9-4 代償
「れがるど、でぃーる?」
タケルは思わず、隣に座るカレンに助けを求めるような視線を向けた。カレンはそんなタケルを一瞥し、困ったように眉を下げ、並べられたカードに向き直る。深い紺にブロンズ色の模様が描かれたシンプルな絵柄が均一に並べられ、ランタンの明かりを反射させて淡い光沢を放つ。
「”レガルド”、というのは──占いや遊びなどに使われている、まさにここに並べられたカードのことですわ」
「ご名答です、レディ。では、レガルド・ディールもご存知で?」
「──いいえ。わたくしは絵を眺めたり、数合わせや占いをしたことがあるくらいで……」
「……へえ? それは意外だ」
ジューは含み笑いを浮かべてカレンを見下ろす。そのままカウンターの面々に視線を流すと、ハロディが口を開いた。
「レガルド・ディールは、数枚のカードで勝負する簡単なゲームだよ。まず手番を決めてからカードを一枚ずつ引いて、一枚ずつ同時に開示する。枚数分のラウンドがあって、ラウンドごとに負けたカードが破棄されて──残ったカードが多い方の勝ち……だろ?」
「その通り」
ジューは不敵に笑うと、カードの端を持ち上げて指先で操り、まるで波のように全てのカードを裏返した。アイボリーの背景には数字や人物像が描かれた美しい絵が無作為に並んでいる。タケルは覗き込むようにして上体を前に屈めた。
「カードには四種類のスートと、十までの数字、そして──四つのクラスが存在します。スートは火・水・風・地の四つ。クラスはキング・クイーン・ナイト・ソルジャーの四つ。スートは属性、数字と階級は強さ、というわけですね」
それぞれのカードを手に取り、絵を見せながらすらすらと説明が進む。時折カードを揺らし、目線を引き付けながら言葉が紡がれ、脳が自然と情報を飲み込んでいく。ジューは手にしていたカードを戻すと、再びそれらを束にして軽く混ぜて開き、鮮やかな手つきで三枚のカードを手に取った。
裏返されたカードには、それぞれ異なる絵が描かれている。一枚は白い光の柱を浴び、慈愛に満ちた表情で目を閉じる女性、一枚はそれとは対照的な、禍々しい黒を纏った異形、──そしてもう一枚は、崖の縁で青空に向かって剣を掲げる若者。
「そしてこの三枚は、特別なカード。慈愛の女神、混沌の異形、そして救世主。これらを含めた全五十九枚が、レガルドです。カードの強さは……」
ジューのカード捌きはもはや一芸だった。説明を加えながらカードを捲る動作ひとつが相手の感心を誘う。タケルは思わず口を開けたまま聞き入った。
単純に数字が大きく、階級が高いほど強い。そして、数字よりも階級の方が重視される。だが、それだけではない。
火は大地を燃やすが水によって鎮火される。水は火を蒸発させるが風によって霧となる。風は水を吹き飛ばすが大地には歯が立たず、大地は風を遮るが火に翻弄される──スートにはそんな表裏一体の関係性がある。同じ数字や階級が出された場合は、スートによって勝敗が決まる。
そして、女神、異形、救世主のカード。女神のカードが持つ意味は浄化、異形のカードが持つ意味は破壊と再生、救世主のカードが持つ意味は勝利。これらは数字や階級、スートに囚われない特殊なカードらしい。ジューは簡単にそう説明すると、あとのルールはハロディが言った通りだと告げた。
「──で、頭目っていうのは? ここにいる全員でやるんじゃないのかい?」
「それじゃあ、俺が不利ってもんでしょう。純粋な運試しをするなら、一対一でないと」
ハロディが問い掛ければ、ジューは大仰に驚いた表情を見せ、戯けたように答えた。カードを再び、先ほどと同じように笠木の上に整列させ、紺色の絵札が均一に並ぶ。タケルは思わずハロディに視線を投げた。
「ぼ、僕?」
「だって、やり方知ってるんだろ?」
「いやいや、頭目だよ? 頭目っていうのは、年齢で決まるものじゃないだろう」
苦笑いを浮かべ、肩を竦めるハロディ。タケルは溜息を吐き、今度はヴァルターに振り返る。ヴァルターは声を詰まらせ、口元を歪めた。
「カレン様を差し置いて俺が頭目など、恐れ多いだろうが!」
拳を握って口元に当て、咳払いをする。そんなヴァルターに、タケルは眉間を寄せて再度、呆れたような溜息を吐いた。
