Intermission 50 「作戦とレクスの憂鬱Ⅰ」
~憲章暦997年8月13日(火の日)~
翌朝、カルハ島の商業区。その通りの入口で、レクスは深いため息をついていた。
レクスの服装は、南国にはとても似つかわしくない黒を基調とした執事服だった。上着の丈、手袋、銀の飾り紐、磨かれた靴。どこからどう見ても、由緒ある家に仕える若い執事である。
「……どうして、こうなった」
レクスは眼鏡の位置を直し、もう一度ため息をつく。
隣では、リーリアがくるりと回っていた。
白と薄桃色を基調にした上品なワンピース。肩口には軽いレース。腰には細いリボン。帽子には小さな造花が添えられている。全体としては富裕層の令嬢に見えなくもない。
ただし、中身はリーリアである。
「レクスさん、どう? 私、お嬢様っぽい?」
「見た目だけなら、十分に」
「見た目だけ?」
リーリアは頬を膨らませた。
「中身については、評価を保留します」
「むう。そこは褒めるところだよ。執事さんなんだから」
「私は本職の執事ではありません」
「でも似合ってるよ?」
「それはどうも」
レクスは乾いた声で答えた。
そもそも、レクスはこういう仕事をするためにロピカルハへ来たわけではない。
虚牢の蕾の行方を追い、王女の結婚式の裏にある儀式の痕跡を探り、王宮とカエルム機関へ報告を上げる。
本来の任務は、もっと地味で、もっと陰湿で、もっと機関らしいものだった。
それなのに、今のレクスは執事服である。
しかも、隣には妙に楽しそうな即席お嬢様がいる。
この原因を作ったのは間違いなくアルヴィオだった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
昨夜。
「レクス、お前、鑑定魔法が使えるだろ」
作戦会議中にアルヴィオが放った一言に、レクスは一瞬言葉を失った。
「……なぜ、それを」
カエルム機関に所属する者でも、能力の詳細はむやみに明かさない。それなのに、アルヴィオは当然みたいな顔で言ってきた。
レクスが警戒を強めた、その直後だった。
横にいたクロエが、懐から小さな記章を取り出した。
カエルム機関の印。
レクスは、それを見た瞬間、目元を押さえた。
「……そういうことですか」
「そういうことだね」
クロエはにこりと笑った。
レクスは眼鏡を押さえ、深々とうなだれた。
「で、何を?」
「簡単だ」
アルヴィオは、そう言って机の上に地図を広げた。
カルハ島の商業区。富裕層向けの宝飾店、布地商、魔力石商、素材商が集まる通りに、いくつか印がつけられている。
「作戦名は――お嬢様わがままショッピング大作戦だ」
レクスは、しばらく無言だった。
沈黙は、抗議だった。
だが、アルヴィオは気にした様子もなく続けた。
「リーリアがお嬢様のふりをして、リルで買い物をする。レクスは執事役として同行して、価値のあるものだけを選ぶ」
「……それは、いいですが、その作戦名はどうにかなりませんか?」
「覚えやすいだろ」
レクスは、こめかみを押さえた。
しかし、アルヴィオは真面目な顔をしていた。
「買うのは、資産価値が落ちにくい高級品だ。宝石、高級な布地、装飾用の魔力石。特に、ディム――すなわちこの国からすると外貨で仕入れる必要がある物だ」
アルヴィオは地図の上を指で叩いた。
「リルで売上を受け取った商人は、最初は喜ぶ。だが、次の仕入れを考えた瞬間に気づく。リルでは次の仕入れが回らない。仕入れ先はディム払いだ。つまり、商人はリルをディムへ替えたくなる」
「リル売り、ディム買いの圧力を市中に発生させるわけですか」
レクスが言うと、アルヴィオは頷いた。
「そうだ。しかも、ただ買うだけじゃない」
アルヴィオの視線がリーリアへ向いた。
「リーリアには、どの店でも同じようなことを言ってもらう」
「私?」
「ああ。支払いを聞かれたら、リルで払う。そして、こう言うんだ」
アルヴィオは少し間を置いた。
「『リル? よくわからないお金ですけど、いっぱい手に入っちゃったから、早く使いたいの』」
レクスは、目元を押さえた。
「……それ、本当に言わせるんですか」
「言わせる」
「悪質ですね」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めていません」
レクスは即座に返した。
だが、アルヴィオの狙いは理解できた。
派手にリルを使う外国の令嬢。しかも、買うものは布地、宝石、美しい魔力石、輸入物の装飾品ばかり。
商人たちは最初、上客が来たと喜ぶ。
しかし、その令嬢がどこでも同じように「リルはよくわからないから早く使いたい」と口にすれば、話は別になる。
リルを受け取った商人は考える。
本当に、この金を持っていて大丈夫なのか。
次の仕入れに使えるのか。
早くディムに替えるべきではないか。
その疑念が広がれば、リルそのものへの信頼が揺らぐ。
実に、陰湿だ。
「……わかりました。やります」
レクスは諦めた。
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そして現在、カルハ島の商業区。
通りを歩く商人たちは、リーリアの姿を見るなり、ちらりと視線を向ける。
外国の令嬢。
それも、かなりよい家の娘。
そう判断したのだろう。何人かの店主が、すでに笑顔を作っていた。
「では、行きましょうか。お嬢様」
レクスは棒読みで言った。
「うん!」
「お嬢様」
「あ、そうだった」
リーリアは慌てて背筋を伸ばし、わざとらしく咳払いした。
「ええ。参りましょう、レクス」
「……はい」
レクスは、ため息を飲み込んだ。




