8-6 北の大地
ルジュとルナ──新たな二人を迎えたパーティの旅は、モルとの遭遇に阻まれながらも順調に進む。途中立ち寄ったリューデでは復興が進んでおり、一時的にアルマに避難していた住民も段階的に帰還していた。部屋の一部が燃やされた赤燈亭は修復中だったが、無事な部屋で営業を再開しており、カレンたちはそこで一泊することとなる。
大破した鍛冶屋──白鉄工房も、修復と営業を同時に行っていた。町民の活気に安堵と熱意を感じながら、一行は物資を揃えてひたすらに北方面へ。モル退治を依頼として受けながら路銀を稼ぎ、すれ違うキャラバン隊と資材や食料を売買し合う。もはや単独で街道を歩く者はほとんどいない。モルとの戦闘を考慮して数名かそれ以上の隊列が多く、それでも異形に苦戦しながら旅路を進んでいる。不可解なことは多いが、人々の順応は早い。異変は確実に日常と化しつつあった。
旅の途中、ルナはモルへの熱量を失わずひたすら手帳にメモを書き連ね、怪しげな薬品で戦闘の手助けをした。ルジュも恵まれた体格と力で馬車の防衛に徹し、前に出るタケルやアルト、ガウリーを間接的に援護した。
ルジュはまた、野営時に多彩な手料理を披露して仲間の旅の疲れを癒した。彼女の作る料理は少ない材料や保存食でも決して簡易的ではなく、体力の回復に大いに貢献した。温かいスープは冷えた体と精神を癒し、魚や干し肉を使った主菜は旅で消耗した体力を取り戻してくれる。もちろん、鳥や獣を食べられないタケルや、草しか食わないと宣言しているルナにも専用のものを用意している。それでもその効果は変わらなかった。
平原を抜け、関所を通過する。門番からは、大穴の異変はあれ以来無く、森は静かだがモルの出現は絶えないという話を聞いた。修復はほとんど済んでいたが兵士は増やされ、定期的に周辺の見廻りをしているようだ。相変わらず大穴に近付けるのは翠誓法衣騎士団のみで、森には騎士団用の駐屯地も設営されているらしい。だが、現状モルの出現以外で目立ったことは起きていないとのことだった。
そして夜営を挟みながら森や山地を越え、途中の村や集落で物資を調達しながら一行は再びアンスール付近へと到着する。前回は巨大なモルの出現もあって兵士と共に一気に駆け抜けた道程だったが、今回は馬を走らせないゆったりとした旅路だ。改めて見ればアンスールの地形は実に奇妙で幻想的であり、タケルは再びその不可思議な山の形に圧倒された。
アルシオン王の通行証を利用してアンスールの街の中までは入ったが、兵士たちのタケルを見る目は複雑なものだった。アンスールではオルヴェイン王が勇者を”災厄の招来者”としている。具体的にどう扱われるかは不明だが、タケルたちの素性を知る兵士たちは上層部との間で板挟み状態のようだった。それには、常備兵団長であるシャイネンの意思が影響しているのだろう。タケルさえ着物や袴という服装を変えてしまえば、街の中では旅人して出歩くことができた。──約一名、ガウリーだけは相変わらず街に入ろうとせず、足早に地下の下層区であるリムへと向かったが。
リムのパゴニの元へも立ち寄り、ネリから預かっていた手紙を渡して近況報告を行った。パゴニは微笑んだがどこか寂しそうでもあり、二人が離れて暮らさなければならない状況に歯痒さは拭えない。
「……あの子が元気でやれてるなら、いいんだ。──こっちも、あれから襲撃はパッタリ無くなったしね」
ネリが怪しい連中に狙われていた事により、パゴニの酒場は攻撃を受けていた。酒場はリムの中で唯一、街の支援物資が集まる場所だ。ここがリムの最後の砦であり、無くなれば地下は本当の混沌に包まれるだろう。タケルたちはパゴニの言葉を受け、ただ相槌を打つほか手立てが無かった。
