8-2 彼の地への扉
昼食後、夕刻までの時間を各々過ごした六人は、ロワーサイドにあるハロディのアパート前に集合した。タケルは自由時間で消費した矢を補給するため、カレンとヴァルターと共に武器店へ向かい、無事にコンポジットボウの矢は手に入れた。武器店の店主が、モル退治の礼にと無料提供を申し出てくれ、タケルたちは甘んじてそれを受けることにした。「今回ばかりは、受け取れるものは受け取るべきだ」というヴァルターの意見があったからだ。
街の人々は奮闘した騎士や兵士、銀朱の群鳥への感謝も忘れなかったが、とりわけ勇者と噂された異国の少年には多大なサービス精神を見せた。タケルはそれを気恥ずかしく感じ、はじめは尻込みしていたが、次第に慣れて好意を受けた。まるで近所の子供と話すかのように接してくれるアルマの人々。タケルはそれに、少なからず喜びを覚えていた。
「タケル様、わたくしは伝承の勇者様に憧れを抱いておりましたが……もしその勇者様がタケル様のような方であったらと思ってしまいました。──お許しくださいね」
カレンはロワーサイドへ向かう途中、そんなことを言ってはにかんだ。自分が”勇者”と称されることに苦痛を感じていたタケルは、そんなカレンの言葉にほのかに頬を赤らめる。カレンから贈られる賛辞は、不思議とタケルの心を擽った。
「よう、坊主! それとやんごとなきお嬢様とその付き人の方。いやぁ、昨夜の噴水広場での一撃、遠くからだが見せてもらったぜ! まさかあんなでっかい異形を倒しちまうなんて、お前って実はすごい奴だったんだなあ。ハハハ!」
ロワーサイドの門番であるバイロンも、快く鉄扉の鍵を解錠して三人をロワーサイドへ通してくれた。もともとお調子者の面しか見せていなかった彼の言葉は揶揄にも聞こえたが、豪快にタケルの肩を叩き、大口を開けて笑う様子は素直な反応だろう。苦笑しながら礼を返すタケルの背後でカレンがにこにこと笑顔を見せ、ヴァルターは溜息を吐いていた。
ともあれ、茜色の空の下、薄暗いロワーサイドの狭い道を六人は進む。道中、怪しげな人間からですら「お手柄だったみてぇじゃねぇか」「その調子で、アンスールを異変から救ってくれよ坊主!」などと揶揄うような声が飛ぶ。閉口したタケルの代わりにハロディがすげなくあしらったが、彼が言うには「ロワーサイドなりの賛辞」らしい。物騒でしかなかったアンスールのリムと違い、アルマのロワーサイドは、ラ・カーヴァに統制されているからか人々が気さくだ。タケルは複雑な思いを抱きながらも、自分がこの世界に慣れつつあることに喜びと焦燥を感じた。
「あら、いらっしゃいハロ。昨日は後ろの坊やがご活躍だったようじゃない?」
木組の宵灯亭に着くと、準備中のリリーが不敵な笑みで彼らを迎えた。カウンターの中で同じように準備していたネリも、「タケル、凄かった、聞いた。見たかった」と微笑む。「そんな、大したことじゃないよ」と頭を掻くタケルの傍で、ハロディは含み笑いを浮かべた。
「功労者のタケル君に、何かサービスでもしてやったら? 例えば報酬とか」
「そうねぇ……アタシ個人の依頼だったら、そうするかもね」
リリーは片目を閉じて肩を竦め、ハロディの提案を躱す。彼女はどんな時でもブレないらしい。
「レオならもう上で待ってるわよ」
そう言ってさっさと一行を上階へと促し、自分の仕事へ戻っていく。タケルたちは顔を見合わせると、ハロディを先頭にカウンターの奥から上階へと向かった。
何度か訪れた奥の部屋の扉を叩くと、中からレオの声が返ってくる。扉を開けて中へ入ると、円卓の奥の席にふんぞり返り、足を組んで座るレオの姿があった。初めて会った時の緊張感や圧迫感は無く、そこに居るのは不敵に微笑む手強そうな青年だ。失ったはずのワインレッドのシャツや黒いコートを羽織っているところを見ると、同じような服を何着か持っているらしい。六人は以前のようにそれぞれ円卓に着いた。アルトとガウリーは相変わらず、扉を挟んで壁に寄りかかる。
