いざ天界
海底火山の真上まで来ると濃霧の中に空間転移の魔法陣があった。アンザーツはここを通過していったらしい。
「あそこをくぐれば天界です。皆さん気をつけてくださいね……!」
降下しながらオーバストが忠告する。ツエントルムからすればアラインたちが来ることは予測がついているはずだ。どんな罠が張ってあるか知れない。
「一応もう策略めいたことは何もないと思いますが……」
「どうしてそう思うの?」
不審に思ったノーティッツがそう問いかける。オーバストは苦笑いで「私がこちらについてしまいましたから」と答えた。成程、トルム神もあまり冷静とは言えない状況なのか。
ゲートとなっている魔法陣を抜けると急激に視界が開けた。
まやかしだと聞いていなければ遥か上空に訪れたのだと勘違いしかねないほど薄い空だった。足元には精巧すぎるほど精巧なダミーの地上。腕を伸ばせば真っ白な雲が掴めてしまいそうだ。
「あちこち小さい岩場が浮いてんな。あれを足場に戦わねえとってか」
やってやろうじゃねえかと鼻息を荒くするベルクにディアマントが「心配無用だ」と告げる。
「あの中は翼を出さずとも飛べる」
そう言って彼が指差した先には天界を丸く包む青い結界があった。
魂が物質化するとはオーバストも言っていたが、肉体より精神が幅を利かせる世界なのかもしれない。
「アンザーツはあれか?」
オーバストの羽の間でベルクが薄ら目を細めた。
神殿らしき白い建物に向かう黒い半固形の物体。それを目にして全員息を飲む。
もはや勇者の原型など留めていなかった。憎悪と呪いの塊となったアンザーツは神殿に取りつき、毒なのか泥なのかよくわからないものをなすりつけている。
「アンザーツ!!!」
ラウダが呼んだが声はまったく耳に入っていないようだった。怒りと悲しみが冷静さどころか人間らしさすら奪っているのだ。
アンザーツは吼え立てながら神殿に瘴気を撒き散らした。真っ黒に渦巻くそれは壁や柱を破壊して神殿内部を剥き出しにしていく。どういう風が流れているのか、崩れた建物の一部が結界の外まで飛んできてオーバストが旋回した。
「ツエントルム……!!」
ふと見ると神殿の入り口にひとりの男が立っていた。姿かたちはアンザーツそのものだが、服装は白い法衣に変わっている。携えた武器は杖ひとつだ。かつて大魔導師と呼ばれただけあって、魔法には絶対の自信を持っているのだろう。
ツエントルムがほんのひと振り風を放つとアンザーツの巨躯は見る間に神殿から引き剥がされた。
「急がないと!」
アラインはオーバストを急かす。ツエントルムとアンザーツを戦わせては駄目だ。もし神がアンザーツを殺してしまったら二度と勇者を助けられない。
聖獣はこくりと頷き結界内へ飛び込んだ。精神を具現化できる空間に突入した途端、ぽん、ぽんとヒルンヒルトとゲシュタルトが出現する。
「こっちはツエントルムを張ったおす。そっちはアンザーツを何とかする。それでいいんだよな?」
剣を取り立ち上がったベルクにアラインは頷いた。任せたよ、と拳と拳をぶつけ合う。
アラインとマハトは武器に手をかけ聖獣の背中から飛び出した。空の泳ぎ方などわからないので最初は薄く風をまとう。だが段々と蹴ったところに瞬間的に地面代わりの小規模魔法陣が出現するのだとわかり、アンザーツの背後に降りる頃にはすっかり天界の歩き方に馴染んでいた。思っていたより断然動きやすい。止まりたいところでピタリと止まれる。
「…………」
アンザーツは決まった形も持たないまま天空にゆらゆら揺れていた。ふらりとこちらに向き直ったがまだ話の通じそうな雰囲気ではない。見失ったツエントルムを探そうと移動し始めたので、注意を引きつけるため火魔法をちらつかせた。
「オオオオオオオ!!!!!!」
狙い通りこちらを向いてくれたのはいいが、少々リアクションが激しすぎる。マハトとふたり、右と左に黒い腕が伸びてくるのを跳んでかわした。霊体ふたりは軽やかに上空に飛んで避ける。
「まずアンザーツとファルシュを分離させねばならんぞ。ファルシュの方を撃破してアンザーツひとりきりになれば闇魔法で呼びかけられる」
ヒルンヒルトはそう言いながら両手に魔法弾を浮かべた。
「まさかまた勇者と魔王退治に来ることになるとは思わなかったわね」
ゲシュタルトのひとりごとに賢者も「まったくだ」と笑った。
(ん? 勇者って……ひょっとして僕か?)
