血濡れた手形と、命を断つ覚悟
砦を出発し、重苦しい行軍を始めてから二時間ほどが経過した頃だった。
先頭を進んでいたダッシュバーードとラグナだったが……
「グパ?」
何か異変を感じ取ったのか、ダッシュバーードが速度を緩めた。
「どうした?」
「グパパ」
ラグナが尋ねると、ダッシュバーードはアゴをしゃくるようにして街道の先を見ろと合図してきた。
「なにが……!?」
身体強化の魔法で視力を強化し、街道の奥へと目を凝らす。
その先に見えた景色に、ラグナはすぐに右手を挙げて後ろの馬車列に停止の合図を送った。
ギシッ、と軋む音を立てて、四台の馬車が一斉に止まる。
「……ラグナ、どうした?」
ゼインが馬を寄せて尋ねてくる。
「……詳しくは近寄ってみないとわからないけど、たぶん馬車が横転してる」
その声を聞いた騎士学園の生徒達に、より一層の緊張が走る。
「……魔物か?」
「……わからない。俺達だけで先行するか?」
「いや……更に速度を落として、慎重に進もう」
ラグナ達が本隊から離れるのは危険だと判断したゼインは、このまま全員で進むことを決めた。
しばらく進んでいくと、街道の真ん中に一台の馬車が横転していた。
いや、横転という生易しいものではない。
外装は粉々に砕け散り、積まれていたであろう木箱や壺が周囲に散乱している。
そして何より彼らの目を引いたのは、強烈な生臭い異臭。
破壊された馬車の周囲には、魔物に無惨に食い荒らされた馬と……
人間の遺体が転がっていた。
腹を割かれ、食い荒らされた、凄惨な人間だったモノ。
数日前まで平和な学園で木剣を振っていただけの彼らにとって、それはあまりにも現実離れした、吐き気を催す光景だった。
「ぐっ……全員、警戒を怠るな。この惨状を作り出した魔物が、まだ近くに潜んでいる可能性がある」
ゼインは吐き気を我慢しながらも、リーダーとしてそう指示を出す。
ラグナもダッシュバーードから降りることなく、周囲の森へ鋭い視線を巡らせて警戒を強めた。
「遺体の確認と、他に人がいないか調べるぞ……」
ゼインは青ざめた顔でみんなにそう指示すると、震える足で馬から降りた。
むせ返るような血と臓物の臭いに、胃の中身が込み上げてくる。
それを必死に飲み込みながら、ゼインは遺体へと近づいていった。
生存者は、いなかった。
あるのは、血溜まりの中に落ちていた金属製のカードだけ。
「おい……これってギルドカードじゃないか?」
ゼインは血まみれのカードを商業学園の生徒に見せる。
「……商業ギルドのギルドカードですね。手に取っても?」
ゼインから手渡されたカードを水で洗い流し、持ち主を調べる生徒。
「トマス商会……嘘だろ……。おい、ハンスを呼んできてくれ!」
ギルドカードを確認した生徒が、慌ててハンスという生徒を呼び出した。
「どうした?何かわかったのか?」
ハンスと呼ばれた生徒に、ギルドカードが手渡される。
「嘘だ!嘘だろ!?なんで!?何でだよ、親父……ッ!」
手に持ったギルドカードの持ち主だった人物は、ハンスの父親の物だった。
ハンスは足を縺れさせながら、食い荒らされた遺体へと駆け寄った。
だが、すがりつくことすら躊躇われるほど、そこには以前の面影をまったく残していない、無惨に食い散らかされた肉塊があった。
「あぁ……あああっ……!」
血溜まりに膝をつき、ハンスが絶望の叫びを上げる。
周囲の生徒たちも、あまりの凄惨さと理不尽な現実に言葉を失い、ただ青ざめた顔で立ち尽くしていた。
その時。
商業学園のリーダーが無言で馬車から降りると、破壊された馬車をガサガサと漁り始めた。
「……あった」
くるくると巻かれた羊皮紙を二つ手に取ると、ハンスの元へと向かう。
「……ハンス。これを……」
絶望に包まれたハンスの肩を叩くと、手に持っていた羊皮紙を強引に握らせた。
「手形と、許可証……」
「そうだ。親父さんの件は残念だが……この二つがある限り、トマス商会は終わらない。ここで終わっていいのか?」
その問いに、ハンスは強く首を振った。
「……俺が、親父の跡を継ぐ。こんな所で……トマス商会を終わらせてたまるか……ッ!」
ハンスは羊皮紙を胸に抱きしめ、涙を拭って立ち上がった。
その目には、悲しみだけでなく、商人としての意地と覚悟が宿っていた。