「ご足労願って悪いな。──改めて礼を言う。今回のことは、助かった」
不遜な態度ながら、レオの声は真摯だった。片眉と片方の口角を上げて笑う姿が彼の得体の知れなさを助長する。それが演技なのか本来の性格なのかは不明だが、以前なら緊張に固唾を飲んでいただろうタケルも、今回は彼から滲む誠実さを読み取っていた。
「とんでもございませんわ。差し出がましい行いをいたしましたが、ともかく、お二人の想いが通じて良かったと素直に嬉しく思います」
「……まったくだ。俺はお嬢ちゃんの言葉に乗せられて、命を落とす覚悟すらあったってのに」
両手を合わせて微笑むカレンに、レオはそう言って苦笑した。そのままヴァルターに試すような視線を投げるが、ヴァルターは目を閉じたままそれを受け流す。レオは肩を竦めると、懐から厚みのある封筒を取り出して円卓にそっと乗せた。
「これは、少ないが俺の気持ちだ。受け取ってくれ」
封筒がカレンに向けて差し出される。その時、突然部屋の扉が開かれた。
「ハロがサービスしろって言うから、一人一杯ずつ用意してあげたわよ」
トレーを片手に入室したのはリリーだ。女性に苦手意識を持つアルトが素早く後退り、ガウリーが盛大に顔を顰めて舌打ちする。円卓では不思議そうに振り返ったタケルとカレンの傍で、ハロディがぎくりと口元を歪ませた。
「や、やあリリー。あれはホラ、単なる冗談だろう?」
そう言って円卓の上に置かれた封筒をさっと手に取って懐に隠す。リリーは気にせず円卓にトレーの上のものを並べ始めた。
「坊やとお嬢ちゃんは、まだお酒は早いでしょうから紅茶ね。従者のお兄さんには貴族の間でも飲まれてる高級酒を用意したわ。──ハロとガウリーにはヴェール。アルトちゃんは下戸だし、前に好きだって言ってた東方のお茶」
説明を加えながらガウリーやアルトに飲み物を押し付け、円卓を回り、それぞれの目の前にカップやグラスを並べていく。宵灯亭の雰囲気にはそぐわない繊細な食器をタケルがまじまじと見下ろしていると、「あっ」とハロディの声が響いた。顔を上げると、ハロディが懐に隠した封筒を指先に摘み、含み笑いを浮かべるリリーの姿が目に入る。タケルやカレン、ヴァルターが目を丸くしていると、レオが小さく溜息を吐いた。
「リリー、お前にはもう渡しただろ」
「あら、あれは前金でしょ? それに、彼らの報酬はアタシからの情報なんだから。追加報酬があるならそれは、アタシの取り分じゃなくて?」
得意げに微笑んで封筒をシャツの胸元に押し込むリリー。レオでさえ眉を顰める所行に、ハロディがやれやれと首を振る。どうやら早々に諦めているらしい。
「ったく、コイツは……」
「……さすがはリリー。金の匂いには敏感だ」
レオとハロディが口々に呟く。呆けた表情で様子を見ていたタケルとカレンの間でヴァルターが物言いたげな視線を向けたが、リリーはどこ吹く風である。ヴァルターは久々に眼鏡を直そうとして眼鏡が無いことに気づき、眉間を押さえた。
「──というわけで、アタシからの報酬を渡すわね。……確か、ファーブラー自治区出身者の情報だったわよね?」
誰も反論出来ない謎の空気の中、リリーだけが平然と話を進める。微妙な雰囲気漂う室内で、タケルとカレンだけが素直に期待の視線を向けた。
「その人物なら、三つ星亭にいるわ」
その言葉に、タケルとカレンは顔を見合わせた。ヴァルターとハロディも目を見開く。ガウリーとアルトはそれぞれ、意外な情報に視線を上げた。
「──三つ星亭に?」
