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その参

【今回の主な登場人物】

葉水巳波はすい みなみ:官僚。背が高く凛々しい美人。シスコンの兄がいる。

藍島壱馬あいじま かずま:花里の義弟。藍島夫婦の養子で、実際は花里の従弟。

翌日。陽の光に眩しさを覚え、花里はのそりと布団から起き上がった。いつもよりも幾分か太陽の位置が高い。昨夜のこともあってか、少し寝過ごしたらしい。

結局、昨夜は今日はもう随分と夜遅いからと官僚二人に送ってもらい、彼女は帰路についた。裏口で別れる際、特に成家からはきちんと頬の手当はした方が良いと助言を受けたのだが、面倒だし今更だと放置してそのまま眠ったのだったか。部屋にある鏡台に写った自分の姿を見れば、頬には昨日とそう変化のない痛々しい痣が存在を主張していた。今日は家から出る予定などない。けれど、動いたついでにと髪を櫛で梳かし、窓を開け、適当な服を見繕っていれば、扉の向こうから義弟の声が飛んでくる。


「姉さん、来客だよ」

「……父さんは?」

「早くから出掛けてる。あ、来客は女の官僚さん」


そう聞いた途端、花里の脳裏に過ぎったのは昨夜出会った二人だ。というか、関係がないわけないだろう。


「直ぐに行くから……悪いけど少し相手をお願い」


彼女は手にしていた着物を仕舞い、袴を手にした。裕福な商家の娘らしく幾つかワンピースもあるのだが、着慣れない物は少し苦手だった。袴は若干学生らしさもあるが、動きやすいためよく着用する。花里は慣れた手つきで着付けをすると、手早く艶のある黒髪をまとめて客間へ向かった。



「申し訳ありません、お待たせ致しました」

そう謝罪をしながら客間へ入れば、そこにいたのはどこか落ち着かない様子のすらりとした女性で。義弟に感謝を伝えつつ、客間は彼女と自分の二人にしてもらう。そんな状況で先に口を開いたのは女性の方だった。


「突然の訪問を失礼しました。内務省特務局異象対策室の検分補、葉水巳波と申します。先日……いえ、昨夜は継宮と成家が不躾に申し訳ありません」


そう言って深々と頭を下げる彼女に、花里は慌てて首を横に振る。


「全然大丈夫、です。あ、藍島花里と言います。……あの、巳波さんと呼んでも?」

「勿論です。お好きに呼んでください」


大きく頷き、巳波は微笑んだ。花里はそれにほっと胸を撫で下ろしつつ、微かに首を捻る。


「巳波さんは何故うちに?」


そう問えば、彼女は話の進め方を探るように少し視線を外した。その視線が何となく呆れを含んでいるように見えるのは、花里の気の所為だろうか。


「……昨夜、継宮と成家が報告の為に戻ってきたのですが。一部始終を聞いた室長が、随分と頭を抱えていまして」


というのも、花里という一般人を巻き込んだことに対して、二人は思いの外厳しく叱責されたそうで。そんな説明をしながら、巳波は苦笑を漏らした。


「――その一方で、室長は貴女に強く興味を惹かれたようでして。魔があれほど明確に反応する状況を我々は目にしたことがありません。つまり……非常に珍しく、前例のないことなんです」


彼女はそこで言葉を切る。花里は、何か言葉を続けようとする巳波を制するように口を開いた。


「それは、私の身体や血に何か問題があると?」


どちらかと言うと困ったような、そんな柔らかい声色で彼女は問う。そして肌身離さず持っている、離れの書庫の鍵を無意識のうちに強く握りしめた。

花里の問いに目を瞬かせた巳波は、即座に首を横に振る。


「いえ、どちらかと言うと……我々に貴女を保護させていただけないでしょうか。問題があるか否か、様子を見たいというのも室長の本音でしょうが」


あっけらかんと上司の内心を吐露する巳波に、今度は花里が大きな瞬きをひとつ。なるほど、異象対策室というのは皆それぞれ一癖も二癖もあるらしい。彼女はそんなことを思いながら、慎重に言葉を選ぶ。


「保護、と言ってもどのように?」


彼女の質問に、巳波は一瞬気まずそうな表情を浮かべて言い淀んだ。


「……大変失礼ながら、藍島家について軽く調べさせていただきました。勿論、そちらは本題でなく捕捉的なものですが」


巳波はそう前置きをして言葉を続ける。


「本題はやはり貴女の体質です。今後も血を流す度、同様の事象が起こる可能性は高い。ですので、一度本局へお越しいただき、今後についての相談や検査をさせていただきたいのです」