一泊した後、そそくさとアンスールを出た一行は、さらに北を目指して進んだ。タケルはもちろん、カレンやヴァルターにとっても未踏の地だ。暖かかった空気はだんだんと冷えていき、遠くには霞がかった巨大な山脈が姿を現し始める。雲がかかって不鮮明ではあったが、山脈の尾根は銀色のヴェールを被っていた。街道が高地へ差し掛かるにつれ、山脈の前に広がる森も一望することが出来るようになった。ハロディの話によれば、その海のように広大な森こそ、”闇路の森”と称されるエオローの森だ。その目前には、転々と街のような影も見える。ようやく目的の場所が視界に入ると、タケルとカレンは顔を見合わせた。広大な景色と、長旅の果てに見えたその光景に、最年少の二人は胸を躍らせていた。
──そして、ファーブラー自治区到着を目前に控えた夜。山地の集落に立ち寄ったタケルたちは、民家の好意で風呂を借りると、周辺の空き地を借りて野営の準備をした。その頃にはすっかり外での寝泊まりも慣れ、各々が自然と決まった役割をこなしていく。
ハロディは集落にて情報を集め、ヴァルターは荷の確認を行う。アルトは周辺の見回りを行い、ガウリーは魔法で結界を構築する。カレンは近頃、ルジュの料理の手伝いを率先して行い手ほどきを受けている。ルナはその間、研究室から持ち出した器具を用いて薬品の調合に没頭する。タケルは集落の人々に分けてもらった食料や薪を野営に持ち込むと、ルビライトを用いて薪に火を焼べた。欠片を棒でかき混ぜると火が出る現象をタケルは気に入っていて、鍋を吊るす土台の設置まではもうお手の物だった。
「いやぁしかし、街道とはいえ高地はキツいねぇ」
焚き火を囲み、食事をするなかでハロディが愚痴を溢す。移動は馬車なので最も重労働なのは馬車を引く馬であるハヤテだが、御者台はヴァルターとの交代制だ。しかも道中でモルと遭遇すればハロディは戦闘に回る。彼は先頭に立つ戦法は滅多に行わないが、魔法でモルを撹乱したり、怪我の回復をしたりとよく援護に回っていた。見た目によらず年長者ということもあり、野営が続くと体に堪えるらしい。
「じゃからワシの特性回復薬を使えとあれほど言うたではないか!」
「……お前の気つけ薬には必ず変な副作用があるじゃないか。まったく……効果は抜群でも、あれだと相殺されちゃうよ」
タケルは、道中で傷を負った時のことを思い出した。あれは、高地で遭遇した鳥のモルの攻撃だった。自らの羽をいくつも針のように飛ばし、回避したもののそのいくつかが腕や肩に刺さったのだ。あの時、魔法で回復しようとしたハロディを遮って、ルナはある薬をタケルの前に掲げたのだ。
「魔法で塞げる傷は表面だけじゃ! あとは本人の治癒能力に懸かっておる。 じゃがワシの回復薬を使えばそんな傷、跡形もなく立ちどころに消えてしまうぞい! ──どうじゃ、試してみるか?」
それまで援護が中心だったタケルは、初めて受けた大きな傷の痛みに負けてルナの申し出を受け入れた。──そして、半分後悔した。確かに痛みは瞬時に治まり傷も塞がったが、代わりにとてつもない酩酊状態が襲ったのだ。おかげでタケルはしばらく馬車の中で迫り来る吐き気と闘う羽目になった。”良薬口に苦し”とは言うが、あれでは苦いどころの話ではない。
「普段ぐうたらしとるお前が、戦いに魔法を使えば大いに消耗するというものじゃ。魔力が高いわけでもあるまいに」
「……お前は普段地下に篭ってるくせに、よく元気でいられるなぁ。──これも若さゆえなのか?」
ルナの発言に、記憶を辿っていたタケルの意識が戻る。ルナは皿に盛られた葉物野菜をちまちまとフォークで突きながら肩を揺らして笑ったが、ハロディは反論するのも疲れるからか、肩を竦めるだけだ。そんな光景を眺めていると、タケルの頭にある疑問が浮かんだ。
「──魔法って、疲れるのか?」
タケルがこれまでに見た魔法は、ほとんどがガウリーによるものだ。彼は凄まじい魔法を、まるで無尽蔵のように使っている。その姿を見てきただけに、ルナの発言が意外だったのだ。
「そうじゃぞ! 体内に流れる魔力は第二の血流じゃ! 血を失えば意識を失い、やがて死に至るように──魔力も許容量を越えて使用すればエーテルが乱れ、死に至るんじゃ」
「”えーてる”?」
