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WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第七章 想いの証

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7-11 想いの証


 それは、遠くから聞こえる低い鐘の音にも似た音だった。タケルたちは部屋の中で耳をそば立て、互いに視線を交わす。何度か夜を過ごしたタケルたちだけでなく、アルマの住人であるハロディたちにも耳覚えがないようだ。ハロディは怪訝そうに窓辺に近づくと枠に手をついて身を乗り出した。


「……門の方が騒がしいな」


 ハロディの視線の先にはセントラルの門がある。ハイフォールドの隔壁に阻まれて見えないが、音の方向は見当がつくようだ。


「リューデ方面か?」

「……多分、そうだね」

「では、ペール様の宿の近くですわね」


 ヴァルターとカレンが目を見合わせる。その間も鈍い音が風に乗って不規則に届く。気遣わしげな表情のカレンがハロディの元へ向かい、同じように窓から顔を覗かせた。室内よりもわずかに鮮明な音が彼女の耳に不穏を囁く。


「──そういえば、事情を聞くとか言ってた兵士が来ないね。……外で何かあったのか?」


 ハロディは部屋のドアを見やりながら顎を摘んだ。確かに廊下はあれ以来静けさを取り戻している。同じようにドアを振り返ったタケルはハロディに向き直ると、胸に手を当てた。


「ここが大丈夫そうなら、俺が見てくるよ」

「……そうだね。外で上手くアルトと合流できればいいけど……。僕とガウリーは一度ユージー卿の様子を見に行くよ。神父にも事情を話しておく。多分医師は、はじめにまず向こうを診るだろうから……診察が終わったらこっちにも来るように伝えておくよ」


 タケルの申し出に頷き、ハロディはガウリーに告げるように視線を向けてからアリアベルに語りかけた。アリアベルが頷く。ガウリーは面倒そうに眉間を寄せたが反論はなかった。異常が消え去ったとはいえ、セドリックが再び暴れないとも限らない。ガウリーはその保険なのだろう。


「確認だけど、ユージー卿は話し合いの最中に突然ああなったってことでいいんだよね?」

「うん。なんか急に具合悪そうになって、暴れ出した。黒い靄みたいなのが体から出てて……」


 ハロディはガウリーに合図を送り、窓枠から離れながらタケルに尋ねた。タケルからの返答に目を細めると、小さく溜息を吐く。そして後頭部を掻きながらドアへと歩き出した。


「分かった。……神父にはそれだけ言えば充分伝わりそうだな。カレン様とヴァルターはしばらくここにいるといい。タケル君、いったん外はよろしく」


 片手を振ってガウリーを伴い、ハロディは廊下へと出て行く。タケルは返事をひとつしたところでカレンを振り返った。


「じゃあ、ちょっと行ってくるな」

「あの……タケル様」


 頷いて送り出すと思っていたカレンは、タケルの意に反して引き止めるように去り際の彼の袂を掴んだ。タケルは驚いてその手を見下ろした。


「──何?」

「一緒に参りましょう!」

「え?」

「──カレン様!」


 同行を申し出たカレンにタケルが素っ頓狂な声を上げ、ヴァルターが焦ったように彼女の名を呼ぶ。断ろうと口を開きかけたタケルは、カレンの縋るような瞳を見て声を詰まらせた。


「……ここで、わたくしに出来ることはありません。でも、タケル様のお手伝いをすることは出来るかもしれませんわ。──ですから、連れて行ってはいただけませんか?」


 その言葉を聞いて、タケルはふと思い至る。そもそも、アリアベルとレオの話し合いにセドリックを交えようと言い出したのはカレンだった。そのために皆で動いたわけだが、結果的に無傷の話し合いには至らなかった。確かに「腹を割って話すべき」という彼女の主張は正しい。彼女のおかげでアリアベルは父親に本音を打ち明けることが出来た。──だがひと段落ついた今、彼女の思い描く展開とは異なる現状となっている。


 恐らく、カレンは”何かしたい”のだ──タケルはそう思った。以前からカレンは、自分が誰かの助けになることを望んでいた。タケル自身、彼女の助けがあってこそ今ここにいる。タケルは逡巡の後、小さく笑って頷いた。


