世代交代
アンザーツとファルシュの融合体にアラインとヒルンヒルトはひたすら魔法を放ち続けた。火も水も風も土もだ。雷を使うと絶望の記憶が甦るのか酷く暴れ狂う。抑えるのが困難になるので雷属性だけは自然封じることになった。
マハトはゲシュタルトの補助を受け、斧を振り回しどす黒い塊に斬りかかっていく。傷口から溢れるのは血ではなく、もっと黒い瘴気や魔法弾だった。
「っ……!! くそ、まだこっちが誰かわかんねえのかよ!!」
攻撃すればした分だけアンザーツからは反撃が返る。放っておけば何もされないのだとは思うが、そんなわけにもいかなかった。
「こちらを認識しきれないのは表層に現れているのがファルシュだからだ。アンザーツの心は深いところに閉じ篭っているのだろう」
ヒルンヒルトの分析にゲシュタルトたちは顔を歪める。
どろどろの手足をうねうねと動かしながら、アンザーツは悲嘆の声を轟かせた。ただの穴にしか見えない空洞の目から灰色で粘性のある涙が溢れてくる。見ているだけで胸が締めつけられた。
「魔物になるほど思い合うとは、君たちは本当にお似合いだよ」
「何よその溜め息?」
「気にしないでくれ。少々妬いているだけさ」
そう呟くと賢者はまた火魔法の構築を始める。隣についたアラインも効果増幅を狙って同じ魔法を編み出した。
「大丈夫なの? あなたその子にほとんど力をあげちゃったんじゃないの?」
「なんだ、気にかけてくれるのか?」
気のせいではなくヒルンヒルトは嬉しそうだ。アンザーツとふたりでパーティに混ざっていたときより、今の方がずっと生き生きして映る。それはゲシュタルトもそうだったけれど。
「案ずるな。大賢者の力は譲り渡したが、私本来の力はまだ残っている」
ヒルンヒルトとアラインで放った炎の蛇はアンザーツの表面を舐め首元に絡みついた。反撃に備え結界を張り、四人で前を見据える。
高温に喘ぎながらも黒い指先は鋭い真空の刃を幾百と送り返してきた。流石は魔王と勇者と言うべきか、その魔力は無尽蔵で、まだまだ元気そうである。
(このままじゃ長期戦になるな……)
ごくりと息を飲みアラインはベルクたちのいる神殿を見やった。あちらはあちらで荷が重いのだ。戻れるなら早く戻りたい。
アラインの思考を読んでかマハトの目にも焦りが滲んだ。戦士はゲシュタルトに肉体強化の光魔法をかけてくれと頼み、両手で強く斧を握る。そんな後方を振り返りながらヒルンヒルトも小さく息を吐いた。
「このままでは埒が明かんか。――私が囮になろう」
「はぁ!?」
何言ってんだと止めたのはマハトだった。彼もゲシュタルトも、もちろんアラインにはもっとよくわかっていた。案ずるなとは言ったけれどヒルンヒルトに残された魔力などほとんどない。それでも今は戦わなければ取り戻せないものがあるから虚勢を張っているだけだ。
「危なすぎる。やめとけ」
首を振るマハトに賢者は笑った。
「危険なら尚更私がやる方がいい。君たちへの隠し事はこれでなかったことにしてくれ」
ヒルンヒルトはふたりの返事を待たなかった。跳躍し、アンザーツの眼前に躍り出る。
「さあ来いこちらだ、アンザーツ」
両手から雷を放つと火花に心奪われた彼が猛り狂いながらヒルンヒルトを追いかけ始めた。だが昔取った杵柄で、賢者は本当に舞うように、放たれる炎も風もひらりひらりとかわしてしまう。
ゲシュタルトが「馬鹿ね」と呟いた。マハトは「もうそんな風に言うな」と窘める。
「僕らも追いかけるぞ」
アンザーツの注意は完全にヒルンヒルトひとりに向いていた。隙を突き総攻撃をかけるなら今しかない。
三人で頷き合って駆け出した。
前方で繰り広げられるヒルンヒルトの逃走劇は天空の舞と称していいほど軽やかで美しかった。
「やっぱりあいつ男で良かったわ」
ゲシュタルトのぼやいた言葉にマハトは苦笑するだけだった。
踊るように空を駆ける。雲の隙間を擦り抜けて。
感情を消せと教え込まれ、己の不幸にも無頓着なまま暮らしていたあの頃得たものが最後に己に残ったというのは、随分皮肉なような気も、救われるような気もした。
(アンザーツ……)
私の中で眠っていたものを揺り起したのは間違いなく君だったよ。
