6-10 一雫の波紋
「──とは言ってもねぇ。……カレン様、どうする?」
長い両手を広げて詰め寄るルナから身を引きながら、ハロディはカレンに視線を寄越す。カレンは張り付けたような笑顔を浮かべたまま、彼女にしては珍しく言葉を詰まらせていた。
「我々も散々見てきたが、得体の知れない異形──”モル”とやらが出現しているのだ。このパーティは既に、非戦闘員であるオレとカレン様を抱えている。そのオレが言うことでも無いが……この上戦えぬ者を率いるとなると、負担が増えるのではないか?」
カレンに代わって丁重に断りの弁を述べたヴァルターだったが、その言葉にもルナは口角を持ち上げた。
「確かにワシは戦えんかもしれんがな。ワシには長年を費やして研究を重ねて来た魔法薬の数々がある! 敵の動きを止めるモノや痛手を与えるモノ、人体に影響を及ぼすものまで様々じゃぞ? どうじゃ、見てみたくはないか? ──戦いとは、必ずしも身ひとつで立ち向かわねばならんものでもないんじゃぞ」
「……ぐっ」
今度はヴァルターが言葉に詰まって悔しげに喉を鳴らす。反論が途絶えたことでルナが引きつった笑い声を上げ、肩を揺らす。タケルはその生き生きとした蒼白な顔面を見上げ、それから、部屋の周囲に所狭しと並べられた器具の数々に視線を移す。
得体の知れない液体を熱していた器具をはじめ、大小様々な硝子器具が奇怪な装置に取り付けられたり、棚に並べられたりしている。その中身は色とりどりの石や粉末、液体がほとんどだ。他にも、植物の葉や根、果実を保管した密閉瓶も見える。本棚には分厚い本が並べられ、そのいくつかは開いたままカウンターの上に放置されている。他にも見知らぬ器具が、整理されているのかいないのかわからない状態で壁やホルダーに取り付けられており、それらがいちいちタケルの小さな恐怖心を煽る。
だが、タケルは不思議と気分が高揚していた。恐怖心が不思議と変換され、それまでは恐る恐る垣間見るようにして相対していたルナの相貌すら、明るい日差しのように輝いて見える。高い壁に囲まれて日照時間の限られたロワーサイドの最奥、地下の研究室であるはずなのに、だ。
「いいんじゃないか? 確かに、戦い方は人それぞれ──この人の言う通りだ」
「ほうほう! お前さんは頭の柔らかい有望株じゃのう! ほれハロディ、小僧もこう言っておるぞ、腹を括るんじゃ」
「な、なんか……ズルされてる気もするんだけど……?」
水で無理やり胃に流したとはいえ、タケルはルナ特製の歓迎茶である、得体の知れない液体を飲み干した。落ち着いているように見えて、実は何かが作用しているのかも知れない。だがタケルが快諾すれば、助け舟が現れるのは必然だった。
「そ、そうですわね……タケル様のおっしゃる通りかも知れません。戦う術を持たないわたくしたちより、ルナ様の方が異形に対して有利というもの。目的は違えど、手を取り合うのは良き案かもしれませんわ」
「カ、カレン様⁈ ……おいお前、そう言うなら責任持ってこいつの面倒を見るんだぞ」
一転して快諾の意を示したカレンにヴァルターは驚くも、すぐに諦めて矛先をタケルに向けた。その横では、ぞんざいに扱われているにも関わらず、ルナが楽しそうに笑みを浮かべている。
「ヒーッヒッヒ! では旅の支度をせねばならんのう! 陽を浴びるのは何年振りになるんじゃろうなぁ」
ルナは猫背のまま意気揚々と、カウンターに並べられた器具を纏め始めた。そんな彼とタケルを交互に見つめ、ハロディは肩を竦める。最後にカレンとヴァルターを見やると、疲れ切った溜息を漏らした。
「まあ、なるべく手綱を握る努力はするよ。──なるべく、ね」
「……この際この場は了承して、黙って出立すればいいんじゃないか?」