タケルは思わず問いかけた。リリーは空になったトレーを持ったまま器用に腕を組むと、口角を持ち上げた。
「そうよ。名前はルジュ・アペリ。ペールの下で料理人を担当してる人物よ。”料理が不味い”って不評だった三星亭の救世主だけど、デザート作りだけには独特のセンスを見せる、長身で朗らかな女性」
現在進行形で世話になっている宿の従業員だ。あまりにも意外性のある返答に、タケルはぽかんと口を開けたまま放心する。
「そ、そうだったのですね……。では、お伺いしていればお答えして頂けたのでしょうか?」
カレンが誰ともなく独りごちる。だがそれにリリーは答えを返した。
「それは無理だったでしょうね。ファーブラー自治区の人間の多くは、自分が出身者だってことを隠したがるの。だから、アナタたちがこれからしなくちゃならないのは──彼女の説得ね」
「大方の情報はお聞きしたと思うのですが、なぜ隠したがるのでしょう?」
「それは、追加料金をいただけるなら教えてあげるけど?」
自然なカレンの問いかけに取引を持ちかけるリリー。きょとんとするカレンの傍で、ヴァルターが「結構」と即答する。するとリリーは「残念」と、言葉とは裏腹な表情を浮かべた。
「まぁ……その辺は、本人に聞いたほうがいいかもね。──追加の情報量に関わらず」
ハロディは溜息混じりにそう言った。タケルやカレン、ヴァルターは顔を見合わせる。確かに、もし特殊な事情があるのならば、それも一理ある。三人は意思疎通を図ったかのように頷き合った。
「……あんたら、ファーブラー自治区へ行きたいのか」
「まあね。ファーブラー自治区っていうよりも、その先にあるエオローの森や、イルダリアが目標なんだけど」
蚊帳の外だったレオがそう尋ね、ハロディが頷く。するとレオは顎を摩って逡巡した。
「──成程な。いや、下層にもファーブラー自治区から来たって奴はいるんだが、奴ら自治区のことは何も語らねぇっていうか、知らねぇようだったから……ペールん所の奴も同じなんじゃねぇかって思ったんだが」
「あのね、いくらアタシが狡猾だからって、情報に関して疑ってくれちゃ困るわ。彼女ならちゃあんと、アナタたちに有益な情報を持ってるはずよ」
リリーはそう言うと、「食器はそのままでいいわよ」と言い残して颯爽と退出した。室内に嵐の後の静けさが漂う。
「──……何だか悪いな。ウチの従業員が」
「まったくだよ。君、ラ・カーヴァの幹部なんだよね?」
「返す言葉も無い。……だがこればっかりは、どうしようもなくてな」
沈黙を破ったレオがハロディに言及され、仕方なさそうに笑う。謎の緊張感に包まれていたタケルは、安堵するように深呼吸をした。
「……じゃあ、宿に戻って話聞いてみるか?」
タケルの問いかけにカレンが頷く。そうして一行はレオに別れを告げ、リリーの視線から逃げるようにして宵灯亭を後にした。
夜。説得のために何人も押しかけるのは圧でしかないと話し合い、ハロディだけがタケルたちに同行して三つ星亭に戻る。いつものように笑顔で迎えてくれるルジュから夕食の申し出があり、それを断ってまで話を切り出すことが出来ずに了承する。
「一日一食までのサービスだけど、昨日は大健闘みたいだったし、昼の分もお代は取らないよ!」
ルジュはそう言って満面の笑みで四人を迎え、テーブルに着かせると食前の茶を用意した。程なくしてカウンター内のキッチンから、鼻歌混じりに料理する音が聞こえ始める。これまで得た情報からも、ファーブラー自治区の事を切り出すのには少なからず壁があることは確かだ。四人は漂う気まずさに口数少なく、うわべのような世間話をして料理を待った。
「……誰から切り出す?」
「そりゃもちろん、アンスールの人間である僕から言った方がいいんだろうけど……」
