7-1 行き交う思念
呟くような静かな意志を、アルシオン王は受け取った。彼は徐に玉座から立ち上がると、ゆっくりと歩を進め、その視線をタケルと同じ高さに合わせるように片膝を折る。身につけている銀の装備が硬い音を立て、外套やサーコートが衣擦れとともに小さな風を生む。タケルはその動作を、ただじっと目で追っていた。
「他者の評価に心を惑わされる必要はない。人が存在すれば、光と影が生まれるのは道理──案ずることはない。例えその身にどのような運命を背負わされていようと、大事なのは、其方の信念と選択だ」
これまでの厳格さを削ぎ落としたような声だった。タケルは驚きと共に、胸の内にそよ風が通り過ぎるような開放感を覚える。
放心したような少年の表情を瞳に映し、王はわずかに口角を持ち上げた。そして再び立ち上がると、凛とした足取りで玉座へと戻る。再びタケルたちに向き直った時、王の纏う空気は威厳ある硬質さを取り戻していた。
「オルヴェイン王の真意の程は計り知れぬが、私としては其方の存在を蔑むつもりはない。先も伝えた通り、アルマは伝承を重んじ、あくまで民と国の守護に徹するのみだ。かつての勇者と似た境遇の其方に使命を与えるのは忍びないが、歴史をなぞることによって道が開ける可能性もあろう。──私はこれを、直接其方に伝えておきたかったのだ」
そう言って、確かめるようにタケルたち四人を順に眺める。王の瞳に映るのは、彼らの安堵したような表情だった。
「通行証は預けておく。引き続き、異変の調査を頼んだぞ」
石壁のヴァルクスパイア城を出た四人は、快晴の日差しの下、空気を味わうように息を吸った。城門を抜け、目の前に広がる貴族屋敷と庭園の脇をしばし歩く。噴水と教会を通り過ぎ、通用門への坂道を下るなか、ようやくタケルが口を開いた。
「……俺、励まされた……んだよな?」
未だ放心状態が続いているようなその呟きに、ハロディは苦笑を漏らす。
「──あの人は、誰よりも騎士であることを望んでいた人なんだ。だから、君に思うところがあったんだろうね」
「……それは、どういうことですの?」
カレンが首を傾げた。教会を目指して坂を上がる通行人を避けながら、二列に分かれてゆっくりと足を進める。タケルは自分の両足が妙に軽いのを感じながら、ハロディの声に耳を傾けた。
「前にも言ったろ? アルマの王は騎士から選ばれる。それはつまり、貴族階級から選ばれるってことなんだけど……何よりも民意が尊重されるんだ。だから候補者の多くは少なからず、”民に見せる顔”を持ってるわけ。でも現王は、そういう二面性が全く無い人でね」
ハロディは歩きながら大きく両手を伸ばし、体を解す。そして隣を歩くタケルを横目に一瞥し、再び前方を見やった。
「民は清廉潔白な指導者を求める。──けど、上流階級はそうとは限らない。……アルシオン王は年も若いし、ああ見えて結構板挟みにされてる感じなんだよね」
「誰よりも騎士であろうとしたのに、その清廉潔白さを民に見初められたが故にままならなくなった、というわけか?」
「まあ、そんなとこじゃないかな?」
肩を竦め、後方のヴァルターをちらりと振り返ったハロディは苦笑した。するとカレンは口を噤み、隣を歩くヴァルターを見上げる。ヴァルターは気遣わしげに眉尻を下げて咳払いをすると、眉間に力を込めた。
「──それは、心労が絶えないことだろう。上に立つ者は狡猾さを持ち合わせていなければ……静かに喰われていくだけだ」
「またそんな物騒な。──まあとにかく、だから王様は、君に”周りのことは気にするな”って言いたかったんじゃない? 伝承に従って君を勇者として扱うのは心苦しいけど、君個人をちゃんと見るつもりなんだと思うよ」
タケルは緩む口元を誤魔化すように引き結んだ。その後ろで半ば目を伏せていたカレンも顔を上げ、何ともいえない表情でハロディを見下ろすタケルの横顔を盗み見る。その後ろ姿は明らかに喜びを抑え込んでいて、微笑ましさに小さく笑いが溢れる。やがて通用門を抜け、セントラルの賑わいへと体を滑らせると、タケルは小さく息を吐いた。
