表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第七章 想いの証

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/54

7-8 二つの贈り物


 静かな庭園の中央に佇む井戸に、女性が一人、縄を引いている。車輪を通して引き上げられているのは木製のバケツだ。金具の軋む音を立てながら徐々に引き上げられ、溢れた水の滴が奥底に落ち、暗い水面を叩く。バケツが手の届く位置まで上がると、女性は縄を井戸の縁にある金具に固定し、息を吐く。朝日が登ったばかりの庭園は肌寒いが、女性の顳顬にはわずかに汗が滲んでいた。


 バケツをフックから取り外すと、足元に立てかけていた水柄杓を拾い上げて薬草畑へと歩いた。そして、朝露を滴らせる植物たちに水を撒く。陽光を反射する滴が空中で煌き、やがて土の中へと滲む。その音さえ聞こえてきそうなほど澄みわたる静寂に、そよ風が撫でた草の音が囁いた。


「アリアベル」


 宵月院の回廊から呼ぶ声がして、アリアベルは半分ほどになったバケツを置いた。返事をしてそちらを振り向けば、年上の修道女が彼女の元へゆっくりと歩み寄るところであった。ここでは身分は関係ない。貴族よりも長く修行を積んだ者が尊ばれる。相手に会釈すると、アリアベルは居住まいを正した。


「何か御用でしょうか?」

「あなたにお客様が来ていますよ」

「──お客様?」


 まだ街が動き出すには早い時間だ。怪訝に思ったアリアベルの声がわずかに低くなる。しかし修道女は淡々とそんな彼女に報告を続けた。


「少年のようでしたが……案内のお礼がしたいと言っていましたよ。心当たりはありませんか?」

「いえ、あの……そうですね。心当たりがございません」

「では、あなたの何気ない行動が少年を救ったのかもしれませんね。一度お会いして、お話を聞いて差し上げたらどうでしょう」

「ええ、──承知しました」


 アリアベルは拭えない訝しみを湛えながらも恭しく応えた。残りの仕事は引き受けると申し出た修道女に礼を言って道具を託し、回廊を礼拝堂に向かって歩く。清掃中の修道士や修道女しかいない堂内の側廊を抜け、前室への扉を開くと、そこにいたのはやはり、記憶の中には存在しない少年だった。


「あ、……アリアベルさん?」

「……ええ、そうですが」


 アリアベルと対面した少年は立ち上がり、小さく頭を下げた。少年と言っても顔立ちだけで、背はアリアベルよりも少し高い。少年の持つ不思議な雰囲気に目を瞠り、まじまじとその顔を見上げていると、少年はわずかに目を泳がせた。


「えっと、その……はじめまして」

「はじめまして。あの、あなたは?」


 相手の言葉によって自分の記憶が正しいと安堵したアリアベルが尋ねる。緊張している様子を見て微笑みかけると、少年はあからさまに安堵したような表情を見せた。


「タケルっていいます。えっと、昨日あんたが案内した人たちの連れなんだけど……」

「昨日……」


 記憶を辿る。何名か案内したが、印象深かったのはあの二人組だ。不思議と目の前のタケルと名乗る少年が言っている人物は、あの異国の上流階級らしき彼らなのではないかと思い至る。だが尋ねる前に、タケルの方からそれは開示された。


「カレンっていう女の子と、手下のヴァルターって奴。覚えてる?」

「て、手下?」

「あ、いやその……なんて言ったらいいのかな。ううん、──子分?」


 目を丸くするアリアベルに焦ったのか、タケルが両手を振って弁明に頭を捻り始める。きつく目蓋を閉じて口元を歪ませる姿に呆気に取られながら、アリアベルは控えめに助け舟を出した。


「──従者の方、だったのでは?」

「そ、そうだ。そんな感じかも」

「ふふ、ええ──覚えておりますよ」


 思わず漏れた笑いをそっと手で抑え、アリアベルは安堵の笑みを溢すタケルを前室の長椅子へと促す。一瞬戸惑ったような様子を見せたタケルだったが、素直に従って腰を下ろす。アリアベルはその隣へと腰掛けた。


「案内の返礼──ということでしたら、お気になさらずとお伝えください。お客様をご案内することは、初心を忘れぬための修行のひとつでもあるのですから」

「そうなのか? ──じゃなくて、えっとそれもあるんだけど……なんて言ってたっけな。なんか、いろいろあって買い忘れたものがあったとか……あと、これ、あんたに渡したいって。カレン、今日用事あってここに来られないらしいからさ」


