8-7 奪われたもの
ファーブラー自治区。かつて開拓者が作り上げた、山や森に囲まれた集散地だった。そこには三つの街があり、それぞれ職人街、採掘街、木工街と分かれている。現在に至ってもその名残が所々に残されている。
玄関口となるベスカは職人街だ。石レンガの塀に囲まれた街中には、リューデの白鉄工房のような工房が立ち並ぶ。畑を持つ家も多く、段差の多い地形を利用して上手く土地活用しているためか、視界は広いのに入り組んだ街の作りをしていた。
「──記録によれば、ベスカは分断戦期や海裂災期、デルカやトルカに集まった資材を加工して武具を作る拠点だった。魔法が主流だった頃は魔法都市アンスール同様に、魔導加工師や錬金術師なんかが集まったって。──今となってはそんな雰囲気は、無くなってるように見えるけど」
ヴァルターがキャリッジハウスの管理人とやりとりする間、ベスカの街を見渡したハロディは流暢に歴史を語る。カレンは羽織ったケープの下で両手を組み、撫でるように景色を眺めた。
「ですが、あんな大きな木は見たことがありませんわ。とても幻想的」
「あれはおそらく、エオローの森にあるような自然の一部じゃないかな。幹も枝も大きくて、葉が生い茂ってて、樹皮がうねってるような……エオローの森はああいう木に覆い尽くされてて、だから日光が入らず、”闇路の森”って通称が付いたんだ。今ではそれに加えてヴェルダ族の魔力も影響してるみたいだけどね」
街中でひと際目立つ大木は、丘の上から覆いかぶさるように影を落としている。その代わりなのか枝先にはいくつものランタンが下げられ、日中でもポツポツと暗がりを照らしていた。
「……御神木みたいだ……」
「ゴシンボク?」
「俺の住んでる山にもあった。一番でかい木で、土地の守り神みたいなもんだって、師匠が言ってたけど」
「へぇ、木が守り神なんだ? 木に神様が宿ってるってこと?」
タケルの呟きを耳ざとく聞きつけ、ハロディが興味深そうに顔を寄せる。タケルは彼の勢いを手で制しながら、生真面目な視線を返した。
「木だけじゃないぞ。どんなものにだって、長い年月を経て神様が宿るんだ」
「──ええ⁈」
「では、わたくしのこの髪飾りにも、いつか神様が宿るということでしょうか?」
怪訝そうに表情を歪めるハロディに反し、カレンは自身の髪飾りに触れながら目を輝かせる。タケルが頷くと、彼女は大いに喜んで表情を綻ばせた。
「──カレン様、ひとまず手続きは済ませました。今後の予定を詰め、宿も手配したいところですが……」
「ええ、ありがとうございます、ヴァルター」
戻って来たヴァルターはカレンに報告を済ませると、背後に視線を向ける。その先にいるのは、遠い街の先を眺めて佇むルジュだ。彼女は視線に気づくと、小さく笑いを漏らす。
「……とりあえず、街の人間に話を聞きたい。ウチも少し情報を整理したいんだ。……あんたらには悪いんだけどね」
タケルは、ルジュが思いを吐露した昨晩の深夜を思い出す。事情はわからないが、心支度が必要なのは確かなのだろう。ルジュが思い詰める様子を見るほどに、聞き出してしまっていいものなのかという疑問が生まれる。だが彼女はまた、「いい機会だ」とも言った。タケルはその言葉を信じるしかない。
「宿は、さしあたって一晩分でいいんじゃないかい? 空室の数によって部屋割りも相談で」
「金額にもよるぞ」
「はいはい、分かってるよ」
楽観的なハロディと堅実なヴァルターがいつものように意見を摺り合わせ、一行は宿に向かってから手分けして情報収集することにした。
「では、某とガウリーは街の周辺について聞いてこよう。討伐依頼があれば引き受ける」