「いいよ、行こう」

「おい! 何か危険があったらどうする⁈」

「そしたらあんたと一緒にどっかに隠れていればいいだろ?」


 険しい声を上げるヴァルターをすり抜けて、タケルとカレンはドアへと向かった。天を仰ぎ、わざとらしく盛大な溜息を吐いたヴァルターがその後に続く。


「あんたはここにいて休んでなよ。何かあったら、さっきまでいたハロディって奴に言って」


 タケルは去り際にアリアベルを振り返り、一言声をかけた。微睡んでいたアリアベルは顔を上げ、穏やかに微笑んで手を振ることで返事をする。張り詰めたものが解けたからか、普段の静穏な雰囲気とは違って幼気にも見える。手を振り返し、タケルは廊下へと踏み出した。






 回廊を抜けて教会の外へ出ると、夜のハイフォールドは未だ小さな騒ぎに見舞われていた。アルトが兵士の目を引き付けている時は見かけなかった騎士の小隊が城の方から現れ、タケルたちの前を横切って通用門へと消えていく。三人は思わず顔を見合わせた。


「騎士が出動している……? カレン様、やはり危険なのでは?」

「ええ……ペール様たちは大丈夫でしょうか?」


 ヴァルターがカレンを引き止めようとするが、カレンの意識は世話になっている三つ星亭に向いていた。三つ星亭は北門に近い路地裏だ。未だに聞こえる鈍い音は、外に出るといくらか鮮明になる。振動を伴うような、衝撃音のような音が不規則に連続していた。


「とりあえず、行くか」


 タケルとカレンは頷き合って駆け出す。ヴァルターは眉間を押さえて項垂れるも、すぐその後を追った。


 通用門は配備が出払っているためか、難なく通過することが出来た。緩やかな坂を下り、カレンが遅れないよう速度を合わせてセントラルへと走る。その間、音は大きさを増して三人の耳を刺激した。


 坂を下り切ると、銀朱の群鳥のギルドからも何人か出ていく姿が見えた。セントラルの街にはランタンの明かりが灯され、寝静まっていただろう住民たちが様子を窺うように建物から顔を覗かせている。常なら夜半は暗い街中が、小さな灯火に照らされてぼんやりと輪郭を浮かび上がらせていた。


 タケルたちは、ドアの前に出てきてギルド員を見送るヴェラに近づく。暗がりでも深々と外套のフードを被ったヴェラは、その陰から目ざとくタケルたちに気付いて振り向いた。


「おやおや、坊やたちかい。こんな遅くに何してたんだい?」

「……ヴェラさん! なぁ、外でなんかあったのか?」

「──それがねぇ……」


 自らの腕を支えて頬杖をつき、ヴェラが口を開きかけた時。北門の方から中央広場に駆け込んできた兵士たちの大声が響いた。


「住民はすべて建物内に避難しろ! 上階へ移動し、音を立てず備えるように!」


 兵士たちはそう指示を出しながら路地へと消えていく。何人かは坂を上がって通用門へと向かい、外壁の中には徐々に防衛線が張られているようだった。


「──北門が外から攻撃を受けてるみたいなんだよねぇ。異形が……ええと、歴史でいうところの”モル”だっけ? それが、北門を突破しようとしてるらしい。目の前の障害物に向かっていく習性があるんだか何だか知らないが、今ウチのメンバーも騎士や兵士の皆さんの手助けに向かってるところさ」

「モルが街に入ろうとしているのですか⁈」

「そうさ。だから坊やもお嬢ちゃんも、あとのことは大人に任せて、良かったら中に入って落ち着くまで避難するといい」


 音の正体は、モルが門に突撃している音だった。ヴェラから大方の話を聞いたタケルたちは顔を見合わせた。


「では、お言葉に甘えましょう。……カレン様」


 ヴァルターがカレンの肩を支えるようにしてギルドの中へと促す。カレンは外を案じながらもされるがままに室内へと向かう。だがタケルは留まったまま装備の確認をした。


「俺、手伝ってくるよ。門の方行ってみる。ついでにペールさんたちの様子も見てこれるし」

「タケル様……」

「カレンはここにいて、ハロディたちが降りてくるようだったら色々伝えてくれよ。それにここにいたら情報が集まりそうだし、カレンにもやれることが出来るかも」

「──……ええ、わかりましたわ。タケル様、お気をつけて」

「俺は遠くから手伝うだけだから」


 眉尻を下げながらも微笑みを見せるカレンに、タケルは弓を掲げて笑い返す。傍でヴェラがにやにやと口角を上げていたが、そんなことはお構いなしにタケルは噴水広場の方へと駆け出した。






「でも、カレンたちは変な黒い影を見たって言ってたよな……?」


 呟きながらタケルは噴水広場を左に折れ、中央通りを北門に向かって走った。通りは段階的に兵士が配備されており、通り抜けるのは面倒そうだと踏んだタケルは近くの路地裏に入る。そして積まれた木箱を利用して軒先に上がると、窓手すりに手足をかけて器用に建物の頂上へと登った。