「──では、レディがそちらの頭目ということで?」
「いや、だが、……しかし」
「わかりましたわ。ではわたくしが、運試しをいたします」
ジューが試すように目蓋を半分伏せ、ニヤリと笑う。ヴァルターは躊躇いと葛藤の間で言葉を詰まらせる。そんな二人の間から、凛とした声が宣言した。
「カ、カレン様……」
「大丈夫です、ヴァルター。駆け引きのない、純粋な運試しでしたら、わたくしにも出来ると思いますわ」
「駆け引きはありそうなもんだけど……まあ一対一の勝負なら、カードの枚数的に運要素が高いのかなぁ」
決意に満ちた眼差しでヴァルターを制し、カレンはわずかに胸を張った。ハロディは空笑いで楽観的なことを言い、ヴァルターを宥める。彼はどうやらカレンで賛成らしい。
タケルは気遣わしげな視線をカレンに向けた。カレンはそれに気づくと、小さく悪戯な笑みを零す。そしてタケルに身を寄せると、口元に手を添えて彼の耳に囁きかけた。
「──カードを取る時は、一緒に選んでくださいませね」
「う、うん……いいけど……」
これは、絵札を使った遊びの一環の運試し。そうは分かっていても、情報が懸かった立派な勝負だ。タケルは、多岐にわたる情報収集の手段に内心で舌を巻く。人に尋ねるだけでなく、金を対価にしたり、聞き耳を立てたり、運を試したり……なんと様々あることか。
「では、コインで手番を決めましょう」
タケルが固唾を呑む傍で、ジューは懐から一枚のコインを取り出し、片目を閉じた。
「お客さんは初心者ですから、三枚の勝負にいたしましょう。──では」
ジューはコインを親指で弾き、返ってきたところを手の甲で受け止めてもう片方の手で塞ぐ。残像を描きながら回転したコインの向きはわからない。タケルは思わず目で追っていたが、一瞬の出来事過ぎて全く見抜けなかった。
「レディから、どうぞ」
「では……裏で」
「じゃあ、俺は表」
コインを隠していた手がゆっくりと開かれる。コインに刻まれた紋様を見てタケルは目を瞠ったが、そういえばどちらが表でどちらが裏なのか、聞いたことが無かったと思い出す。しかしカレンを盗み見ると、彼女は微笑みを見せていた。
「裏ですわね」
「ここで運を使ってしまっていいんですか? ──お先に一枚どうぞ」
ジューは戯けたようにそう言ってコインを懐に仕舞い、並べられたカードを指し示す。カレンはちらりとタケルに視線を送った。
「どちらのカードがいいと思いますか?」
「うーん……」
「──なんか、ちょっとした子供の遊びになってない、これ?」
肩を寄せてカードを眺めるタケルとカレンに、ハロディが苦笑する。二人は情報が懸かっていることなど忘れたかのように、初めて触れたゲームを楽しんでいるように見えた。
「じゃあ、これは?」
「では、タケル様のおっしゃる通りに」
「次はカレンが選べよ」
「ええ、わかりましたわ」
タケルは真剣にカードを睨み、一枚を厳選する。カレンは笑い声を零しながら同意する。そんな二人を、カウンターに頬杖をついたハロディと、複雑な表情を浮かべたヴァルターが見守る。カレンが一枚抜き取ると、ジューは間髪入れずに一枚引き寄せた。
そうして三枚引き終わると、相手に見えないよう、互いにカードを裏返す。カレンは自分の手札に目を丸くした。タケルたちも手札を覗き込む。
「まず一枚目。レディからどうぞ」
「では、こちらを」
カレンが出したカードは、数字の六だ。螺旋を描くような六つの水滴がカードには描かれている。つまり、水のスートの六だ。
「俺はこれを」
ジューが出したのは火を纏ったクイーンだった。カレンが肩を落とす。スートでは勝っているが階級が及ばず、カレンのカードは端に寄せられる。ジューは笑みを浮かべると、火のクイーンを手元に引き寄せた。
「では、二枚目。どうぞ」
促され、カレンは手元の二枚をじっと見つめた。タケルたちも背後から覗き込むが、下手な助言は出来ない。何故なら、目の前のジューが口元に笑みを浮かべながらこちらを観察しているからだ。
こちらの手札は、風のソルジャーと火のキング。火のキングは最後の手札にしたいところだが、二ラウンド目を風のソルジャーで勝ち抜けるかどうかは不安が残る。絵札は全部で十六枚。そのうち少なくとも三枚は互いの手札に収められているはずだ。先に火のクイーンを出したジューの残りの手札が、全て絵札という確率は低い。
