操り人形は眠る
クラウディアの後について訪れたのはこじんまりした木の家だった。アラインとマハトが魔道書だらけの書斎にこもる間、ベルクたちは動かぬウェヌスをベッドに寝かせてやる。クラウディアのものだという寝室にはベルクとノーティッツ、ウェヌスの三人だけがいた。
耳を澄ませば聞こえてくるのはすやすや規則正しい寝息。こうしていると本当にただ眠っているだけのようだ。そう何日も健康なまま眠り続けることなどできないだろうから、今日明日中には決着をつけなければならない。
元人間とは言え何百年と生きてきた神様が相手だ。心してかからねば。
「物語の締めくくりはハッピーエンドって決まってんだ。きっと目を覚ますよ」
寝台の横にぴったりついているベルクの肩に軽く触れ、先に出てるとノーティッツは部屋を去る。
変な気を回しやがってと思ったが、眉をしかめる余裕もなかった。
「……青春ごっこなんかこれっきりだぜ」
後で返すとひとりで勝手に約束するとベルクはウェヌスのリボンを解いた。グローブを脱ぎ、右の手首にきつく巻きつける。
「お前が引っ繰り返って喜ぶくらいの勇者になってきてやるよ、ウェヌス」
だからお前の父親を、ボコボコにするけど許してくれよな。
神様なんかいらねえけど、お前のことは必要なんだ。
大量の魔道書の中からアラインが目当ての一冊を探す間、マハトはラウダとバールにアンザーツたちが何を仲間に隠していたか聞いていた。勇者と魔王がどういう生き物で、どうして彼が都に戻ってこられなかったのか。
マハトはもうムスケルの記憶に惑わされてはいなかったけれど、話を聞いて少なからずショックを受けたらしかった。だったらなおのことちゃんと話せよと憤りを露わにしている。だがその怒りは憎しみを帯びたものではなかった。
「ほんっとにあいつらは……!!」
馬鹿力で本棚に拳を叩きつけたものだから、衝撃でばさばさと上の方の魔道書が崩れてくる。探し物をしているんだから邪魔するなと叱りかけ、アラインは落ちてきたのがまさに求めていた一冊であるのに気づいた。
「マハト、お前なかなか……」
なかなかやるなと言いかけて、はたと言葉を止める。偶然にしては出来過ぎていないか?だってここはヒルンヒルトの家で、アラインのやろうとしていることは――。
「お? どないしたんやアライン?」
「ちょっと黙っててバール」
「……っ!」
黙れと言われ途端に苦しみ出すバールにラウダが深々と嘆息する。
アラインは魔道書を開き、必要な記述を探して次々ページを捲った。
きっとこの術は上手くいく。確信が指を急かす。
「あった!」
魔法陣の構築の仕方、発動の条件、すべてチェックし終わるとマハトやバールが呼びかけてくるのも無視して闇魔法の詠唱を始めた。ラウダだけは何か勘づいたのか、にやりと笑って術を見守っている。
「ルーフェン・ゼーレ、マヘン・フオルム、ライエン・クラフト……」
普通は対象を一体に限ると書かれていたが、そんなことは言っていられない。普通では足りないことがあったからあの賢者だってもっともっとと力を求めたのだ。絶対に「ふたり」必要なはずだ。今のアンザーツに呼びかけるためには。
「コーメン・ヒーアヘア――……ヒルンヒルト! ゲシュタルト!」
描いた黒い魔法陣から目も眩むほどの光が放たれ部屋を満たす。
やった、成功だ。喜ぶアラインの耳元でくっくっくと愉快そうな笑みが零れた。本当に愉快そうな。
「持つべきものは優秀な子孫だな」
薄紫の髪を払いながら宙に浮かんだヒルンヒルトがアラインを褒める。
「ちょっと、アンザーツはどうしたの!? 何がどうなったの!?」
凄まじい剣幕でマハトに詰め寄るのは黒いドレスのゲシュタルトだ。だがその肌は白く、魔性の名残はない。
「ああ待て、事情は私から彼女に教えよう」
賢者はマハトの肩からそっと聖女を引き剥がすと「触らないでよ!」と怒る彼女に胸元の魔法石を触らせた。多分そこに記憶を蓄積してあるのだろう。ゲシュタルトは一瞬の後ぶるぶる震え出し、トルム神の名を憎らしげに吐き捨てた。
「……やっぱり僕らの側にはくっついて来てたんだ?」
「当たり前だ。私はアンザーツのためだけにこうして永らえているんだぞ。たとえ悪霊扱いされようともな」
「いつまで根に持ってるのよ!?」
霊体なのにヒルンヒルトに掴みかかるゲシュタルトを見てマハトがぶっと噴き出した。
「はは、確かにふたりとも悪霊だ」
戦士が嬉しそうにニヤニヤし出すと賢者と聖女は顔を見合わせ諍いを止める。
なんだか風通しが良くなってきたぞとアラインは神鳥たちとこっそり頬を緩め合った。
「アライン、君の見込みは正しいよ。私たちでなくてはあの男を正気には戻せまい。なあゲシュタルト?」
「……はあ、あなたとなんか協力したくないけどアンザーツのためなら仕方ないわ」