「エーテルっていうのは、魔脈。つまり、魔力の流れのことだね。君はほとんどガウリーの魔法しか見てないから不思議に思うのかもしれないけど、言っておくと、ガウリーの魔力の方が例外なんだからね。僕は至って普通。いや、魔法なんてほとんど使われなくなった今の時代で、魔法が使えるってだけで普通以上かもしれない」
首を傾げたタケルに答えたのはハロディだ。ルナの長引きがちな説明を断ち切るためか、はたまた自分の矜持を守るためか──言い聞かせるようにタケルに向かってフォークの先を向ける。それをルジュが軽く嗜めて笑った。
「──しかし、本当に外は変わっちまったんだねぇ。見たこともない異形がそこら中にいて、人を襲ってくるだなんてさ。アルマの外壁に守られてると、すぐ外で起こってることも噂で聞く程度だし……正直驚いたよ」
「そうですわね。安全な場所にいると……危険とは離れて暮らすことになります。外に出て実際の現実を目にするまで、もしかしたら一生無縁でいられるかもしれません。ですが、それもまた危険であると言えるのかもしれません」
しみじみと吐露したルジュに、カレンが相槌を打つ。いつも穏やかな微笑みがどこか硬い。タケルはそんな彼女が気がかりにも思ったが、誤魔化すように皿を持ち上げ、野菜のスープを飲み込んだ。
「けど、こうして旅を続けてると慣れてくるもんだね。異変の謎もあるし、タケル君の謎もあるけど……ひとまずこうして野営を敷いて、飯が食えてるわけだし」
ハロディが溜息混じりに笑う。そして、崖の下に見える小さな街の明かりを振り返った。
「──明日はいよいよファーブラー自治区だ。ここから一番近いのは、べスカって街だね。自治区の玄関口みたいな場所だったはず。自治区にはあと二つ街があって、べスカから北に向かって、トルカ、デルカと続いてる。まずはベスカに立ち寄ることになるけど……ルジュ、それでいいんだよね?」
「──……ああ、いいよ」
ルジュは遠い街の明かりに目を細めながら、小さく返事をした。焚き火の光がその頬に揺れ、表情を曖昧にする。朗らかな声には吐息が混じり、どこか気落ちした様子にも見えた。タケルがふと視線を感じてそちらを見ると、カレンと目が合う。彼女が首を横に振るので、タケルは開きかけた口を噤んだ。
「──今夜の見張りはどのような順にする」
すると、幌の上で食事をしていたアルトが空の皿とスプーンを携えて飛び降りた。降り立った先では、馬車の車輪に胡座をかいたまま寄り掛かったガウリーが、同じく空の皿を抱えたまま大欠伸をしている。談笑しながら食事をしているうちに、夜も更け始めたようだ。
「今晩はウチが引き受けるよ。明日は朝から、馬車で休ませてくれたらいいからさ」
いつもは交代制の見張り役を、ルジュは一人で買って出た。タケルやアルトは律儀に順番を決めようとしたが、それも静かに断ってしまう。
「下山は大変なんだから、戦える人間はしっかり休みな。街まではあとひと息なんだしね」
ルジュは頑なだった。最終的にハロディがルジュの意見を汲もうと言ってその場を取り成し、片付けをした後休む準備に入る。ルジュは火の番をしながら、ずっと横目に自治区の方を見下ろしていた。
深夜、幌の上に寝そべっていたタケルは、火の弾ける音を聞いた気がしてふと目蓋を開いた。目前には美しい星の海が広がっている。地上よりも鮮明な星空には、帯のような虹色の靄も見える。あまりの美しさに目を奪われたが、ハッとして身を起こす。隣ではアルトが静かに座禅を組んでいた。彼女はこれでも眠っているらしい。──本人曰く、だが。
馬車の中はカレンとヴァルター、ハロディとルナが雑魚寝しているため、長身のガウリーは近場の木に寄りかかって毛布を被っている。本人的にもその方が気が楽らしく、彼は決まって野営の際は外で休んでいる。ハヤテも静かに眠るなか、タケルは衣擦れの音にも気遣いながら毛布を丸めて抱え込み、そっと幌から飛び降りた。
焚き火の火は絶えていなかったが、見張り役のルジュはその場には居なかった。焦って辺りに視線を走らせるがそれも一瞬で、崖の際に座り込んでいる背中をすぐに発見する。タケルは忍び足で近寄ると、一人分空けた隣にそっと腰を下ろし、毛布を被った。