「オイ、勝手に決めるんじゃねぇ」
「勝手に決めねば貴様は働かんだろう」
「てめぇと違って俺は脳筋じゃないんでな。情報聞き出す程度……」
「はいはい。ガウリー、君は自分で思ってる何倍もとっつきにくいんだから。情報収集するなら周辺の危険状況なんかがちょうどいいよ。別に二人一緒に行動しなくたっていいんだからさ、適材適所ってやつだよ」
いつもの言い合いが始まるかと思うと、ハロディが呆れたようにいなす。アルトは「フン」と鼻を鳴らし、ガウリーは舌打ちを放ち、二人は各々街の中へ消えていく。
「夕方にはここ集合ってことで!」
二人の背中にハロディが声を掛け、残された面々は苦笑し合って宿の方向へ足を進めようとする。そこでふと、タケルが辺りを見回した。
「あ、あれ? ルナは?」
カレンたちも慌ててタケルに倣うが、姿が見当たらない。思えば、自分の書き物や分析に没頭している以外は騒がしかった彼の声が、ここまで一切聞こえなかった。
「ま、まさか……」
顔色を失ったヴァルターが冷や汗混じりに街の中央を見やる。タケルやカレンも固唾を呑んだ時、困惑した声が彼らの意識を引き止めた。
「おおーい、お客さん! あの人はどうするんだい?」
キャリッジハウスの管理人が困り果てた様子でタケルたちの元へ駆けて来ると、背後に停めてある馬車を指差した。
「なんかずっとブツブツ言ってて、馬車から出ようとしないんだけど……」
「あの馬鹿──、おおい、ルナ! さっさと荷物持って出て来なよ!」
ハロディが声を張り上げる。すると馬車の垂れ幕からルナはひょいと顔を覗かせた。
「何じゃ? ワシはここで一向に構わんぞ?」
「管理人さんが構うんだよ! いいから黙ってさっさと荷物まとめてくれ」
渋々馬車の中に戻って荷物をまとめ、ルナがずるりと馬車から現れる。日差しを反射させるような全身の白さとは裏腹に、霧のような翳りある姿が、丸まった背中に大きな荷物を背負ってやって来る。管理人が呆気に取られる裏で、タケルたちは安堵に肩を落とした。
「と、とりあえず宿を決めたら、そこにいてもらったらいいんじゃないか……?」
タケルの提案に、カレンたちは大きく頷いた。
一行は宿の予約を済ませると、情報収集のために街を散策した。ルナは個人で部屋を借り、そこに引きこもっている。彼はここまで、自分の部屋の支払いは全て自分で済ませていた。ずっとロワーサイドの奥に潜んでいるのに、その金はどこから出ているのかとヴァルターがハロディに尋ねると、どうやらラ・カーヴァ絡みの秘密の頼まれごとをしているとのことだった。彼は生活費というよりも、研究費として金銭を受け取っているらしい。
ハロディは一人で街を回ると言って、早々にパーティを離れた。残ったタケルたちはルジュに同行することにする。彼女は予想外にも、目的なく足を運んだ。まるで、街に来るのは初めてかのように。
「人が集まるところといえば、酒場や食堂だ。酒場は夜開くだろうから、とりあえず食堂を探してみるかい?」
「──あなたは、街の地図に明るいのではないのか?」
「……いいや? ベスカに入るのはウチも初めてさ」
「では、ルジュ様の故郷は他二つの街のどちらかということでしょうか?」
道すがら、ひょんな会話からカレンが尋ねると、ルジュはそれに答えず自嘲して誤魔化す。タケルはカレンの方を叩き、首を横に振ってそれ以上の質問を制した。
「あ、あれって食堂なんじゃないか?」
タケルが中央通りの先にある一角を指差す。テーブルセットがいくつか並べられたテラス席に、客らしき姿が見えた。この地に来たばかりの頃は右も左も分からなかったタケルだが、今ではすっかり街の景色にも慣れたものだ。