 地続きとなった高低差のある平らな屋上を走る。目的の北門へと近づくと足を止め、建物の縁に屈んで様子を窺う。門前は、衝撃に揺れる扉前で剣を構える騎士たちに囲まれていた。側防塔や城壁歩廊にも兵士が配備され、何やら下方に向かって指示を飛ばしている。その中に弓兵を確認したタケルは、屋根上を伝って城壁歩廊へと上がろうと、さらに前進を続けた。


「まだ街には何も無さそうだ。あそこなら俺も何か手伝えるかも……」


 ペールたちの様子を見るとカレンには言ったが、今なら大丈夫だろう。そう考えたタケルはひとまず北門方面を目指した。街中のランタンの光が届かない屋根上は、夜空の紺碧に包まれている。鈍い音は響いているが、街中の喧騒は少しだけ遠い。


 タケルは高低差を飛び越えながら、視界の隅に違和感を覚えて瞳をずらした。いくつか屋根から伸びている太い煙突の前、月明かりで出来た影に溶けるようにして、何かが佇んでいる。思わず気を取られ、足が止まった。


「──アルト?」


 アルトは撹乱係として、普段身につけている黒装束の上から黒い外套を纏って囮となった。佇む姿はその姿に似ている。タケルは、アルトが兵士を翻弄するためにハイフォールドを駆け回りながら異変を察知し、先に現場に来ていたのだろうかと声を掛ける。だが応えはなく、相手は外套のフードを下ろす素振りすら見せなかった。


「アルトだろ?」


 訝しみながらもう一度声をかける。今度は声量を上げてはっきりと名を呼んだ。だが相手は応えない。代わりに寄りかかっていた背を起こし、踊るような足取りで距離を詰めてきた。


 タケルは身構えた。アルトならばこんな不可解な行動はしない。声をかけた時点でフードを外し、即座にタケルに応えただろう。むしろ役目が終わったと思った時点で、外套ごと何処かに放ってしまっていても不思議ではない。


「──キミを、知っているよ」


 段差を跳ねるように上がり、遊ぶように飛び降りながら、影はふわりとタケルの前に降り立った。顔は深く被ったフードに隠れ、顎先しか顕になっていない。両手も外套の中に入れたまま、長い裾から黒い足先だけが覗いている。


 声は歌うように柔らかだった。性別の判断がつかない不思議な声色。そよ風を伝って通り過ぎていくようにさりげなく、それが不気味さを漂わせている。


「誰だ、お前──?」

「キミはボクを知らないよ。でも、まだ教えてあげない」


 くすくすと小さく笑う声は、門から響く喧騒にはあまりにも不釣り合いだった。声とともに香のような、独特な匂いが漂う。タケルは本能で目の前の人物が味方ではないと感じ、矢筒から矢を抜いた。


「待って。キミが戦うのはボクじゃないよ。今大変なのはあっちでしょ?」


 相手が門の方向に向かって顎をしゃくる。だがタケルは視線を外せず、意識だけを後方へ向ける。そんなタケルの様子を見て、相手はまたくすくすと笑った。


「……まあいいや。せっかくだからキミに、お礼でも言っておこうかな。あ、矢は仕舞ってよ。こっちは丸腰。敵意なんか無いんだから」


 歌うような抑揚、囁くような柔らかさ。声は湾曲するようにタケルの耳から侵入し、タケルの手が操られたかのように矢を戻す。すると相手はまた一歩タケルに近づき、ピタリと足を止めた。身動ぎで混ぜられた空気によって、香のような匂いが存在感を増す。タケルは思わず固唾を呑んだ。


「キミ、──”勇者”なんでしょ?」


 小さなささやき声は、タケルの脳内で響き渡るようだった。脳が攪拌されるような感覚が襲い、両足が地面に着いているのかも危うくなる。だが不思議と体勢は崩れない。くすくすと笑う声は、呪いのようにタケルを翻弄した。


「でも、アルマの王様は”義務”でキミを”勇者”だって言う。街のみんなは今、誰でもいいから”勇者”が欲しい。アンスールの王様は、……キミを”災厄の招来者”、なんて言ってる。みんな勝手じゃない? キミは突然この地に現れて、何にも事情を知らないみたいなのに」