「……でも、不思議だな。俺の国だと、侍は民の模範なんだ。誰よりも規律を重じて、誰よりも正しくなきゃいけない。──こっちだと、そういうわけじゃないんだな」
「それは……本当に?」
「本当だよ。──じゃないと、天子様から罰が下されるから。民から出た罪人は侍が裁くけど、侍を裁くのは、全てを見守る天子様なんだって」
「それ、言い伝えとかじゃなくて?」
タケルの言葉に目を丸くし、ハロディが確かめるように質問を重ねる。タケルはその視線に押されながらも頷いた。
「”タマハミ”といい”アヤカシ”といい、アカツキって随分……信心深い感じなんだなぁ。どんな所か知りたい気持ちは変わらないけど、ちょっと怖そうでもあるねぇ」
戯けた口調でそう言って笑うハロディに、タケルは乾いた笑いを返す。自国の常識が当たり前だと思っていたタケルは、様々な景色が混合したノヴァの常識の方が逆に物珍しかった。出会った当初にヴァルターから言われた、「こちらにはこちらの常識がある」という言葉をふと思い出す。タケルはそれを飲み込んで尚、散々戸惑ったものだった。
「……ですが、それが上に立つ者の──矜恃であるべきなのかもしれませんわね」
ぽつりとカレンが呟く。彼女の瞳は少し離れた噴水の方を向いていたが、そのずっと向こう側に何かを思い浮かべているかのように、遠い目をしている。それを見たタケルとハロディは互いに顔を見合わせたが、返事を求めていないようなカレンの様子に、黙って言葉を呑み込んだ。
「じゃあ……まあ、いったん解散にしようか! 作戦会議は明日に回して、今日はとりあえず休もう。昼前には三つ星亭に行くからさ」
気を取り直すように手を叩き、ハロディはそう言ってタケルたち三人をぐるりと見渡した。カレンが肩を弾ませ、そんな彼に向き直る。代わりにヴァルターが了承の意を示すと、ハロディは手を振ってロワーサイド方面へ足を向け、噴水の向こうへ消えて行った。
「…………休むって、何するんだ?」
ハロディを見送っていたタケルが、間の抜けた声で小さく問いかける。カレンが素直に思案顔となった傍で、ヴァルターが怪訝そうに眉を歪めた。
「そうですわね……本を読んだり、お茶を飲んだり……とにかくのんびり時間を過ごすのがよいでしょうか?」
「俺は、寝るぐらいしか思い浮かばないけど……」
「山育ちには娯楽が無いのか?」
「ヴァルターは多趣味ですものね。お裁縫に、お茶の研究、お料理も得意ですし。──そうですわ、タケル様。もしよろしければ、一緒にひとつ習ってみるのはいかがでしょう?」
山とは全く違う異国の地での余暇時間。この地に来て初めて過ごすと言ってもいい。だが、休むといえば縁側で寝転んで午睡することくらいしか思い浮かばなかったタケルは、カレンの口から提案されたものに眉根を寄せた。裁縫も、茶を煎れるのも、料理も、タケルにとってはただの生活の一部でしかなかったからだ。特別好きなわけでもなく、敢えて教えを乞おうとも思わない。しかも、指導者は手厳しいヴァルターだ。
「…………やめとく」
期待に満ちた瞳が見上げてくるのを何とか引き剥がし、タケルは苦々しい声で小さく断った。
その日の深夜。三つ星亭のベッドで眠っていたタケルは、ふと目を覚ました。暗い室内でしばらく目を慣らすと、反対側の壁際のベッドで静かに眠っている、ヴァルターの明るい髪色がぼんやりと浮かび上がる。タケルが上半身を起こした衣擦れの音にも微動だにせず、背を向ける形で横たわる肩は、ゆっくりと規則的に上下していた。
ハロディと別れた後、結局タケルは宿に戻り、ベッドに入って午睡した。カレンはヴァルターを伴って街の商店を見て回ると言い、当然タケルも誘われたが、断ったのだ。思い出してみれば故郷を離れて以来、一人で過ごすことがなかった。目を閉じて思考の海に足を浸せば、謁見の間で王に告げたことや、王から受けた言葉が瞼の裏に反響する。その穏やかな音に身を委ねていると、疲労を覚えていた身体は自然と眠りに落ちたのだ。