「では、情報収集がてら軽食にでもいたしますか、カレン様? 他の連中も各々で食事を摂ることでしょう」
「ええ、わたくしは構いませんわ」
「今まで世話になりっぱなしだったからねぇ。ここはウチに払わせてくれよ」
四人は石造りの店へと入店する。木造扉には意味深な螺旋状の紋様が刻まれ、ガラス窓にも細い金の細工が施されている。こういったものが、魔法時代の名残なのだろう。今ではすっかり、ただの模様と化しているようだ。
店内は昼時ということもあり、それなりに賑わっていた。石の床に敷かれたカーペットが足音を吸い、人々の会話や食器の音が響いている。テラス席側の扉は全て開放され、冷えた微風が入り込んで足元に漂う。だが、大きな暖炉がその冷気を瞬時に相殺した。
「いらっしゃい。旅のお方かい?」
カウンター席の向こう側で作業していた店員がタケルたちに声を掛ける。ちょうど四つあるスツールに腰かけるとメニューを確認し、四人はそれぞれ食事を注文した。タケルは料理に何が入っているのか逐一尋ね、料金をヴァルターに確認する。それは長旅で癖づいたものだった。
「──”ヴェルダ族”について聞きたい?」
食事がてら尋ねると、店員は眉を持ち上げた。その反応に警戒の陰が感じられず、ヴァルターはわずかに眉を顰める。タケルが隣のルジュを見やると、彼女は神妙な面持ちで答えを待っていた。
「ええ。今、陸や海で異変が起こっているのはご存知でしょう? わたくしたちはそれを調査するために旅をしているのですが……そこで、ヴェルダ族という種族の知識を得られればと考えているのです」
「ヴェルダ族は人間との断絶を望んでいるという情報は聞きました。しかし同時に、このファーブラー自治区は古くからその断絶を解消しようとしているという情報も得ました。ですから我々はこうして、この地にやって来たのです」
カレンとヴァルターがもっともらしい理由を述べ、相手の答えを待つ。ルジュは相手の出方を観察するように、ただじっと店員の目を見ていた。
「ううん……でもそれは、歴史上の話だろう? ヴェルダ族と交流を持とうとしたって話は、僕の祖父に聞いたとしても”かつての話”だって言うだろうよ。エオローの森は僕が生まれるずっと前から禁域だし、森に住むっていうドレンダーって種族だって見たことないんだから」
「そ、そうなのですか?」
カレンが困惑の表情を浮かべ、首を傾げる。店員の反応は意外であり、同時に噂通りでもあった。アンスールのオルヴェイン王はファーブラー自治区が、ドレンダーとの和解の兆しがあったものの瓦解して久しいと述べた。ロワーサイドのレオは、街の人間に自治区から来た者もいるが、事情を全く知らないようだと言った。ふたつの情報を掛け合わせるなら、和解を試みたのは遥か昔の話であり、今の人々はその頃を知らないということになる。
だが、そうなるとルジュの存在は異質だ。彼女は恐らく、自治区と異種族との断絶の理由を知っている。つまり、自治区の元々の存在理由は歴史を遥か遡るまでの話ではないはずだ。
「じゃあ……他の、トルカとか、デルカって街に行っても何も聞けないのか?」
タケルは胸の奥に焦燥を覚えながら尋ねた。店員が嘘や隠し事をしているようには見えない。本当に何も知らない人間の反応だ。
「行ってみてもいいだろうけど、どうなんだろうな? 何か分かるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……あ、でもひとつ言えることは、デルカに行っても無駄だってことだね」
「「──無駄?」」