 タケルの記憶が呼び起こされる。真摯なアルシオン王は自分を勇者と言った。だがそれは、アルマに伝わる伝承によるものだ。彼が全ての責任をタケルに押し付けないのは気遣いなのだろうが、義務的だと言われればそうなのかもしれない。


 人々は異変が本格的になると”勇者の伝承”に縋った。本当に伝説の勇者が存在するならそれも致し方のないことだ。故に、”誰か”にその役目を望んでいる。

 

 アンスールを統べるオルヴェイン王の真意はわからない。だが少なくとも、勇者の伝承を”よくできた寓話”だと言った。彼は今目の前の人物が言うように、自分をその寓話の一部に組み込もうとしている。”災厄を呼ぶもの”として。


 タケルは何か反論しようとしたが、口は開いてくれなかった。この場は相手の独壇場となり、歌うような声は続く。


「……でも、”ボクら”にとってキミは救世主──本当に”勇者”なんだ。だって、ボクらに使命を与えてくれたから。それで……お礼がしたいと思ってたんだ」


 タケルの動悸と呼応するように、背後の衝撃音が大きさを増していく。それなのに目の前の相手は喉の奥で楽しげに笑い、くるりとステップを踏んで回転した。黒い外套が夜の闇になびく。


「”アレ”は、贈り物だよ。キミは今日、きっとこの街で本物の”勇者”になれる。だから戦って。──世界を救ってよ」


 相手はそう言って軽やかに飛びすさり、笑い声とともに夜の闇に紛れた。気配が消えるとタケルの体は自由を取り戻し、妙な疲労感に荒い息が漏れる。


──その時、背後でとうとう破壊音が響き渡った。


「っはぁ、……な、何だ⁈」


 顎に垂れた冷や汗を拭って振り返ると、門の付近から土煙が上がっているのが見えた。そして、咆哮。相次いで渦巻く怒声。タケルは弓を握りしめ、屋上を走って縁まで向かう。白く霞んだ景色を見下ろせば、大型の異形──モルが暴走し、混乱の中立ち向かう兵士たちに翻弄されていた。


「またでかいのが──⁈」


 タケルは反射的に矢を抜いて番える。わずかな光源のなか、土煙に目を凝らしてモルや兵士たちの位置を見極めようとするが、動きが激しく視界は霞んだまま。城壁歩廊の弓兵も、無闇に矢を放って援護するのを躊躇っていた。


「タケル!」


 背後から声がした。振り返ると、黒い外套を脱ぎ捨てたアルトが音も無くタケルに近寄る。動悸が少し治まった気がしたタケルは、小さく安堵の息を吐く。


「アルト!」

「お主も来たか。──兵が某を追わなくなったので、しばし様子を窺っていたのだが……また例のモルが現れたようだ」

「俺、上から援護しようと思って」

「承知した。騎士団や兵は最低でも中央通りで阻止する作戦らしい。何としても噴水広場には辿り着かせるなと指示が飛んでいた」

「分かった。アルトはどうする?」

「某は前線に助太刀する」


 アルトはそう言い残すと、建物から飛び降りて中央通りへと消えた。その背を追って、いくらか晴れた視界で状況を確認する。ようやく輪郭を見せた暴れ狂うモルには見覚えがあった。──リューデで塀を破壊して暴れ出したのと同じ異形だ。


 頭上に生えた巨大な二本の角。その周囲には湾曲した角が幾本も並んでいる。枝のような複雑に折れた角も生え、それらが破壊的な衝撃を生み出している。黒い皮膚は岩肌のように硬く、四本の足には爪のように二又に割れた蹄。異様な変貌を遂げた雄牛にも見えるが、尾は獅子のそれに似ている。


 そのモルは、身体中に備わった数々の凶器を振り回して暴れた。前足を振り上げ、それを下ろせば石畳の道は抉れ、破片を撒き散らす。角に触れた石壁は砕かれ、鞭のようにしなる尾は風の音を立てながら壁や地面に叩きつけられた。


 剣を携えた騎士や兵士は果敢に立ち向かうも、モルの皮膚に鋼の刃を通すことは叶わない。叩きつけられた剣は弾かれるか、少しの欠片を溢すだけだ。


「モルを門から離すな! 何としてもこの場で食い止めるのだ!」

「第三、第四部隊は噴水広場を固めろ! 決してその先までは行かせるな!」

「市民は建物から出ることを禁ずる!」


 騎士の部隊が前線に立ち、砕かれた門の傍で包囲網を張って対抗する。中央通りには複数部隊が待機し、前線部隊を援護しながら次に迎え撃つ備えを固めていた。


 タケルは布陣を確認すると、建物の屋上を移動して前線の後方へ回る。かまいたちのように騎士たちの間をすり抜け、モルに飛びかかるアルトが見える。そのように身軽なのは彼女のみだ。騎士たちは剣や槍でモルの攻撃を待ち受けるしか術がない。