夜中に目が覚めたのは、その午睡が原因だろう。目を閉じても眠気は再び訪れない。水でも飲もうかとテーブルの水差しを求めて起き上がるも、中身は空だった。タケルは溜息を閉じ込めると、水差しを持って部屋の扉に手をかけた。
街も静まり返った夜だ。暗い廊下が目の前に伸びている。隣の部屋はカレンが使用しているが、当然無音だ。タケルは慎重に扉を閉め、カレンの部屋とは反対側にある階段を目指して廊下を進んだ。
明かりを持たずに出てきたため、夜目に頼って壁伝いに短い廊下を進む。角を曲がるとすぐに下り階段となるが、予想に反して階下からぼんやりと明かりがちらついていた。探究心と恐怖心が同時に芽生え、タケルは思わず唾を飲み込む。そのまま息も飲み込んで階段を降りようとしたところで、下から物音が響いた。
控えめに扉を開閉する、木の軋む音だ。わずかにベルの音が混じっているので、宿の入り口が開いたのだろう。タケルは息を止め、ピタリと動きも止めた。侵入者かもしれない。
だがその後すぐに聞こえた声に、タケルはそっと胸を撫で下ろす。声の主はペールだった。
「もう諦めたらどうだ」
極限まで声を抑えているからか、ほとんど掠れたような声だ。その問いかけに足音が続き、舌打ちが混じる。
「……うるせぇよ」
ペールに応えた声は、聞き覚えがあるような無いような朧げなものだった。分かったのは、声の主が男だということ。確かめようと目と耳を凝らそうとするも、声も足音も程なく消え去り、視界の端に姿を捉えることすら叶わなかった。
しばらくその場で息を潜め、意を決して階段を下りる。すると、カウンターの椅子に座り、パイプの煙を燻らせるペールの背中が目に入った。
「──何だ、坊主。眠れねえのか?」
気配に気づいたペールが振り返り、パイプをカウンターの小皿に伏せる。タケルに掛けられた声はつい先程の硬いものではなく、いつもの包容力が滲んでいた。
「喉渇いたから、水、欲しくて」
「そうか。──貸しな」
ペールはタケルの持つ水差しを目に留めると、スツールから降りながら手を差し出した。小走りに駆け寄って素直に差し出すと、受け取ったペールはカウンターに入って蛇口を捻る。壁から小さく突き出した蛇口から水が出るのは、タケルにとっては見慣れぬものだ。たった一つだけ明かりを灯すランタンの淡い光の中、タケルは水差しが水で満たされていくのをぼんやりと見つめた。
「あんたは、眠れないのか?」
「──ん?」
何となしに話題を振る。するとペールは蛇口を再び捻り、満たされた水差しをカウンターに置いて短く応えた。
「歳取ると眠れなくなるんだよ」
「……ふうん」
誤魔化されたが、追求せずに水差しを受け取る。ペールはパイプの乗った小皿を端に寄せ、置いてあったランタンを手に取ってタケルに差し出した。
「持っていけ。一服したんで、俺も寝る」
「あ、ありがとう」
タケルが受け取るとさっさと踵を返し、ペールはカウンター脇の細い廊下の奥へと向かう。タケルはその背に向けて小さく礼を告げ、今度はランタンの明かりを頼りに部屋へと戻った。
慎重に扉を開き、グラスに水を注ぎ、少しずつ喉を潤す。その間もヴァルターは目覚めなかった。タケルは忍び足で自分のベッドへと戻り、枕元の窓から外を覗く。当たり前に路地は暗いが、垣間見える中央通りも深夜は暗い。
あの来客は何だったのか──脳の片隅でそんなことを思いながらベッドに潜り込み、目を閉じる。今度は眠気が訪れて、タケルは意識や体の力が抜ける心地よい感覚に身を委ねた。
翌朝、朝食のために一階へ下りた三人を迎えたのは、相変わらずルジュだった。朝から活気横溢な彼女にぼんやりとした頭で挨拶をしたタケルは、テーブルに着くカレンやヴァルターを横目にカウンターの奥を覗き込んだ。
「……ペールさんは?」
「ペールじいさん? あの人年寄りの割に寝汚くてねぇ。用事あるなら起こすけど?」
「──いや、いいよ。用事ってわけじゃないし」
