9-6 一滴の澱み
平然と室内を片付け始めるジューに、タケルたちは面食らった。「楽しい夜会だったでしょう?」と彼は言ったが、正直同意はできない。タケルは、ジューとの一対一の運試しの方が楽しかったと直感的に感じていた。カレンやヴァルターがどう思っているのかはわからないが、少なくとも「楽しかった」とは思ってなさそうだ。
三人が返答を躊躇っていると、カレンが口元を抑え、椅子に腰掛けたまま前に屈み込む。ヴァルターが慌ててその肩を支え、ジューを振り返って睨みつけた。
「貴様、カレン様に何を飲ませたんだ⁈」
「何って、ただの酒ですよ。──ですがまあ、こちらとしては感謝して欲しいものですが」
「何だと?」
ジューは笑みすら浮かべている。タケルも心配になってカレンを覗き込むが、気分が悪そうではあっても過剰に苦しむ様子はなかった。
「あれは、かなり強い酒なんです。まだお若いカレンドラ様にそのようなものをお出しするのは忍びなかったのでね。彼女のグラスには少し細工をさせていただきました」
「細工だと?」
「──酒の成分を相殺する薬草を少々。酒の効果は無くなりますが、代償として……味は苦味や渋みが強くなり、人によっては胃に刺激が。──もしよければ、お手洗いは奥にございますよ」
「……いえ、大丈夫ですわ」
気遣わしげな声をかけるヴァルターを軽く制し、カレンは口角を持ち上げた。タケルの「大丈夫か?」という質問にも微笑み返す形で何とか応える。その気丈な様子に、ジューは口笛を吹く。
戯けた様子の彼を見やり、タケルは腹の底に疼きを覚えた気がした。それが瞳にも現れていたのか、視線に気づいたジューが鼻で笑う。タケルは、眉間に皺を寄せた。
「……何か?」
「あんた、何がしたいんだよ」
タケルは思わず尋ねた。目の前の男は終始飄々としていて、何を考えているのか分からない。こちらに協力しているように見せて、実は何か企んでいるんじゃないかとどうしても勘ぐってしまう。おまけに、こちらを見る目線は親切なようでいて、見下しているようにすら見える。問いかけに対し、ジューは肩を揺らして笑った。
「何がって……扉の先の秘密を知りたいと言ったのはそちらですよ。私は運試しに負けて、あなた方に協力したんじゃないですか」
当然そう返され、タケルは言葉に詰まる。彼の言い分は最もだ。だが、どうにも腑に落ちない。その感情が何なのか分からず、タケルは喉奥でそれを持て余す。
「で、どうだったんです? この場所に、あなた方が求める情報はありました?」
張り詰めた空気のなか、ジューだけがただ悠然としていた。尋ねられたタケルが返答に困っていると、気分を持ち直したカレンが顔を上げた。
「情報を得られたかどうかはまだわかりませんが……このような場をわたくしたちに簡単に見せるのには──何か意図がおありなのでしょうか?」
喉を落ち着けながら、カレンが真っ直ぐな瞳をジューに向ける。ジューは居心地悪そうに目を逸らすと、吐き捨てるように笑う。
「特別な意図なんかありません。ただ──”見てみろ”と思ったまで」
ジューは呟くように言うと、テーブルの下から皿をひとつ取り出した。レオからの報酬が盛り付けられた皿だ。それをカレンの目の前に差し出し、顎をしゃくる。
「こちらはお持ち帰りください。今宵の夜会の客人は、もともとお三方のみの予定でしたから」
下から覗き込むようにして、青い瞳がカレンを射抜く。そこには有無を言わせない圧があった。カレンは逡巡した後、小袋にルミナイトを丁寧に戻した。それがヴァルターの懐に収まったのを確認すると、ジューは扉に向けて手を差し出した。
「では、外套を被り直して。この場に長居するのは得策ではありません。なるべく狭い路地を通り、目立たぬよう、宿までお帰りください」
「──グレゴール、というのは一体何者なんだ?」
ジューを無視したヴァルターが、厳しい視線を向けて尋ねる。声に妙な落ち着きがあり、普段より幾分低い。タケルは、彼が苛立っているのだと察した。
だが、ジューは微笑みを湛えたまま何も答えず、差し出した手を戻さなかった。わざとらしく溜息を吐き、ヴァルターはカレンを促して踵を返す。
「カレン様、戻りましょう」
「え、ええ……」
