9-1 手掛かり
翌朝、窓の向こうからカーテン越しに朝日を感じ、光の刺激でタケルは目を覚ました。ぼんやりとした意識のまま半身を起こし、室内を見渡す。ヴァルターとアルトの姿は既に無く、ハロディとガウリーはまだ眠っている。ヴァルターはいつもカレンが目覚める前に完璧に準備を済ませるため、朝が早い。アルトは軽い修行だと言って早朝から体を動かしに行くのが常だ。着いて行ったことがないので何をしているのかタケルは知らないが、朝食前にはひょっこり戻ってくる。
タケルはベッドから降りると、白いシャツとホーズに着替えた。夜着はこちらの大地を訪れてからずっと、エレヴァンで与えられたものを着ている。聖アルビオンに入ってからは、一張羅である臙脂色の着物や黒い野袴は封印中だ。草履ももはや荷物の奥に仕舞ってある。最後に革のブーツに足を突っ込めば、すっかり”こちらの人間”だ。
「なんだ、早いな」
「あ、おはよ」
廊下に出ると、洗面室から戻ったヴァルターと遭遇する。軽く挨拶を交わして階下に下りようとすると、「顔を洗ってからにしろ」とすかさず忠告が刺さった。返事をして洗面室へと進行方向を変えると、溜息とともに再び声がかかる。
「外に出てもいいが、八時までには戻れよ」
「……わかった」
応えながら、頭の中で時間の換算をする。これも最近では慣れてきた。時間や日数の呼び方などがアカツキとは違ったため、ヴァルターと何度も暦の整理をしたのだ。
顔を洗って階段を下り、ちらりと食堂を覗く。朝日が窓から差し込んだ店内の照り返しに目を細めながら奥を見ると、人の気配はあるので店はやっているらしい。宿のカウンターにも店員が座っていて、静かにタケルの行動を見つめていた。
居づらくなってそそくさと宿を出る。白い街は朝日に照らされ、一段と眩しさが増す。それでも気温は低く、タケルは身震いしながら一枚羽織って出て来ればよかったと後悔した。
「──でも、一気に目が覚めるよな……」
故郷の山でも、冬は一段と冷え込んだ。布団から出るのが億劫で、朝の支度を苦行に感じたものだった。過去に浸りながら軒先で体を伸ばしていると、通りには既に白いローブを纏い、教会方面へ向かう住人の姿がある。タケルはそんな人々を眺めながら、それとは逆方向に歩みを進めた。
昨夜話し合った結果、今日は二手に別れることになった。一方は”ゾル”という老婆を探し、話を聞く。もう一方はジューの店の調査をする。”ゾル”と接触したタケルとアルトは前者を任され、そこにカレンとヴァルターも加わることになった。ジューの店を調べるのはハロディとガウリーだ。
タケルは正直なところ、ガウリーが調査をするために街を歩く姿が想像できなかった。しかし、それを察したハロディが言うには、彼には彼にしか出来ないことがあるらしい。ガウリーにはひと睨みされ、心の内を見透かされたのかと悟ったタケルは苦笑いで誤魔化すことしか出来なかった。
「今日はまた教会に行って、修道士の人にあの婆さんのことを聞くか、それとも婆さんが教会に来たところを待ち伏せるか……」
カレンは直接修道士に尋ねてみようと言ったが、ヴァルターは珍しくそれに異論を唱えた。住人を探るような真似を教会の人間に知られるのはまずい。よって、本日も教会を訪れるであろう標的を待ち伏せし、教会の外で接触した方が安全だ、と彼は言った。
「確かに、なんで俺らがあの婆さんを探してるのかって何か勘繰られたら、面倒なことになんのかな……」
通りを歩きながら独りごちる。見知らぬ土地でも、こうして一人で散歩することが出来るまでになった──本人はまだ、それを自覚していない。