しかし、ジューの表情は余裕に満ちていた。まるで勝ちを確信したかのような瞳だ。ひとつの焦燥も滲ませていない。彼は黙ってこちらのカードを待っている。
カレンは風のソルジャーのカードに触れ、背後の面々に視線を送った。タケルは頷くが、ハロディやヴァルターは難しい表情で迷いを浮かべている。
結局、カレンは触れたカードをそのまま開示した。真剣な眼差しでジューを見上げる彼女の隣で、タケルも固唾を呑む。
ジューは口角をさらに持ち上げ、鮮やかな手つきで次のカードを開示する。出されたカードに、タケルたちは揃って目を丸くした。
「──救世主です。このカードは無条件で勝利となる。……俺の勝ち、ですね」
「嘘だろ?」
静かな宣言に、ハロディが感嘆の声を漏らす。タケルはカレンの最後のカードを指さした。
「え、最後のカードは?」
「……最後のカードでカレン様が勝ったとしても、手持ちの枚数で負け確定だ」
ヴァルターが苦々しく答える。勝敗はついた。カレンはさらに肩を落とし、最後のカードをカウンターに出そうとした──その時だった。
「ちょっと待った。──実はレガルド・ディールには特別なルールがありましてね。何か代償を捧げれば、新しいカードを一枚引けるのです。……お試しになりますか、レディ?」
「だ、代償……ですか?」
その言葉に手を止め、カレンは最後の一枚を胸元に引き寄せた。困惑したような視線をタケルに向けるが、タケルもジューの発言に戸惑いを隠せない。
”代償”とは何とも抽象的だ。貴族とはいえ、今のカレンにとって、差し出せるものは限られている。困り果てて顔を見合わせるタケルとカレンの背後で、ヴァルターは歯噛みした。
「……貴様、まさか金品を集る気か?」
「──おっと、人聞きの悪い。俺は物が欲しいなんて言ってませんよ」
怒りの混じった声に動揺することなく、ジューは平然と笑う。すると、ハロディが溜息とともに肩を竦めた。
「代償って言われても分かりづらいよ。ちゃんと、例を出してくれないと」
「──……では、こういうのはいかがでしょう?」
カードを笠木に伏せ、ジューは腕を組んだ。そして笑みを湛えたままタケルたちを順繰りに見つめ、店の扉を見やる。店外で待っているガウリーやアルトに壁越しの視線を送るかのように。
「……何があっても、この俺を信じていただくこと」
「「──え?」」
「何だと?」
思いもよらない提案だった。タケルとカレンの間の抜けた声が重なる。ヴァルターは警戒心を微塵も隠さずジューを睨みつけた。
「これ以上のことは言えません。──どうします?」
”何があってもジューを信じる”──それが代償なら、この先何か起こるということだろうか? それとも、ジューに何かしら頼まれごとをされるのか? 全く想像がつかない。
タケルはハロディとヴァルターを交互に見やるが、二人の顔は明らかに渋っている様子だった。特にヴァルターは、瞳に敵意すら纏わせている。
そのまま、ジューを見上げる。彼は対照的に、うっすらと口角を持ち上げていた。しかし、空と海を混ぜたような青い瞳は、どこか凪いでいる。こちらの反応を楽しんでいるように見えるが、つまらなそうにも感じられた。
不意に、ジューと視線が合う。タケルが肩を跳ねさせると、彼は肩を揺らして小さく笑った。一瞬だが、見下すように目を細めた気がする。思わずタケルは口を尖らせる。
湧き出した苛立ちを誤魔化すようにカレンの横顔に向き直ると、彼女は黙って目の前に並べられたカードの列を見下ろしていた。表情が心なしか硬い。
「カレン様、この男は全く信用できません。ご無理をなさらず、方法を変えましょう」
「……そうだねぇ。無条件で”俺を信じろ”なんて、それはちょっと難しい話だよ。君、食えなそうな男だしさ」
ヴァルターとハロディが口々にそう告げる。振り向かずに俯いたカレンの横顔は変わらず、すぐには応えない。運試しに負けた責任を感じているのかと案じたタケルは、そんなカレンに耳を寄せ、囁いた。
「お前が善人なら信じるっていうのは?」
