第135話 「内通者」
~憲章暦997年8月16日(風の日)~
アルセディア商会の応接室。机いっぱいに地図と書類が広げられ、完全に作戦本部になっている。
「まず、王宮の構造から整理します」
そう言って口を開いたのはカイルだった。
机の中央に置かれたのは、王宮周辺の見取り図と、ミラが拾ってきた内部情報を重ねて作った簡易図だ。正式な図面じゃない。だが、ここまで揃えば十分使える。
「王宮は表の居住区、政務区、儀礼区画のほかに、地下に古い祭祀区画を抱えています」
カイルの指が、地図の中央をなぞる。
「問題はここです。地下へ降りる経路はいくつかある。ただし、奥――大規模な空間へ繋がる道は、おそらく一つしかない」
「ミラの話と一致するわけだね」
クロエが淡々と言う。
「ええ。表向きの階段や管理用通路は複数あります。ですが、大型の物資を継続して運び込める導線は限られる。儀式場があるなら、そこが本命です」
カイルの説明は無駄がなかった。王宮の外周、見張り塔、夜間の巡回、警備兵の交代時刻。必要な情報だけが、順番に積み上がっていく。
「問題は、その本命にどう辿り着くかだ」
俺が言うと、カイルは頷いた。
「正面からは厳しいでしょう。警備は明日さらに強まるはずです」
「でしょうね」
ティタニアが足を組んだまま肩をすくめる。
「大きい魔力結晶なんて物を運び込むなら、向こうも神経質になるに決まってる」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
その沈黙を破ったのはミラだった。
「だから、その前に一人、会わせたい相手がいる」
赤い目が細くなる。
「王宮内の協力者だ」
その一言で、室内の視線が一斉にミラへ集まった。
「……そんな切り札、今まで黙ってたのかよ」
「裏を取るまでは言えないさ。こういう話は、確実じゃないと毒になる」
ミラは壁から背を離した。
「今は確実だ。連れてきてある」
そう言って、ミラは隣室へ繋がる扉を開いた。
入ってきたのは、深い色の外套を羽織った女だった。顔は薄布で隠れている。
フィリアがわずかに目を細める。
「高位女官、ですの?」
女は否定も肯定もしなかった。
「時間がありません。要点だけお伝えします」
声音は静かで、よく通る。
「王女殿下は、地下の区画におります」
ニナが息を呑む。
ヒカリも、ぎゅっと指を握った。
「奴隷たちも同じです。すでに何人かは下へ運ばれました」
「地下への正式な入口は?」
クロエがすぐに問う。
「ここです。ただ、その日は封鎖されるでしょう」
女は、王宮内の地図を指しながら即答した。
「王宮内の通常動線からは特別な人間しか入れません」
「じゃあ、詰みじゃないか」
レイラが低く言う。
「いいえ」
女は、そこで初めて少しだけ声を強くした。
「明日、超大型魔力結晶が運び込まれます」
部屋が静まる。
「搬入には、古い王族用避難路が使われます。表の記録には残らない導線です。今も存在を知る者は限られています。恐らく奴隷たちもこの近くで待機させられているはずです」
「……それを使えば、地下へ近づける」
俺が言うと、女は静かに頷いた。
「そうです。ただし、使えるのは搬入の時だけです。そして、搬入に紛れ込めるのは数人でしょう」
つまり、使えるのは一瞬。しかも、少人数だけ。
「で、どうする?」
レイラが腕を組んだまま聞く。
「せっかく正式な入口が分かったんだ。これを使わない手はない」
「どういうことだ?」
俺の言葉にレイラが身を乗り出す。
「まず、王宮突入組は、事前に協力者の手引きで先に王宮内へ潜り込む」
俺は視線を上げ、フードの女性を見る。
「そして、奴隷救出組は、魔力結晶の搬入に紛れて侵入。奴隷を見つけ次第、救出。そして、退路を確保した後に騒ぎを起こす。これは、警備の目をそっちへ向ける陽動だ」
「それで?」
ミラが続きを促す。
「奴隷救出組が騒ぎを起こして警備を引きつける。その隙に、潜んでいる王宮突入組が正規ルートで儀式場へ踏み込んで王女を救出する。そこから先は正直、出たとこ勝負だな」
数秒、誰も口を開かなかった。
だが最初に頷いたのはクロエだった。
「悪くない。むしろ、それしかないね」
「あたしらが先に騒ぎを起こして、警備を引っ張るわけだね」
レイラが口元を歪める。
「だったら、あたしとカイル、ヒカリが搬入路から突っ込む。奴隷たちを逃がしつつ、派手にやる」
ヒカリは少し緊張した顔のまま、それでもしっかり頷いた。
「やります」
「王宮側は、私とミラ、ティタニア、ニナちゃんで先行潜入だね」
クロエが淡々と言う。
「協力者に中まで案内してもらって、儀式場へ向かう。騒ぎが起きた瞬間が勝負だ」
ニナが小さく息を吸う。
「……はい」
その声は、前よりずっと強かった。
「中の案内は私が受け持つ」
ミラが言い、ティタニアも笑う。
「こっちはこっちで片をつけるわ」
残るのは、俺たちだ。
全員の顔を順に見る。
「王宮突入と同時に、こっちは市場で総仕上げと行こう」
「ええ」
フィリアが頷く。
「市場のほうは任せてくださいまし」
「わたしもやります」
アイラの声は真剣だった。
「アルさんの横で、ちゃんと支えます」
「僕もいるよ」
イオナが軽く手を上げる。
「……こちらも働きましょう」
エルヴィナは一歩前へ出た。
「商会側の連絡線と万が一の退路の確保は私が請け負います」
「よし」
そこまで言って、俺は協力者の女へ向き直る。
女は少しだけ目を伏せた。
「助けられるべき方が、まだ地下におります」
短い言葉だった。
だが、その声音には切実さがあった。
だからそれ以上、素性を問う気にはならなかった。
会議が終わると、みんな一斉に動き出した。武器の確認、経路の再整理、潜入用の服、連絡手順の確認。明日に向けて、全員がそれぞれの仕事へ散っていく。
単なる旅行のはずだったのに、気がつけば王宮突入と奴隷救出、それに市場への仕掛けまで同時にやる話になっている。
我ながら、どうしてこうなったと言いたくなる。
そんなことを考えながら椅子にもたれた、その時だった。
――ずん。
低い音が、床の下から突き上げてきた。
机の上のインク瓶が跳ねる。窓ガラスがびり、と震えた。
「地震……?」
リーリアが目を見開く。
次の瞬間、島全体を揺らすような震動がもう一度走った。
揺れは長くは続かない。だが、止んだ後の静けさが、かえって不気味だった。
「……今の、何だい」
レイラが低く呟く。
ミラがすぐに窓辺へ走り、クロエも顔を上げる。
俺は嫌な汗を感じていた。
予定より早い。
何かが、すでに動き始めている。そんな予感だけが、妙に鮮明だった。