 要領を得ない言葉を溢しながら差し出されたのは、上品なデザインの封筒だった。戸惑いながら受け取ると、アリアベルは濃紺のシーリングスタンプを丁寧に外す。同じデザインの便箋を取り出し、開いて中を確認すると、認められた文字を見たアリアベルは目を見開いた。


”今夜、部屋の窓の鍵を開けておいてくれ。話がしたい。”


 指先でそっとなぞる。奔るような──見覚えのある文字。名が無くとも誰がこの文字を書いたのかが分かる。アリアベルの動かない表情の奥で鼓動が高鳴る。押さえつけようとすると、息が弾むようだった。


 剥がすように一文から目を外すと、便箋の下方には見慣れぬ文字があった。


”先日はご案内いただきありがとうございました。教養あるお時間を楽しく過ごすことができました。プレカリオと聖典を希望しそびれてしまったので、訪ね人にお渡しくださいませ。直接お礼申し上げることが出来ずごめんなさい。後日改めてお伺いいたします。──カレンドラ”


 こちらは繊細で美しい文字だ。書いた人物を思い浮かべ、印象通りのそれに思わず笑みが溢れるとともに、何故か目頭から熱が生まれる。アリアベルは誤魔化すように視線を上げた。


「カレンドラ様は、プレカリオと聖典を御所望だったようですね」

「そうだ! 確かそう言ってた。それで、金が掛かるんだろ?」


 タケルは表情を喉の痞えが取れたかのように変化させると、ゆったりとしたトラウザーズのポケットからポーチを取り出した。そして徐にその中身を全て、長椅子の座面に空ける。


「あ、あのタケル様……!」

「それって、これで足りるか? これだけ持たされてるんだけど」

「ああ、その──こ、これだけで大丈夫です。あとは直ちにお仕舞いください」


 予想もつかない行動に慌てたアリアベルは、視線を走らせてさっと硬貨を数枚選び取ると、残りは押し付けるようにしてタケルの方に寄せた。釣られたように慌てて硬貨をポーチに戻す彼を見て胸を抑え、アリアベルは溜息を吐く。そして立ち上がると、咳払いをした。


「御所望のものをお持ちしますので、少々お待ちください。──それと、頂いた硬貨は売り上げではなく、あくまで”寄付金”です。街の人や教会のために使われるものですので、無闇に人前に晒してはならないのですよ」

「あ、ご、ごめん」


 気恥ずかしそうに頭を掻くタケルに苦笑すると、アリアベルは手紙を懐に収めて礼拝堂へと戻った。側廊を歩きながら、風変わりな少年に一歩遅れた笑いが込み上げる。そして、こんな出会いはいつぶりだっただろうかと郷愁に駆られた。


 それには、懐に仕舞った手紙に書かれた一文も関係していた。





 昼下がり、執務室の窓から庭園を見下ろす一人の男。壁一面を覆う書棚、食器がガラス戸の奥に飾られたキャビネット、執務机、向かい合わせのソファに挟まれたローテーブル──室内の調度品はどれも美しく磨かれ、細かな意匠は艶やかな輝きを見せている。ソファやカーペットの生地も整えられ、斑らな部分が見えないほどだ。白い壁面には額縁に飾られた絵が並び、その下の暖炉も使われていないかのように真っ新に見える。どれも落ち着いた色使いで悪目立ちしない、重厚さと繊細さを兼ね備えた逸品なのは明らかだ。


 男は温くなった酒の入ったグラスを片手に窓辺に佇み、階下に見える薔薇の園に遠い視線を下ろしていた。ブラウンの巻髪や口髭は整えられ、服装は、細かい金糸の織柄が入ったウエストコートにゆったりとしたトラウザーズ、皮のブーツ。首元から覗くのはシャツの立ち襟と小さな宝飾品をあしらったクラバット。上流階級らしい服装だが、コートを執務椅子の背もたれに掛け、それだけが室内の雰囲気に異質さを生んでいた。


 程なく、扉がノックされる。続く「ギルバートです」という声に返事をすると、男はグラスを置いて執務椅子に座った。


 恭しく現れたのは、若い青年だ。ベージュ色の長い髪を肩に垂らすように結っている。服装は男とほとんど同じで、色使いが多少異なるくらいだ。ギルバートと名乗った青年は、ソファを通り抜けて執務机まで歩み寄ると、持っていた書類を丁寧に机に乗せた。