「……そういうことなら」


花里はそう言うとゆっくり首を縦に振った。藍島家についても知っているなら、寧ろ都合が良い。花里にとって家は息苦しい場所であった。


「確かに、血を流す機会はそう多くありませんが……その度にあんな目に合うのは困りますね」


彼女がそう言った瞬間、扉を叩く音がして。


「姉さん、父さん帰ってきた」


義弟の必要最低限な報告に、花里は思わず頬に触れる。顔色を変えた彼女に気が付いたのか、巳波は立ち上がると断りを入れて彼女の背に手を添えた。


「大丈夫ですか?」

「はい。……すみません」

「お気になさらず。どうしましょうか。貴女の予定が空いていれば、このまま局へ向かおうかと思っていたのですが」


巳波がそう言うが否や、開けますねと客間の扉が開く。


「勝手に触ってすみません、出るなら離れを抜けて裏口からどうぞ。姉さんは今外出禁止なんでバレないように」


部屋に入ってきた義弟の手には、巳波の革靴と花里のブーツ。巳波はそれらを受け取ると、どうするかと問うように花里へ視線を向けた。


「……特務局へ行きます。悪いけど言い訳をよろしく、壱馬」

「土産話待ってるわ」


義弟はそう言うと素早く部屋へ戻っていく。それに紛れるように、花里と巳波は玄関から遠い扉を開けて離れへと足を向けた。女中が客間の方へ向かっていたから、きちんと食器類は片して貰えるだろう。花里の後に続きながら、巳波は声量を抑えた声で話しかける。


「外出禁止、とは……」

「あぁ、昨日少し勝手な真似をして怒られてしまって。外に出るなと言われたんです。義弟はそんな父を止めはしないですが、誤魔化してはくれるのでお願いしました」


可笑しそうに花里は言うと、到着した離れの縁側から降りて靴を履く。同じく革靴を履いた巳波を連れ、昨夜も使用した裏口から街へと足を踏み出した。





駅へ向かう道すがら、花里は見慣れた街並みをどこか新鮮な心地で眺めていた。


「電車は初めてですか?」

「いえ……乗ったことはありますが、こうして一人で出かけるのはあまり」


そう言いながらもちらちらと辺りを見回す花里の足取りは軽い。そんな彼女に不躾な視線を送る通行人へ冷たい視線を向けた巳波は、幾分か下にある花里の頬を一瞥した。


「……このままでは目立ちますね」


彼女はそう言うと、通りの一角にある薬屋へ視線を向ける。


「少し寄りましょう」

「え、あ……ごめんなさい」


咄嗟に謝罪の言葉を口にした花里へ、巳波は首を横に振った。


「謝る必要はありません。ですが、痛くはないですか?」

「大丈夫、です。手当てが面倒で……やっぱり目立ちましたよね」


そう反省するように言う彼女の手を引き、巳波は薬屋の戸を開く。中にいた店主は巳波と、彼女が手を引く花里を見て眉を下げた。


「どうしたんだ、巳波ちゃん」

「この子の頬を手当てがしたくて。少し場所を借りても?」

「どうぞどうぞ。お嬢さん、こちらへお座りなさい」


店主がそう言いながら椅子を勧める。断る理由もなく、花里は言われるがまま椅子に腰掛けた。


「ここは私の父や兄が贔屓にしている、古馴染みの店なんです。手当てに使うものは経費ですから心配しないでください。――藍島さん、少し失礼しますね」


巳波がそう言って頬に触れる。冷たい彼女の手が、少し熱を持った頬に心地よい。花里は小さく息を吐き出した。


「……あの」

「はい?」

「もしよろしければ、名前で呼んでいただけませんか」


花里はそう言って視線を膝に落とす。友人が少ない彼女にとって、このお願いは一世一代にも等しい。故に、緊張で声が少し震えていた。


「名前で、ですか?」


少し驚いたように瞬きをしてから、巳波はふっと笑う。


「分かりました。では是非、花里さんと」


その言葉に、ぱっと顔を上げた花里は「嬉しいです」と花が綻ぶような笑みを浮かべてみせる。そんな彼女に、巳波は思わず目を細めた。


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