「それは……後でどうなっても知らないよ? 君がその代償を被ってくれるなら、君の案に乗ってもいいけどね」
「…………」
諦めて苦笑するハロディの傍で、ヴァルターがひっそりと案を出す。だがそれはルナを知るハロディにとって、良案とはならなかったようだ。半ば脅しのような言葉を返されたヴァルターは口を引き結び、黙り込む。
そんな彼らを一歩離れて見ていたアルトとガウリーからは、似たような溜息の音が鳴っていた。
再びファーブラー自治区を目指すその時には必ず同行させると約束し、一行は暗い研究所を後にする。その頃にはすっかり日も暮れて、ロワーサイドは夜の賑わいを醸し出していた。
路地を抜ける途中に木組の宵灯亭に立ち寄ってみれば、キャストの格好に身を包んだネリがカウンターの中でリリーの教えを受けていた。どうやら無事採用となったらしく、ネリは拙い言葉ながらも賢明にリリーの背についてその動きを習っていた。
「良かったですわ! お店もお客様も、優しそう」
「ウン、……みんな、イイヒト」
カウンター越しにカレンが笑いかければ、むず痒そうにネリは応えた。思うところはあるだろうが、ひとまずこの地で、萎縮することなく自然に振る舞えるようになれればいい──タケルはそんな風に思いながら、ネリが働く姿を目で追った。
「ちょっと、注文しないなら邪魔でしかないわよ! いいこと、ネリ。高いお酒を注文したお客様には極上の笑顔をサービスするのよ。安酒のお客は後回し。これが、接客の秘訣なの。──さ、あっちのテーブルにこのトレーを持っていきましょう」
注文もせずにネリの様子を見ていたタケルたちに向け、リリーの叱責が飛ぶ。その後の彼女の発言にタケルとカレン、ヴァルターは目を丸くし、ハロディは肩を落とす。
「……リリー、君の分身は要らないんじゃないかい?」
「何よ? 処世術ってやつじゃない。──さあさあ、お客じゃ無いなら帰ってね!」
鬱陶しそうに手を払い、リリーはタケルたちを店外へと追いやった。残されたタケルたちは互いに顔を見合わせ、ちらちらと背後を伺いながら店を後にする。タケルとカレンが小さく手を振ると、ネリは遠くから控えめに手を振り返した。
「ひとまず、夜が更ける前に君らをセントラルへ送るよ。僕は途中までついて行ってハイフォールドに謁見申請出してくるから、二人はアパート前に着いたら、解散で」
「承知した」
「……フン」
畝る道を歩きながら、背後に向けてハロディがそう告げる。後方を歩いていたアルトとガウリーはそれぞれ短い返事をすると、指示通り、ハロディのアパート前で各々散って行く。ガウリーは路地の向こうに姿を消し、アルトは軒先を足場にしながらアパートのテラスへと飛び乗った。そこは、二階にあるハロディの部屋と繋がるテラスだ。
「……アルトって、あんたの家に住んでんのか?」
タケルが問いかけると、ハロディは後頭部を掻きながら気まずそうに笑う。
「うちっていうか、うちのテラスにテント張って住んでるんだよ。前に部屋紹介しようとしたんだけど……”要らぬ”の一点張りでさ。僕の家もあの部屋ひとつだし、ソファで寝泊りしてるから……水回りだけ何とか使わせるようにしてるんだけどね」
「ガウリー様は、ご自分のお部屋をお持ちなんですの?」
「ガウリーはうちの近くに部屋借りてるよ。何ならアイツはああ見えてギルドの仕事無い時、鍛冶屋でアルバイトしてるしね」
「……つくづく、見た目と中身が伴わん奴らだな、お前たちは」
ヴァルターが呆れながらもしみじみと呟く。見た目だけは若い年長者、大人しそうでいて破天荒な少女、寡黙で野獣じみた見た目の常識人──旅や戦闘では大いに力になるが、一部だけ切り抜けば全くちぐはぐな三人組だ。