「父上、行商の出店料や商業税についてですが、昨今の情勢に合わせて少々緩めるべきかと思い、試作案をお持ちしました」

「──分かった。確認はするが……行商についてはお前に任せてある。思うまま進行してみろと、以前言ったはずだが」


 書類を引き寄せるだけして、男は背もたれに寄りかかって足を組んだ。ギルバートは机上の端にある飲みかけのグラスを一瞥すると、短く息を吐く。


「ですが、私はまだ当主ではございません。私の行動の責は父上にも課せられるのですから」


 生真面目な態度に、男は重い溜息を吐いた。もうほとんどの実務を息子に任せているが、何かある度に確認と意見を求めてくる。柔軟性があると言えばそうだが、いささか忠実過ぎる息子を誇りに思うと同時に懸念も感じ、小さな胃痛の種となる。


「お前のやり方について、私が口を出すことも無くなった。そろそろ行商だけでなくセントラルの商業についても、お前に一任するつもりなんだがな」

「それは……父上がそうお認めになるなら構いませんが。──御隠居をお考えなのですか?」

「まあ……お前がよくやってくれているからな」


 息子には侯爵家の令嬢との婚約も済んでいる。早い気もするが、一線を退くのも藪坂ではない。だが、ユージー家を絶えさせることはあってはならない。──男はユージー家当主、セドリック・エドマンド・ユージーとして、息子に事業を引き継がねばならない。


「父上のお考え通り、お任せ頂いても構いません。──ならば、お時間が出来る限り是非……母上とのお時間を優先して頂ければ、と」

「……ああ」

「医師が、日に日に目覚めている時間が短くなっていると申しておりました。……もう、長くは」

「言うな」


 気遣わしい眼差しを向けるギルバートを厳しい瞳で跳ね返し、セドリックは言葉を強く遮った。明らかに苛立ちを帯びはじめた父に、ギルバートは「失礼しました」と会釈し、静かに退出していく。衝動を抑えるように細かく足を揺するセドリックの耳に、再びノックの音が届く。呼び声からして、メイドの一人だ。入室を許すと、扉の前で会釈した年嵩のメイドがその場で姿勢を正し、報告を述べた。


「コルニクス家の御令嬢で、カレンドラ様という方が従者の方を連れてお見えです。突然の訪問なのでご予定が空いていれば、ということでしたが、如何なさいますか? お二方は今、応接間の方へお通ししております」

「……コルニクス家? イス帝国の筆頭貴族か? 何故こんなところに」

「念のためシギルとクレストをお見せ頂き、確認いたしましたが……間違いないようです。客船事業の件でご挨拶を、とのことでした」

「──客船事業?」


 突拍子もない情報を立て続けに知らされ、セドリックは眉を顰める。だがメイドに聞いたところで得られる情報はそれ以上無いだろう。


「……分かった。そのまま丁重におもてなしして差し上げろ。私も身支度を整えて直ぐに向かう」

「かしこまりました」


 会釈をして退出するメイドの背を見送り、セドリックは背もたれのコートを手に取った。羽織りながら壁の姿見へと歩き、言葉通り身支度を整える。一分の隙なく貴族の顔となったセドリックは、確かな足取りで執務室を後にした。





 応接間では、ソファに座した少女の傍らに若い青年が控えていた。執務室とは異なり、カーペットやソファは細かい花模様の意匠が施され、カーテンにはレースをあしらい、調度品も丸みを帯びた柔らかい印象の物が揃えられている。色遣いも淡く、大きな窓の額縁に映された薔薇園が際立つ。少女はその景色に感動してか、半ば身を乗り出す形でそれを見ていた。


「お待たせして申し訳ない」

「──ユージー伯爵! こちらこそ突然の訪問でしたのに……お会いできて光栄ですわ」


 セドリックの入室に気づくと、少女が振り返って立ち上がる。控えめな金の刺繍の入った深い青のワンピースは落ち着いた印象で、あどけなさの残る顔立ちを覆っているようにも見える。装飾品といえば小さな白い花の髪飾りのみで、全く着飾っていない。それでも貴族と分かるのは事前に聞かされていたからか、それとも彼女の上品な仕草からなのか、背後に控える姿勢の良い従者の存在の仕業か──さっと客人に視線を走らせると、セドリックは挨拶を交わすと着席を促した。従者にも掛けるように言うとはじめは丁重に断られたが、強く申し出れば観念して少女の隣に腰掛ける。そこへ、メイドに指示した紅茶が添えられた。