「そもそもの話、この店の救世主とも言われている料理人を、我々の旅に同行させることは可能なのか?」
「そうですわね……。ペール様お一人でお店を運営しなければならないとなると、心苦しさも拭えませんわ」
痺れを切らしたタケルが声を潜め、眉根を寄せたハロディが顔を寄せて答える。腕を組んだヴァルターも同じようにして問いかけ、カレンは眉尻を下げる。そして四人は同時に唸る。
ファーブラー自治区の事を聞き出すのもそうだが、同行させるとなるとさらなる障害が発生する。そもそも情報を得られるだけで解決が望める問題ならいいのだが、異種族との諍いの調和を図るなら、当事者がいた方が話が早い。タケルたちは黙り込むと、それぞれ思案顔で頭を捻った。
その時だった。奥から扉の開閉音と共に硬い足音が響いた。ペールが来たのかと思ってカウンターの奥に振り返ったタケルたちだったが、意外な人物の登場に揃って目を見開いた。
「──よ」
平然と片手を上げて軽い挨拶をしたのは、セントラル市民に扮したレオだった。ベージュのシャツにゆったりとしたホーズ、革のブーツ。背後に流していた金髪を無理矢理リボンでひとつに纏め、ベルトにはポーチを下げている。四人は瞬時に、それが”アッシュ”の変装なのだと悟る。
「レオ⁈ 君、まさか……」
「ペールは俺らの得意先だからな。詳しい話は出来ねぇが、裏口使わせてもらってんだ」
タケルは唐突に、数日前の夜のことを思い出した。眠れず、水を貰おうと夜キッチンに下りた時、謎の人物がペールとやり取りをしていたことを。階段の途中で身を潜めていたので姿までは見えなかったが、その時の声とレオの声が合致する。タケルは思わず小さく声を上げた。
確かにアリアベルと会う作戦を決行した時、夜中とはいえレオは難なく集合場所であったこの場所に訪れた。タケルたちの居ない隙に、裏口を通ってロワーサイドの鉄扉をやり過ごしたということだ。
「僕はてっきり、壁でも登ったのかと思ったけど……」
「お前にしちゃ浅はかだなハロディ。この安宿がこれで営業できてんのはラ・カーヴァとの繋がりがあるからだってのは薄々知ってんだろ? なら情報だけじゃなく、裏口まで融通利かせてんのぐらい分かると思うがな?」
裏口まで使わせるのは幹部だけと付け加え、レオは不遜な笑みを浮かべた。ハロディが呆れたように肩を竦める。
「当たり前だが、口外は禁止だ。俺にナイフの誓いを立たせんなよ?」
「……勝手に押し掛けておいて何を言う。一体何の用だ?」
ポーチの脇に下げていた革の鞘からナイフを取り出し、店の明かりを刃にチラつかせるレオ。そんな彼に眉を顰め、ヴァルターが苦言を呈する。するとレオはナイフを戻し、代わりにポーチから小袋を取り出した。
「さっきリリーに渡したのはフェイクだよ。アイツの思い通りにされちゃ、お互いに困るだろ?」
テーブルに小袋が置かれると、重みある音が鳴る。目の前に置かれたそれを見下ろすタケルにレオが「開けろ」と言わんばかりに目配せし、顎をしゃくる。タケルはおずおずと袋を手に取ると、ゆっくりと紐を解いて中を覗き込んだ。
「──あ! これ……」
「ヴァルクは少ねぇが、鉱石で色を付けといた。俺がコツコツ集めてたオーカーンや貴重なルミナイトもあるぜ。何に使ってもいいが、売ったら結構な金になるはずだ。──今は異変の影響で、鉱石は貴重品だしな」
琥珀色に発光するようなオーカーンや、煌く透明な鉱石、ルミナイト。その脇には無理やり二つ折りに束ねられたヴァルク紙幣が突っ込まれている。まるで、宝のような中身の小袋だ。
「ナイスだ、レオ! まさかリリーも、こんなところまで匂いを嗅ぎつけては来れないだろうからね」
「ま、あいつも大方の予想はつけてるだろうがな。さっきの追加報酬だけでも元々の報酬額より高いわけだから、ひとまずそれでいいってところなんだろうよ」