支えられながら扉へ向かうカレンの背をタケルが追う。扉を抜ける間際にジューを振り返ると、彼はニヤリと笑みを深めた。
「そうだ、明日のお告げは、お客さんたちも聞かれるんですよね?」
先に階段を上っていたヴァルターとカレンは気付いていない。タケルが静かに頷くと、ジューは腕を組んで人差し指を立てた。
「では、聖域での絶好の場所をお教えしましょう。──お告げが行われる中央広場には、女神が水瓶の水を落とす美しい噴水がございます。ルーメルからは離れていますが……少しでもルーメルにお近づきになりたい教徒たちの人混みは避けられます。お声もきっと、届くはず」
助言の声は、紛れもない親切の色を含んでいた。だが、生まれ出る不安がタケルの表情をわずかに歪める。
「──……伝えとく」
「ええ、──ぜひ」
何とか返事を絞り出すと、タケルは断ち切るように扉を閉めた。小走りで階段を駆け上がり、控室で待っていた二人と合流する。
「何か言われたのか?」
「……聖域の、絶好の場所があるとかなんとか──?」
「──胡散臭いことこの上ないな」
三人は店を出た。夜も深まった街中を、注意深く進みながら宿へ戻る。部屋ではハロディだけが読書をしながら起きて待っていたようだが、カレンの体調を鑑みて、報告は明朝とすることにする。
息詰まる外套姿から己を解放したタケルは、早々にベッドに潜り込んで目を閉じる。目蓋の裏に蘇る夜会の光景──そしてジューの態度。それらを振り払いながら、ひたすら眠気が訪れるのを祈った。
深夜の霧も晴れた翌朝、朝食の頃にはカレンの体調も戻ったようだ。六人は再び部屋に集合し、ヴァルターを中心に扉の先で見てきたものについて報告する。ベッドに寝そべっていたガウリーは忌々しげに舌打ちだけして目を伏せ、一方ではアルトがベッドの上で座禅を組んだまま首を傾げた。
「何ゆえ、そのような事をあの店の地下で行う必要があるのだ?」
彼女は恐らく、あの出来事が目の前で繰り広げられていても首を傾げただろう。タケルもその疑問には同意するが、あれが何かしらの”悪事”であろうことは察することが出来た。とにかく雰囲気がそんな気配を醸し出していた。
「聖地でやるから、よりいっそう禁忌になるんじゃない? ……時間を持て余した上流階級にとって、禁忌っていうのは快楽に繋がるものさ。”他人にはできない事を、自分ならすることができる”ってね」
「──まったく解せぬ思考だ」
肩を竦めて答えるハロディに、アルトが顔を顰める。他に説明のしようがなかったのか、ハロディはそれ以上説明せずに苦笑した。
「グレゴール、という名に心当たりはあるか?」
「うーん……貴族ではないっぽいよね。わざわざ他国の貴族が、こんな北の聖地にある店の地下を取り仕切ってるなんて思えないし。──となると、教会関連の人間かなって思うけど、僕教会についてはあんまり詳しくないからなぁ」
ヴァルターとハロディは揃って唸り声を上げる。どこか気落ちした様子のカレンを横目に、タケルはおずおずと片手を持ち上げた。
「あの、さ。──結局、あそこでやってたことって何だったんだ?」
根本的な疑問に、カレンやヴァルター、ハロディが顔を見合わせる。タケルは、表面上の成り行きを見ていただけだ。深い事情までは察することが出来ない。分かるのは、とにかくずっと怪しげで、悪い感じがしたということだけだった。
「つまり、賭け事をしてたってことだよ。しかもお酒付き。この聖地ではどっちも禁止されてる行為だ」
「賭け事……」
皿に乗せられたヴァルクや宝石、装飾品……それらを賭けて勝負を行い、勝った者が総取りする。それが夜会の目的だった。そう説明するハロディに続き、ヴァルターが口を開く。
「金品の価値からしても、一般的な市民が持てるような代物ではなかった。あの場にいた客人たちは皆、貴族階級に当たる人物と考えていいだろう」
「それは何となく分かったけど……じゃあ、ハロディがさっき言ったみたいに、あいつらは禁止されてることをやって、ただ楽しんでたってことか?」
「楽しんでいたというのもそうなのだろう。だが同時に、”満たしていた”のだと思う」
「満たしていた?」