タケルとヴァルターの声が重なる。店員は食器を洗いながら肩を竦めた。
「うん。だって、デルカはもう”無い”も同然なんだ。行ってももぬけの空だろうよ」
「──どういう事だ?」
これまでかしこまっていたヴァルターが、いつもの調子に戻る。しかし店員はそんなことは気にせず、苦笑した。
「何でか知らないが、もうずっと前からそうなんだ。みーんな、北の聖地──”聖アルビオン”に移住しちまったって噂があるけど信憑性の程は分からない。何にせよ散り散りになって、誰もいないって話だね」
タケルたちは思わず顔を見合わせる。その傍で、ルジュだけは店員から視線を落とし、カップに注がれた紅茶の水面をじっと見つめていた。
──夕刻。キャリッジハウス前に集まったルナ以外の面々は、宿へと移動した。あいにく部屋は二部屋しか取れず、本来であれば男女で分けるところだ。しかしアルトが何の躊躇いもなく男部屋へ入るので、ルジュは目を丸くした。これまでは宿の部屋は潤沢に取れていたため、初めての出来事だった。
「あれ、アルトはこっちじゃないのかい?」
「に、女人と同じ部屋に泊まるなどけしからん! 某はこっちでよいのだ」
「ああ、気にしないでルジュ。僕らももう、気にしなくなったんだ。店主に頼んで簡易ベッド入れてもらうから。こうでもしないとコイツ、野宿しようとするんだよ」
「は、はあ……そうなのかい?」
旅の途中はもっぱら幌の上にいるか戦闘しかしていない彼女が、ルジュと接近する機会はこれまで無かった。ハロディが代わりに弁明すると、ルジュは戸惑いながらも納得する。結局カレンとルジュが同室となり、それ以外の五人が同じ部屋に詰め込まれるということになったのだが、部屋が広いのがせめてもの救いだった。
荷物を整理した後、夕食前に男部屋に集まり情報交換をする。互いに入手した情報を出し合って精査すると、奇妙さは増すばかりだった。
「僕も同じような事を聞いたよ。念のためさ、池で魚釣りしてた結構な老人にも話を聞いてみたけど、その人も”自分の祖父が生きてたとしても自分と同じ事を言うだろう”って言うんだ。これだと、オルヴェイン王の話と辻褄が合わないよ。あの人の言い方だと、自治区の仲介役としての役割が瓦解したのは、何代も前のことだって感じじゃなかったろ?」
「──それに、歴史上の話だというなら、記録が残っていても良いはずだが……そういったものは残されていないのだろう?」
「無いね。僕が見落とすってこともないだろうし、絶対誰かが歴史の事実を知ってるはず。歴史的な隠蔽なら、オルヴェイン王からあんな話が出るはずもないし……正直、さっぱり意味が分からないよ。この街の人たち、何も知らなそうなんだもん」
ハロディとヴァルターが腕を組み、唸り合う。
「オルヴェイン王は、”ヴェルダ族やドレンダーとの対立をわざわざ広める理はない”と言っていたが……そのような意図も見えなかったな」
「うん。本当に──ただこの自治区が、”かつて異種族との仲介役を担った街”っていう認識しかしてない感じだった。この認識のズレって何なんだ?」
タケルは二人の話を聞いてはいたが、正直なところ理解に苦しんでいた。どうしても小難しい話に聞こえてしまい、話半分に横目でルジュを盗み見る。ルジュはハロディたちの話を聞いているようで、心ここにあらずといった様子だった。
「──もし何かあったのでしたら、自治区の方でなくとも、行商やアルマの方々などから人伝にでも事情は伝搬しそうなものですが……情報をこの地だけで留めておくことは可能なのでしょうか?」
カレンも顎をつまみ、首を傾げる。それにハロディは溜息混じりに答えた。