「──はるばるこのアンスール大陸までお越しだったとは。名門たるコルニクス家の盛名は海を渡り、我が耳にも伝わっておりました。この度貴女がたをこの応接間にお迎えする誉れに預かれたのは光栄です。……して、御用向はいかなるものでしょうか? 交渉か──それとも、私個人への御用で?」


 セドリックは務めて柔らかく微笑みを湛え、落ち着いた声で少女──カレンに接した。カレンには年相応の無垢さを感じる一方で、マリーゴールドの瞳の奥は底知れない。警戒心を隠すためにも、棘は包み込んでおかなければならない。


「昨今では海に異変が起き、貿易も滞っている状態です。イス帝国にしても同様だと聞きますが──」

「実は……異変に際して船を大きく損傷してしまい……アーミル男爵家のドックに預けている状態なのです。長期の修繕となったので、その間にこうして各国を回ってみようとエレヴァンを発ったのですが……」


 カレンはこれまでの経緯を手短に語った。アーミル家から客船事業の許可を貰い、試験的に前当主夫妻を客として船に乗せて海に出たところで異変に遭遇し、今に到ること。ひと通り聞いたセドリックは相槌を打ちながら、胸の内で小さな訝しみを覚える。アーミル家が彼女らの商売の許可を出したという報告は受けていない。だがひとまず、その疑いは潜めておくことにする。


「このアルマにて、アルマ地方の商業を統括なさっているのがユージー伯爵だということを知り、こうしてご挨拶に参ったのです。アーミル様のご好意をいただいているということは、ユージー伯爵のご好意をいただいているのと同義ですから」

「客船事業……船を宿泊施設にするとは斬新なお考えだ。──西の海を選択されたのは、海域の状況や情勢からですか?」

「おっしゃる通りですわ。イスは海すら氷づき、限られた港と航路しか持ちません。東のオセル大陸は、氷で閉ざされずとも航海が限られた地。──ですが、西の海を選んだ理由はそれだけではないのです。昔からわたくしの憧れの場所だった……一度訪れてみたかった、というのが最大の決め手なのです」


 まるで夢見心地のように語るカレンに毒気を抜かれそうになりつつ、セドリックは居住まいを正した。無邪気に瞳を輝かせ、さらに何かを語ろうとするも、途中で悪い癖に気づいたかのように口を噤む。苦笑して小さく謝る姿はいかにも少女らしい。恐らくは十代だろう。同じ歳の頃だった娘の影を思い浮かべながら、紅茶を啜る。


「──ですが、旅をするにはなんとも不運でしたな。今や海は荒れ、近頃では各地で異形による被害も相次いでいるようです。騎士も兵士も調査や救助、警備と忙しない。ここは堅固な外壁に守られて平和ですが、エレヴァンへの帰還は難航を極めることでしょう」


 セドリックは別の話を振りながら、エレヴァンの若き男爵を脳内に反芻させる。アーミル家の現当主リアムとは縁談の話を進めるために手紙のやり取りをしていた。しかし、最近受け取った彼の手紙にもカレンの話は一切上がっていなかった。報告の必要性を感じなかったからなのか、含みがあるのか……後々改めねばと算段を立てつつ、カレンとの談笑に興じる。彼女が街で見てきたものなどを語るなか、セドリックの意識を引き戻したのは教会の話が出た時だった。


「立派な教会も先日拝見しましたわ。ステンドグラスから陽が差して、影が色付く様が何とも神々しくて……教会に従事されている方々も皆様厳かで、心が洗われるようでした。修道女の方にご案内いただいて、ルーメリア教についても少し教えていただきましたの。確かお名前は──アリアベル様という方でした。ユージー伯爵は教会のご支援をなさっているとお聞きしましたが、ご存知の方ですか?」


 唐突に出された娘の名。偶然か意図的か、全く読めない屈託のない笑顔で尋ねるカレン。セドリックは目を瞠り、一瞬止まった呼吸を小さな吐息で再開する。


「アリアベルでしたら──私の娘です。数奇な巡り合わせですが、お役に立てたなら光栄ですな」

「まあ! そうだったのですね。後ほどお礼に伺おうと思っていたのですが……伯爵からもよろしくお伝えくださいませ。とても誠実なお方で、彼女のおかげでこの街がますます好きになりましたわ」