タケルとの感覚の”ずれ”を、ヴァルターが修正していく。彼が言うには、貴族の中には財産を使うこと、秘密を共有すること……そのために敢えて禁忌を犯し、心を満たす者がいるらしい。それを口にする時、ヴァルターの表情はわずかに悔しげに歪められていた。
「気高い志を持つ貴族の影で、私利私欲を働く者もいる。これがあるから、貴族は信用ならんという見方をする市民も多い」
「……俺も、よく分かんないや」
「分からずともよいのではないか?」
タケルが思わずアルトを振り返ると、アルトは事もなげに答える。そんな二人に、大人たちとカレンはそれぞれ苦笑を漏らした。
「ま、とにかくあれだ。賭け事するだけなら、敢えてアルビオンでやらなくても他に場所はたくさんあるはずだよ。秘密の会合なんてのは、貴族の屋敷でだってできるんだから。それでもこの地を選ぶってことは、よっぽど身の上を隠したいんだろうと思う」
貴族の屋敷を使うなら、その出席者は改められる。その他、使用人や護衛など、屋敷で働く者の目もある。そうなれば、誰が裏切るかで常に気を揉まなくてはならない。
その点、聖地であれば寄付や巡礼という名目が立つ。そして、パースの人間は夜、街を出歩かない。口の硬い従者のみを引き連れて来るだけならば、人の目は充分に避けられる。
おまけに、夜会では相手の正体を互いに明かさない。推測が出来たとしても、それは確証にはならない。格好の隠れ蓑となるわけだ。
「貴族が賭け事をするっていうのは、結構タブー視されてるんだ。彼らの地位や暮らしは、領民や市民の働きに支えられている部分もあるからね。いくら私財の範囲だって言っても、贅沢に興じている姿を見せれば心象は悪くなる。国を守り、民を導く立場でもあるわけだし、それ相応の品格が求められるんだよ」
「だから、教会への寄付に積極的な貴族がいるのだな。ユージー卿もそれで、アリアベル殿を教会に修行に出していたのだという話だったか」
ハロディとヴァルターが噛み砕いて話すが、タケルに理解できたのは大筋だけだった。──つまり、悪い事をこそこそ行うことによって、何かしらの欲を満たしているのだ、と。
眉間の皺が深まっていくタケルの様子に、二人はそれ以上の説明を止めた。咳払いをして話を”グレゴール”に戻すことにしたようだ。特に呆れたように目を伏せたヴァルターに対し、タケルはむっと鼻を寄せた。だがそんな彼に対して笑いを漏らしたカレンに気づき、頬を赤らめてわざとらしく咳払いをする。貴族であるカレンは話を理解していて、タケルが微笑ましかったのだろう。タケルはそれを何となく理解していたが、何となく気恥ずかしかったのだ。
「──少なくとも、この聖地で貴族だけがそんな勝手を出来るわけがない。十中八九教会の関係者が一枚噛んでるはずで、それは一介の神官や司祭には務まらないと思うんだよなぁ」
「では、もっと上層部か。確か……大司教と枢機卿がいたんだったか? それともまさか、ルーメルという聖地の頂点が絡んでいるのではあるまいな?」
「……だから何で君は、躊躇いなく上層部に疑いの目を向けられるんだよ?」
アンスールの時もそうだったが、ヴァルターは貴族であるカレンに従事しながら、他の貴族に対しては疑り深い。それだけではなく、王やそれに近しい者にまで簡単に怪訝な目を向ける。主人がカレンだという点を省いても、かなり変わった従者だ。ハロディは呆れたように空笑いを漏らした。
「ま、あとはジューだね。教会の上層部が絡んでいるとして、そこと彼が繋がってるなんて到底思えないんだけど……何故、あんなことをしてるのか」
「妙に協力的なのも気味が悪い。何より、カレン様にいかがわしいものを飲ませたのも許せん」
「いかがわしいものって、君ねえ……酒だったんだろ? それを薬草で相殺してくれたんだったら、助けてくれたんじゃないか」
どんな形であれ、カレンに危害を加えられたと思っているヴァルターはジューに対し、かなりの敵意を向けていた。下層で暮らすハロディにとっては、どんな荒療治でも助けてくれたのなら結果良しという見解らしい。何より彼は、ジューのような人物に慣れているようにも見えた。
「──俺も、あいつは……なんか、嫌い」
