9-2 罪
「わ、わたくしに……で、ございますか?」
ゾルの瞳には戸惑いが浮かび、か細い両手は自身を守るようにしてプレカリオを握っていた。突然空から降ってきた少年たちが自分に駆け寄り、話を聞きたいと言うのだから当然だ。
ローブのフードをかぶっているので遠目には分からなかったが、真っ白な髪をしっかりと後ろでまとめているのか、後れ毛は見られない。垣間見えるこめかみだけでも、髪がきちんと手入れされているのが分かる。疲労が滲む老いた顔立ちは、痛々しくも見える。だが基本的には、ローブの着こなしからも上品な老婆だ。
「うん。その……この前はぶつかっちゃってごめん。覚えて無いかもしれねぇけど……あの時実は、あんたの告白を少し聞いちゃったんだ。それで──そのことについて、聞きたいことがあるっていうか……」
「は、はあ……?」
タケルはしどろもどろに事情を話しながら、ゾルの背後からこちらに向かってくるカレン達をチラチラと窺って助けを求めた。小走りに近づいてくるカレンの後ろで、ヴァルターが溜息を吐いているのが見える。アルトはタケルの背後に佇み、交渉ごとをタケルに任せるつもりらしい。
「タケル様! そちらの方が、ゾル様なのですね?」
カレンはタケル達の元へ辿り着くと、ゾルの目線に合わせて少し屈んだ。亜麻色の髪が眩しく映ったのか、ゾルは反射的に目を細めて彼女を見上げる。マリーゴールドの瞳がゾルの瞳の中に映り込むと、ゾルは大きく目を見開いた。
「あ、ああ……何という……! 女神ルーメリア様……」
「──え?」
ゾルは震える声でカレンをそう呼ぶと、プレカリオから手を離してカレンの両手を取った。カレンは困惑の声を零し、タケルを見やる。だがタケルも同じような表情でカレンを見下ろすほかない。ゾルは今にも力なく跪きそうなほどだった。
「ご婦人、場所を変えても良いだろうか? 貴方が教会で告白している罪について、話を聞かせていただきたい」
ヴァルターが助け舟を出すと、ゾルはカレンの両手を強く握り、何度も頷きながら礼を告げた。瞳は潤ませ、今にも涙がこぼれ落ちそうになっている。
タケル達は感極まった様子のゾルに困惑しきりだったが、道端でのやり取りは通りがかりの住民達の視線を集め始めている。とにかくゾルがその気なら、早急に場所を変えた方がいい。
「……どこか、お話しできる場所はございませんか? できれば、静かな場所がよいのですが」
「ええ、ええ──わたくしの部屋にお越しください。ずっと、ひとりで暮らしておりますゆえ……誰もおりません」
名乗ろうとしたところをヴァルターが首を振って制したので、カレンは敢えてそのままゾルに語りかける。返答するゾルの声は切実で、タケルは思わず閉口した。
「とうとうわたくしの元にルーメリア様がお越しくださったのですね……。どうか、どうか……わたくしの罪をお聞きください。そして、罰をお与えください……」
ゾルは明らかに、カレンを女神ルーメリアと錯覚していた。長年の罪の意識がそうさせているのだろう。しかも彼女は罪の赦しを求めているというよりは、裁きを望んでいる様子だった。
力なくカレンから手を離し、ゾルはタケル達を促した。その背中は小さく、折り曲がった腰が余計に彼女を儚く見せている。後に続きながら、タケルはカレンとそっと視線を交わした。
森側に位置するエルディア教会から程近い、路地の一角。金枠に縁取られた外灯のランタンの下、ひっそりと控えめに掛けられた白い花飾りが目印となった扉が目に入る。小屋のような小さな建物で、二階建てや三階建ての建物の間に挟まれるようにしてそこにある──それが、ゾルの家だった。
ゾルは施錠を解き、タケル達を招き入れる。中は外観の通りで、一部屋の中にキッチンや水場がまとめられ、廊下も無い。奥の窓辺には整えられた小さなベッドがひとつ。部屋の中央には小さな丸テーブルと、椅子がひとつずつ。装飾といえばベッドの壁に架けられたプレカリオの壁飾りと、窓辺の鉢植えくらいのものだ。それが質素というより何とも物悲しく、タケル達は密かに息を呑んだ。
「ああ、お客様をお迎えするのは何年ぶりのことでしょう……申し訳ございません、今、お掛けするものを」
「──あ、手伝うよ」
物置らしき扉を開き、中のランタンの縁を軽く叩く。そんなゾルに、我に返ったタケルが駆け寄る。ヴァルターも手を貸し、仕舞われていた折り畳みの木製椅子をテーブル周りに準備する。椅子は三つしか無かったのだが、アルトが「ここでいい」と言っていつものように壁に寄り掛かる。ゾルは気がかりそうに謝って自分の椅子を譲ろうとしたが、アルトは「気遣いは無用」と頑として譲らず、カレンがゾルを宥める形で話の席は整った。