 世辞だとしても悪い気はしない。セドリックもその時ばかりは自然と表情が綻んだ。すると何故か、カレンだけでなく隣に黙って控えている従者までもが一瞬、まじまじとした眼差しを彼に向ける。セドリックの眉がわずかに動くと、カレンが思い出したように軽く手を叩いた。


「そうですわ! ──わたくし、アリアベル様のお話に夢中で失念していたことがございましたの。……ヴァルター、”あれ”を」

「ええ、お嬢様」


 隣の従者に何やら指示を出すと、カレンは小さな小物ケースを受け取った。それをそっと、互いの間にあるテーブルの上に置いて差し出す。セドリックは怪訝そうにしながらも促されるまま手に取り、蓋を開く。中には小さな布に包まれた歪なタリスマンが入れられていた。


「セントラルで出会った”アッシュ”という青年からアリアベル様にと、そちらの装飾品を預かっていたのです。返礼の品だということだったのですが……こういったものはわたくしからお渡しするより、伯爵からお渡しいただいた方が良いでしょうか? 教会というのは規律によって、個人間の贈り物などが禁じられているかもしれませんし」

「返礼……? これを、娘に?」

「ええ。アリアベル様にも”アッシュから”とお伝えすれば通じる、とおっしゃっておりましたの。きっとアッシュ様も、アリアベル様の優しさに触れ、助けられたのでしょうね」


 嬉しそうに微笑むカレンの声が、半ば呆然とタリスマンに視線を落としたセドリックの耳を通り抜けていく。寝耳に水だった。娘にはアーミル家のリアムとの縁談が決まっていて、それは伝えているはずだ。顔合わせの日取りも調整し、アイゼンシュタット家を通して護衛隊の手筈も整えている。──それなのに、他の男の影が潜んでいるというのか?


 ”名を伝えれば分かる”というのは最もな話だが、そこに気安さや親密さを感じるのは気のせいだろうか? カレンのように、教会の案内に対する礼なら口頭だけで済む話だ。それに娘がセントラルへ下りる時間は限られているはずで──セドリックは、視線を落としたまま黙り込む。


「ユージー伯爵?」

「あ、ああ……すみません。──わかりました。こちらは私から娘に届けましょう。……”アッシュ”という青年からの返礼、ということですね」

「ええ、そうですわ。お手を煩わせてしまい、すみません」

「いえ、……確かに教会には厳しい規律がありますから」

「ありがとうございます」


 かくして、コルニクス家の令嬢とのティータイムは表面上は和やかに終わりを告げた。セドリックは降って湧いたような縁から屋敷の客間を勧めたが、セントラルで宿は取っているという。街に溶け込むのが楽しいと笑ったカレンは、まだあどけなかった頃の娘の姿を思い起こさせる。郷愁に駆られながらも客人を見送ったセドリックは、執務室へ戻ると例の小物ケースを取り出して蓋を開いた。歪だが粗末というわけではない。むしろ、描かれた紋様からしても手造りらしい想いが感じられる品だ。


「これを、──アリアベルに……?」


 鎖を摘んで手に取れば、トップがゆらゆらと揺れる。その先の窓の向こう、見えるのは教会の尖塔。娘は今も、あの神聖なる場所に居る。


 胸騒ぎがした。





──夜。


 寝室でひとり寝酒に興じていたセドリックは、窓の外が何やら騒がしいことに気付いた。グラスを置いて外を窺えば、通りにはランタンの明かりがちらつき、右へ左へと忙しなく動いている。ハイフォールドは開けているとはいえ、月明かりも薄い三日月の夜だ。室内からは外で何が起きているのか想像がつかない。


 すると、部屋を訪ねる声があった。老齢の執事長だ。夜分にこの部屋の扉を叩くことは滅多に無いことから、セドリックの見にも緊張が走る。


「旦那様、部屋のカーテンを閉めて警戒なさってください。門番が、教会周辺にて妙な影を目撃しておりまして……兵士たちがその影を追っているようです。屋敷の警備も緊急用に采配しなおしておりますが、どこに潜んでいるのか分かりませんので、念のため」

「教会周辺だと?」


 聞き捨てならない単語に顔を顰め、セドリックはシャツの上からコートを羽織った。そして、ベッドの傍に掛けられた飾り剣を抜き取って鞘ごと直接手に持った。そのままテーブルの上に置かれたタリスマンを掴んで懐に入れる。帯刀ベルトも装備せずに部屋を飛び出そうとする当主に、執事は慌てふためいた。