突然ヴァルターに同意したタケルの発言に、カレンたちは目を丸くした。アルトもわずかに目を瞠り、目を閉じていたガウリーまでも片目を開く。この地において、最も付き合いの長いカレンやヴァルターでさえ、タケルが他人についてこのような意見を述べるのを聞いたことがなかった。
「めっずらしい……。何でそう思ったんだい?」
「だって……何となく、馬鹿にされてるような気がするから」
ハロディに問われ、タケルは口を尖らせながらぼそりと告げる。ハロディは思わず軽く吹き出したが、腕を組んだヴァルターは何度も深く頷いた。
「珍しく意見が合ったな。お前の目も養われてきたというものだ」
「そ、そうなの……? ダメだよタケル君、こんな疑り深い大人になったら、無闇に敵を増やすだけだからね」
「何だと?」
腹を押さえて笑いながら、ハロディが軽く忠告する。ヴァルターが噛みつく横で、タケルはそれでも思い直すことができなかった。
「ま、まあ──助けていただいたことは確かですし……あの方の真意は知る由もありませんわ。今は、信じるしかないのかもしれません」
「ほら、君の主人は若いのに聡明だ」
「カレン様、もったいないお言葉です。──フン、あいつは寛容なカレン様に感謝すべきだ」
ハロディの揶揄が、その場の空気を和ませる。だがタケルはそれでも、胸の奥に燻りを残したままそれを溜息で誤魔化した。
「そういえば、ジュー様がお出しになったお酒には、闇路の森の神樹から採れた蜜が入っているとおっしゃっていましたわ。つまり、闇路の森に入る術があるのでは……?」
「……真偽のほどは確かじゃないけど、本当だとしたらそうだね。──そしてそれは……”道標”の可能性に繋がるかもしれない」
”道標”──デルカが森から奪った、特殊な魔力を秘めたランタン。ドレンダーをはじめ、ヴェルダ族
という異種属との確執を生んだ原因の代物だ。タケルたちはそれを求めてこの地までやって来たのだ。まさか”デルカ”という鍵を手に入れる前に、その存在の兆しに触れられるとは。タケルたちは静かに息を呑む。
「何にせよ、”グレゴール”が鍵を握ってるんだろう。あとはジューだけど……もしかしたら彼を当たるよりグレゴールの方が攻めやすい人物かもしれない。今日のお告げってやつで姿が確認できればいいけど……」
ハロディはそう言って、テーブルに頬杖をついた。お告げの予定は、時計の針が天を指す、正午の予定だ。
タケルは、最後にジューから受けた助言をハロディたちに告げた。聖域で、お告げを聞く絶好の場所──中央にある、女神が水瓶の水を落とす噴水付近。教徒の群衆からは少し離れているが、ルーメルの声は届くという。タケルからしてみれば、ジューの助言には裏がありそうで、どうにも胡散臭い。だがそれを、他の仲間がどう思うかは分からない。
「──何かしらの罠だとしても、踏んで相殺するという手もあるぞ」
「ハッ、こういう時だけは意見が合うな、ソレガシ」
タケルの懸念を聞いてなお、アルトとガウリーは強気だった。いつもは顔を突き合わせれば言い争っている二人だが、今回は珍しく同意見らしい。二人とも、ジューの態度にまどろっこしさを覚えていたようだ。場所の指定に何か意図があるのなら敢えて飛び込み、相手の真意を引きずり出す──なんとも直情的なやり方だ。ヴァルターが呆れたように目を細め、ハロディは疲れたような笑いを漏らす。カレンは両手を合わせて目を輝かせた。
「まあ、なんて潔いのでしょう!」
──ともかく、お告げの場に参加するため、聖域に入ってみないことには分からない。六人はひとまず正午までに街へ出て、少しでも教徒に紛れられるよう、白い羽織を手に入れることにした。
鐘の音が鳴る。街の中央を横切る壁にたった一つ設けられた門が開き、整列していた教徒たちが内部へと吸い込まれていく。門から覗く景色だけでも、その先が楽園のように美しいのだと分かる。そびえ立つ大聖堂の足元に相応しく、厳格でありながら華やかに飾られ、静寂に満たされている。鐘の音と噴水の水音、遠い海鳥の声──境界線を越えただけで、街とは空気さえ異なるような気がしてくる。