首を傾げて朝食の準備に取り掛かるルジュにそう言って誤魔化し、タケルはそそくさとカレンたちの座るテーブルに向かう。談笑していた二人は同時にタケルを見上げた。
「ペール様にご用事でしたか?」
「いや、その……ひとつ、聞きてぇんだけどさ」
頭を掻きながら、ほとんど寝起きの声でタケルが訪ねる。小首を傾げるカレンの向かいで、ヴァルターが「間抜け面をさっさと引き締めろ」と眉を顰めて嗜めた。
「……歳取ると、眠れなくなるのか寝汚くなるのか、どっちなんだ?」
要領を得ない質問に、カレンとヴァルターが顔を見合わせる。戸惑いながらも答えたのは、ヴァルターだった。
「…………一般的には、高齢になると眠るための体力も無くなると言うがな」
「ふうん」
聞くだけ聞いて反応の薄いタケルに、ヴァルターの眉が跳ね上がる。カレンは、珍しく糸が切れたように上の空なタケルに、思わず笑いを溢した。
「はいお待たせ! お茶は熱いのと冷たいのあるからね」
取り留めのない会話をしていると、ルジュが食事を運んでくる。相変わらず肉は口に出来ないが、それでも随分慣れた異国の料理を咀嚼し、タケルはゆっくりと意識を覚醒させる。そうして朝食を終え、部屋に戻って身支度を済ませていると、予定通り昼前にハロディが三つ星亭を訪れた。
「おはよー、お三方」
「昼だけどな」
欠伸を抑えようともせず、間延びした声で挨拶をするハロディに、ヴァルターの鋭い指摘が飛ぶ。ハロディは反論せずに肩を竦めると、さっさと近場のテーブル席に陣取る。それに倣い、タケルたちも同じテーブル席に着いた。
「では、作戦会議ですわね」
どこか弾んだ声でカレンが切り出す。しかしその清々しい視線はすぐにハロディに向けられた。委ねられたハロディは苦笑すると、テーブルに頬杖をついた。
「では早速。情報収集に関してだけど、いくらアルマが情報の集まる場所だとしても、それを集めるのって途方もない話ではあるんだよね。僕ら、資金的にも時間は掛けられないだろう?」
「……そうですわね」
カレンが眉尻を下げる。往路では正式に依頼を受けたり、モルに襲われる行商人を依頼として救助することで報酬を得た。しかし復路では事情が変わったこともあり、ほとんど無償奉仕でモルを打ち払い、依頼を受ける暇も無かった。せっかく往路で貯めた資金が、今後の旅の元手に消えるのは避けたい。滞在には金が掛かる。故に、早急に情報を手に入れて方針を固め、次の行動に移らねばならない。
だが、ここにいるのはハロディ以外、異国の人間だ。しかも貴族の娘とその従者、世間知らずの少年。負担が偏りすぎている。
「でも、手っ取り早く情報を手に入れられる裏技みたいなものがあるんだ。それを、伝えておこうと思ったんだけど」
「「「裏技?」」」
ハロディ以外の三人の声が重なる。期待に満ちた表情のカレン、目を丸くするタケル、怪訝そうに目を細めるヴァルター。それらを順繰りに見やってから、ハロディはふらりと瞳を泳がせた。
「情報屋ってのがいるんだよ。しかもかなりの情報通。初っ端そこに行っちゃえば、もしかしたら案外すぐに目当ての情報にありつけるかもしれない」
「──……だが、情報屋というからには情報料がかかるのだろう?」
ヴァルターが鼻を鳴らす。するとハロディは、肘を着いて組んだ手の甲に額を乗せて項垂れ、そのまま器用に肩を落とした。
「そうなんだ。情報の質は高いけど、値段も高い。でも確実な情報を得られるかどうかは賭けみたいなものだろ? だから、決断は君たちにしてもらいたくてさ」
溜息を吐くヴァルターの横で、カレンが項垂れるハロディの顔を覗き込む。
「……その情報屋という方は、どなたですの?」
純粋な問いかけの声に顔を上げ、ハロディは背もたれに寄りかかって再び肩を落とす。何度か意味のない音を漏らして言い淀んだ彼は、盛大な溜息を吐いた後、渇いた笑いを交えたか細い声で問いに答えた。
「──リリーだよ」
タケルたち三人の脳裏に、強かに微笑む美女の姿が現れる。そして三者三様に、戸惑いの表情を見せた。




