OVA『桜川ハルの日常』〜何でもない日々の冒険譚〜
【アバンタイトル:騒がしい朝と素朴な疑問】
舞台は再構築された新世界。
相変わらずヒマワリが窓を溶かして突入し、アオイが重力でハルを二度寝に誘い、ヒヅキが朝食に愛(重め)を混ぜ込もうとする、騒がしくも平和な朝。ミサキの新作胃薬(毒)を回避しつつ、サヤカのヤミもケアをする。朝日が目に染みる。
一通りのツッコミを終え、ボロボロになりながら登校する道中。ふと、シズクがハルに尋ねる。
「……ハル。貴方ほどの魔力(春の属性)と頭の回転があれば、もっと英雄みたいな活躍もできるはずよ。どうして貴方は、そんなに『ただの日常』に固執するの?」
ハルは少しだけ遠くを見て、穏やかに笑う。
「……さあな。多分、昔からの癖だよ」
【Aパート:灰色の現実と、病室の特等席】
視点は、ハルの前世の記憶へ。
無機質な白い天井、響く心電図の音、消毒液の匂い。
そこは、重い病を患い、入退院を繰り返す妹の病室だった。
当時のハルは、妹の莫大な治療費を稼ぐため、絵に描いたようなブラック企業で働いていた。
連日の徹夜、上司からの理不尽な罵倒、すり減っていく精神と肉体。彼の目に映る世界は、常にどんよりとした灰色だった。
だが、どんなに疲れ果てていても、彼には絶対に欠かさない「日課」があった。
「ごめん、遅くなった」
「お兄ちゃん! お仕事お疲れ様!」
病室のベッドの上。点滴の管に繋がれ、外の世界をほとんど知らない妹は、やつれた顔にパッと花を咲かせてハルを迎える。
ハルにとって、この小さな病室だけが、世界で唯一の『色』のある場所だった。
【Bパート:病室の空と、何でもない日の冒険譚】
「お兄ちゃん、今日の冒険譚、聞かせて」
パイプ椅子に座り、ハルは妹――桜川ソラに「今日の出来事」を話し始める。
それは、英雄の冒険譚でも、劇的なドラマでもない。
「今日さ、駅前に新しいコンビニができてて、そこの新作のプリンが美味かったんだよ」
「ホント!? どんな味? カラメルは苦い派?」
「これがまた、ちゃんとプリンしててさ。カラメルが苦いのに、何か勝つんだよ。甘さが」
「いいなー。私も食べてみたい」
ソラ。空。
その名の通り、どこまでも広く晴れやかな笑顔を持つ妹は、無機質な病室のベッドからほとんど出ることができなかった。だからハルは、彼女の代わりに外の「空」の下で起きた出来事を、一つ残らず持ち帰って聞かせていた。
「あと、会社の近くの路地にすっげえ太った野良猫がいてさ。あいつ、絶対に俺のことをナメてるんだよな」
「あははっ! お兄ちゃん、猫さんに負けちゃダメだよ!」
「太った猫がさ、俺のこと見て“残業おつ”って顔してるんだよ」
「猫さんまで社畜仲間なの!?」
コンビニの新作スイーツ。野良猫との攻防。変な形をした雲。電車で見かけた面白いおじさん。
社畜のハルにとってはどうということもない、むしろ単調で退屈なはずの「何でもない日常の欠片」。
だが、ソラはそれに目を輝かせ、まるで宝物でも見るかのように聞き入っていた。
『外の世界は、毎日いろんなことが起きて、すごいね。……お兄ちゃんの「日常」は、私にとって一番ワクワクする冒険だよ』
ソラのその言葉で、ハルは気づく。
歩いてコンビニに行けること。季節の風を感じられること。誰かと他愛のない会話で笑い合えること。
自分が疲れて見落としていた「当たり前の日常」は、この小さな空にとっては、喉から手が出るほど欲しい『奇跡』なのだと。
【Cパート:喪失と、雨の日の桃の花】
だが、別れは唐突に訪れる。
病院から妹の容態が急変したと連絡を受けたハルは、使わずに溜まっていた有給をもぎ取り、すぐさま病室に駆けつけた。
「ソラ!」
「……お兄……ちゃん……」
「ソラ、聞いてくれ、今日はな――」
ベッドの上、意識が朦朧とする妹に、少しでも長く冒険譚を聞かせるように。ハルは必死に話し続けた。たとえソラからの返事がなくても、必死に。
ソラの指先が、ほんの少しだけシーツを掴んだ気がした。
ソラはそのまま帰らぬ人となってしまった。最期に安らかな笑顔を浮かべたように見えた。
葬儀を終えた雨の夜。
ハルは、心の中のたった一つの光を失い、完全に空っぽになっていた。
ブラック企業の帰り道。絶望と疲労で足を引きずる彼の視界に、ふと、アスファルトの隙間に咲く『小さな桃の花』が飛び込んでくる。
雨に打たれ、今にも散ってしまいそうなその花が、ハルの目には、ベッドの上で一生懸命に生きていた妹の姿と重なって見えた。
「……お前、頑張って咲いてるなぁ」
ハルは、そっと自分のビニール傘を花の上に固定する。
雨雲の切れ間の、ほんの一瞬だけ空が明るくなった。
妹に話して聞かせるための「日常」はもうない。けれど、妹が憧れたこの世界を、当たり前の日々を、憎むことだけはしたくなかった。
――この瞬間を、高次元から『女神』が観測していた。
退屈な世界で、悲しみを抱えながらも「日常」を愛そうとするハルの魂の輝きに、全能の神が心を奪われた瞬間だった。
【エピローグ:だから俺は、このカオスを愛す】
視点は現在へ戻る。
放課後の教室。
相変わらず、ヒロインたちが黒板の前で意味不明な魔法の応酬(喧嘩)を繰り広げ、モモネが「青春ですねー!」と写真を撮っている。
五月蝿くて、理不尽で、全く平穏ではない日常。
「……ハル? どうかしたの?」
ふと、シズクが不思議そうに首を傾げる。
「いや」
ハルは、ドタバタと騒ぎ続ける仲間たちを愛おしそうに見つめながら、小さく、心の底から嬉しそうに笑った。
「……やっぱり俺は、この『日常』が、どうしようもなく好きなんだなって思っただけだ」
(……聞かせて。今日の冒険譚)
もう、病室で話して聞かせる相手はいない。
けれど、妹が憧れた「当たり前で、騒がしくて、色鮮やかな日々」を、俺はこれからも全力で生きて、全力でツッコミを入れていく。
それが、桜川ハルという男の、たった一つの矜持だから。
――OVA『桜川ハルの日常』 了