小さなテーブルに並べられた四つのティーセットはどれも美しい意匠で、古めかしいが、繊細な花模様と持ち手の螺旋が目を惹く逸品だった。茶を準備するゾルの手つきは無駄がなく、手伝いを申し出ようとしたヴァルターが目を瞠る。程なくして準備は完璧に整えられた。
「このような尊いお方をこんな家にお招きするなど……恐れ多きことです。せめてものご準備をさせていただきました」
「ええ……お気遣いありがとうございます」
カレンに促される形で椅子に腰かけたゾルだったが、それでも姿勢を低く保ち、祈るように言った。礼を言って微笑むカレンに再び頭を下げる。タケルはゾルの様子を眺めながら、彼女の勘違いがどうして起こっているのかと思考する。記憶を反芻すれば、朧げではあるが、アルマのルーメリア教会やこの街のエルディア教会で見た、”女神ルーメリア像”がどこかカレンに似ているようにも感じられるかもしれないと思い至る。色の無い彫像なので仔細までは分からないが、髪の長い女性の像だった。
「……早速ではありますが、──あなたが毎日教会でなさっている告白を、お聞かせいただけますか? あなたは一体、何の罪に苦しんでいるのでしょう?」
カレンの物言いは決して女神を演じたものではない。普段と変わらない態度のはずなのに、ゾルに向けられた慈愛の眼差しがどこか神々しくも見え、タケルは居住まいを正す。そんな、カレンの周りが見えているのかいないのか、ゾルは促されるままに口を開いた。
「わたくしは、とある貴族家に従事していた侍女にございます。旦那様や奥様はお優しい方々で、日々は穏やかなものでございました。旦那様がご幼少の頃から身の回りのお世話を務めておりましたが、奥様がいらっしゃってからは主に、奥様のお世話を務めてまいりました……」
”貴族”という言葉に、タケル達は密かに視線を交わし合った。だがゾルは自らの告白に集中しているようで、目を閉じてこちらを見ていない。むしろ彼女は記憶を辿り、その世界に入り込んでいるようだった。
「貴族家……それは、デルカの街の名家でしょうか?」
カレンが囁くように尋ねる。すると、ゾルはゆっくりと首を横に振った。
「──いいえ? アンスールの二大貴族家と呼ばれていた……ウォード家にございます」
タケルたちはハッとして再び視線を交わす。予想もしない場所の名が口に出され、驚きを隠せない。
”アンスール”の”ウォード家”──タケルはどこかで聞き覚えがあるような気がして頭を捻るが、どうにも思い出せない。カレンがゾルに話の先を促したので、そちらに集中することにした。
「旦那様は、街の立て直しに尽力されておりました。この平和な世に不穏な場所は不必要だと申され、騎士というお立場でありながら街に出向き、人々と語らって慈善事業の指揮を取られていたのです。……ですが、ある日──病にお斃れになったのでございます」
激務や心労が祟ったのか分からないが、健康だった体はみるみるうちに痩せていき、ついには満足に立つことすら出来なくなったという。侍従長を筆頭に様々な医師やルーメリア教会にも掛け合い、様々な薬品を調達したが一向に良くなる傾向が見られず、そのまま帰らぬ人となったらしい。ゾルは苦悶に表情を歪め、声を絞り出すようにして話を続ける。
「奥様も突然のことに狼狽されておりました。もちろん旦那様の身を案じておられたのですが、問題はそれだけではございませんでした。──お二人には、お世継ぎがいらっしゃらなかったのです」
ウォード家の夫人は長い間子に恵まれず、城内にはウォード家失墜の声も上がっていた。そのまま当主が没すればその未来が来ることは明白。だが僥倖だったのは、医師の診断で身篭っていると発覚したことだ。それが男児であれば、ウォード家は窮地を脱することができる。
「……ですが、お生まれになったお子様は女児でございました。産婆とともにお子様を取り上げ、奥様にご報告した時──奥様の表情は文字通り凍り付いておられた。お世継ぎが絶望的となれば、ウォード家は散り散りになるほかございません。そこで……奥様はある策に出られたのです」
ゾルは首を垂れ、静かに涙を流し始めた。ここから語られるのが彼女の罪だ。タケル達は口を閉ざし、息を潜めるように彼女の話に聞き入った。
「奥様は、どのような伝手で手に入れたのか……怪しげな魔導書を何冊も収集し始めたのです。その時のわたくしは、それが何のためのものなのか予想もつきませんでした。──ですが、間も無く……理由は明らかになりました。お子様が、お声を発さなくなってしまわれたのです」