「いつから自治区がこんな状態だったかにもよるね。自治区の人間が何も知らないんじゃ、行商も何も知り得ない。──ちなみにアルマは特殊でさ。戦争時代はロワーサイドが職人街だったんだよ。そこに資材を集めて武具を作って直接騎士たちに献上してたんだ。北の大地が良質な資材の宝庫とはいえ、アルマからは距離があるだろう?」
「……なるほどな。アルマはかつて最前線の防衛都市という話だったが、わざわざ遠方の職人から取り寄せるより、近場で資材をかき集めて作る方が効率が良かったというわけか」
「そうそう。だから、アルマって北との繋がりがほとんど無いんだよ。あるとすればルーメリア教会ぐらいだね。さっき話に出てきた──”聖アルビオン”で信仰されている宗教だ」
ヴァルターに相槌を打ち、ハロディはその名を出すと、ルジュをひたと見据える。ルジュは弾かれたように彼の瞳に焦点を合わせた。
「──デルカの人間が聖アルビオンに移住したって話……君は知ってるかい、ルジュ?」
静かに問いかける。ルジュは一拍置いてから、ゆっくりと首を横に振った。
「…………わからない」
「──……そろそろ、教えてくれないか? 一体この自治区が、どうなっているのか。ヴェルダ族と何があったのか。……君は、何か知ってるんだろう?」
重い沈黙が室内を支配する。ルジュは問いかけるハロディから目を離さなかったが、わずかに眉間に皺を寄せた。朗らかな彼女から滲み出る緊張はタケルにも伝わり、肌を刺激するような錯覚に陥る。しばらくすると、ルジュは思い口を開いた。
「…………デルカは、”道標”を奪ったんだ。闇路を歩くための、”道標”を」
「”道標”──? それってどんな物なんだい?」
「プリズマリアの、特別な魔法のランタンさ」
”プリズマリア”という単語にハロディは目を瞠った。タケルやカレン、ヴァルターは訳もわからずハロディとルジュの間で瞳を彷徨わせる。タケルは視界の端で、部屋の奥のベッドに寝そべっていたガウリーが片目を開いてこちらに視線を向けるのを見た。
「”ぷりずまりあ”って?」
タケルが尋ねると、ハロディは咳払いをした。
「虹色に煌く、透明な魔石のことだよ。限られた土地でしか見られない神秘的なものだとされてて、どんな効果があるのかはまだ解明されてない。市場に出回ることなんか奇跡に近いって代物さ」
「虹色に煌く、透明な魔石──?」
タケルは思わずガウリーに振り返った。その特徴に見覚えがあったからだ。ガウリーの持つ杖の先端に嵌めこまれた魔石──ハロディの言う特徴と一致する。
「…………言っとくが、俺のはクリスタルに四属性の魔石の要素を混ぜた人工物だ。プリズマリアの模倣品でしかねぇよ」
「──まあそれでも超高級品に変わりは無いけど、……そうだね、あんな感じの魔石を想像してくれたらいいと思う。──とはいえ僕も、見たことは無いんだけどね」
ガウリーがぶっきらぼうに疑問の視線を跳ね返す。ハロディは肩を竦めて苦笑し、ルジュに向き直った。タケルも居住まいを正し、それに倣う。
「で、その道標を奪ったから……ヴェルダ族の反感を買ったってこと?」
「……デルカは森を奪おうとしてた。だから、道標が必要だった。そのために……ドレンダーに騙し討ちを仕掛けたのさ」
ルジュの掠れた声には後悔や懺悔の他に、怒りが滲んでいるような気がして、タケルは眉根を寄せた。きっと、彼女がやったことではないのだろう。だが、間接的に関わったことで重い責任を感じているのだろう。
では、罪の精算をするなら? タケルは考える。和解しようとしていたのに、森を奪うために道標を奪った。──ならばそれを見つけて、返せばいいのではないか?
