党で幅を利かせることができている。感謝しているよ」
ポカンと口を開けている真夏。
内輪の事情について行けていない真夏に補足する双連。
「私は、生まれた時には一族の墓誌に名前が刻まれた、ちょっと変わった生まれをしてるの」
「えっ?」
「母胎内双生児移植結合手術。人工授精で双子として母胎に発生した私達は胎内で正常な発育ができず、母体を守る為に人工流産が計画されていたんだけど、母はそれを拒絶して、僅かな希望に掛けてお腹の中で育ててくれたんだけどね、やっぱりダメだったみたいで…。私達は生まれる前に母を道連れに死んでしまうはずだった…。それを助けてくれたのがおじ様が所属していた医療チームだったの」
「双連の時はもう政治家だったからね…。僕は現場の指揮、実際にメスを握ったのは優秀な仲間達だよ」
「でも、おじ様の論文が無ければ手術そのものが計画されることもありませんでした」
「…胎内の双子の生きた部分を繋ぎ合わせて一人の人間をつくる…。肉体を、脳も内臓もバラバラにする行為を倫理的に問われることもあったが…。決行して良かったと思っているよ」
「…西園寺家の跡取り娘の誕生に貢献した森永議員に、西園寺家は献金という形で恩を返し続けている。政治家個人への献金が原則禁止されているからこそ政党、人民党への献金という形になり、森永議員は党内で勢力を張り、竹中派も無下にすることはできない…と、そのような解釈で間違いありませんか?」
「うん、僕の立場はそんなものだね。政治家としての立場を活かして、情報を集めたり、公安に協力したりもするが…あまり表立っての行動はできないでいた…」
「はい、テュラノスの目がどこにあるかわかりませんから」
「…信三、浅見信三の葬儀にも、奴等は来ていた。信三と親しくしていた僕は、奴等にとって監視対象だったはずだ…」
(浅見信三さんの葬儀…。三子さんと晶さんを支える為に、お父さんの死に耐えていた皛さんを泣かせた相手…)
真夏は図々しくも乗っ取り殺した相手の葬儀に土足で踏み入るテュラノスを想像してムッとする。
「キミ達若者を巻き込んでしまって申し訳ないと思う…。だが、ここからは我々が攻める番だ。この国を守る為に散っていった英霊に恥じることのないよう、この国をテュラノスから取り戻す。協力してくれるね?」
「勿論です。ウチのボスからも、あなたを王にするようにと、命令を受けてます」
ニヤリと笑う舞杏。
「あははっ、王か…。目指すのは総理大臣だけどね。テュラノスを終わらせるのに必要な権限を持つ総理大臣に…」
「おじ様が総理大臣に…。夏の国政選挙の後に行われる総理指名選挙、そこで総理大臣になれれば…」
(総理大臣…って政治のトップの人ですよね…。そんな人が味方になってくれれば…)
「真夏君の力で、テュラノスを一掃することができる」
「となると、目先の敵は浅見議員率いる国政党ですね」
「そ、そうなんだよね…。三子ちゃん、容赦なく人気タレントをぶつけてくるみたいだし、ヒヤヒヤだよ」
「ですが、森永議員が出馬予定の選挙区は複数当選。今勢いのある国政党の人気タレントが上がってきたとしても、議員の当選は間違いないのでは?」
「総理指名選挙は国会議員の投票で決まるからね。直近の国政選挙でぽっと出のタレントに遅れを取ったオジサンに票を入れてはくれないよ…」
しょんぼりする森永。
「…国民が選ぶ国政選挙と国会議員が選ぶ総理指名選挙では勝手が違うんだ。知名度の高いタレントは国政選挙でも票を集めやすい。だが、総理になる為にはまず党の代表に選ばれなければならない。それからの総理指名選挙。与党、自由人民党が過半数を超えていれば党の代表がそのまま総理になる流れだね。国会議員の投票には自己保身や政略が絡む面倒な選挙でね。タレント議員が選ばれることはまずない。そして、タレント議員に負けたという事実があれば、党内の支持も落ちてしまう…」
「おじ様たちの計画はずっと前から動いていた。おじ様は与党内で基盤をつくり、公安はテュラノスを倒す方法を模索していた。真夏ちゃんの登場で計画が前倒しになったとしても、長年かけて準備してきたことがぽっと出のタレントに潰されては堪りません」
(…よくわかりませんが…。2位じゃダメってことですね…)
「…わかりました。では公安からも一手打ちましょう」
そう言った舞杏は真夏を見つめる。
「やってくれるね?」
「や、殺っちまいやすか…?」
「…真夏ちゃんをプロパガンダに使うんですね」
「目には目をタレントにはタレントを。現代に蘇った魔女の知名度はかなりのモノです。その辺のタレントには負けたりしませんよ」
舞杏は微笑み、コーヒーを飲み干した。