夫人は当主が没すると、生まれた子供を男児と偽った。生まれつきの病で声が出せず、外に出ることもままならないと周囲に告げ、かろうじて家を守ろうとしたのだ。子供は訳もわからず部屋に半ば軟禁され、病を理由にベッドから出ることすら禁じたのだという。
「きっと、あの怪しげな魔導書が関係あったに違いありません。……罪深き所業だと思いました。ですが同時に……奥様が、旦那様が守り続けてきたウォード家を、同じように守ろうとしているのも分かりました。ですから、事情を知る産婆とともに──口を閉ざしてしまったのです。わたくしがしっかりとお子様の身を案じて差し上げれば、いつかウォード家は再興するのだと信じて」
ゾルの言葉はそこで途切れた。彼女の罪は、罪深き行為に手を染めた夫人に対して口を噤み、間接的に思惑に加担したことだった。タケルは思わず胸が詰まるような思いに駆られる。──何も知らない子供が、大人の思惑によって理不尽を受ける。それは、あってはならないことだ。
「──それで、その後……家はどうなったんだ?」
思わずタケルは掠れた声で尋ねた。ゾルは緩く顔を上げ、頬に流れた涙を手で拭う。
「……お子様は誰の差し金かわからぬまま、ある日突然行方不明となってしまわれました。侍従長の話だと、内部に密偵が紛れ込んでいたと……奥様は方々へ捜索を願っておられましたが発見されることは叶わず、次第にお窶れになって……やがて奥様も、行方不明に」
重々しく語られた結末は救いのないものだった。主人が斃れ、夫人や子供も忽然と姿を消した貴族家は、いくら爵位が高かろうと家臣だけで存続できるものではない。事情を報告すれば、満足な捜索も行われず──ウォード家はベルサルディア城から姿を消した。
「あの時、わたくしが口を閉さなければ……ウォード家は失墜しようと、奥様やお子様が行方知れずとなることもなかったでしょう。奥様を止められるのはもちろん旦那様ではございますが、病床に伏せっておられる中、口添えできるのは──奥様のお世話をさせていただいていたわたくしのみだったはず。直接申し上げずとも、侍従長に打ち明けていればもっと別の結末があったに違いありません。……これが、わたくしの罪でございます」
全て聞き終わると、カレンは静かに息を吐いた。タケルが横目にそちらを見れば、どこか思い詰めたような眼差しをゾルに向けている。その隣では、ヴァルターも眉を顰めていた。
タケルはゾルに言葉を向けようとして、出来ずに諦める。慰めの言葉も糾弾の言葉も思い浮かばない。ただ心が凪いで、そこに彼女の後悔と悲しみの念が染みていく。静かな空間で、ゾルは首を垂れたままカレンの言葉を待っているようだった。
「──行方不明となった方々の、その後についてはご存知なのですか?」
カレンは表情を変えず、静かにそう問い掛ける。ゾルは弱々しく首を横に振った。
「……いいえ。ですが──お子様は野盗に殺されたのだろうと……風の知らせを受けました。奥様の生死は不明のまま……もしかするとどこかで、生きておられる可能性はございます。ですがそれも、絶望的だと」
「……そうですか」
ゾルの言葉を受け、ぽつりと返事を零し、カレンはそっと目を閉じた。しんとした空間に、外から響いた教会の鐘の音が届く。それが鳴り終わる頃、再び目を開く。そのとき、彼女は小さな微笑みを湛えていた。
「ゾル様。あなたのようなお方が、そのように後悔に苛まれながらお過ごしになっていることを心苦しく思います。侍女の立場でいらっしゃるあなたが、どうして貴族の身勝手に物を言えましょう? この部屋に入った時──あなたはもうすでに罰を受けているのではないかと感じました。あなただけが責を負うこどではありません。どうか……これ以上思い詰めず、お心を安らかに」
そよ風のような清涼な空気が部屋を満たしたような気がした。ゾルが顔を上げ、堪えるような泣き声とともに涙を流す。溢れる雫はテーブルの天板をポツポツと濡らした。
「あなたは間違っていたのかもしれません。ですが、悪意があったわけではないことはわかります。神があなたに赦しを与えたとしても、あなた自身がご自分を赦せないのでしょう。その思いがあるのなら、あなたは前に進むべきお方だと──わたくしは思います」
「いいえ、ルーメリア様。わたくしは不届き者でございます。どうか、罰を──」
「あなたはすでに罰を受けていますわ。ですからもう罪の告白はおやめになって、どうか周囲の人々にそのような不幸が訪れぬよう、お祈りを捧げてくださいませ」
顔を覆ったゾルの肩を、カレンは立ち上がって歩み寄り、そっと支えた。窓辺から差す光を背中に受け、その光景はまるで本当に女神が降り立ち、寄り添うような一枚絵となっていた。タケルは思わずヴァルターを見上げたが、彼はじっと、その光景を見つめていた。