美しい街だが、アルマやアンスールで見た噴水や庭園、堀などは見られない。ただ同じような建物が並んでいるだけで明確な目印になるものが無く、少し路地に入ればすぐに迷ってしまいそうだ。時間までに戻れなくならないよう、そういった道は避け、ぼんやりと通りを歩く。……と、突然タケルの体が軽い衝撃を受け、よろめいた。
「あら、ごめんなさい……って、なんだ、坊やじゃないの」
路地から現れたのはリリーだった。旅の途中に羽織っていた黒い外套の代わりに白いケープを身につけていたので、瞬時に誰だか判別がつかなかった。タケルは突然の邂逅に目を白黒させた。
「えっと……リリー?」
「どうして疑問形なのよ? ここまで一緒に旅した仲じゃない」
しどろもどろなタケルを面白がっているのか、リリーは片眉を上げてにやりと笑い、試すように目を細める。そうして顔を近づけられるとタケルの体は反射的に後ずさる。
「失礼ねぇ、こんな美女相手に逃げ腰になるなんて。お姉さんショックだわ」
リリーは眉尻を下げて悲しげな表情を見せるが、声音はどこか弾んでいる。そんな、相手を弄ぶような態度に慣れていないタケルは、そそくさとその場を去ろうとした。
「ねえ、ちょっと待ってよ」
そんなタケルをリリーは引き止めた。じとりとした目つきで振り返ると手招きされる。その仕草には有無を言わせない強引さがあり、タケルは渋々引き返す。
「……なに?」
「そういえば、お礼してなかったと思って」
「何の?」
「ここまでの旅のお礼よ」
リリーは不敵に微笑むと、口元に手を添えてタケルの耳元へと近づく。何を企んでいるのか想像すら出来ない人物に身を寄せられ、タケルはたじろいだ。
「──デルカの人間を探すなら、鍵になるのは”貴族”よ。……これだけ、教えといてあげる」
「貴族……?」
タケルは怪訝に表情を歪める。それがまた面白かったのか、リリーは笑みを深めて目を細めた。
「そう。──お礼はこの情報よ。あとはまあ……健闘を祈っておくわね」
それだけ言い置いて片目を閉じ、リリーは片手を振って去ろうとする。タケルは思わずその背を呼び止めた。
「あのさ! あんたってその……ここで、何してんだ?」
足を止めたリリーはケープの裾を翻し、髪を掻き上げた。そして肩越しにタケルを振り返る。
「それは秘密よ」
「それって、ズルくないか?」
「……どうして?」
「だって、……俺たちばっかり、あれこれあんたに話しててさ」
口を尖らせたような不満げな声を、リリーは一笑して受け流した。今度こそ体ごと振り返り、腕を組む。顎を軽く持ち上げ、自信に満ち溢れたように口角を持ち上げる──彼女がよく見せる表情だ。
「ズルいと思うなら、アナタもズルをすれば? 素直に何でも聞き出されるのが嫌なら、そっちだって嘘を吐けばいい──出来るものなら、ね」
そう言って、リリーは今度こそ去って行った。彼女の目的地は分からない。そもそも、彼女がこの地に来た目的すら分からない。タケルはそれ以上呼び止めることが出来ず、立ち尽くしてその背中をしばらく見送った。
時間通りに宿に戻り、朝食の席でリリーの話をすれば、ギルドの面々は三者三様に苦い顔をした。タケル本人やヴァルターも複雑な表情を浮かべ、素直に笑顔を見せたのはカレンだけだった。
「とても律儀なお方ですのね」
「律儀ぃ? とんでもない! アイツが優しさを見せるのは何か裏があるときだよ。……で、”貴族”が鍵って言ってたのかい?」
「うん……よく分かんねぇけど」
「礼とはいえタダ情報か……後が怖いなぁ」
純粋に目を輝かせるカレンをハロディは即否定する。リリーはベスカで出会った時にも”サービスだ”と言ってタダでこちらに情報を寄越した。それがハロディの背筋を薄ら寒くしているようだ。まだ短い付き合いのタケルですらそんな感覚を味わっている。