ハロディは手を叩いて喜んだが、レオは冷静に答えると苦笑した。彼がこうまでしてリリーを自由にしているのは少し謎だったが、二人の間には長い付き合いがあるようだ。タケルは袋を閉じると、カレンに手渡した。
「レオ様、お心遣い、感謝いたしますわ」
「──素直に受け取ってくれてありがとよ。ひとまず借りは返したぜ?」
「ええ、ありがとうございます。わたくしたちも、旅や今後の資金が必要な身ですから」
カレンの言葉にレオは目を瞠り、小さく笑いを漏らした。世間知らずのお嬢様だと言ったが、それに反して実に強かだ。
「おや、レオ。そんな格好でどうしたんだい? あんたも夕飯に預かろうって?」
ちょうど料理を作り終えたルジュがカウンターから声をかける。大きなトレーに乗せられた皿を運びながらテーブルに歩み寄ってきた彼女に、レオは首を振って返した。
「いや、俺は街を一回りしてすぐ戻るつもりだ。お気遣いありがとよ」
片手を振り、颯爽と店を出ていくレオをタケルたちは見送る。彼はこれから”アッシュ”として振る舞い、街の様子を見て回るのだろう。──アリアベルのためではなく、ロワーサイドのために。
レオが去ると、タケルたちはひとまず食事を取ることにした。嬉しい想定外があったことで少し会話が弾み、昨夜の出来事や街の話などをしながら皿に盛られた料理を口にする。ルジュの料理は相変わらず、温かみのある家庭料理だ。タケルが肉を食せないことにもすっかり慣れ、野菜や魚料理もふんだんに用意されている。カトラリーに慣れ始めたタケルはそれらの料理を自分の皿へと盛り付けながら、横目にカウンター内のルジュを見つめた。
料理中と同じように鼻歌を歌いながら洗い物をするルジュは、いつも通り楽し気だ。すると、彼女にとって切り出されたくないのであろう話を、これから振らなくてはならないことが心苦しくなる。料理の味がしなくなったような気がして、タケルは盛り付けたものを頬張った。
食事が終わり、ルジュが皿を下げにやって来る。「いい食べっぷりだったね!」と笑う姿に、余人が顔を見合わせる。思案顔となったカレンとヴァルター、困り切って眉根を寄せるタケル。そんな三人を見やったハロディは、意を決したように小さく息を吐くと、トレーに空いた皿を乗せていくルジュに向き直った。
「──ルジュ、ちょっといいかい?」
「ん? おかわりが欲しいって?」
「……いや、そうじゃないんだ」
作業しながら、笑いを含んだ声で答えるルジュ。しかし、かしこまったハロディの声に手を止めると、作業から目を離して彼の顔を見下ろした。
「じゃあ、何だい?」
微笑みを湛えながら、小首を傾げる。ハロディは一度視線を逸らすと、テーブルに両肘をついて上目遣いに彼女を見上げた。
「……僕らを、助けてほしい」
「……助ける? いいけど……どんな助けが必要なんだい?」
「僕ら、これからイルダリアへ行こうとしてるんだけど、そのためにはファーブラー自治区へ立ち寄る必要があるんだ」
ルジュの笑顔が消えた。その反応が、本当に触れられたくないということを物語っていて、タケルたちにも緊張が走る。時間が止まったような沈黙で、ハロディは続けた。
「君が、ファーブラー自治区の人間だって情報を貰った。エオローの森を切り開くには、事情を知る人間の協力が必要なんだ。──僕らの話、聞いてもらえるかい?」
努めて柔らかい声でハロディは問い掛ける。いつも朗らかに笑って応えてくれるルジュは、それでも口を噤んだまま固まっている。タケルはその横顔を見上げながら、初めて見る彼女の顰め顔に申し訳なさを覚える。だが、故郷に帰るために後には引けないのも事実だ。その間で想いが揺れる。
素朴で温かい三つ星亭に、寒空のような緊張感が張り詰めた。