「ま、だからこそ舞い込む仕事もあるってもんでさ。──滅多に無いんだけどね」
そんなことを話しながら壁づたいの階段を上り、鉄扉へと到着する。門番は交代したのか、鉄扉の前にはバイロンとは別の兵士が立っていた。簡単に事情を話して扉を通してもらい、タケルたちは街頭が整っているセントラルへと戻る。とはいえ鉄格子付近の路地は暗く、迷宮のような静けさがあった。
「気になっていたんだが、門番に許可を得れば案外、自由に出入り出来るものなんだな」
「まさか。ロワーサイドにも”特別枠”があるってだけさ。僕ら”勇者ギルド”はそのひとつ。だって、依頼受けてもロワーサイドから出られないんじゃ、話にならないだろ?」
「──まあ、そういうものか。いささか警備が緩い気がしないでもないが」
「そこはほら、ラ・カーヴァが目を光らせてますから」
ヴァルターとハロディの会話が周囲の建物に跳ね返り、見当違いの方から声が聞こえる気すらする。タケルはそういった、故郷の暗い森にも似た雰囲気に普段なら警戒するところだが、不思議と気分は軽かった。
「タケル様、何だかとってもお元気そう」
「うん。俺も不思議」
足取りの軽いタケルを見て、カレンがくすりと笑う。しだいに道の明るさが増し、人々の声が耳に届く。噴水広場まで辿り着けば、宿の食堂や酒場がちらほらと客で賑わっていた。
「じゃ、お疲れ。謁見は可能なら僕一人で済ませるつもりだから、明日はひとまず休みにしよう。もし王様が君たちの登城を望んだらついて来てもらうことになるけど、そうなったら明日また三つ星亭に迎えに行くよ。──本格的な情報収集は、明後日からってことでいいかな?」
広場の先で別れ際、ハロディがタケルとカレンに向き直って問いかけた。二人は顔を見合わせ、一様に頷き帰す。すると小さく微笑んでから片手で手を振り、ハロディはハイフォールドへの通用門へと去って行った。
「──では、我々も宿へ参りましょう。慌ただしい旅となりましたから、カレン様もお疲れでしょう」
ハロディの背を見送っていた二人にヴァルターの声が掛かる。振り返ったカレンは首を横に振ると、胸の前で指を組んで控えめな笑みを溢した。
「……正直なお話をしますと、疲れを感じる暇もありませんでしたわ。大変なことも多かったですが、その分──良き出会いもありましたから」
その言葉に感極まって眉間を押さえるヴァルター。そんな彼を久々に見るような気がして、タケルは苦笑する。三人は噴水広場を中央通りに折れ、静けさの中にも人の声と気配が残る道を進み、その奥にひっそりと佇む三つ星亭へ、穏やかな足取りを向けた。
果たして明朝、相変わらず客の居ない三つ星亭のドアベルを鳴らしたのはアルトだった。テーブルで朝食を囲んでいたタケルたち三人が手を止めてそちらを振り向くと、彼女は相変わらずの仏頂面でその視線を受け止めた。
「食事中にすまぬな。ハロディからの言伝だ。──正午過ぎから時間が欲しいらしい」
以前、初めてヴァルクスパイア城へ赴いた日にも、言伝のために訪れたのはアルトだった。その理由も今なら分かる。ガウリーが伝言役に向かないからではなく、彼女が言伝の主であるハロディの部屋のテラスに寝泊まりしているからだろう。タケルたちは食事の手を止め、ひとまず朝の挨拶を交わした。
「結局、召集がかかったのか」
「そのようだ。だが此度は、某とガウリーはついて行かぬからな」
ヴァルターの問いかけに頷くと、アルトはタケルをひたと見つめた。
「……王は、お主に伝える事があるらしいと、ハロディが言っていた」
「──俺に?」
「左様。──では、某はこれで失礼する」
ゆっくりと瞬きをして頷き、そのまま踵を返そうとするアルトの肩にカウンターの中から声が掛かる。