そんなまさかとアラインは目を瞠る。そもそもゲシュタルトには思い切り血筋を否定されたのに。
「魔王に情けは必要ない。あれはもうファルシュというより神の魔法そのものだ」
自我などないということを改めて強調され、アラインとマハトは頷き合う。
会うのはこれが初めてだし、話したこともない魔王。けれど彼が残したかったものは今きっとエーデルに受け継がれているのだろう。そう思う。
「行こう、アンザーツを助けるんだ」
マハトもヒルンヒルトもゲシュタルトも、目線はじっと黒い塊の中心を向いていた。
早く気がついてくれよ。
仲間が皆来てくれてるんだよ。
******
神殿からアンザーツを吹き飛ばしたツエントルムの元にベルクたちを乗せた聖獣が近づく。至近距離で見るトルム神はますますアンザーツそのもので、そのやり口に虫唾が走った。
(つーかただでさえアンザーツが強いってのに、精神と肉体が揃ったらますます強くなるんじゃなかったか?)
ツエントルムの力量を熟知しているからだろう、オーバストは一定の距離を保ったままそれ以上近寄らないでいる。その様子を一瞥し、ツエントルムがふっと笑った。
「わたしへの報復か。さぞかし恨みも溜まっていることだろうね」
「……もうこんなことはやめましょう!」
訴えを耳にした途端、トルム神の足元から丸い気弾が浮かび上がってこちらに飛んできた。どんな攻撃を仕掛けてくるのか読めないのでノーティッツに策を練ってもらうのはもう少し後だ。ベルクは神鳥の剣を握り締め、向かってくる光の球を次々切り裂いた。
「……っ!!」
輝きを取り戻したオリハルコンの軽さは異常だった。まるで羽根でも振っているようである。辺境の都でイデアールと対峙したときはどうしても大振りになる重さに悩まされたが、これならどんな剣よりも速く打ち込んでいけそうだ。
(神具っつっても神様の術が無効なら、単にすげえ強ぇ武器防具ってことか)
よし、と気合いを入れ直しベルクはオーバストの翼から飛び降りた。また気弾が発射されたがすべて剣圧で薙ぎ払う。そのままの勢いを保ち、着地と同時、斜めに斬り下ろした。
「っしゃ!!」
元魔導師であるためか、ツエントルムに剣術の心得はないらしい。呆気ないほど簡単に攻撃が決まってベルクは頬を緩める。
だが瞬きの間に斬られた肉を綺麗に元通りにしたツエントルムの笑みを見て瞬時に青ざめた。多少のダメージなど受けたところで無意味だから防御していないだけだ。そう理解するのに二秒も必要なかった。
「やはり器があるだけで段違いだな」
余裕たっぷりにツエントルムは腕を広げる。もっと斬ってみろと言わんばかりだ。
心の中でアンザーツに詫びながら、ベルクは神の両腕をばっさり斬り落とした。だがそれも磁石のようにくっついて、最初から何事もなかったかのように戻ってしまう。
(ヒュドラのときみてえに核があるのか?)
「だったらこれでどうだ!!」
神鳥の剣の速さに任せ、ベルクは目の前の男を滅多切りにした。回復の暇を与えず攻撃に徹していれば何か光明が見えるかもしれない。
「ベルク、戻れ!! 魔法が来る!!」
幼馴染の声にハッとして後ろに跳ぶと、直後さっきまで立っていた場所にマグマが噴き出した。一瞬前まで何もなかったぞと無意識に唾を飲み込む。
「おや、あれに勘づくとはなかなか鋭い」
こま切れにしたはずのツエントルムはもう五体満足だった。血の一滴も垂れていない。
一旦距離を開くべきだと本能が告げた。今まで見てきたどんな相手より恐ろしい相手を敵に回している。
「聡い人間は嫌いだ」
そう言うとツエントルムは右腕を高く上げ、デコピンでもするように空中に指を払った。瞬間、凄まじい風の塊が発生してノーティッツに襲いかかる。
咄嗟にオーバストが翼で庇ってくれたようだったが、小さな空気の弾丸は羽を貫通し目標に届いたようだった。聖獣の上で響いた悲鳴らしきものにベルクの頭が沸騰する。
「てめえ……ッ!!!」
再度斬りかかるとツエントルムは楽しげにほくそ笑んだ。
「もうひとつ面白いものを見せてやろう」
「大丈夫?」とエーデルに問われ、ノーティッツは仰向けに転がったまま涙目でこくこく頷く。
一直線に額を目がけて放たれたのは極小の魔法球であったけれど、凝縮された力はとんでもないものだった。羽の上で燃え尽きているバンダナに防御の呪符を何重にも仕込んでいなければきっと昇天第一号になっていただろう。天国で死ぬなど洒落にならない。