カレンは顔を上げ、タケルに振り向く。タケルは拗ねたように眉根を寄せていた。このまま引き下がるのでは、ジューにしてやられただけのような気がして納得がいかない──表情がそんな思いを物語っている。カレンは小さく吹き出すと、ジューに向き直る。
「ええ、承知いたしましたわ。──あなたがご自分を悪意なき人物だと誓うなら、信じます」
「──……ハハ」
今度はジューが吹き出した。そのまま前屈みになりながら、声を抑えてしばし笑う。ヴァルターはカレンの発言に驚き、ハロディは諦めたように肩を竦める。
ひとしきり笑い終えると、ジューはひとつ、咳払いをした。
「いいでしょう。……では、一枚どうぞ」
ジューに促され、カレンは伏せられたカードの列から一枚引き抜いた。手元に寄せ、深呼吸の後に中身を確認する。そして、その目を輝かせた。
カウンターに出された三枚目のカードは、女神だ。ジューが目を瞠る。そのまま苦笑すると、笠木の上に伏せていたカードを雑に裏返す。彼の最後のカードは、水のキング。
「おみそれしました、レディ。──女神は”浄化”のカード。文字通り、これまで出された手札の全てを浄化します。つまり、勝負は……無かったことに」
「わお」
「さすがはカレン様! おい貴様、勝負が無効ならば先ほどの代償についても無効だろう?」
ジューが一礼してみせると、ハロディは意外な結果に呆けた声を漏らす。ヴァルターはすかさずジューに食ってかかるが、ジューはそれを鼻で笑った。
「代償を捧げた結果、女神のカードが引けたんですよ。とはいえ、勝負は無効となりました。しかし……土壇場で女神を引き当てる運には脱帽です。負けは認めますが、先ほどの条件は呑んでもらいましょう」
「ぐっ……」
「すごい屁理屈だ」
ヴァルターやハロディたちがジューとそんなやり取りをするなか、ほっと胸を撫で下ろすカレン。そんな彼女の横顔に、タケルは胸が空く思いだった。とにかくカレンはジューに勝った。情報が手に入ることよりも、その事実の方に喜びを覚える。
「やったな!」
「え、ええ……ほっとしました」
タケルに肩を叩かれ、カレンからは控えめな笑みが零れる。話が途切れると、ジューはカードを束に戻して小箱に入れた。
「で? あの扉の奥の秘密だけど」
「ええ、お約束通り。その前に、外のお客人をお呼びします」
ハロディの問いかけに応え、ジューはカウンターから移動し、外で待機しているガウリーとアルトに声をかけた。二人を店に引き入れると、店の窓や、扉の小窓のカーテンを手早く閉める。全員に席に着くよう伝えると、再びカウンター内に戻って腕組みをした。
「──その扉の奥について、お見せすることはできますが……そうですね、三人まで、とさせていただきます」
「何だと?」
「まあ、そうお怒りにならずに聞いてください。事情があるんですよ」
この後に及んでまだ条件があるのかと、ヴァルターが立ち上がりかける。それをやんわりと制し、ジューはさっさと話を続けた。
「お一人は、こちらで指定させていただきます。──カレンドラ様」
「えっ」
突然名前を呼ばれたカレンは、小さく声を上げて身を竦める。これまでずっと”レディ”と呼んでいたのに、実は名前を知っていたのだ。ヴァルターが「カレン様」と何度か呼んでいたのに、しっかりと本名を口にした。
「あとの二人は、”従者”としてならお招きできます。どのお方に来ていただいても構いませんが、扉の先では決して、騒ぎなど起こさぬように」
「一体何があるっていうんだ……?」
ハロディが困惑に顔を顰める。タケルはそこでひとつ思いつく。何があるのかは分からないが、きっと、”貴族”であれば中に入れるのだ。
「それから、条件がひとつ」
「まだ何かあるのか……?」
指定された人物がカレンということに怪訝な表情を浮かべていたヴァルターだったが、どうやら従者として同行するなら自分と決め込んでいるらしい。条件という言葉に、更に眉を顰める。
「扉を潜ったお客様には、”楽しんでいただく”こと」
ジューはそう言って含み笑いを浮かべると、試すようにカレンを見下ろした。神妙な眼差しで頷く彼女の横で、タケルはジューの瞳を盗み見る。
その瞳の青は、触れれば氷のように冷たそうな──冷徹さを隠しているような気がした。