「おや、アルトちゃん。おはよう、何かつまんで行くかい?」
ルジュの明るい声が店内に響き、アルトが大袈裟に肩を竦める。まるで、突然声を掛けられて背中をしならせる猫のようだとタケルは脳内で独りごちた。
「……その呼び方は、やめてもらえぬか」
「ああ、……あっはっは! ごめんごめん、つい、ね」
じと目で口元を歪ませるアルトを見たルジュは、ハッと気付いて目を瞠ったものの、すぐに豪快に笑う。そんな彼女対して悔しげに更に目を細めるとアルトは今度こそ扉に向かって踵を返した。
「食事は要らぬ。某は鍛錬に向かうのでな」
「無理しないようにねぇ!」
去って行くアルトを見送り、軽く手を振るルジュ。二人のやり取りを見ていたタケルたち三人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。──そんな穏やかな朝を通り過ぎ、身の回りの整理や身支度を済ませて行けば、約束の時間はあっという間に訪れた。
言伝通りの正午過ぎ、ハロディが三人を迎えに三つ星亭へとやって来た。いつも通りどこか怠惰で気の緩む雰囲気の彼と挨拶を交わし合い、宿を後にする。「行ってらっしゃい」と手を振るルジュに「行って来ます」と手を振り返し、タケルとカレンは並んで先を歩くハロディとヴァルターに続いた。
「アルシオン王がタケル様にお伝えしたいこと……いったいどういったことなのでしょう?」
「……さあ? 全然想像つかねぇけど」
露店や行商が減ったとはいえ、セントラルは住人たちで賑わいを見せている。時折タケルたちに怪訝そうな視線が向けられたが、それが些末に感じるほどだった。
噴水広場を折れて坂を上り、通用門を抜けてハイフォールドへ。一転して静かな優雅さの漂う教会や庭園を抜け、貴族たちの屋敷を通り過ぎ、城門へと辿り着く。初めて来た時は堅牢にも見える灰色の城に圧倒されたものだが、タケルの心臓はあの時よりも穏やかだった。
銀色の甲冑を纏った兵士たちに見守られながら広間を抜け、謁見の間の扉を開く。吹き抜けの天井に殊更に響く、扉や靴の音。視線の先──緩やかな段差の上の王座には、記憶の中と同じ、厳格にも見える若き王が座していた。
「──よくぞ戻った」
王の下で跪き、首を垂れるハロディたちに倣ってタケルも頭を下げる。すると王は手をかざして早々にそれを制し、静かに四人を労った。
「其方らも見たであろうが、各地に異変が広がっている。異形──書物にある海裂災期の災厄、”モル”の再来……まさに今、混沌の時代が蘇ろうとしている」
どこか疲労を滲ませつつも、凛とした声が謁見の間に反響する。顔を上げたタケルは、王の瞳が刹那、哀れみを含みながら自分を見返していた事に気付いて軽く目を瞠った。
「まずは、其方らの報告を聞こう。……その後、私から伝えることがある」
「──承知しました。では、私から」
ハロディが会釈をし、これまでの旅路で遭遇した出来事を語り始めた。様々なモルの存在、アンスール地方の関所に出現した多眼の巨獣、ファーブラー自治区の件、リューデがモルの襲撃を受けたこと、そして──森に開いた大穴。そこから大量に吹き出して空に霧散した、星屑の煌めきを宿したような黒い靄。簡単な経緯を交えながら要点だけを淡々と告げるハロディの報告に、王は静かに耳を傾けた。
「……以上が、ここまでで我々が見て来た全てです。異変の原因や、──彼の故郷に通ずるものに関しては、確信ある情報をほとんど得られておりません」
「ヴェルダ族やドレンダーとの関係が悪化していようとは……彼の種族は平穏を好むと聞くが、この異変をどう捉えているものか──」