「一撃の重さがやばいな。迂闊に近づけないぞ……」
「あなたは皆のブレーンだものね。是非そうしてほしいわ」
何か思いついたらすぐに指示して、とエーデルが言う。知らぬ間に随分信用されたなとノーティッツは頬を掻いた。
飛び込んで戦いたいのは彼女も山々だろう。だがまだそれができない。自分が死ねば何十万もの人間が巻き添えになるとわかっていて、お気楽に戦えるほど楽観的にはなれないのだ。それも神様なんてものを相手に。
「私が加勢に行く。どこまで通じるかわからんが」
ここまでツエントルムの様子を窺っていたディアマントがオーバストと並走するよう翼を降りた。
何人行ったところであんな超回復をされては同じだろうと思ったが、他に今打てる手はない。勝つための糸口を掴むにはやはり攻めなければならなかった。
「気をつけてくれ。今はぼくとあんたしか光魔法を使えないんだ」
「承知している。そっちこそ気をつけろ」
ディアマントは大剣を手にすると後ろから回り込む形でツエントルムの元へ舞い降りた。ベルクが斬りかかるタイミングに合わせ、ふたりで前後から襲いかかる。しかしツエントルムにダブル攻撃は効かず、ただの一筋も傷を負わせることはできなかった。
「ようやく来たか、ディアマント。お前も私に逆らうのだね?」
「魔王になれとは聞いていなかった」
「話す必要もなかっただけだ。操るのは玉座に座らせてからと思っていたが、はじめからお前にも術をかけておくのだったよ」
こんな術ならかけておいたが、とツエントルムは研ぎ澄まされた光を発した。リボンのようにしなった薄い刃がディアマントの腕や足首を簡単に撥ね飛ばす。バラバラになった身体を見てエーデルが息を飲んだ。
「なんだあれ……?」
目を細め、ノーティッツは状況を探る。
明らかに致命傷であるにも関わらず、ツエントルムを睨むディアマントの目の強さは変わらない。
「まさか……!」
オーバストの悲痛な声に応えるよう神は無慈悲な笑みを浮かべた。
「魔王にするまでは大事な身体だと思ってね。それまでは何をやっても死なないよう、お前とは不死の契約をかわしたんだ」
「ぐぁっ、ぅ、ッ!!」
微笑みながら更に細かくツエントルムは実の息子を刻んでいく。オーバストが「やめてください!!!」と叫ぶのを面白がっているようだった。
見ていられずにノーティッツは癒しの呪文を唱え始める。肉体強化ならいざ知らず、治癒の魔法は不得手だった。無駄な魔力消費になるかもしれないが、それでも放ってはおけない。わなわなと震えるエーデルにも「行っていいよ」と告げてやるしか。
「生き続けるのは思うより苦しいぞ? だが魔王になれば死ぬことはできる。ははは、終わりにできるだけお前は恵まれているよ!」
「……ッ!」
ツエントルムの言葉はディアマントにと言うよりはオーバストに向け発されているようだった。
不死の呪いか消滅の苦しみか。いずれにせよ神は我が子を苦しめる気でいたらしい。
あんな親元でウェヌスはよく真っ直ぐ育ってくれた。すごい奇跡だ。感謝しなければ。
青い翼に隠れてノーティッツはディアマントに回復魔法を届けた。職業僧侶でも何でもない自分が肉や骨を組成するのは少々辛い。全快とまではいかないかもと多少弱気になっていると、途中でディアマントがもういいと言うよう目配せしてきた。まだ身体が半分繋がっていないのに、千切れかけた指の先で彼は魔法陣を描いている。
「死なんのなら怯む必要もないわ」
激痛ごと振り払うようディアマントは炎を放った。その援護をするようにエーデルも飛びかかっていく。
(策なんか考えてる余裕ないな)
翼の上にひとり残り、今は全員の回復だけに専念しようとノーティッツは心を決めた。
アラインたちがこちらに合流してくるまでは最低限もたせなきゃいけない。特にエーデルのことは。
足を振り上げた魔王の末裔にツエントルムが杖先を向けた。
治したばかりの身体を張ってディアマントはエーデルを庇う。
「死なんのだから精々利用しろ」
「……ありがとう!」
ディアマントには悪いが少しの間頑張ってくれと胸中で励ます。
ベルクとエーデルがツエントルムに何度も攻撃を仕掛けるが、そのどれも決定打にならないまま、神にとっては遊戯のような時間が続いた。