「我々の幽体を定着させるのにちょうどいいものがある。天界に着くまではそれに宿してもらえないか?」
ヒルンヒルトはそう言うと書斎の机を指差した。言われるままにアラインが抽斗を探ると色褪せた紺のリボンと魔法石の嵌った首飾りが見つかった。するとゲシュタルトが「うええ……っ」と聖女に似つかわしくない声を上げる。
「よくそんなの持ってたわね……」
「私とて仲間を偲ぶ気持ちくらい持ち合わせていたさ」
どうやらリボンはゲシュタルトの私物だったらしい。ヒルンヒルトはアンザーツの生家を出るとき、これも一緒に持ち出していたようだ。
「ムスケルが私宛に出してくれた手紙も全部取ってある。大事にしていたんだぞ」
「え、そうなの」
今度はマハトが驚きの声を上げた。だが素直に喜ぶ戦士と違い、ゲシュタルトは「今更そんないい子ぶったって遅いわよ!」と頑なだ。
「君はアンザーツとは和解したくせに、私には冷たいままか……」
「なんであなたと仲良くしなきゃいけないわけ? 言っておくけど百年前からそのスカした顔が気に入らなかったのよ」
「それを言うなら私だって可愛い子ぶった君の態度には辟易」
「だああもー!! お前ら喧嘩すんな!!!」
間に割って入るマハトが楽しそうで、アラインもつい声を出して笑った。ラウダもバールもホッとしたようだ。
「ともかくふたりとも、まずは霊体を固定しないと――」
耳をつんざく轟音、今日二度目の不快な雷鳴が轟いたのはそのときだった。
来てください、とクラウディアに頼まれエーデルは華奢な背中を追いかけた。
闇魔法の中で出会ったクラウディアには自分の側に近づくなと言われたけれど、どうしてその彼がまるで正反対の行動を取るのだろう。
隠れ家から少し離れた森の中、クラウディアはぴたりと足を止めエーデルに向き直った。いつもと変わらない穏やかな微笑。それにホッとして彼に近づく。
大丈夫よね。普段と同じクラウディアだわ。
「こんなところまで来て一体何の用事だったの?」
「ええ、ちょっと」
答えながらクラウディアは背中に隠れていた両腕をパッと広げた。さっきまで魔力の魔の字も感じなかった掌に雷がふたつ宿っている。状況が把握できずにエーデルはぽかんと口を開いた。
迸る稲妻が自分に撃ち落とされようとしている。けれどそうしようとしているのがクラウディアだというだけで、逃げなければという選択肢すら浮かばなかった。
何、なんなの。
どうしてクラウディアがあたしに魔法を向けているの――。
「やはり貴様もツエントルムの血を引いていたか」
落雷を弾き返してくれたのはディアマントの大剣だった。エーデルの目の前で火花が散り、閃光が瞬き、魔法の威力が殺ぎ落される。
にっこり笑ったままクラウディアは「彼も優しいですね」と言った。
「ア・バオ・ア・クーから聞いたのですか? 皆の前でばらしてしまえば良かったのに」
大風を起こしたクラウディアはディアマントを吹き飛ばそうと魔力を注いだ。ディアマントは羽をたたんでエーデルを守るように立ち、躊躇なく剣を構える。大振りの攻撃を易々かわしてクラウディアは鼻で笑った。
「彼女が消えればチェックメイトです。アンザーツに取り込まれ、ファルシュもまた魔王の資格を失った。天変地異は今すぐにでも起こすことができる」
そうしたら後はわたしが勇者の血を残せばいい、と冷たい声。呆然と立ち尽くすエーデルの元にまたも雷を手にした彼が間合いを詰めてくる。
「クラウディア……?」
「彼はもういません」
返答に一瞬で頭が真っ白になった。
思い出すのは光に飲まれかけたクラウディアの姿。驚いてエーデルを見つめ返した蒼い瞳。
もうすぐ光に食い潰されるのだと、彼は自分に言わなかったか。
会えて良かったと。
「嘘よ!!! クラウディアはいなくなったりしない!! だって守ってくれるって言ったもの!! 一緒に行こうって……!!!」
叫びながらエーデルは少しずつ絶望を理解し始める。
優しくて温かなクラウディア。彼はいつだってエーデルを励ましてくれたけれど、ひとつだけ絶対に言ってくれない言葉があったのだ。
ずっと一緒だと。いつまでも側にいると。永遠だけは決して誓ってくれなかった。
「あぐぅ……ッ!!」
雷がエーデルの皮膚を焼く。並の炎では傷つけられなくなった肉体をいとも簡単に。
「馬鹿者! 抵抗しろ!!」
怒号とともにディアマントが舞い戻ってクラウディアの背に斬りつけた。
「やめて!! やめて!!!!!」
襲われているのは自分なのに庇ってしまう。クラウディアが血を流すところなんて見たくなかった。
ぽろぽろと涙が溢れる。火傷の痛みが胸の痛みにすり替わって、呼吸すら苦しくなってくる。
エーデルは大樹の根元に尻餅をついた。少しも変わらぬ笑顔のままでクラウディアが見下ろしている。