「──おや、眠れないのかい? お茶でも淹れようか」
タケルの気配を分かっていたのか、ルジュが囁く。タケルは首を横に振り、こちらを見下ろすブラウンの瞳を見上げた。
「ルジュこそ」
そう言うと、ルジュは苦笑を漏らして肩を竦める。肩から掛けた毛布が冷気を帯びた風を受けて小さくはためいた。タケルは身震いしたが、ルジュは慣れているかのように動じない。その瞳は、遠い景色の先を見ていた。
「……そうだね。緊張してるよ、柄にもなく……ね」
「──本当は、来たくなかった?」
意を決してタケルが聞けば、ルジュはすぐに首を横に振った。
「いつか戻らなきゃとは思ってた。……でも、自分で思ってたよりも、時間が経つのが早かったみたいでね。気づいたらずっと、目を逸らしてたんだ。──だから、ついに……その時が来たのかって感じだね。いい機会だったから、坊やが気にすることはないよ」
静かな声が、夜の帳を小さく揺らす。彼女がどんな秘密を知っているのかは分からない。だが少なくとも、タケルは自分のためにその硬い扉をこじ開けるのを心苦しく感じていた。誰しも、触れられたくない部分はある。もちろん、自分にもだ。──だからこそ。
タケルがその先の言葉を考えあぐねいていると、ルジュが小さく肩を揺らして笑った。
「あんたらには、もったいぶったような事してすまないと思ってんだ。──でも、自治区が今どうなってんのか見るまでは、どうしても、踏ん切りがつかなくてさ。……情けない話だけど」
「そんな事ねぇよ」
タケルは真っ直ぐな眼差しをルジュに向けた。夜色の瞳に、ルジュの意識が吸い込まれる。それほどに明確な否定だった。
「俺も、……突然こっちに来て、訳わかんなくて、随分悩んだんだ。でも、俺の他にも悩んでる奴はいっぱいいたし、今ここにいるみんなが色々助けてくれてるし……ずっと考え込んでてもしょうがないなって思えたんだ。だから、ルジュが何か悩んでることあるなら俺も助けたいって思うし、みんなも同じ気持ちだと思う」
ルジュは一瞬眉根を寄せ、慌てて視線を景色に戻した。乾いた笑いに、毛布越しの肩が震える。草木の音が沈黙を拐うと、ルジュは大きく息を吐いた。
「ありがとね。──さ、もう寝な。寝つきがよくなるハーブティでも淹れてやるからさ」
そう言って焚き火へと戻っていくルジュの背中は、それでも孤独を纏っているように見えた。タケルは慌てて立ち上がると、背後の崖下に見える街の明かりを見下ろす。あの街で何が起こったのかが判明し、ヴェルダ族の存在に届いたら。──もしかしたら全てが解決し、故郷に戻れるかもしれない。
想像すれば、喜びと寂しさと恐れが同時に脳を過ぎる。タケルは振り切るように踵を返すと、ルジュの待つ焚き火へと駆け寄った。
明朝、集落の人々に別れを告げて街道へ戻り、下山を開始する。坂は緩やかだが山道は狭く、戦闘には難を要する。タケルたちは、道中襲い来るモルを時折崖下に落としながら早々に山道を抜けた。再び平地に到着し、林を避けるように曲がりくねる道を進み、大きな湖を越え──とうとう、視界の先に街の外壁が見え始める。御者台のハロディが背後に向かって大きく声を掛けた。
「みんな、ベスカが見えてきたよ!」
「まあ、あれが──」
「やっとか、長かった……」
御者台の脇からカレンとヴァルターが顔を覗かせ、そんな二人の背中を馬車の中のルジュが苦笑混じりに見やる。ルナは街には興味が無いようで、反応は無い。幌の上に座したアルトが片目を開き、前方を確認する。馬車の脇を歩いていたガウリーは静かに前を見据え、反対側のタケルは額に手を翳し、歩きながら背伸びをする。
「つまり、この辺はもうファーブラー自治区ってわけだ。みんな、ひとまずここまでお疲れ様」
ハロディの言葉にハヤテが嘶く。街道はもう、真っ直ぐに街へと伸びていた。石の外壁とアーチがだんだんと近付き、家並みの屋根が鮮明さを増していく。思惑はあれど、新しい街に到着すれば不思議と高揚感が生まれてくる。
タケルはそれを落ち着けるように胸を押さえ、大きく深呼吸をした。




