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予告より1週間遅れの投稿です。
楽しんでいただけたら幸いです。
助祭様は扉の前でぴたりと足を止め、深く頭を下げてから、静かに三度ノックしました。
その音は、まるでこちらの緊張を感じ取っているかのように、しんと静まり返った廊下に硬く響きます。
「司教様、聖女様とアークライト公爵令嬢様をお連れしました」
「お入りいただきなさい」
助祭様がわたくしたちの来訪を告げますと、中から応える声がしました。低音の落ち着いた声音です。
お声だけ聴いていますと、ずいぶんと若いように感じます。
開かれた扉の向こうに広がっていたのは、先ほどまでの仄暗い回廊とは対比をなす、圧倒的な光と富の空間でした。
見上げれば、王宮の調度にすら見劣りしない金箔の格天井。そこに吊り下げられた巨大なシャンデリアが、眩いばかりの光を放っています。
その輝きが安価な魔石によるものではないことは、一目で分かりました。部屋を満たしているのは、まるで白昼の太陽のような光――我が国でも王家直轄の『氷の聖窟』からしか採掘されない、極めて希少な『月雫の魔導塩晶』です。
月光の魔力を蓄え、空間を照らすその結晶は、防護なしに触れれば皮膚が一瞬で凍りつくとされるほど扱いが難しく、採掘すら国家騎士団の厳重な管理下で行われます。
王宮でさえ、謁見の間や大ホールといった限られた空間でしか許されない最高級の魔導照明。それを、一聖堂の執務室でこれほど潤沢に惜しげもなく使っているとは……。
一歩足を踏み入れた瞬間、上質な没薬の香りが鼻腔をくすぐりました。
落ち着いた森林の香りと、薬草の苦味を含んだ香り、そしてその奥にほんのりとシナモンやバニラを思わせるリッチな甘さが混じっています。
香りを辿って視線を巡らせれば、部屋の大部分を占める年代物のマホガニー製の大机に施された、見事な彫刻にまず目を奪われました。大机の上には黄金の縁取りがなされた煌びやかな聖書と、細工の細かい銀のインク瓶が宝飾ケースに展示されたジュエリーのように整然と並んでいます。
そしてその横に、わたくしが思ったとおりの形で没薬が置かれていました。
灰を敷いた香炉の中で、火を起こした厚みのある炭団型の香炭が真っ赤に染まり、その上に載せられた少量の没薬が芳醇な香りを含んだ煙を燻らせています。
緊張を和らげ心を落ち着かせる効果がある没薬は、古くから聖神国が神聖儀式に使用してきた歴史があります。
聖職者にとって、『祈りの香り』である乳香と並ぶ神聖な樹脂香は黄金よりも価値が高く、とても重宝されてきました。
そんな貴重な没薬を惜しげもなく焚き染めている新任の司教様とは、いったいどんな御仁なのかしら。
「すぐに参りますので、少々お待ちください」
どうやら部屋の奥に続き部屋があるようです。
そちらで時折かすかな物音がしていますので、司教様は続き部屋にいらっしゃるのでしょう。
司教様がお戻りになるまで、不躾にならない程度に更なる情報収集を行うことにします。
背後の壁一面の書棚には、革装丁の背表紙に金文字が映える稀覯本が隙間なく並んでいました。
壁の余白を埋めるのは鮮やかな壁画のタペストリーで、創世の女神様の纏う青い衣は、高価なラピスラズリの輝きをそのまま放っています。
続き部屋に繋がる奥には大きく穿たれたアーチ窓があり、そこからは大聖堂の美しい庭園が一望できます。
ガラス越しに差し込む陽光が、部屋のすべての「富」をこれでもかと祝福するように照らし出していました。我がアークライト公爵家の調度品と見比べても遜色ありません。
静謐な聖堂の裏側で、信仰という名の権力がどれほど莫大な富を蓄積してきたのか、その生々しい答えがこの一部屋に凝縮されていました。
聖神国が如何に強大であるのか、部屋を見渡せばよくわかります。
「お待たせ致しました」
室内を一通り観察しておりましたが、情報収集はここで終了です。
「ようこそおいでくださいました。かような時期に急なお呼び立てをしてしまい、誠に申し訳ございません」
続き部屋から戻られた司教様は、声の印象通り、三十代前半のご年齢に見えます。
月の雫を落とし込んだ絹糸のように繊細な銀の長髪に、氷河の青を閉じ込めたグレイシャーブルーの瞳はとても美しく、端正なお顔立ちと、サイドヘアを緩くねじるように後ろへと編み込まれたハーフダウンが儚さと色気を両立させており、司教様を人の括りからはずしてしまっているように思えます。
精霊王がこの世に存在していたならば、きっと彼のような容貌をしていたのではないかしら。
司教様が身に纏うのは、汚れなき純白の絹を基調とした法衣で、袖口や裾には祈りの言葉を象った銀糸の刺繍が緻密に施されています。
胸元を飾る大きな瑠璃の聖印が、司教様のグレーシャーブルーの瞳と響き合い、見る者に侵しがたい神聖さを抱かせています。
胸元のラピスラズリは創世の女神様を象徴するため、王族であっても信徒が身に着けることはできません。深い瑠璃色は、聖神国の高位聖職者にのみ許される禁色です。
司教様が歩を進めるたびに、銀髪とともにふわりと揺れる薄紗の外套が、司教様を現実のものとは思えないほど儚げに、美しく飾り立てます。その清廉な姿は、信仰の象徴として、見る者の心を静かに浄化するような不思議な力に満ちていました。
優雅に一礼する司教様の人外の美貌に内心感嘆しつつも、勧められたソファに座ります。この場ではキティの立場は聖女となりますので、彼女もわたくしの隣に座ることになります。
「改めまして、お初にお目にかかります。聖神国より派遣されて参りました、アシェル・プレーグと申します」
「エメライン・エラ・アークライトでございます」
司教様とのご挨拶を交わし終えても、わたくしに続くはずのキティから、一向に反応がありません。不審に思い横を見ますと、キティは司教様の常世のものとは思えない美貌に唖然とし、息をすることすら忘れたように硬直していました。
「キティ?」
「――めっちゃ美人!」
突然の大声に、司教様もわたくしも驚いて目を見開きます。
「えっ、人!? 人間!? エルフとか妖精とかじゃなく!? てか何歳!? 年齢不詳じゃない!?」
「キティ。落ち着いて。失礼よ」
「いやだってエメライン様! 普通新しい司教が来るって聞いたら、おじさんとかおじいさんとか思うじゃないですか!」
ええ、わたくしも驚きましたけど、それを全部口に出してしまってはいけません。
「ご期待に添えず申し訳ございませんが、わたしは人間ですよ、聖女様。因みに年齢は四十八です」
これにはわたくしも思わず息を呑みました。控えているジュリアや護衛騎士たちも同様です。
「は!? その肌でアラフィフ!? マジで!?」
「あらふぃふ? とは?」
司教様が不思議そうに小首を傾げておられます。
キティの語訳はいつも難解ですが、それよりも司教様の実年齢に驚きを隠せません。お父様より年嵩でいらっしゃるようにはとても見えませんわ。
隙のない襟元から覗くのは、三十代前半にしか見えない、驚くほど透明感に満ちた白磁の肌です。
四十代後半という年齢を完全に否定する、シミやシワ一つない滑らかな首筋や端正な顎のライン、そして張りのある完璧な肌には、年齢の陰りなどどこにも見当たりません。
美容法など是非ともご指導ご教授いただきたいわ。ジュリアの目力が凄まじいことになっておりますが、きっとわたくしと思っていることは同じでしょう。