食後、部屋に戻って一日の段取りを話し合い、早々に街へ出る。ハロディはガウリーと連れ立って教会とは逆方向に向かい、タケル達は教会側へ。ゾルという老婆をただ待ち伏せるのも怪しい。よってカレンとヴァルターは街の教会を回ることになった。
タケルとアルトは路地裏や屋根の上に身を潜めながら、相手が姿を現すのをひたすらに待ち伏せする。アルマやアンスールほど人通りは無く、観察してみれば住人が使用する道は大体決まっているようだ。タケル達は焦ることなく路地裏の軒先から屋根へと上がり、三つの教会を繋ぐ道が一望できる位置に移動する。障害物が無いと冷えた風が直接体に当たり、時折身を震わせながら目下の通りを観察する。
「……アルトってさ、修行ですぐとっかに消えるって聞いたけど、この辺にも来たことあるのか?」
寒さを誤魔化すための世間話だ。隣で涼しい顔をして屈み込んでいるアルトを横目に見やり、声を潜めて話しかける。アルトはタケルを一瞥すると、すぐに視線を通りに戻した。
「このような人里に入ることは無いな。修行で向かうのは大体山か谷……険しい場所でないと意味がない」
大方予想していた答えだが、改めて聞くと素直に驚く。具体的にどういう修行なのかは分からないが、険しい場所でないと意味がないというのなら、危険と隣り合わせということだろう。しかも、たった一人なのだ。そこでふと、タケルは思いつく。
「じゃあさ、師匠と旅してたってときは、どんなところに行ったんだ?」
アルトが言うには、彼女の師匠はアカツキの侍だ。彼女の口調や、師匠から賜ったという刀からもそれはまず間違いないだろう。
「……うむ。まあ、訪ねるとしても小さな村や集落ばかりであったな。師匠があまりにも風変わりだった故、街の人間にはよく警戒されていたらしい。某も街へ入った記憶は無い」
「そうだったのか」
「幼少の記憶も無いのでな。自分で足を踏み入れた大きな街といえば、アルマやエレヴァンくらいのものだ」
タケルはそこで気まずそうに顔を歪めた。そういえばそうだった。アルトは幼少の記憶が無いまま師匠に拾われたと話していた。本人があまりにも平然としているため、失念しがちな過去だ。現に以前、「思い出さないのならそれでもいい」とすら言っていた。
「じ、じゃあ……なんか俺と似てるんだな。俺もずっと山奥で師匠と二人だったし」
「そうだな。だが某は師匠と山にばかり籠もっていたわけではないぞ。師匠は各地を回りながら何やら情報を集めていたようでな。──今思えばお主のように、故郷へ戻る術を探していたやも知れぬ」
「あ、そっか。……で、確かアカツキに戻るとか言って別れたんだっけ」
出会った当初、アルトはそんなことを言っていた。タケルはその情報に期待を抱いた気もするが、状況がごたついているうちに有耶無耶になってしまった。その後、アカツキという国は地図に存在しないと言われ、師匠に深い事情を聞かなかったというアルトからはそれ以上の情報は得られずに終わった。そもそもその師匠とやらが、アカツキに戻れたかどうかも分からない。
「ああ。……本当はお供するつもりだったのだ。だが、某はアンスールから出ぬ方が良いと止められた。まずこの地で自分の力を試してみよ、とな」
アルトは珍しく遠い目をして呟くように言った。修行をつけたとはいえ、まだ幼いアルトをこの地に残す──タケルはそこに、修行以外の意図があるような気がした。もしかすると、この地で拾ったアルトの家族がどこかにいるはずだと考えたのかもしれない。各地で情報を集めていたというのも、彼女が言うように帰る方法を探していただけでなく、彼女の家族を探していたのではないか? そう思い至るが、口を噤む。全くのタケルの想像だ。