竜巻にも似た台風がエーデルたちを包み込み、ディアマントの剣は届かなくなった。懸命に魔法を撃ってくれるが神鳥の首飾りが結界の役目を果たして全部掻き消されてしまう。
先程の比でないほどにクラウディアの手にした雷は大きくなった。もうとどめを刺す気なのだとひと目でわかった。
笑ったまま。自由な心を手離したまま。
「あたしは信じてる……あなたのことをずっと……」
バチバチと破裂音が響いた。目を閉じることはしなかった。
信じたかった。クラウディアを。たくさんの隠し事を抱えて、約束すらできなかった優しい彼を。
「クラウディア……!!!」
辺り一帯に雷鳴が轟く。光がすべてを包み込む。
雷は細い体を真っ直ぐに貫いていた。
クラウディアは自分で自分を抱きしめるよう身を屈め、我が身に稲妻を落としていた。
「……あなたを守れるのはもうわたしではありません、エーデル」
「クラウディア……?」
白い肌が焦げている。真っ赤な血が伝っている。それでも彼は微笑んでいた。
「オリハルコンを手に入れてすぐ、わたしは意識を失くして……次に目が覚めたとき、目の前にはあなたがいました。……あなたが側にいてくれるときだけは、わたしはいつもわたしのままでいられた…………」
血を吐きながら、震えながら、クラウディアは打ち明ける。その手の中には新しい真空波がいくつもいくつも生まれていた。
「すみません……魔王の血を封じる方法……、見つけてあげられなくて……」
どうか幸せに、と呟くとクラウディアは風魔法を発動させる。
止めようとしたけれど間に合わなかった。彼は自分にありったけの魔力を撃ち続けた。
「やめて!! やめてクラウディア!!!」
やがて外界を隔絶していた暴風が止み、ディアマントが飛び込んでくる。エーデルは回復魔法を唱えてと絶叫した。けれど僧侶はそれを拒むよう首を振る。血まみれになっているのに泣きもしないで、笑ったままで、これでいいんですと囁いた。何がいいのかエーデルにはまったく理解できないのに。
「何してんだ!?」
茂みの向こうからノーティッツたちが駆けつけてくる。絶命寸前のクラウディアを見てアラインが飛び出した。
神具のせいだと教えてくれたのはヒルンヒルトだ。考える間もなくアラインはクラウディアから首飾りを奪い取り、有無を言わさず癒しの魔法をかけ始めた。
「いけません……、わたしには神の血が流れています……。生きていても邪魔になるだけ…………」
「諦めちゃ駄目だ! 何か方法があるよ!!」
傍らの賢者を振り返れば嘆息しつつ「精神分離は準備に時間がかかりすぎる。今すぐ効果の得られる手段は思いつかない」と即答する。対するアラインの返事もまた即答だった。
「じゃあ悪いけどとりあえず寝てて」
重い重い睡眠魔法を三重四重にしてかけると、意表を突かれたのかクラウディアはあっさり深い眠りに落ちた。
「……随分強引だな君も」
「ヒルンヒルトに言われたくないなあ」
「だから君もと言ったろう」
アラインはふうと息を吐き呼吸を整える。
ウェヌスに続き回復役のクラウディアが欠けるのは痛手だが仕方あるまい。彼とて望んでこんな血筋に生まれてきたのではないのだから。
「……神様を止めればクラウディアは?」
賢者に問うと「無論解放されるだろう」との返答だった。
決まりだとアラインは立ち上がる。まだ涙の筋が残ったままのエーデルに「わかった?」と神鳥の首飾りを突き出した。
「今度は君がクラウディアを助けるんだ」
またぽろぽろと雫は頬を流れたが、エーデルは力強く頷いた。
ディアマントがクラウディアを抱き上げて「休ませてやろう」と言う。
「……なんかほんのちょっとの間に、お前ら変わったなあ」
感心したようベルクが瞠目した。マハトが嬉しそうだった。
魔力が回復するのにはやはり一晩かかってしまった。
星降る夜空を窓辺で眺めて雑魚寝して、それぞれに思いを巡らす。
翌朝盾の塔の最上階へ登ったのはアライン、マハト、ベルク、ノーティッツ、エーデル、ディアマントの六人だった。 ヒルンヒルトの宿った魔法石はアラインが、ゲシュタルトの宿ったリボンはマハトが懐に収めている。
「それではまいりましょう」
オーバストは聖獣の翼を広げ、アラインたちを背中に乗せた。ラウダとバールもついて来てくれた。
「何百年ぶりの天界やろな」
濃霧の立ち込める内海へ青く美しい獣が飛び立つ。
ちょうどそのとき向こう側から真っ黒い影が現れて、先に海底火山のある場所へ吸い込まれて行った。
「……アンザーツか」
アラインの耳元にヒルンヒルトの重低音が響く。
ハルムロースなど目でないほどに研ぎ澄まされた怒りの声。石に隠れて姿が見えない分余計に恐ろしく感じる。
本気で悪霊じみてきたなと思ったが、それは口にはしなかった。
怒っているのはこの賢者だけではない。