「分かりません。その真意に触れるためにもイルダリアを目指したいところではありますが──それにはまず、ファーブラー自治区に起こったことを探らねばなりません。彼の地の人間はそれについて口を閉ざしている状態らしく、我々は情報を求めて一度、この地に戻った次第でございます」
本来の目的を曖昧にし、あくまで王には異変の兆候を探るための旅として報告するハロディ。王はわずかに俯き、何やら逡巡した後再び顎を持ち上げた。
「なるほど。……北方についてはアンスールの管轄ゆえ、与り知らぬ事情も多い。このアルマの地も情報の坩堝だが、もし必要ならばクラルス地方へ赴くのもひとつの手だろう。……歴史の重みあるアンスールと違い、彼の地は良くも悪くも──乾いた場所であるからな」
「承知しました」
「ハルディオ公には近々親書を送る予定がある。その中に、其方らの事も書き添えておこう」
つつがなく話が進み、その場の空気に馴染んだタケルの意識が緩んでいく。だがそれも束の間だった。ハロディの報告を聞き終えた王が咳払いを挟み、重い声で話を切り替えたからだ。
「──では、私から伝える事だが……」
王はそう切り出して、そっとタケルを見下ろした。真摯な色の中に一滴の哀れみを溢したような、静かな波紋を見せる瞳。タケルの意識は思い出したように張り詰め、全身に緊張が走る。思わず唾を飲み込んだ喉の音が、王にまで届いたのではないかと錯覚する。
極度の緊張は、王が目を伏せた事で緩やかに途切れた。言葉を選ぶようにしばしそのまま沈黙し、再び瞼が持ち上げられた時、その目はタケルだけではなく、その場にいる四人に向けられていた。
「アンスールの軍師フォンタナ卿より報告を受けたオルヴェイン王から、先日伝令が届いた。──其方らの報告にもあった、大穴の件だ」
心臓が殊更に重く響き、タケルは息を呑む。顳顬にカレンの視線を感じたが、痺れたような感覚が襲い、その気配を曖昧にする。少なからず動揺の色を浮かべた四人に対し、王は静かに言葉を続けた。
「フォンタナ卿によれば、大穴は──タケル、其方の何らかの因果によって不浄の靄を噴出させたように見えたという。つまり、其方の存在が何らかの引き金になった可能性が高いと、そう判断されたということだ。故にオルヴェイン王は……いや、アンスールは……其方を”災厄の招来者”として認識する意向を示す、と書き添えてあった。災厄と共に現れる救済の勇者は、災厄の随伴者である可能性が高く、勇者伝説を尊ぶ我が国も──そのように認識を改めよ、と、そういうことだった」
「そ、そんな──!」
悲痛の声とともにカレンが立ち上がりかけるのを、ヴァルターが抑える。その音に紛れるように、ハロディからは小さな舌打ちが鳴る。タケルは目を見開き、無言のままに王を見上げた。
胸の内から湧き上がる感情が何なのかわからない。ただタケルは、激情にも似たそれを飼い慣らすために口を引き結んだ。鼻から何度か空気を押し出せば、乾いた石の匂いとともに脳が鎮まっていく。
真っ直ぐに王の姿を捉えた瞳が白く色を無くしていく。だが確かなのは、その眼差しが意志溢れるものだということ。
これまで幾度も揺らいだ心が再び揺らぐことは無かった。突きつけられた冷たい現実はタケルの目の前にのし掛かったが、その反動が彼を押し上げるようだった。湧き上がる不思議な感覚を享受し、タケルは密かに拳を握りしめた。
「別に、いい」
自然と、心が言葉を刻む。
「──だって、他人がどう思ったって……俺は俺でしか、ないんだから」
誰に言い聞かせるでもないその声は、静かな余韻となって謁見の間を満たした。その音が耳に舞い戻ると、自身でも驚くほど胸の奥に沈んでいくのが分かる。タケルはただ確かめるように、自らの言葉を受け止めた。
それの言葉は、広大な湖面に落ちる小さな一雫のようだった。