「十五になれば成人。修行をつけるのはここまでだと……ならば、某はそれに従うのみ。そこからは武者修行の日々だ。ハロディたちともその折に出会った」
「へぇ……似てると思ったけど全然違ったかも。俺は……山の外に出ようなんて思わなかったから」
心なしか気落ちした声が漏れる。アルトの視線をこめかみに感じながら、タケルは気付かない振りをした。しばしの沈黙が流れると、アルトは鼻を鳴らして視線を逸らした。
「何を修行とするかは何を己に課すかで決まる。行脚だけが修行とは限らぬ。──某も迷走していた時は片っ端から山賊を腕試しに利用した。森や田畑を荒らす野獣も相手にしたな。騎士にも果し合いを申し込もうとした。──だが今は、精神統一こそ修行だと痛感している」
「……危険な場所には行くのに?」
「身のこなしを鍛えるならばそういった地が最適だ。だが修行で無闇に賞金首を追うのは控えるようにした。……もっと有意義な戦いでなければ、剣の腕には繋がらぬと思い改めたのだ」
その有意義な戦いの相手がガウリーなんだろうか、とタケルは思い至ったが、これも口に出さないことにした。何となく、まずい気がしたからだ。代わりに苦笑を漏らす。
会話が途切れると、二人は通りの観察に集中した。早朝よりも人通りが増えはじめる。黙って瞳を巡らせていると、白いローブ姿の住人に紛れ、カレン達が教会から出てくる姿が見えた。二人は何やら会話しながら通りまで出て立ち止まる。タケルが何となしにその姿を追っていると、付近の路地から見覚えのあるシルエットが姿を現した。
「アルトアルト! あの後ろ姿、例の婆さんじゃないか⁈」
「うん? 確かに背中の折れ具合はあのようであったか……だが老婆であれば……」
「カレン達もちょうどいるし、早く降りよう!」
「お、おいタケル! 引っ張るでない!」
屋根の縁から身を乗り出し、老婆らしき後ろ姿を指差すタケル。同じくアルトも身を乗り出したところで、焦ったタケルが彼女の腕を鷲掴む。珍しくアルトがバランスを崩し、つられて立ち上がりかけたタケルが膝をつく。──二人はそのまま通りへと落下した。
道行く住人達が驚いて声を上げる。幸い落下地点には誰もおらず、アルトは空中で体を捻って静かに着地する。一方タケルは着地こそしたものの、そのまま勢いを殺せず尻餅をつく。人だかりの向こうでは、カレンが両手で口元を覆って驚いている。隣ではヴァルターが眉を吊り上げていた。
「あ、あはは……えっと、その……なんていうか、……そう! 風が……強い風が吹いて、首巻きが屋根の上に飛んでったんだ! だから取りに行ってたっていうか……はは、気にしないで」
集まる住人達の怪訝な視線に耐えきれず、タケルは後頭部を掻きながら苦し紛れに取り繕う。誰に弁明するでもなく笑って誤魔化すタケルの隣で、アルトはしれっと腕を組んで目を閉じている。
怪訝そうな目を向けながらも、住人達の興味は次第に逸れていく。だがタケルはそうして自分たちを見ていた人々の中に、例の老婆を見つけていた。彼女は人の流れを遮るかのようにその場に佇み、気がかりそうにこちらを見ていた。
「あの、婆さん! えっと、ゾルさんだよな?」
タケルはカレン達に目配せを送りながら老婆に声をかけ、駆け寄った。静かにアルトも着いてくる。
「ええ、はい……そうでございますが……」
老婆は眉尻を下げ、弱々しく応えて頷く。タケルは咳払いを挟んで服についた埃を叩き、居住まいを正して真剣な眼差しを向けた。
「あのさ、ちょっと……話を聞かせてほしいんだけど」
老婆──ゾルは、タケルの黒い瞳を見上げ、眩しそうに目を細める。タケル越しの朝日に、彼女が両手で持つ金のプレカリオが反射した。