暗い色の外套しか持っていなかったアルトやガウリーに白い羽織を新調し、六人はなるべく気配を抑えながら門を通過した。アンスールやアルマで見た鎧姿とは異なり、聖職者と騎士を混ぜたような装備の門番が道ゆく人々を見据える。街に入った時の門番も同じような格好をしていた。タケルが「見たことない格好だ」と呟けば、ハロディが「あれは聖衛士って言って、聖地の守り手なんだよ」と小声で告げた。
門からは白い石畳の道が真っ直ぐと大聖堂まで伸びていた。その途中に、ジューの助言にあった通りの噴水が水の弧を描いている。水音の正体だ。水瓶を傾ける女神像は微笑みを湛え、大地に水という恵みをもたらしている。陽光を背に受けて陰っていたが、その表情はそれでも慈愛に満ちていた。
教徒たちは静かな足取りで私語も交わさず、真っ直ぐに大聖堂の方へと向かっていた。噴水前で足を止めたタケルたち一行は、川の流れを分ける石のようにその群衆の流れを割っていたが、不審な目を向ける者はいない。彼らはただ前を見据えていた。──その先にあるのは、大聖堂の前に設けられた祭壇だ。
それは、五つの柱に囲まれた円形の祭壇だった。奥には階段があり、手前には透明な魔石が連なるような仕切りが設けられている。何より目立つのは中央を跨ぐようにして弧を描く二本の足に支えられた象徴だ。蔦のような足は五本の柱の頂上付近の高さで交わり、螺旋のように交差し、その先で金のプレカリオを支えている。巨大な星に蔦が絡むような滑らかな螺旋は、全て白い石造りだ。どれも日差しを受け、眩しいほどに輝いていた。
「あそこに、ルーメルって人が来るのか」
「どんなお方なのでしょうね?」
タケルとカレンは並び立って祭壇を眺めた。女神ルーメリアの言葉を聞き、伝える存在。どんな人物なのか想像もつかないが、タケルは何となく、女神像と重ねてしまう。壮大な光景に思わず二人は見惚れ、素直に景色を見渡していた。その背後で、他の面々が周囲に注意を走らせる。
程なくして、背後で門が閉じる音がした。教徒たちは祭壇の前に集まり、鐘の音が止む。どうやら時間らしい。
噴水の水音の片隅に、海の波音や木立の葉音が混じる。それが聞こえてしまうほど、聖域は静寂に包まれる。タケルは思わず唾を呑み込み、祭壇を注視した。
階段を上がり、白いローブを纏った人物たちが祭壇に上がる姿が見える。そのローブは街の教会に従事していた者たちよりも高貴で厳かだ。祭壇に上がったのは五人。それぞれが周囲の柱の前に佇み、目を伏せる。
そして、最後の人物が階段を登って姿を見せた時、周囲の空気が変わった。迎えるように風がざわめき、聖域を撫でる。
白地に金のプレカリオや装飾が施された聖冠、そこからはためくヴェール。首元から爪先までを同じような純白のローブで包み、かろうじて見えるのは指先と相貌だけだ。ローブが風に靡けば金の装飾が揺れ、繊細な音を立てる。それは不思議と風に運ばれ、タケルたちの耳にも聴こえるようだった。
一瞬にして、この聖地で最も高貴であり、最も厳かな人物であることが分かる。──だが、何よりもタケルたちの目を見開かせたのは、身形や雰囲気ではなかった。
「こ、子供──⁈」
タケルは思わず声を漏らした。隣でカレンが息を呑む音がする。背後ではヴァルターたちの息遣いも聞こえたが、それは噴水の水音によってかき消される。
現れたルーメルは、一見すると幼い子供だった。両手を胸の前で組み、祭壇の中央に静かに佇むその背丈は、周囲に立つ人物の腰ほどしかない。明らかに、自分よりも遥かに年下だ。タケルは自らの目を疑い、何度も瞬きをするが、映る姿は変わらない。
「御心に耳を傾け、聖なる導きを」
ルーメルが俯いていた顔を上げ、小さく口を開く。その声はやはり幼く、男女の判別すらつかない。それなのにまるで成熟した大人のようでもあり、何より慈愛に満ちていた。
「──これより、女神ルーメリア様のお声を、皆様にお届けします」
凛として柔らかい声が歌うように告げれば、風が止む。タケルは口を閉じるのも忘れ、その声に聞き入る。
声が途切れると、あまりの静けさに耳鳴りを拾う。神聖なる祭壇の上で五人の人物に囲まれ、教徒たちの白い影の前で真っ直ぐに立ち、彼らを見下ろす姿。それは、まるで絵画を見るように美しい光景だった。
──あの地下で見た夜会の光景など、たった一滴の澱みでしかないのだというほどに。