 タケルはモルが頭をもたげ、前足を振り上げる頃合いを見計らって矢を放つ。狙うのは前足と頭だ。目も急所だが、はじめから狙い撃つのは危険だと本能が告げる。人は視力を失えば動きが止まるだろうが、巨大な獣はその限りではない。


 アルトの動きに合わせた数本の矢が、モルの前足の関節や側頭部に命中する。しかし体の大きさに対して矢は細く小さい。決定的な一撃には至らない。タケルは次に三本の矢を矢筒から抜き、続けざまに同じ箇所を狙った。──今度は少し相手が怯む。


 北門の側防塔や城壁歩廊からも断続的に矢が降った。アルトはモルの体に飛びつき、直接攻撃を加える傍で矢の気配を察知するとそれを躱す。時折自分に向かう矢の軌道を刀身でわずかに変化させ、モルに命中させる芸当まで見せた。タケルは出会った当初、自分を侍だと言う彼女に忍のような印象を抱いたことを思い出す。あの目にも止まらぬ動きなどまさにそれだ。おかげで遠慮なく矢が放てる。


「ダメだ、矢が足りない」


 矢筒の中身が減っても、モルの勢いは止まらない。タケルは矢が残り一本になると歯噛みした。三つ星亭へ行って矢を補充するべきか、最後の一矢に賭けるべきか逡巡する。


 タケルが今使っているのはこの国で手に入れたコンポジットボウだ。私物の半弓は三つ星亭の部屋の中。いっそ弓ごと変えるかも迷う。はじめは苦戦したが、慣れてみればコンポジットボウは直線的に矢が飛ぶこともあり、威力が高いことを知った。大型のモルに対してより痛手を負わせるなら、こちらの方に軍配があがるだろう。


 だが使い慣れた半弓なら、より精密な矢が射てる。故郷の矢には数の限りがあるが、アルトや騎士たちがモルを弱らせた時、急所を狙い撃つなら半弓だ。


「──いったん戻ろう」


 最後の矢を前足に放ち、タケルは建物の凹凸を利用して路地裏に降りる。そして三つ星亭へと狭い道を走り抜け、ドアベルの音も気にせず店に飛び込んだ。


「ぼ、坊やじゃないかい⁈ 戻ってこないから心配して……」

「みんな無事! 今外危ないからここから出ないでくれ!」


 店内の窓辺から何とか外の様子を窺おうとしていたルジュが肩を跳ねさせ、突然現れたタケルに声を掛ける。タケルはそれに答えながらも一目散に階段を上がって二階の部屋へと移動し、コンポジットボウをベッドに放って半弓を手に取り、矢筒にその矢を突っ込んだ。


「大丈夫ならいいけど、外に出たら──」

「俺は大丈夫! 行ってくる!」


 再び階段を駆け下りるタケルにルジュから声がかかる。タケルはルジュを一瞥して短く応えただけで、瞬く間に店を飛び出した。


 中央通りに向かって路地を走る。地面に降り立てばモルの暴走による地響きが直接脚に伝わる。行き先の細い景色に暴れるモルの前足が映り、頭部が姿をちらつかせる。その大きさは上から眺めるより遥かに迫力があった。そして至近距離から見上げたことで、リューデの時よりも大きな個体だということに気づく。


 タケルの脳裏に、関所での光景が蘇る。アンスール地方との境界で、突如として現れた多眼を持つ巨大なモルと対峙した。タケルは矢を放ったが傷は浅く、結果的にその戦いで兵士の一人が命を落とした。あの時の情景とよく似ている。


「今度は止めねぇと……」


 半弓を強く握り、矢を抜きながら前線と距離を取って中央通りへ躍り出る。そこで、モルの進行を止めるために待機している小隊と鉢合わせた。


「お前、市民は建物内へ──」

「俺戦えるから手伝うよ!」

「何だと? …………いや、お前、もしかして……」


 タケルは兵士の返事も待たず、近場の軒先に飛び乗って矢を番えた。弓が手に馴染むのを感じながらいつでも放てるように引き絞る。狙う先では、もはやアルトが中心となってモルを翻弄していた。騎士たちは隙を見て脚を狙って攻撃を加え、確実に傷を蓄積させている。