「よし。なら、これが親父さんの最後の仕入れだ。少しでも多く持って帰るぞ!」
商業学園のリーダーが声を張り上げる。
それに呼応し、商業科の生徒たちが血の海に足を踏み入れ、破壊された馬車から食料や物資を必死に回収し始めた。
このまま何も回収せずに放置し、もし他の商会からの輸送依頼を請け負っていた場合、莫大な違約金が残された家族に対して請求される可能性もある。
請け負っていない事を祈りながら、彼らは出来る限り積み荷を積んでいく。
ラグナはダッシュバーードの上から、その様子を静かに見つめていた。
イルマに手渡した手形と許可証。
それがどれほど重いものだったのか、ハンスたちの覚悟を見て改めて感じさせられる。
「急げよ。血の匂いに惹かれて、魔物が来るかもしれないぞ!」
「おうっ!」
ゼインがあえて厳しい口調で発破をかけると、商業学園の生徒たちはさらに手を早めた。
その、重苦しくも力強い回収作業が終わろうとしていた時だった。
「グッパ!」
ダッシュバーードが警告するような声で力強く鳴き、騎士学園の生徒達が一斉に武器を構える。
視線を向けると、そこには片目を負傷しているゴブリンが、木の陰からこちらを覗いていた。
「……昨日の戦闘で逃げたゴブリンか?一体だけ?」
「グパ」
どこで拾ったのかはわからないが、錆びた短剣を手に持っている。
一体だけならばと、ラグナがダッシュバーードから降りて討伐しようとした所で、背後から声が上がった。
「ラグナ、待ってくれ」
声をかけてきたのはゼインだった。
彼を含め、三人の騎士学園の生徒が進み出てくる。
「あいつは……俺達にやらせてほしい」
ゼインの目は真剣だった。
悲惨な死体を直視してしまったことによる、死への強烈な恐怖。
しかし、ハンスが悲しみを乗り越えて前を向いた姿を見て、護衛である自分たちがこのまま怯えていてどうするのだという気持ちが、彼を突き動かしていた。
この手で恐怖を打ち払い、前に進むために。
ラグナは覚悟を決めた彼らの目をジッと見つめた後、頷いた。
「でも……ポーションは全くないよ。かすり傷一つでも命取りになる可能性もある。それでも行くの?」
ラグナからの威圧を受けて、ゼインがごくりと唾を飲み込む。
「……あぁ。俺達も、このままでいる訳にはいかないから」
「無理だけはしちゃだめだよ」
ラグナがそう言うと、彼らは力強く頷き、覚悟を決めて剣を抜き散開した。
「行くぞ! 囲め!」
ゼインの号令と共に、三人が距離を詰める。
逃げられないと悟ったゴブリンは、足元に転がっていた石を投げつけると一気に駆け出した。
ガキィッ!
生徒の一人が、飛んできた石を冷静に盾で弾き返す。
ゴブリンはそのまま、石を弾いた生徒に向かって短剣を振り被り突っ込んでいくが……
「グギャ!?」
突撃していくゴブリンの死角。
見えない目の方向からもう一人の生徒が盾を構えて飛び込み、強烈なシールドバッシュを叩き込んだ。
鈍い音と共に、ゴブリンの体勢が大きく崩れる。
訓練通りの完璧な連携。
そして、吹き飛んだゴブリンのその背後へ、ゼインが素早く回り込んでいた。
「おおおおおおおッ!!」
ゼインは裂帛の気合いと共に、無防備な首を狙って渾身の力で剣を振り下ろした。
ズブッ、ゴリッ!
木剣での訓練とは違う、生々しい肉の粘りと骨の硬さが剣を通じてゼインの手に伝わる。
ゴブリンの首が飛び、切断面から噴き出した生暖かい血が、ゼインの顔や鎧に勢いよく降りかかった。
ゴブリンは絶命し、地面に崩れ落ちた。
だが、勝利の歓声は上がらない。
ゼインは、血に濡れた剣を握ったまま硬直していた。
鼻をつく強烈な血の臭いと、両手に残る生々しい感触。
ハンスたちに触発され、恐怖を打ち払おうと奮い立たせたはずの彼の精神は、実戦で自分の手で生き物の命を奪ったという事実に耐えきれなかった。
「……おえっ、ぁ……ッ」
ゼインは顔面を限界まで蒼白にさせると、胃の腑の底から込み上げてくるものを抑えきれず、激しく嘔吐する。
鳥の声すらない静まり返った森の街道に、ただ、ゼインが咽び泣くように吐く音だけが響いていた。
ラグナはあえて慰めの言葉をかけず、彼が自力で顔を上げるのを無言で待つのだった。
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