「旦那様⁈ どうなさるおつもりですか!」

「──用が出来た。私の事は気にせず屋敷の警戒に当たれ。後の指示はギルバートに」

「旦那様!」


 制止の声を振り切り、セドリックは足早に屋敷を後にする。エントランスに置かれたランタンを手に取り、軽く降ってルビライトを反応させ明かりを灯し、庭園を抜けて夜の道へ繰り出す。すれ違う屋敷の護衛も全て振り切った。


 普段静かな夜のハイフォールドでは、兵士たちの声や鎧の音が響いていた。手近な者を呼び止めれば驚かれたが、気にせず何があったのかと問い詰める。そして、このような状況となった経緯の情報を手に入れた。


「門番が、セントラルの屋根を飛び越えてハイフォールドへ侵入した影を見たのです。塀の上を教会方面に消えていったようで、巡回兵もそのような影を見ています。全く得体の知れない侵入者ですが、その後の足取りが掴めず……」

「──わかった。そのまま巡回を続けてさっさと捕らえろ。教会に侵入した形跡は?」

「ありません。恐らく庭を抜けて別の場所へ逃走したものかと。──あの、どちらへ?」

「私は教会へ向かうが、気にしなくていい。お前たちの仕事は、侵入者を探し出して捕らえることだ」


 戸惑う兵士たちをもやり過ごし、セドリックは周囲を警戒しながらも教会へと到着した。正面入り口の脇を抜け、庭を進んで少し行った場所にある裏口へと回ると、扉を叩く。小窓の内蓋が小さく開き、修道士がセドリックの姿を確認する。あまりにも意外な訪問に目を丸くした修道士は、慌てた様子で鍵を開けた。


「セドリック様⁈ お一人でいかがされたのです? 外では兵士の方々が不審者を警戒されておりますのに……」

「すまない、アリアベルの元へ行きたいのだ。宵月院へ入らせてほしい」

「そ、それは構いませんが……」


 修道士は、シャツにコートだけを羽織った姿、鞘ごと剣を手に持った様子を見て戸惑いを浮かべながらもセドリックを礼拝堂まで誘導し、明かりの番をしていた修道女に声をかけた。修道女はセドリックが、教会付近で目撃された不審者の情報を聞きつけ、娘を心配してやって来たのだと瞬時に憶測を築き上げたようだ。宵月院へ入ることを快諾し、アリアベルの部屋付近まで誘導する。


 セドリックは扉の前で修道女を引き上げさせると、静かに取手に手をかけて耳を澄ませた。──中から、複数の声がする。声を潜めているのか、何を言っているかまでは定かでは無い。だが、声を荒げた娘の言葉は耳に届いた。


「いいえ、分かりません。──どうして無かった事にしたがるの? 確かにお互いの時間を過ごしてきたはずなのに……どうしてそれが立場の違いだけで崩れ去るの」


 いつの頃からか、娘は感情を表に出さなくなった。だが扉の向こうから響いた声は、落ち着きを取り繕ったようにわずかに震えている。──聞いたこともない。


 取手を引き、扉を開ける。机とクローゼット、鏡台、ベッドがある程度の小さな部屋の中央に居たのは、まさしく部屋の主である娘アリアベルと、見知らぬ金髪の男だった。


「──お父様⁈」

「……何者だ」


 驚くアリアベルの手を引き、セドリックは鞘を構えた。娘を背後に庇って距離を取る。男は武器らしい物を持っておらず、身一つの無防備な姿で身構えている。その姿を確認しながら、ゆっくりと鞘から剣を抜く。


 男の赤い瞳がセドリックと、背後に隠されたアリアベルを交互に捉える。緊張の糸が張り巡らされた部屋で、一歩後ずさっていた男はゆっくりと両足を揃えた。逃げるつもりはないと示すように、静かに息を吐く。


「──……ライオネル・グレイヴ」


 静かにそう名乗る。予想していた”アッシュ”ではないが、蒼炎を宿したような意思の強い瞳を受け、不思議とセドリックは目の前の人物こそが”アッシュ”なのだと悟る。


 不穏な空気を助長するかのように、窓枠がガタリと音を立てた。



全話AI補助利用作品です。

利用範囲:イメージイラスト作成・名称のアイデア出し

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