 兵士たちに混じって援護しているのは銀朱の群鳥だろう。騎士の配置からは外れながら、アルトの動きに合わせるように適切な攻撃を加えていた。


 鎮圧の兆しが見え始め、タケルがモルの目に狙いを定めようとした時だった。月が煌めくような一瞬の光が辺りを白く照らした。まるで邪魔をするかのようにちらついた光に意識が攫われ、タケルの瞳がわずかにずれる。その瞬間、モルの体から煙のような黒い靄が湧き立った。


 モルが爆風のごとき咆哮とともに前足を振り上げる。棹立ちになって激しく首を降り、角が周辺の壁に激突して瓦礫を生む。地上で戦う者たちはもちろん、縦横無尽に飛びかかっていたアルトでさえモルから距離を取る。


 モルが暴れれば、受けた傷から流れた黒いものが周囲に飛び散った。その場にいる者がそれを防ごうと怯んだ時、モルが突然突進を始めた。


「いかん!」


 騎士たちの叫びや指示に混じってアルトの声が響く。モルを止めようと眼前に躍り出るも、強烈な一撃に飛び退る。騎士たちが側面や後方から攻撃を仕掛けるが、跳ねた後ろ足がそれらを弾く。


 タケルは軒先から飛び降りて噴水広場へと走った。モルの突進は、配置されていた兵士たちの波によって多少速度を落としている。その隙に噴水の縁に足をかけ、タケルは噴水塔の上に飛び乗った。


 その瞬間は、時が歪んだように緩やかだった。兵士の波を跳ね除け、地面や建物の壁を抉りながら尚も足を前に突き出すモル。連続する破壊音、悲鳴、怒声の喧騒。視界の端に映る、ハイフォールドから駆け下りて来たハロディとガウリー。それを迎え、ギルドの扉を開けて姿を現すカレン。ガウリーはすかさず杖を構え、先端の魔石が激しい青を放つ。タケルの足元で鳴るのは、それらと似つかぬ水のせせらぎ。


「──タケル様!」


 振り返ったカレンがモルの姿を発見し、その先にいるタケルを目の当たりにして叫ぶ。ガウリーの魔力が構築され、何本もの氷の矢がモルの側面に突き刺さる。モルが体勢を崩し、建物の壁に衝突して石煉瓦が飛ぶ。タケルは迎え撃つ間、弓を引き絞って好機を待っていた。


 地面に頭部を打ち付けたモルが、四本の足で激しくもがきながら起き上がろうとする。鞭のような尾を振り回し、軒先のシェードや荷物を薙ぎ払いながら前足が地面を掴む。頭部がゆっくりと持ち上がり──額が無防備になる。


 一瞬の隙を狙うタケルの目が色を失う。周囲の音が消え、目はモルだけを認識する。タケルの視界の中でモルの額が発光し、本能に急所を告げる。そしてそれに従い、弦から手を離す。


 上がったのは断末魔だ。モルの足は力を失い、巨体が再び地面に倒れる。額に突き刺さったのはほんの小さな一矢だ。だがそこから黒い靄が噴出し、断末魔は遠吠えのように消えていく。


 全てが静止すると、巨体は煙のように姿を消した。





 モルが消えると、辺りには惨状が残されていた。北門の扉を破壊し、噴水広場に入るまでの通りには地面の石煉瓦を貫いた跡が点々と続いている。建物の壁面は大きく崩れている箇所もあれば、角が掠った亀裂のような傷跡もある。道沿いに積まれていた木箱や樽、店のシェードは破片となって散乱し、夜風に掬われてカラカラと音を立てた。


 ひとり、またひとりと、建物の窓から市民たちが顔を出す。恐る恐る扉を開き、呆けたような足取りで外に出る。破壊の騒音も、それによる恐怖も幻のように消えた今、人々は静まりかえった噴水広場を確かめるかのごとくおずおずと首を振り、残された景色に視線を彷徨わせた。


「…………た、倒したのか?」


 モルに突き刺さり、地面に砕けたガウリーの氷の矢が霧となって消えていく。そんななか、誰かが呟く。するとそれを皮切りに周囲の声が重なってゆき、次々に市民が表に姿を現した。


「……す、すげえ、騎士や兵士も苦戦してたのに……」

「たった一本の矢で仕留めたの?」

「──ねぇ、あの男の子……例の」

「噂になってたやつか──?」


 人々が、噴水塔の上で屈むタケルの姿を見上げる。通りでモルと対峙していた騎士や兵士たちも自然とその場に集まり、周囲を見渡した後同じようにタケルに視線を向ける。彼らを率いていた隊長らしき人物が、道端に落ちた一本の矢を拾い上げた。先ほどまでモルの額に突き刺さっていた、最後の一矢だったものだ。