似ていたからとか同族だったからなんて理由は今はどうでもいい。ただ彼が幸せになってくれれば。
(私にとって大切な友人は君ひとりだとばかり思っていたんだがね)
ゲシュタルトとムスケルが当たり前に側にいてくれて、あろうことか浮かれている。
今ならなんだってできる気がする。
アンザーツ、真実君を救うこともだ。
「もうこれ以上奥の手はないぞ。ちゃんと戻ってこい」
魔力が尽きたときのために、属性を失ったときのために、晩年考案した術がある。
広大な面積におそろしく細かい魔法陣を描かねばならないが、代わりに一度だけ闇属性の大魔法を扱うことができる。
ファルシュとアンザーツの融合は精神と精神の混ざり合いだ。結局どの属性よりも闇魔法をぶつけるのが最も効果的なのだ。制御の難しい魔法だから、できればもっと安全に用いてやりたかったけれど。
「魔法陣だ……」
アラインがそう呟くとゲシュタルトとマハトが目を瞠った。
ヒルンヒルトの爪先から魔力の粒が少しずつ漏れていて、アンザーツを引き寄せながら空中に巨大な陣を構築している。賢者を追う漆黒の魔物はそのことにまだ気づいていないようだった。
「あの真ん中にアンザーツを突き落とそう」
アラインの提案に戦士たちは了承の意を返した。おそらくヒルンヒルトもそれを狙って誘導している。
魔法陣はほぼ完成間近だった。攻撃をかわしながら、時折雷撃を発しながら、よくぞこれだけ繊細な魔法を拵えたなと感動すら覚えそうだ。いつ魔力が底を尽きてもおかしくない状況なのに。
「何でもするんだよ、あいつ」
「そうね、アンザーツのためならね」
「……だから後ろはこっちで守ってやらねーとな!」
ゲシュタルトは嘆息しつつ攻撃強化の魔法を唱える。それを受けたマハトは大斧を担いで機を待った。
繋がった魔法陣のすぐ側で、不意にヒルンヒルトが足を止める。隙だらけの賢者を魔王の爪が貫いた。
「あっ……!!」
だが黒い爪を引き抜こうとして狼狽したのはアンザーツの方だった。深々と突き刺さったそれは賢者の腹から抜けてこない。どれだけ力を篭めてもだ。
「何をやっているんだアンザーツ?」
微笑を浮かべ、ヒルンヒルトは己を穿つ爪に触れた。
「君の望んだ結末が待っているのに」
黒い腕に飛びかかったのはマハトだった。限界まで腕を振り上げ打ち降ろすと歪んだ魔物の腕は骨が砕ける音とともに千切れ飛ぶ。傷の断面からアラインは体内に直接炎を注ぎ込んだ。連続して瘴気が吹き上げこちらを飲み込もうとするが、神鳥の盾で身を守りながら魔法攻撃を続行する。
ヒルンヒルトの回復にはゲシュタルトが回ってくれた。やっぱり彼女は「馬鹿ね」と口を曲げていた。
「オオオオオオオオオオオオーーーー!!!!!!!!」
暴れもがくアンザーツに再びマハトの斧が振り下ろされる。ぐらりとその足元が揺らいだ。
ゲシュタルトとヒルンヒルトが同時に魔法陣の中心へ下がり、同時に雷を呼ぶ。
身を引き倒しながらアンザーツはそちらへ這った。
魔法陣の一端に溶けかけた身体が触れると、黒と白の光が辺りを包み込み、気がつけばアラインたちは真っ暗闇に放り込まれていた。
――暗い暗い、どこまで行っても黒しかない世界。
新月の夜より深い闇を見るのは初めてだ。
起き上がったアラインの側にはマハトもヒルンヒルトもいた。少し離れたところにはゲシュタルトも。
目を凝らしてもっと周りをよく見てみると、大きな姿見がぽつんと置かれていた。
どうしてあんなところに鏡があるんだろう。不思議に思い視線を下げればそこにアンザーツがいるのに気がつく。ちゃんと人の姿をした彼が。
けれど勇者は半分以上鏡に飲み込まれかけていた。鏡の中から誰かが腕を掴んでいて、彼を引き摺り込もうとしているのだ。
いや、もしかすると押し返そうとしていたのかもしれない。鏡に閉じ込められている魔族の老人は魔王ファルシュだった。
「待って!! 連れて行かないで!!!」
ゲシュタルトが叫んで走り出す。魔王の手から恋人を奪うと懸命にこちら側へと這い出させた。
ファルシュは黙って見ているだけで特に攻撃してくるつもりはないようだ。アンザーツが鏡から離れてしまうと鏡面にはひびが入り、魔王の姿は見えなくなった。
「……っう……」