その後、束の間の茶会を済ませ、タケル達はゾルの家を後にした。カレンはゾルに穏やかな休息を促し、過度な告白は控えるよう穏やかに諭した。茶会のうちにゾルの表情には、ほんのわずかな微笑みが生まれ始め、帰る頃には凛とした眼差しすら垣間見せるようになった。それを眩しく感じながらも、タケルはゾルに、突然の訪問に対して謝罪と礼を述べた。結果的にデルカと繋がりのある話ではなかったが、気持ちは晴れやかだった。
「──デルカとは、関係なさそうだったな」
ゾルの家を離れ、通りに出たところでタケルがそっと口を開く。カレンとアルトは頷いたが、ヴァルターは顎に手を添えて小さく唸る。
「だが、”ウォード家”……というのは、確か──アンスールで会ったドナー兵長がそんな名を口にしていなかったか?」
「……そうだ! 俺もなんか聞いたことある気がしてたんだ」
「──ハロディも、知っているような口ぶりだった」
ヴァルターの言葉で唐突に記憶が蘇ったが、詳細まではあまり覚えていない。だが彼の言う通り、ハロディは何か知っていそうな物言いをしていた。後でこの件を話せば、話は明確になるかもしれない。タケルは内心で、ハロディがこちらに着いてくるべきだったのではないかと思ったが、結果論だ。黙っておくことにした。
「某は家族というものはよく分からぬが……特に貴族は、何やら煩わしく思えるな」
「確かに作法や立場の複雑さは否めないが、真っ当な貴族は真っ当だ。特にカレン様は、とても聡明なお方だろう。いいか、故郷の地でカレン様は──」
釈然としない表情で呟いたアルトの声を逃さず鷲掴み、ヴァルターが唐突に語り始める。余計にうんざりとした様子で顔を歪めたアルトにはお構いなしだ。タケルは苦笑すると、黙って着いてきていたカレンに歩調を合わせた。
「カレンって、やっぱすごいな」
「──何がですか?」
しみじみと告げてみれば、カレンは我に返ったかのように肩を揺らして隣に立ったタケルを見上げた。
「だってあの婆さん、最後ちょっと楽しそうだったし」
「それは、皆様のおかげでもありますから」
謙遜の言葉とともに、カレンは苦笑を零す。タケルにはそれが気落ちしたように見え、声のトーンを持ち上げる。
「……カレンっていつも、誰かを助けてるよな。俺も助けられてるし……”勇者かもしれない”とか言われてる俺なんかより、よっぽど誰かのこと救ってる気がするんだ」
「──……そんなこと」
カレンはそっと目を逸らし、歩く自らの爪先を見下ろした。そのまま黙ってしまうので、タケルは慌てて何か言おうと頭を働かせる。だがカレンが黙ったのはほんの少しの間で、彼女はすぐに顔を上げると、タケルに微笑んでみせた。
「わたくしは、自分が正しいと思ったことに対して──押し通してしまうところがあるのです。その結果良い方向に事が進めばよいのですが、わたくしは貴族という立場。わたくしの主張ひとつで、ゾル様のように──何も言えない人々が犠牲となってしまうこともある。と、昔……お兄様に教えられたのを思い出しましたの。ですからヴァルターには、わたくしが暴走しないよう見ていてほしいとお願いしているくらいで」
言われて思い返してみれば、確かに強引さが否めない部分は多々あった。それでも事がうまく運んだのは、時折口を挟むヴァルターと、彼女自身の熱意のおかげだ。仲間達は皆助け合う形で、今までうまく収めてきた。
タケルは心のどこかで、カレンがいれば勇気を貰える気がしていた。自分が正しいと思った事を真摯に貫く姿勢──今ではカレンのそのような一面に、羨望のような思いを抱いている。
「そんなの、カレンが正しかったら問題ないんじゃないか?」
思わずそう、口を挟む。カレンは眉尻をわずかに下げ、吐息のように笑った。
「そうかもしれませんわ。ですが……それだけではないのだというのもわかるのです。たまに──わたくしは、自分が正しいと思ってしていることが本当に正しいのかどうか……分からなくなる時があるのです。本当にこれで大丈夫なのか、と……」
その眼差しは、自嘲しているようにも見えた。カレン達とは、同じ頃合いにアンスールの地を踏んだ。彼女達が故郷でどのような生活を送っていたのかは分からない。だが少なからずこの地での旅を経て、何かしらの葛藤を抱き始めているらしい。だがタケルにしてみれば、カレンはいつも聡明だ。
「でも、ネリもアリアベルもレオも、笑ってた。……パゴニはちょっと寂しそうだったけど」
タケルはそう言ってカレンに笑いかけた。励ましにも似た言葉に、カレンは目を細める。それはどこか安堵している様子にも感じられた。
「……そうですわね」