「ほ、本当に勇者だったんだ……!」


 誰かが言った。市民からは徐々に喜びの声が上がり、連鎖的に小さな歓声が湧く。建物内の室内灯が断続的に照らされていき、夜の帳の中で街が光に満たされ始める。噴水広場を中心に、街にはまるで昼間のような賑わいが生まれた。


 タケルは呆然とそれを眺めた。喜びや憧憬の眼差しがいくつも向けられる。タケルの意思とは関係なく、人々は”勇者”の存在に歓喜の声を上げている。災厄だなんて誰が言ったんだ、とんでもないと豪快に笑う者、これで異変は乗り越えられると息巻く者、称える者──その片隅で、騎士たちはその光景を傍観している。


 その時、通用門の坂を下り、アルシオン王が数名の近衛騎士を連れて姿を現した。ギルドの前を通りがかると、ハロディたちが彼らに何やら話しかける様子が窺える。だが湧き立つ市民はそれに気づかず、タケルはそれどころではない。自分に向けられるいくつもの目に胃が圧迫されるような感覚を抱きながら、それを押さえ込むように唾を飲み込む。


 歓声はタケルの胸を灼くようだった。タケルはこのノヴァという大地を知らない。ただ突然放り込まれただけの存在だ。景色も常識も魔法も教わるまでは知らなかった。当然歴史や伝説も知らず、”勇者”の知識も無い。それが今、こうして崇められている。かつての勇者と”同じ境遇”だというだけで、タケルの行動に使命が付随される。それがどうにもタケルの息を詰まらせた。


 タケルがゆっくりと立ち上がると、その周囲から歓声がわずかに治まった。互いに手を取って喜び合っていた者も顔を上げ、広場にいる全ての視線がタケルに集中する。タケルはそれを見渡すと、腹の前で片手の拳を強く握り、大きく深呼吸をした。


「あのさ、ひとつ……言っておきたいんだけど」


 騒めきが消え、タケルの声が周囲の建物に反響する。


「俺は、故郷の山にいたのに気付いたらこっちに来てたんだ。どうやってって聞かれても説明なんか出来ないし、あんたらが期待するような特別な力なんか持ってないし、正直……故郷に帰りたいと思ってる」


 市民は黙って耳を傾ける者もいれば、互いに困惑の表情で顔を見合わせる者もいた。タケルは噴水塔の上でそれを見下ろしながら言葉を続ける。ずっと押さえ込んでいた”自分”が、足元の水のように湧き上がるようだった。


「でも俺の故郷なんかここには無いって言われるし、分かんねぇことだらけだし、勇者だなんて言われたって自分のことだって思えない。俺にしか出来ないことなんか無い。だから、あんたらに期待されたって何も返せない。──けど」


 タケルは、ギルドの前でこちらを見守るカレンの姿を見やる。


「そんな俺のこと助けてくれてる人たちがいて、他にも色々世話になったりして……帰る方法を探しながら、俺にできることがあればしたいって思ったんだ。使命とかそういうのは知らねぇし、勇者って言われても違和感しかねぇけど……もしこの先俺にしか出来ないことがあるんだったら、それは協力できるかなってさ。──だから、それだけ……分かってほしいんだ」


 言葉が止まると、市民たちは戸惑った。あちこちで小さなどよめきが起こる。タケルはその反応を見ると、自分の言葉が届かなかったのかと不安に駆られた。カレンから視線を外すと瞳は彷徨い、居場所を無くす。だがそこで、星空を衝くような凛とした声が響き渡った。


「──皆の者、聞いてくれ!」


 アルシオン王が外套を翻し、群衆に向かって足を踏み出す。人々が道を開ければ、彼は真っ直ぐに噴水の方へ足を進めた。


「かつて、異変とともに突如として勇者は現れたと伝えられている。故に境遇を同じくするこの少年を、私は”勇者”として迎えた。それはこのアルマが勇者発祥の地と呼ばれ、国に定められた約定が存在し、それに従ったためだが──理由はもうひとつある」


 噴水までたどり着くと、アルシオン王は市民を振り返り語りかけた。市民はもちろん、タケルも呆けたように黙って彼の姿を見下ろした。


「私が彼を”勇者”と認めることで、互いの道が開かれると考えたからだ。彼にこのアンスール大陸を自由に歩く術を与える。それによって、我々も異変を晴らす緒に辿り着けるかもしれない。──我々は全てを彼に背負わせ、見ているだけでよいのだろうか? 彼にもし何かしらの使命があるのだとして、我々に使命は無いのだろうか?」