「アンザーツ!!」
瞼を開いた彼の周囲をぐるりと四人で取り囲む。黒い瞳に仲間が映ってアンザーツは心底驚いたようだった。
「……どうして? 皆……?」
死んじゃったんじゃと尋ねる声に否定の言葉は返せない。確かに彼の仲間は全員死んでしまっている。
「迎えに来たのよ。あなたがあんまり遅いから」
半身を起き上がらせたアンザーツにゲシュタルトが縋りついた。
「そうだぜ、もう探し疲れてクタクタだ」
目尻を拭いながらマハトも言う。今はムスケルの方が勝っていそうだが。
アンザーツは信じられないという顔でヒルンヒルトと目を合わせた。
賢者が笑って「そういうことだ」と告げてやれば、感極まった勇者がゲシュタルトを抱き締め返す。
「本当に? 皆、本当に?」
あっと思う間もなく闇が晴れ、マハトとゲシュタルトとアンザーツの三人は笑いながら掻き消えた。多分魔法陣が効力を失くしたのだろう。場には魔王の姿見と術者であるヒルンヒルト、闇属性のあるアラインだけが残される。
「……大丈夫?」
尋ねるとヒルンヒルトはオウムのように「大丈夫だ」と返してきた。
長く深い溜め息を敢えて盛大に吐き零し、アラインは賢者の白い手に触れる。
「そんな嘘つくからこじれるんだよ。もう透けてきてるじゃないか」
少しだけ貰った力を送り返せばヒルンヒルトはくつくつと笑みを零した。
「やはり君は優秀だ」
誉められついでにアラインは魔王の鏡に盾を翳した。
神鳥の盾から柔らかな光が発され、音もなく姿見は消滅する。
ヒルンヒルトは鏡のあった場所に頭を下げた。アラインもそれに倣った。
真っ黒い泥の中からアンザーツの腕を掴んでマハトが勇者を引っ張り出す。ファルシュの残骸はぽたぽたと雫になって滑り落ち、やがてすべて見えなくなった。
あとは最後に残った敵を倒すのみだ。遠くで響く戦いの音に耳を傾け「さて」と賢者が指を鳴らす。
「四人揃うと負ける気がしないな」
さっきまで消えかけていたくせに何を言っているのだとアラインは苦笑した。かつての仲間がようやく手を取り合えるまでになり、余程喜んでいるらしい。
「随分長いこと戦ってた気がするわね」
ゲシュタルトも魔力を漲らせ、すべての元凶であるツエントルムに対し戦意全開である。
そんなふたりを後ろから抱き締め、目覚めたばかりのアンザーツが「駄目だよ」と囁いた。
「……ぼくたちの時代は終わったんだ。もう全部新しい勇者に任せなくちゃ」
アンザーツは静かにアラインに向き直る。
凛とした眼差しがこちらを捉え、唇が柔らかく微笑んだ。
憧れていた勇者の顔で、勇者の言葉で、告げられたそれは――。
「頼んだよ、勇者アライン」
ああ、と応えてアラインはアンザーツの右手を握った。
恐れはない。焦りもない。
「行きましょう!」
駆け出したマハトに並び、追い越して行く。
僕は僕の中の「勇者」を越えられたんだろうか。
「戦いには手を出さないと言うのなら、他になすべきことを探さねばな」
ベルクやツエントルムの元へ向かったふたりを見送りヒルンヒルトがそう告げると、アンザーツはにっこり笑って「そうだね」と答えた。
長いこと生きてきたけれど、勇者という枠の中から解放されるなんて初めてだ。本当に信じられないことばかり起こる。今もヒルンヒルトとゲシュタルトが側にいてくれるなんて。
「アンザーツ、本当に放っておいていいの?」
「大丈夫だよ。けど戦い終わってからのサポートぐらいは必要かな?」
「ふむ。そういうことならあの辺りが怪しいぞ」
ヒルンヒルトが指を差したのは神の居城である神殿だった。
天界という空間を保つ魔法も、魂を結晶化するための魔法も、きっとあの奥に隠されているのだろう。
「うん、今のうちに入ってみよう」
アンザーツを先頭にヒルンヒルトとゲシュタルトがくっついて来る。ムスケルが足りていないのは仕方がないが、本当に百年前に戻ったみたいだ。
(……いや、それより今の方がずっと……)
戦いが終わったら自分たちはどうなるのだろう。ふたりはどうやら霊体のようだし、自分の身体はツエントルムに奪われている。普通の死者と同じよう、生まれ変わるため一度無に帰してしまうのだろうか。できればもう少し一緒にいたいけれど……。