「じゃあ、その道標を探したらいいんじゃないか? それで、それを返して謝ったら……なんとか許してくれないか?」
タケルが訴え、カレンが大きく頷くも、大人たちの表情は硬いままだった。ルジュは吐息のような諦め切った笑いを零し、ハロディは眉間を押さえる。ヴァルターも難しい表情で口を引き結び、誰もすぐに賛同の意を示さない。ガウリーやアルトも黙して何も言わないままだ。
「だ、駄目なのか……?」
恐る恐る尋ねると、ハロディは哀しげに微笑んだ。
「奪った道標がどこにあるのか分からない。デルカに行ってみたら何か分かるのかもしれないけど、もぬけの空ならアルビオンに行ってデルカの人間を探す必要がある。──けど、そもそもの話……道標を取り戻したとして、それでヴェルダ族が人間との確執を緩める希望は限りなく薄い。ルジュの話が本当なら自治区は、和解を持ちかけておいて裏切ったんだからね」
「「──でも、……」」
タケルとカレンの声が重なり、二人は顔を見合わせる。譲り合うように一拍置いて、また同時に口を開く。
「……じゃあ、どうすれば……」
「……やってみないことには、わかりませんわ」
二人は再び顔を見合わせる。別の方法が無いかと言葉を漏らしたタケルに反して、カレンは強行突破の姿勢を見せた。同時に声をあげたのに正反対の言葉を発した二人に、大人たちは目を丸くした。
「……そうだ。まず、やってみないと」
タケルは咳払いをして訂正する。何事も、まずはやってみることだ。それをいつも忘れそうになり、カレンによって思い出させられる。ハロディが、ころっと持ち直したタケルに思わず笑いを漏らした。
「──って、子供たちは言ってるけど。ルジュ、どうする?」
「……いいよ。どのみち、デルカの話を聞いた時……見ておきたいと思ったんだ」
重い空気が一転し、次の目標が定まる。タケルとカレンは視線を交わすと、大きく頷き合った。
「さてと、じゃあ──明日に備えて夕食だ!」
ハロディが手を叩いて立ち上がる。窓の外はいつしか日が沈み、茜色と夜の色が混じり合った幻想的な空が窓枠の額縁に収まっていた。
「デルカとやらに向かうなら、道中に出現するモルの討伐依頼が出ていたぞ。ついでに倒せば稼ぎにもなるのではないか?」
「馬鹿が。野獣と違ってモルは倒せば跡形もなく消えるだろうが。どうやって自分が倒したって証明するんだ? 良いように言いくるめられて報酬なんか支払われねぇのがオチじゃねぇのか?」
「ム。……だが、モルの討伐は修行にもなるであろう。稼ぎが無くとも糧にはなる」
「じゃあてめぇが一人でやってろよ」
アルトの発言を切っ掛けに、もはや恒例となったガウリーとの言い合いが勃発する。やれやれと額を押さえるヴァルターや苦笑するハロディとルジュとは裏腹に、カレンは微笑ましいものを見るような表情でくすりと笑いを零す。
「お二人とも、討伐のお話を詰めるより、夕食のお店を決めませんか?」
二人の言い合いがぴたりと止まる。珍しくカレンが仲裁するように声を掛けたことが、あまりに意外だったらしい。揃って外方を向き合う二人に、タケルは溜め息を吐いた。
そして、一行はタケルたちが昼間に立ち寄った店に向かうことにした。ルナにも声を掛けたが断られた。とはいえ七人という人数が一度に店に入るとなればそれなりの広さが必要だ。すると、昼間の店が最適だという話になったのだ。
夜はまた雰囲気が変わり、テラス席は片付けられていた。日が沈むと冷え込みが増し、外だと特に冷えるからだろう。壁やテーブルのランタンと、暖炉のルビライトが灯る店内はぼんやりと明るく店内を照らしている。入ればすぐに冷えた指先の痺れが解けるほどにじんわりと暖かい。
店員は再び訪れた客がさらに仲間を引き連れてやってきたのを見て笑顔で歓迎し、暖炉前のテーブル席に案内する。いつものようにカウンター席に移動しようとしたアルトとガウリーだったが、そんな二人から珍しく素っ頓狂な声が上がった。
「なっ……お主……!」
「てめぇ……なんでここに──⁈」
不思議に思ったタケルたちが席に着きながらそちらを見やれば、アルトとガウリーは、カウンターの中央に座した人物を挟んで後ずさるように身を引いていた。
「……あら、こんなところでアンタたちと会うなんてね」
艶のある、値踏みするような声色。──聞き覚えがある。思わずテーブル席で、ルジュ以外の四人が顔を見合わせる。
その人物は被っていた外套のフードを外しながら、スツールの上でしなやかに体ごと振り返る。溢れるレトロブラウンの巻き髪、挑戦的なカーマインの瞳、ニヤリと弧を描く紅色の唇。──すれ違えば誰もが振り向くであろう、絶世の美貌。
「リ、リリー⁈」
ハロディからも間の抜けた声が上がる。そう、カウンター席に座り、一人酒を飲んでいた意外な人物は──紛れもなくロワーサイドの住人、木組みの宵灯亭の店員である、リリーであった。