 アルシオン王はそう言って鞘から剣を抜き、星空へと掲げた。月明かりを反射させる刀身が群衆を映す。誰もがその光沢に集中していた。


「アルマが国となった時……どんな者にも居場所が与えられるようにと、身分問わず手を取り合ったとされている。そして今このアルマがある。──我々は今一度、自らに使命を課すべきなのではないだろうか。そして、この故郷から離された少年にただ託すのではなく、手を貸すべきなのではないだろうか? ──皆の者、どう思う?」


 騒めきが嘘のように静まり返った。互いの息づかいまで聞こえそうな空間に、アルシオンが剣を下ろす金属音が落ちる。誰もが口を閉ざしていた。賛同する代わりに異を唱える者もいない。だが人々の目は、醒めたように見開かれていた。それは動揺や困惑ではなく、気づきの目であったのかもしれない。


 王は剣を鞘に納め、タケルを振り返る。呆然と見下ろす黒い瞳に真摯な眼差しを向けると、今度はタケルに向かって小さく語りかけた。


「……以前にも似たようなことを言ったと思うが──この地には勇者の伝説が染み付いている。良くも悪くも、其方の特殊な状況はそれに繋げられる。だが、例えその身にどのような運命を背負されていようと、大事なのは其方の信念と選択だ」


 胸がすくような気がした。以前にも言われたが、こうして民衆に向けて語りかけられたうえで同じ言葉を掛けられると確かな思いが伝わり、気恥ずかしさすら覚える。タケルはそれを誤魔化すように噴水塔から飛び降りると、アルシオン王の隣へと降り立った。


 アルシオン王が握手の手を差し伸べる。タケルは銀の硬い手甲に覆われた手をまじまじと見つめた。


「──此度のことは助かった。王として礼を言う」


 むず痒さに口元を歪めながら、タケルは頬を紅潮させた。そして弓を持ち替え、おずおずと差し伸べられた手を握る。握手を交わすとアルシオン王はわずかに口角を持ち上げ、騎士たちに今後の指示を与えるために踵を返して去っていく。


 しばしの沈黙の後、民衆は再び湧き上がった。


「助かった。よくやったよ、坊主! 名前は何て言うんだ?」


 一人の男がタケルに近づき、肩に手を置いた。親しげに語りかけた男が何かの合図だったかのように、周囲の人々がタケルを囲む。


「タ、タケルだけど……」

「タケルか! 聞いたことない響きの名前だな。本当に全然知らない土地から来たみたいだ」

「あら、アルシオン王がそう仰っていたじゃない。ねえ、タケル君?」

「助けてくれてありがとう。お礼に今度、うちのお店でサービスするわ!」

「確かに王の言う通りだ。俺らはウン百年前のことなんか知らねぇし、これからのことは、今いる俺らで協力しあうべきだよな!」

「べ、別に俺だけで倒したわけじゃないんだけど……」


 次々に話しかけられ尻込みするタケルだったが、悪い気はしなかった。もみくちゃにされそうになるのを躱し、相槌を打ちながら純粋な礼を受け取る。ただの見知らぬ土地だった場所に自分が一歩馴染んだ気がした。その分故郷が遠くなったように感じて複雑な思いも浮かんだが、無意識に隔たりをつくりがちだったタケルは、今ようやく自分らしさを取り戻したような感覚を抱いていた。


 噴水前で笑い合う輪を見つめながら、ギルド前の面々はガウリー以外、互いに顔を見合わせた。両手を腰に当ててひと段落の息を吐き、眉尻を下げて笑うハロディ。腕を組んで苦笑するヴァルター。ガウリーは鼻を鳴らして視線を逸らすが、ちょうどその先に降り立ったアルトとすかさず睨み合う。途端に始まった二人の言い合いに、カレンは小さく声を漏らして笑った。


 そして再びタケルの方へ向き直ると、彼は人混みをかき分けてこちらに向かって来るところだった。決まりが悪そうに口元を歪めたタケルは、カレンの目には喜ばしく映った。


「お疲れ様です、タケル様」

「……うん」


 果たして、災難と喜びを経たアルマは夜の帳に瓦礫を残すも、日常を取り戻した。全てが解決したわけではない。これから改めるべき問題もある。


 だが今は──このひとときを噛みしめるかのように、街の喧騒は朝まで続いたのだった。

 


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